大悪魔は恋をする
現代より遥か昔。 其処にはまだ悪魔と天使が居た時代の事である。
最終戦争に備えつつ、天界と地獄では、天使と悪魔が、それぞれが武器を研ぎ、各々が軍団を構えて、今か今かと争いに備えていた。
だが、それとは別に、十一兆以上居る悪魔の中から、数える程しか居ない大悪魔は、人間の女性に恋をしてしまった。
さて、この悪魔が誰かというと、かつてはの熾天使の長官を勤めたが、他の天使と共に神に反乱し、その身を地獄へと墜とした。
だが、堕天と共にかの七つの大罪【色欲】を司る様になり、地獄に在っては七十二の軍団を率い、その職は地獄に置ける【賭博遊技場総監】という立場である。
【王位簒奪者】【情欲の権化】【破壊魔神】【不正と犯罪と悪行の復讐者】【偉大で強力な王】幾つもの字名を持つ彼なのだが、本来の名前、それを自分から名乗ることは無かった。
*
現代より千年と少し前。
大悪魔は、今日もまた、恋するサラという女性の近くに潜んでいた。
本来ならば、悪魔の力を用いて人間一人を誑かすなど容易いのだが、彼はそれを拒み、尚且つ、サラに言い寄る男性を、既に【七人】も殺害していた。
それでも、彼は常にサラの近くに居り、決して手を出そうとはせず何故か彼女を見守っていた。
ただし、コレは現代で言うところのヤンデレストーカーであり、尚且つ、彼は非常に奥手である。
将軍よりも位の高い大悪魔ともなれば、同じ魔族からは嫁のなり手が引く手数多なのだが、彼は頑としてこれを拒否。
一途に、そして偏屈的にサラに固執していた。
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とは言え、当のサラもいい加減悩んでもいた。
「あぁ、どうして私の周りでは不幸が起こってしまうの?」
良家の資産家に嫁ぎ、本来ならば何不自由なく生きてきた筈であった。
だが、何故か自分とお付き合いした途端に、とんでもない形で男性が、事故らしき事態で死ぬ。
そんな事が続けば、【あの女は悪魔が憑いている】という噂が立つのも無理はないだろう。
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周りから噂に耐えきれず、サラは辺鄙な村はずれへと逃げ出した。
昼は考え抜き、夜は、独り悩みつつも、哀しげにため息を吐くサラ。
そんな彼女も眠るためにと、ベッドに横になれば、何故か異様にグッスリと眠る事が出来た。
夏は涼しく、虫に悩まされる事も無ければ、冬はやたらと暖かく、強盗や不審者に悩まされた試しも無い。
無論、サラの眠るベッドの下には、大悪魔。
ソッと、サラが眠るベッドの下から顔を出し、大悪魔はニンマリと笑っていた。
*
明くる日の事である。
サラは困りはすれども、決して飢える事はなかった。
何故かと言うと、彼女が朝に家の外を見れば、空だった筈の荷台に一杯の食べ物。
其処には肉や野菜、そして貴族が食べるようなお菓子類、オマケなのか、何故か妙に酒瓶が山盛り添えられている。
「あぁ、また心優しい人が私の為にこんなに……」
そんな荷を見てから、サラは、いつも添えられている手紙を読んで、心を慰めていた。
羊皮紙には、端麗な文字でこうある。
【サラ様 私は故あって名乗り出る事はできません。 ですが、村の者共が貴女にモノを売らずとも、私が御用意します。 愛を込めて】
この手紙読んで、サラは心が暖かくなっていた。
誰なのかを特定し、言い寄る事でこの【優しい人物?】が死んでしまうことを恐れ、彼女は手紙の主を探すことはない。
だが、同時に日々の暮らしには困ることもなかった。
*
そんなある日。
いつものようにパンと赤ワイン、豚のハムという優雅な朝食を楽しんでいたサラは、ドアが勢いよく開かれた事によって、口の中のワインを盛大に霧の如く吹き出していた。
「………話は、聞かせて貰った! 貴女には悪魔が取り憑いている!!」
突然の乱入した上に、その乱入者は第一声に、こう言いはなった。
意外と端正な顔立ちの青年、クルリとカールした金髪が何とも可愛らしいが、何故か神父の出来損ないと言うような格好をしている。
口の周りをナプキンで拭いつつ、サラは口を開いた。
「すみません、どちら様?」
サラがそう言うと、神父は、懐からズルッと生臭い魚を取り出し、それを何かの紋所の如く見せ付ける様にサラの顔の近くまで持って行く。
グイグイという、似非神父の圧力と、あまりの魚の生臭さに、サラもどんどん壁へと押しやられてしまうが、サラの背中が壁に止められた時、神父はその目をカッと見開いた。
「むむ!? 見える見えるぞ!? 俺にも見える!! 貴女には悪魔が取り憑いています! だが、美しいお嬢さん!安心めされい! この魚を…………」
