怪しいアイテム
借金完済という事も在ってか、明日野の日々は、悠々自適であった。
ともすれば、時にはその辺の同朋から、チョイとしたバイトをこなせば、それなりに金にもなり、益々、日々の生活は潤う。
但し、全てが万事上手く行く訳もなく、明日野は、少年らしい悩みを抱えていた。
近くに住み、同じ高校へ通い、尚且つ、時には食事すら共にする様な間柄の咲良だが、消極的かどうかは別にしろ、明日野と咲良の関係は、実に仲の良い隣人と言うものであり、悲しいかな、男女のそれではない。
そして、今日もまた、昼休み中に、ウンウンと明日野は一人、学校の裏手で悩んでいた。
「…………むぅ…………」
悩みはすれども、何故だか、告白しようとは思えない。
実際の所、咲良とは良い関係であるが、もし、万が一、告白して、咲良からごめんなさいと言われた場合を考えると、明日野の頭からは、出るはずの無い煙が、モクモクと立ち上っていた。
そんな明日野の隣では、安藤がアンパンとクラブハウスサンドイッチをパクつきながら、明日野の愚痴を、これまたウンウンと聞いてくれる。
安藤自体、明日野の事を好ましく思っていても、明日野からすれば、彼女はあくまでも、過去の同僚であり、そしてまた、過去のアンドロマリウスという彼女の本体を知ってもいる。
無論、実際の所は、悪魔という別次元の者達にとっては、性別などは単なる記号でしかなく、事実、あまりそれを気にする物は希有である。
例えば蠅野自身、側近が多数居るのだが、地上に置いては何故か全ての側近達は、女性の姿を取っている事に、蠅野は困惑していた。
明日野の自身、側近達は多いのだが、何故か皆が地獄に置いても、地上に置いても、どう言うわけか男性的な方がほとんどであり、精々あげるにしても、アスモデウスとして管理している地獄のカジノにおいて、店員さんをしてくれる下級悪魔と、何故だか彼には縁が無い。
勿論、理由としては、彼自身の異性に対する志向のせいだろう。 過去、何があったとしても、過去にサラと出逢ってからは、アスモデウスとしても、明日野としても、咲良しか見ていないのであった。
「…………ウンウン唸ってないでさ、一回ぐらい、告白してみれば? 僕は、貴方が大好きなんです!…………ってさ、それぐらい良いでしょ?」
未だに、頭を悩ませる明日野の横では、安藤がそう呟く。
しかして、そんな安藤の言葉自体、過去何万何千回と語り継がれている。
が、ただの一回とて、そうしようとは、明日野には思えなかった。
「…………簡単に言ってくれる…………それが、出来れば、こうして悩みはせんのだよ、アンドロマリウスよ…………」
「ま、良いよ? バイクの代金も払ってくれたしさ…………それに、ほら、咲良にフられたらさ、僕が君を拾ってあげるよ…………」
愚痴る明日野がそう言うと、安藤はカラカラと笑った。
だが、そんな二人を、面白く思わない者も居る。
その正体は、ガブリエルこと、地上名では軽部理恵である。
ちっこい体格に似合わず、四大熾天使の中では、実は最強とも噂されている。
事実、遥かな過去に置いては、アスモデウスをボコボコにして、洞窟に放り込んだという事例すら在った。
現天使の代表はミカエルとはいえ、これは【勝利の剣】による功績がほとんどであり、事実、武器を除いて、真っ当に殴り合えば、ミカエルはガブリエルには勝てないと、天使の中では専らの噂である。
安藤と明日野自体は、あくまでも仲の良い同僚同士だが、傍目にみれば、実に仲の良い高校生カップルに見えなくもなく、事実、軽部はそう見ていた。
プルプル震える軽部はどこからともなく、小さい弓と、ハートの矢を取り出し、安藤に狙いを定める。
どういう経緯が在ってか、軽部が安藤に思いを寄せるのかと言えば、特に変わった話が在るわけでは無い。
アンドロマリウス自体、あまり悪魔らしい悪魔でもなく、どちらかと言えば自由奔放な性格にして、正義を貴ぶという、軽部の理想であった。
