地上の天使達
【天使】
神の御使いにして天上の守護者であり、人に善を説き伏せる秩序だった者達。
彼等もまた、悪魔とは別に厳格な秩序に基づき独自の生活を営んでいた。
タクシーが到着したのは都内とは思えない程広い敷地を有する屋敷。
だが、敢えて言うならば、どうみても極道者の本部にしか見えなかった。
そして、そのドデカい門の前には、一枚板に【天上会】と浮き彫りで記されている。
ブルブルと震える運転手を後目に、蠅野はしっかりと代金を払い、無一文のアスモデウスは、不敵に腰に手を当て、厳めしい門を睨みつけた。
かつては彼も蠅野も天使であり、天上に住まう者である。
その為か、荘厳な門は在る意味懐かしさすら覚えさせていた。
だが、鼻息を一つ。 アスモデウスは鼻で笑う。
「ふん! 未だにあの馬鹿どもはこんな事をしているのか? これでは俺達が仕切っていた頃と何も変わらんではないか!?」
アスモデウスの声を聞いてか、重苦しい音と共に門は開かれる。
門の先には、何十人という何故か白い背広を纏った柄の悪い男達が立っていた。
アスモデウスと蠅野を見て、柄の悪い男達はそれぞれが口を開き唾を飛ばす。
「あぁんこら!? てめぇ何処のもんじゃい!? 此処が何処か知ってて来てんのかのぅ!?」「………あ、逃げよう…………」「んだこらぁ!? 下っ端悪魔のご登場かぁ!?」「おいこら!? さっさと名乗らんかい!?」
罵詈雑言の嵐に辟易するアスモデウスと蠅野だが、前へ出ようとする蠅野を抑えて少年は前へ出ると、口を開いた。
「…………アスモデウスとベルゼバブである。 所で、貴様等……どうにも礼儀というモノを教えられていないようだが?」
たった一言だが、アスモデウスはそう呟く。
すると、柄の悪い男達は顔を青くし、素早く二列に並び全員が無言で頭を下げた。
彼等が並ぶのは大悪魔に対する礼儀と同時に、かつての熾天使への敬いが在る。
だが、何よりも一対一所か天使の軍団丸ごと相手にしかねない二人への恐れが立っていた。
ある程度無礼講が通じる悪魔と違い、天使は完全な縦社会である。
天使は熾天使を頂点として、智天使、座天使、主天使、力天使、能天使、権天使、大天使、天使、という九の階級に分類されており、尚且つ、アスモデウスもベルゼバブも元は天使である。
オマケに、アスモデウスに至っては最高位のルシフェルにこそ幾分か劣るとしても、智天使から昇格後、熾天使の長官というとんでもない立場だったのだ。
何故その様な高位の天使が数多く離反したかについては諸説紛々だが、根本的には【性に合わない】というなんとも人間臭い理由の者も居り、アスモデウスもその一人である。
蠅野の胃に穴が開くよりも早く、何とか二人は応対の為の豪勢な応接間へと通された。
やたらと豪華な屋敷に似合い、応接間と言えども幾分の隙もなく豪華である。
ただ、何故かその部屋は畳敷きであり、天井は子供の天使達がラッパを抱えて飛び回る絵柄という何とも気味の悪い部屋であった。
天井に負けず劣らず悪趣味な襖は開かれ、真っ白な羽織を纏い、長めの金髪が特徴の美男子が現れる。
現れた人物に対して、アスモデウスも蠅野も露骨に顔をしかめていた。
二人の前に羽織りをバッと広げながら優雅に座る青年。
彼もまた、全世界にその名を轟かせた【現天使 極東支部代表兼 天上会 会長】熾天使ミカエルその人である。
寸分も頭を下げることは無く、ミカエルは何処か挑戦めいた笑みを浮かべた。
「これはこれは、お久しぶりで御座います、落ちぶれた堕天使の御二方。 お元気でしたか?」
何とも言えないご挨拶に、とりあえず一発殴ろうかと立ち上がろうとするアスモデウスを、蠅野は全力で押さえ込む。
苛々した様子の少年に対して、蠅野は耳元でゴニョゴニョと呟いていた。
余計な事を口走って問題成る前に、顔の筋肉だけで無理やり笑うアスモデウスと、顰めっ面の蠅野は二人が二人とも頭を下げた。
「此度は此方の不手際にて、これこの通りお詫びを…………」
蠅野はなるべく穏便にそう言う。
