好奇心
咲良との交流を楽しみたい明日野だが、彼には別に目的が在る。
佐田からは何らかの価値が在るものを示唆するメモすら蠅野経由で渡されたが、だからといってピンとは来てはなかった。
久座に会いに行った明日野だが、佐田からのメモを渡すと、旅館の受付に座る小柄な老人は顔をしかめる。
「なぁ、アスモデウス…………この辺にゃあお宝なんて無いのはお前さんなら分かると思うが?」
そういうと、久座は持っていた煙管に煙草の刻んだモノをぐいぐいと詰る。
とは言え、そうは簡単に引き下がる訳にも行かない明日野はわずかに唇を噛んだ。
「クザファ…………いや、久座さん、今の俺は明日野大です。 それに、わざわざ大将が此処に俺を寄越した理由も在ると思うですが?」
明日野はそう言うと、久座はフフンと鼻で笑い、マッチやライターを用いる事無く指からソッと小さな火を出して煙草の葉に火をつける。
「…………佐田がねぇ…………ま、確かに大将は嘘は言わないからな」
何処か昔を懐かしむ様な言葉と共に、久座は煙を吐き出した。
過去を懐かしむ久座に、明日野は首を傾げる。
高々ひとっ飛びしただけで自分は天使に詫びを入れる羽目に成ったのにも関わらず、目の前の久座は平然と煙管に火を灯した。
どことなく鼻を突く煙草の煙りに顔をしかめつつ、明日野は疑問を解きたかった。
「久座さん、そう言うの駄目なんじゃないですか?」
「お? なにが?」
明日野の疑問に、久座は余裕を崩さず答えると、もう一煙管から煙を吸い込み、旨そうに吐き出すと、久座は口を開く。
「お前さんが空間転移したのは俺でも分かった…………でもな、坊や……分かりやすく言えば俺がチョイと火を灯したからって大丈夫なのさ。 何でかって顔をしているな? 誰も教えてくれなかったのか?」
そんな久座の言葉に、明日野は少し頷き、それを見て、久座はつまらなそうな顔を見せた。
「佐田の旦那もベルゼバブもすっかり地上暮らしが馴染んでいるようだな…………なぁ坊や、確かに俺は能力を使った。 だがな、そんなモンはきにすることか? 考えてもみろ、お前ぐらいデカい力の持ち主がホイホイと行ったり来たりすれば、チンピラ天使でも分かるんだよ? でもな、俺やお前さんがチョイとマッチぐらいの火を付けた所で、誰にも分かりゃあしないのさ」
孫を労る様な久座の口振りと、久座の僅かに立てた人差し指の上に灯された小さな火を見て、眉根を寄せながら明日野は久座の話に聞き入っていた。
「俺にしても佐田の旦那でも無いモンは作れない………この煙草の葉にしたって買ったもんだ」
そう言うと、久座は袋入りの煙草の葉を見せる。
「良いか? 俺たちは地上では確かに現象は使えるし、古代の魔法だって俺達は使える。 それに、お前さん知らない内に色々やってただろ?」
久座にそうは言われて、明日野は地上に、そしてこの国に来たばかりの時を思い出していた。
「うむ…………そう言われれば…………確かに」
「だろう? でも、みだりに力を使って暴れちゃあいけねぇやな? 水をワインに変えたり、石ころを黄金にする事だって俺達なら出来る。 でもな、そんな事したらせっかくの人間達の世界がグチャグチャに成っちまうだろう?」
明日野の納得したような答えに、久座もまた、暗にこの前、天使をぶっ飛ばした時の事を諫めていた。
地上に戻って来た頃、明日野は知らず知らずの内に能力を解放している。
遥か遠くから一瞬にして望みの場所へと渡る力。
ちょっとした事で局地的な嵐ですら発生させた。
過去にも、明日野は知らず知らずの内に能力を使ってはいたが、咲良と知り合いになり、自然とそう言った彼に秘められた力は押さえられていたはずである。
大悪魔や上位の天使ともなれば、息をするように町一つを灰燼に帰せる。
それこそ、遥か過去に天使がソドムやゴモラを焼いたように。
だからこそ、久座は同胞でもある明日野を心配していたが、目を細めながら声を張り上げる。
「マルコ! 出てきて坊やのお願いを聞いてやってくれ!」
久座の言葉に応えてか、旅館の奥からは顔を覗かせた青年を見て、明日野は首を傾げていた。