神父はそう言うと、サラが止める間もなく、生臭い魚をポイッと暖炉へと放り込んだ。
部屋に漂い始める魚の臭いに、サラは鼻を摘まんでいるのだが、彼女の目の前の似非神父は妙に自信満々に立ち、そして、その魚の臭いが染み付いた臭い手を、ソッと彼女の肩に置いた。
その時である。
『…………キャアァァァア!?』
と、かなり微妙な、断末魔というよりも、女性が上げるような黄色い悲鳴がサラのベッドの下から響き、大仰な影が一瞬だけ姿を現したが、その影は焼かれた魚の煙に混ざり暖炉の煙突へと消えてしまった。
未だに神父の手の生臭さから顔をしかめるサラ。
そんな彼女に構わず、似非神父は高らかに語る。
「これでもう大丈夫! 悪魔は去りました!!」
そんな風に何故か大声で言う似非神父に、サラは一言「神父様、生臭いです」とだけ呟いた。
*
さて、煙突から逃げる様に抜け出た大悪魔だが、それを別の誰かが待っていた。
如何にも天使、と言うよりも、頭の光る輪と背中の何枚もの白い羽が一応彼を天使たらしめている。
天使はその手に小さい壺を持ち、蓋を開けば、魚の生臭さに弱ったアスモデウスは吸い込まれていく。
その時、人間には聞こえない波長で大悪魔は喉が裂ける程に叫んだ。
『おのれぇぇ!? ラファエル!? 貴っ様ぁぁぁぁぁ…………』
そんな言葉はいざ知らず、ラファエルと呼ばれた天使はスポンと壺の蓋を閉めてしまう。
すると、天使はにっこりと笑った。
「駄目ですよ? 元同僚だからって…………ねぇ?」
そう言うと、天使はスッとその姿を消した。
*
大悪魔が封印されてから時は流れ、千年と少し後。
とある考古学者は、エジプトに来ていた。 発掘調査が主だが、実は彼、かなりのオカルトマニアである。 大悪魔が封印されているなんて与太話は普通の人間ならば信じないかもしれない。
だが、彼はそんな伝説を熱心に信じていた。
コンコンと小さな槌で遺跡を調査する考古学者。
ボロっと遺跡の壁は崩れ落ち、考古学者はかなり微妙なモノを見つけだした。
その手には遺跡から出た丸くも首が細長い小さな壺。
何故それが奇妙なのかと言えば、古代の言語で壺には言葉が刻まれていたからだ。
一応、考古学者である彼もそれを読み解く事が出来た。
其処には、こう記されていた。
【開けるなよ? 絶対絶対開けるなよ? いいか? お宝なんて入ってない コレには悪魔が積められている】
【押すな押すな】
と言われたら、押したくなるのが人情だろう。
特に悩む事もなく、考古学者は壺の蓋をスポンと抜いた。
もわっと煙の様に現れた黒い影に、流石の考古学者も恐れから腰が抜けてしまう。
ブルブル震える彼に向かって、影は大仰な声でこう言った。
『おい、お前…………俺様の名前を知っているか?』
数居る悪魔の中で、この有名な言葉を吐く者は多くない。
オカルトマニアの考古学者もそれを知っているのか恐る恐ると、だがキッパリと口を開いた。
「…あ…あ……貴方は……アスモデウスですね?」
震える声で考古学者がそう言うと、影は一塊になり徐々に人の姿へと近づいていく。
考古学者の目には、褐色に近い肌に首まで少しかかる長めの髪の毛を持ち、尚且つ妙に古臭い格好をした高校生程の美形の少年が居た。
「…………あ、知ってるんですか? いやぁ……困ったなぁ、ほら、俺って結構有名でしょ? でもって、何ですか? 財宝ですか?姿を消す魔法? わざわざ呼んで貰えるとは思ってなかったので用意がしてなくて………あ、じゃあ後五メートル下を掘ってくださいね? 一応金銀財宝が埋まっているみたいなんで………じゃ、これで」
そう言うと、考古学者の目の前からアスモデウスと呼ばれた少年は姿を霧の如く消してしまった。
アスモデウスの思惑がどうであれ、この時の考古学者は後に莫大な富を築いたらしい。
*
遺跡の頂上から、アスモデウスは悪魔の目で世界、地球を見渡す。
大悪魔の能力を遺憾なく発揮し、制限すら掛ける事も無くある人を探す。 すると、簡単にその人の気配は掴むことが出来た。
空間転移など、大悪魔ともなれば息をするのと同じ様に出来る。
そんな彼が降り立ったのは、どこかの男性の頭の上であった。
其処で一言「…………何処だ?此処は?…………」とアスモデウスは呟いた。
少年が乗るカツラが、ズルリとずれるが、少年は華麗に着地を決める。
呆けた様子の男性を後目に、アスモデウスは探している人物の気配を辿りながら、もう一度空間を滑った。
パッと消えた少年に対し、男性は悲しげにカツラを拾い上げていた。
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