無論、上位の命令や子分達が居なければこの場でムカつく天使をシメてやろうかと思っていたが、蠅野に蠅野の生活もあり、渋々頭を下げていた。
大悪魔二人が頭を下げているのを見て、ミカエルは露骨に嫌みな笑い声を上げた。
頬がピクピクしているアスモデウスだが、想い人の為だと無言を続けるのだが、その拳はミシミシと音を立てていた。
「ま、間違いは誰にでも在りますよね? 悪魔が馬鹿なのは知っていますが、わざわざお二方が詫び入れに来て頂いたのに、私も其処まで大事にするつもりは有りません。 どうぞ、お引き取りを」
今度は蠅野が止める間もなくアスモデウスは一瞬で立ち上がった。
睨み合う大悪魔と熾天使。
部屋の空気は奇妙に歪み、おどろおどろしい雰囲気から、蠅野は胃に痛みを覚えていた。
蠅野胃痛は置いておくとし、屋敷の空は雲が立ち込め、全域をスッポリと隠すほどの暗雲が立ち込める。
ゴロゴロといった不機嫌な稲妻の音は、アスモデウスの苛つきを示していた。
「…………舐めてんのか? たかが熾天使のお前如きが俺に勝てるとでも?」不敵にそう言うとアスモデウスに、ミカエルも不敵に笑って返す。
「そっちこそ、いつまでも上役面は止めて欲しいんですよねぇ? 貴方が私の上役だったのは遥か昔の話しでしょう?」ミカエルはそう言うと、一歩足を引いた。
正に一触即発の空気だが、蠅野が愛想笑いを浮かべながら両手を広げて睨み合う両者の間に立った。
「ままままま、お二人共………協定を思い出してくださいね? ほらほらほらほらほら、此処は、穏便に、すみませんが私の顔を立ててくださいよ? お願いですからぁ!?」
何処か悲しげな哀愁を漂わせる蠅野の説得に、アスモデウスとミカエルの殺気は静まっていく。
同時に、暗く成りつつあった屋敷の空も嘘のようにカラッと晴れた。
ぺこりと頭を下げて踵を返すアスモデウスに、蠅野もペコペコと頭を下げながら後に続いた。
大悪魔二人が居なくなってから、ミカエルは脱力してその場にぺたんと崩れ落ちる。
一応、天上会代表としての見栄がある彼は、悪魔ごときに引くわけにも行かず突っ張っていたのだ。
「……………………あぁ…………怖かったぁ…………」
そんな言葉をぼそりと漏らすミカエル。
確かに彼も年月を経て強くは成ったとしても、大悪魔同時に二人相手を出来るわけでない。
かつての仇敵が居なくなった事に安堵してか、長い長い溜め息を漏らしていた。
屋敷から出る際、天使と言う名の柄の悪い男達は噂話で盛り上がっていた。
と言うのも、アスモデウスがラファエルに捕らえられた話は有名であり、尚且つサラとの話も同じく有名である。
此処で問題なのは、彼等は悪魔が地獄耳を持っているのを無視しているという点だった。
「でよ、あのボンクラは未だに告白どころかお話した事も無いんだってよ…………」「まじかよ?それで色欲ってか?」「だいたいよ、ホントにアレが強いのかよ?どう見たって俺の方…………」
三人目のの天使らしい柄の悪い男は、言葉の途中で消えた。
というか、其処にはにっこり笑うアスモデウスの手が伸びており、少年の顔は不気味に笑ったまま、ギギギと錆びたような音を立てて男達の方を向く。
「すまん……手が滑った!」少年らしくそう言うアスモデウスだが、男達も愛想笑いで返す。無論、下半身残して上半身が壁に埋まっている同僚など、無視して。
帰り側のタクシーの中で、蠅野はお腹を手で押さえながら胃薬を山の様に飲んでいた。
悪魔が胃潰瘍を起こすのかと問われれば、一応受肉化をしている彼等は起こす。
莫大な力を内包しようとも、中間管理職の蠅野の胃は持ち主にストレスから来る痛みを訴えていた。
だが、それは問わずにアスモデウスは若干スッキリとした顔をし、蠅野は目の隈がより酷くなる。
「さてと…………地獄帝国最高君主にして、蠅騎士団の創設者、ベルゼバブ殿? 俺様は天使ごときに詫びろという屈辱的な約束を果たしたぞ? 悪魔との契約を反故にするほど…………貴君も愚かではあるまい?」
そんな期待に満ちたアスモデウスの言葉に、蠅野は運転手に薬屋へ行ってくれと悲しげに頼んでいた。