在る意味最強の武器
押し掛け女房とでも言わんばかりの軽部と、ムッとしたまま、明日野は対峙していた。
一体全体、鍵の掛かった部屋に、どうやって入ったのかを聞こうかとも、明日野は考えたが、窓の一部、それも、鍵の近くが綺麗に円形に切り取られていることから、なんとなく理由を把握した。
だが、それ以上に問題なのは、そもそも何故天使がこの場に居るかと言うことだろう。
「聞こうか? いったい何の用なんだ、ガブリエル…………」
何処までも不機嫌そうな明日野の言葉に、本来の名を呼ばれたからか、軽部は僅かに頬をプクッと膨らませる。
この時、明日野は思った。
頬を栗鼠の様に膨らませているのは軽部だが、もし、今其処に居るのが、咲良で在ったなら、どれほど素晴らしいだろうかと。
しかしながら、部屋に不法侵入をしているのは、仇敵である。
一足一刀の間合いを保ちたい明日野だが、そんな少年に構わず、軽部は悠々と間合いを詰めて来てしまった。
「…………酷くない? 私、こんなに貴方の事が好きなのに…………」
ワザとらしく顔を伏せ、目を潤ませる少女は、傍目には可愛いが、その正体を知っている明日野からすれば、不気味意外、何者でもなかった。
「自分でまいた種だろう? 第一、その気持ちはキューピットの矢のせいだと……お前なら分かるだろうに?」
「…………きっかけなんて……どうでも良いでしょ? この胸を焦がす熱い想いに比べれば!!」
明日野は、軽部の言葉に、目眩すら覚える。
【やはり、あのアイテムがお蔵入りに成るのも、無理はないな】と、少年は考えていた。
ベルフェゴール謹製の、禁断のアイテムであり、恋愛成就の最終兵器と揶揄されるのも、無理はないだろう。
そんな事を考えながらも、明日野は、深く溜め息を吐いた。
「ともかく………俺は、貴様とそう言う関係に成る気は、微塵と有りはしないのだ………せっかく……来てくれたのに、茶の一つも出さずにすまないが、今日は帰ってくれないか?」
痛む頭と戦いながら、明日野は可能な限り丁寧に、軽部に言葉を告げた。
「え? やだ」
少年の頭痛はともかく、ほとんど間を空けることなく、軽部は拒否をし、ストンとその場に座り込んでしまった。
小柄な少女の行動は、実に可愛らしいモノだが、明日野は、胃にすら痛みを感じ始める。
「おい………その洗脳は後でなんとかしてやるから、今日の所は帰…………」
「やだ」
なんという事だろうと、明日野は悩む。
やはりと言うべきか、軽部は帰ろうとはしてくれない。
それ以前に、明日野は焦り始めてすら居る。
いくら咲良がバイトに出掛けて居るとは言え、いつかは帰って来てしまう。
その際、こんなつまらない場面を、彼女に見せるわけには行かない。
何とか、解決策を捻り出さねば、明日野に明日は無いのだ。
「よし………では、どうすれば帰ってくれるんだ? 第一、お前にも家が在るだろうが?」
「えー、在るよ? でもね……大ちゃん、今日からは、此処が理恵の家なの…………」
この惚けた少女を、激しくひっ叩きたい衝動を殺しつつ、明日野は、蠅野の様にこめかみを思わず押さえる。
「おうちなの……じゃ、ないだろ? ガブリエル……お前は、俺の話を少しでも聞いているのか?」
「えー? じゃあ逆に聞くよ? どうすればこの家に居て良いの?」
会話のドッジボールが続く中、業を煮やした明日野は、軽部に詰め寄り、襟首掴んで立ち上がらせる。
「………女性に、手を出すのは趣味ではない………此処は、穏便に出て行って貰えるかな?」
「やだね………それとも……ここで大声出そうか? キャーッてさ、そうすればさ、大ちゃん………捕まっちゃうかも……でもほら、私待っててあげるよ? 例え、百年でも、千年でも……ね?」
流石かどうかは知らないが、大悪魔を脅せるのも、軽部の自信の現れなのだろう。
その気になれば、明日野を無理やり手込めにし、関係を持つことすら、軽部には出来る。
だが、それをしないのは、天使の中でも、数少ない天使らしい天使だからなのか、軽部は、実力行使という手には及ぶ気は無かった。
天使のイメージ上、人は彼等を聖なる者だと誤解している。