マルコと呼ばれた青年は、明日野の顔を見て苦笑いを浮かべていた。見た目こそ精悍な顔立ちであり、何処か外人風にも見えないが、軽く頭下げるその青年を明日野は彼をよく知っている。
マルコ【マルコシアス】は地獄に在っては三十の軍団を率いる大公爵であり、地上に在っては知る人ぞ知る名旅館【竈屋】の従業員である。
彼と明日野が知人足り得るのは、遥か過去にソロモン七十二柱の一柱でもあるが、それ以前には天使と天使という古いつき合いでもあった。
「お久しぶりです、明日野さん。 佐田さんからはよくよく言われてますのです…………どうです? 私、これからちょっと今夜の晩飯の材料を調達に行くんですけど?」
肩に掛けた大ぶりなスリングショットと矢をソッと明日野に見せびらかし、マルコは笑った。
「ふむ、相も変わらず真面目だ…………良いだろう、つきあおうぞ」
そう言うと、明日野は腕を組んで軽く頷いた。
一方その頃。
理沙を除く女性達はと言うと、竈屋自慢の露天風呂に入っていた。
女性しか居ないためか、その話には花が咲き、色々な話題が流れ飛ぶが、在る一点の時、わずかに会話は途切れる。
「ところでさ…………咲良さんて、あの馬鹿の事が好きなんですか?」
安藤ですらひっくり返って頭から湯船へと着水するのに対して、そう言う軽部の言葉に、咲良は微笑みを崩さない。
「んー…………ま、周りの友達なんかはスッゴく分かり易いよねって言ってくれてる……のは確か…………でも」
「でも?」
咲良の微妙な言葉に、軽部は追い討ちをかけるが、掛けられた当の本人である咲良は余裕を崩さない。
「そりゃあ………誰だって、人から好きです! て、言われたら悪い気はしないでしょ? でも、まだそんな事言われてないし…………」
そんな咲良の言葉に、何故か話し相手の軽部よりも横から聞き耳を立てている安藤が反応を示していた。
「それに、ほら…………理恵ちゃんだってさ、結構口は悪いけどぉ…………なんだかんだ言って明日野君とこうして旅行まだしてるでしょ?」
意外な言葉を漏らす咲良に、軽部は湯船から立ち上がる。
些か貧相…………スレンダーな軽部の肢体が露わになるが、同性同士であれば気にはならないだろう。
事実、蠅野は壁一枚隣の温泉にて日頃の疲れからか、呆けた顔をしながらじっくりゆっくりと湯味を染み込むように楽しんでいた。
「じょ……じょ……じょうぁだんじゃあない!? 何で私があんなに変態あく…………」
其処まで言った所で、軽部は安藤によって頭から沈められた。
ピチャピチャと音立てながら動き回る軽部の腕をよそに、安藤の顔はどこか喜色めいたモノすら感じ取れる。
「ね、ねぇ、咲良……なんで、そう思うの?」
軽部の失言を抑えつつ、興味津々な安藤の言葉に、咲良は軽部の暴れる腕を忘れて考えに耽った。
「なんて、言いますか…………だってほら、ホントに嫌いなら一切近寄りたくありません? 私、実は虫が苦手で……蠅とかも潰せないから窓開けて逃げて貰うんですけど…………最近はとんと見ないんですけどね。 第一、理恵ちゃんが本当に明日野君が嫌いなら、そもそも話し掛けたりしないでしょ?」
そんな咲良の意見に、安藤は目を丸くしていたが、少し笑う。
蠅が高品姉妹のアパートに近寄らない理由としては、単に蠅野がそう言い聞かせているからである。
「…………そうだね、たぶん…………アイツは君のそんな所を好きに成ったんじゃないかな?」
安藤がそう言うと、咲良はにっこり笑うのだが、彼女達二人は忘れている事がある。
安藤の手に抑えられた軽部はプカッと浮き始めていた。
それを気にせず、咲良は山へと視線を移す。
「あーあ、理沙も来れば良いのに………散歩したいって言ってたけど…………大丈夫よね? 明日野君も一緒らしいし」
咲良は気楽にそう言うが、明日野は理沙の行動については知らないし、そもそも彼の頭のアホ毛【悪魔探査芯】は常に咲良の方を向いており、明日野本人が気にかけなければ理彩の方は向かないのだ。
事実、なだらかな山道を歩く明日野とマルコの遙か後ろでは、何か面白いモノを見つけ出した様に喜色満面の理沙がコソコソとついて行くのを、受付の久座もまた面白いモノを見つけた様に見送っていた。