天使が悪魔に恋をするのは、些かどうかとも思えるが、それを止められるだけの実力者は、天使の中ではほとんど居ないため、敢えて無視されている。
所轄、喧嘩では勝てないから、と言うのが理由であった。
経緯はどうであれ、軽部が構えているのは、キューピットの矢である。
かつて遥かな過去、創造に長けたベルフェゴールが、悪魔に堕ちる前に、作り上げた作品だが、この矢の特性は、実に簡単。
【撃った者に対して、撃たれた者は、恋に落ちる】
さて、何故この様な物をベルフェゴールが作ったかと言えば、【怠惰】を司るだけ在り、単に、好きな相手に告白するのが面倒くさい、という理由からだった。
紆余曲折があり、結局、ベルフェゴールがこの道具を使うことなく、恋する相手と別れて、地獄へと堕ちていったのは、余談であろう。
ともかく、軽部からすれば、明日野は恋敵であり、今、一番始末したい存在である。
短絡的な彼女からすると、例え卑怯な手を使おうが、明日野から安藤を奪い返したいとすら、思っている。
可能であれば、それこそ目の前で。
ギリギリと鳴る弓の弦を引きながら、軽部は、天使らしからぬ残忍な笑みを浮かべた。
彼女の頭の中では、安藤を奪われ、悲しく嘆く明日野の姿が、まるで映画の様に上映されているが、何故だか、軽部の等身が随分と高く成っていた。
もはや、後にも先にもかかわらず、軽部は、ハートの矢を放ってしまう。
風を切りながら、グングンとハートの矢は飛んでいくのだが、問題が在った。
偶々、明日野が安藤の前に来ており、安藤を庇う形に成っていたが、これ自体は問題点は無い。
体制と位置は問題が無くとも、明日野はタダの人間ではないと言うのが、問題なのだ。
友に向かう矢を、明日野は敏感に感じ取り、安藤目掛けて飛んで来た矢を、指で挟んで止め、尚且つ、勢いそのままに、矢を放ったであろう者に向けて、ハートの矢を投げた。
そして、軽部の思惑とは裏腹に、ハートの矢は、彼女の胸に突き刺さる。
膝から崩れ落ちる軽部。
それを、安藤はオヤッと言う顔をで見やり、明日野はと言えば、しまったという顔を浮かべた。
明日野は、その悪魔の凄まじい胴体視力にて、見てしまっていた。
自分が投げたハートの矢が、あの軽部へと向かって行くのを。 本来であれば、軽部も矢ごときでは、驚きもせず、例え至近距離でマグナムを撃ち込まれたとて、どうと言うことは無い。
問題なのは、撃ち込まれのが、鉄砲の弾ではなく、キューピットの矢だと言うことだろう。
キューピットの矢は、その特性上、僅かな意志を持ち、そして、自己を使った相手を認識する力が在る。
そして、大問題なのは、あくまでも、矢を放ったのは、明日野であると、キューピットの矢が認識してしまった、と言うことだろう。
崩れ落ちた筈の軽部は、すっくと立ち上がる。
その平坦な胸に、突き刺さった筈の矢は、ボロボロと灰の様に朽ちて、証拠を残さずこの世から消えた。
安藤は、面白そうな顔をしていたが、隣に立つ明日野の顔には、大量の冷や汗がポタポタと、滝の様に流れ出し始める。
いつになく、お淑やかな足取りで、軽部は明日野へと近づいて来る。
何故だか、軽部の顔は俯き、その両手をモジモジとさせていた。
いよいよ、軽部と明日野の二人は、手を伸ばせば届く間合いに入る。
口と腹を押さえて、笑いを堪える安藤を余所に、軽部は、パッと頭を上げると、潤む瞳で、明日野を見た。
【これは、最悪にマズい】と、明日野の第六感が叫ぶ。
だが、過去のトラウマから、彼の足は少し震え、思わず、ゴクリと唾を飲み込んでいた。
「…………あ、あの…………軽部さん?」
どこか、調子が外れた裏声で、明日野は、軽部を心配する。
すると、心配された軽部は、そのまま心配されたとおり、ソッと、明日野の胸に手を添えた。
「…………明日野、さん…………私と、付き合ってください…………」
恋する美少女、軽部理恵は、天使と悪魔という垣根を弾き飛ばして、その言葉を口にしていた。
少し後、小柄な少女から、悲鳴を上げながら逃げ回る明日野の姿が、多数の生徒により目撃されていた。