実際の所、神の名の代紋に、手段を選ばないヤクザやマフィア、ギャングという存在に近いだろう。
過去数千年、白い羽と流麗な見た目とされ、時には人を救うとすら言われている天使だが、実際には、己が戒律の為に、人に罰を下すのが彼等の仕事であり、他は余り考えてはいない。
かつて、見た目こそ全てと語った者言った通り、人は、見た目しか見てはいなかった。
ともあれ、軽部は、少し脅せばこの少年が、自分の言うことを聞いてくれるとも思っている。
並ぶ者無き熾天使である以上、軽部は、かなり我が儘な性格である。
飛び抜けた実力故、従う者しか知らない軽部からすれば、自由奔放に振る舞う安藤こそ、在る意味理想であった。
自分に媚びず、粉を掛けようが平然と受け流されてしまうが故、より惹かれたのだろう。
だが、今の軽部は、怪しいアイテムのせいも在ってか、明日野に意識の全てを向けている。
仮にもう一対の矢を、上手いこと明日野に突き立てる事が出来れば、晴れて、超が付きかねない完全無欠のバカップルの誕生である。
だが、ソレについては、軽部は考えては居ない。
天使らしい天使である以上、実力で相手をモノにしたいとも考えていた。
この考え方自体、矢が刺さる前の軽部は、否定を示すだろうが、彼女の考え方自体は、明日野に非常に酷似している。
ともあれ、安藤を密かに狙った一件に付いては、安藤と明日野の何とも言い難い、軽部が欲してと得られなかった関係故にか、軽部の焦りに起因しているのだ。
だが、この場にて、安藤も咲良も居ない以上、軽部が焦る理由は無い、
しかしながら、明日野とて、七十二もの軍団を率いる長である。
浅はかな脅し如きに、一々オタオタしていたのでは、直下に示しが付かない。
例え、どれほど絶望的な状況で在ろうと、威厳を示せるからこそ、それが、大悪魔と呼ばれる由縁なのだ。
「…………そうか…………やってみろ…………」
唐突だが、明日野の目に、赤色の淡い輝きが宿った。
それを見ても、軽部は唾を飲み込みはすれども、下がろうとはしない。
「良いのかな? …………そんな事言っちゃって…………だいたいさ…………咲良さんが見たら…………」
「貴様の言い分には興味は無いぞ、天使よ…………」
相手の実力が、如何に上で在ろうが、それを突っぱねるだけの度量を、明日野は確実に持っている。
その上、姑息で卑怯な手を用いる様な輩は、彼自身が大っ嫌いなのである。
「舐めてるのか? 如何に貴様の方が強かろうが、俺は譲らん………咲良に誤解をさせたければ、するが良い…………それでも、例え何年、何十年掛かろうと、俺様は、絶対に咲良の誤解を解いてみせる……それだけだ」
堂々とし、威厳を漂わせる声で、明日野はそう語った。
矢の効果は、勿論なのだが、それ以上に、何かが激しく軽部の中に走った。
今までにも、天使として、部下を持った事は有っても、それは、ガブリエルとしての力を恐れているからに過ぎず、諂う彼等を見ては、それ故に、同時に寂しくも在った。
長らくの間、ガブリエルには疑問であった。
何故、サタンが反旗を翻した際、負けるのにもかかわらず、大勢が彼に従い、その身を堕としていったのか。
力関係ではなく、己の意志で、信頼出来る相手に従うという意味が、軽部にも、ようやく理解できた。
想い人に突き放された事、自分が如何に酷いことをしたか、そして、バカ正直な迄に真っ直ぐな明日野の態度に感慨を受けたのか、軽部は、我知らずボロボロと涙を流し始めていた。
「え? ちょ……ガブ…………いや、軽部さん? あの……えと……」
先程の威厳は何処へやら、ワンワンと泣き始める軽部に、明日野は激しく動揺を見せた。
慌てふためく明日野に、軽部自身涙は見せたくはない。
だが、様々な感情が溢れ、湧き出る涙は止まってはくれない。
小柄な体格も相まって、軽部が泣く姿は、非常に明日野とはいえ困るモノである。
「えぇ~………ちょ、ねぇ……ほら、ね? 泣かないでくれないかな?」
何故だか、必死に軽部を宥め始める明日野である。
しかしながら、先程の脅しよりも、今の泣きの方が、明日野はずっと困ってしまっていた。




