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家に着くと同時に、携帯電話が鳴った。電話は非通知となっていた。出ようかどうか迷ったが、俺はそれに出ることにした。
「鈍いやつだな。まだ気づかないのか」
電話越しに聞こえてきたのは、俺の声だった。
「お前、誰だ」
俺は電話に向かって叫んだ。すると、電話の向こうから不気味な笑い声が漏れてきた。
「俺の正体も間も無くわかるはずだ。今頃そっちにお迎えが向かってるはずだぜ」
「迎えってなんのことだ?」
「それもすぐにわかることさ」
俺の声の主はそういうと電話を切った。
二階の部屋に行き、椅子に座ると唇にそっと手を当ててみた。まだ心臓の鼓動は高鳴っている。先ほどの出来事を思い出すだけで、顔が火照ってしまう。
少し前のことを反芻していると、玄関のチャイムが鳴った。家には俺以外誰もいないので、仕方なく俺が出た。
玄関のドアを開けると、体格のいい男が二人並んで立っていた。初めて見る顔だった。一人は髭面で四十代くらいの男だ。もう一人は、かなり若い。おそらく二十代前半だろう。二人いるのだから、セールスなどの類ではなさそうだ。
「君が赤羽大輝くんかな」
髭面の男が尋ねてきた。
「はい、そうですけど。あなたたちは」
「私たちはこういう者だ」
髭面の男は懐から警察手帳を取り出し伊勢崎勝夫と名乗った。それを見て、俺はどきりとした。この近くでなにか事件でもあったのだろうか。
「警察の方がなんの用ですか」
俺が訊くと、二人の刑事は顔を見合わせ、ため息をついた。
「誤魔化そうとしても無理だ。証拠は出揃っているんだからな。君を強盗殺人の容疑で逮捕する」
伊勢崎は、俺の腕をつかむと手錠を掛けようとした。俺はあわてて彼の手を振り払った。
「ちょっと待ってくださいよ。いきなりなんなんですか。俺が強盗殺人犯なんて、そんなはずあるわけないじゃないですか」
「証拠は出揃っているといっただろ。いくら足掻いても無駄だ。話は署でじっくり聞かせてもらおう」
一歩後退したとき、若い男に腕をつかまれてしまった。俺はそのまま床に倒され、その後、若い男が俺の背中に乗りかかり俺は身動きが取れなくなった。伊勢崎は、身動きの取れない俺に手錠を掛けた。
警察署に着くなり、俺は取調べ室に連れて行かれた。狭い空間で、警察と向かい合わなければならない。ここが、何人もの犯罪者が罪を認めた場所なのだろう。今なら、彼らの気持ちが少しはわかる。間も無くして、伊勢崎刑事がビデオテープを持って入ってきた。俺は伊勢崎をきっと睨みつけた。警察の暴挙に腹が立っていた。
「そんな怖い顔で睨むなよ」
伊勢崎は笑顔だったが、威圧的なものを感じた。この部屋に入れられて、隙を見せたら負けだ。
「俺はなにもやってない。俺がやったって証拠がどこにあるんだよ」
「これを見ればわかるさ」
伊勢崎は、ビデオテープをビデオデッキに入れ再生ボタンを押した。テレビに映し出されたのは、銀行だった。俺には、見覚えのない銀行だ。時刻は今日の午後二時となっていた。少ししてから、俺は目を疑った。銃で銀行員を脅迫している映像が映し出されたのだ。脅迫しているのは紛れも無く俺だった。マスクや帽子などは被っておらず、一切変装は行っていなかった。
テレビの中の俺は、銀行員が出した札束をカバンに詰め込んでいった。銀行員は怯えた様子で俺のいうことに従っている。現金を奪うと、俺は銀行員の頭を撃ちぬいた。そして、二人三人と手当たり次第人を撃っていった。銀行内は血の海となり、銀行員を含め四人の人が殺された。
そのビデオに俺は違和感を覚えた。なにかが足りないように思えたのだ。しかし、それがなんなのかは、わからなかった。
「この映像を見て、まだ言い逃れをするつもりか」
ビデオを停止させてから、伊勢崎はいった。
「俺には身に覚えの無いことだ。だいたい今日の二時なら、俺にはアリバイがある」
「ほう、ならその話を聞かせてもらおうか」
伊勢崎は俺の向かいの席に座った。
午後二時といえば、麻衣と遊園地に行っていた時間帯だ。俺はそのことを伊勢崎に話した。
「それなら、この映像はどう説明する? もう一人お前が存在するとでもいうのか」
「それは……」
不意に先ほどの電話のことを思い出した。もう一人の俺の存在――信じられないことだが、そう考えるべきなのかもしれない。だとすると、俺は記憶など無くしていなかったことになる。あの電話の主がいっていたお迎えとは、警察のことだったのか?
「そう考えるしかないと思います。もう一人俺が存在するのでしょう」
伊勢崎はぷっと吹き出し、大笑いした。
「ばかばかしい。そんなことあるはずがない」
笑いを止めると、伊勢崎は俺の顔を見ながら、
「君、ここまでおかしくなったのか?」
と人差し指で顳顬をとんとんと二回叩きながら、馬鹿にするようにいった。
俺はバンと机を叩き、刑事を睨みつけた。
「俺にはちゃんとアリバイがあるんだ。信じられないことだけど、そう考えるのが妥当だ」
「お前が撃った銃は、近くの交番の署員を殺して盗んだものだ。それも覚えがないのか?」
俺は首を縦に振った。今日一日は麻衣と時間を過ごしたのだから、それ以外のことをわかるはずがない。もっとも俺は罪など犯していないが。
「本当に君はやってないんだな?」
伊勢崎は真剣な眼差しを俺に向け訊いた。俺は刑事をしっかり見据え、やっていない、と答えた。
「わかった」
「えっ! 俺のいうことを信じてくれるのか」
伊勢崎は煙草を取り出すと、吸ってもいいか、と尋ねてきた。俺は頷いた。彼は煙草を一本くわえると、火を点けふーっと白い煙を吐き出した。
「もう一度よく検討してみる必要があるということだ。この事件にはわからないことがまだある」
「わからないこと?」
俺は繰り返した。
「そう。銀行強盗をするなら、なぜ変装をしなかったかだ。普通銀行強盗などをする場合、捕まることを恐れて、なにかしら変装をするだろう。しかし、この映像を見るとなにも変装はしていない。しかも落ち着いた様子で、余裕があるようにも思える。犯人は君の顔に変装しているのかもしれないが、ここまで精密に他人の顔を装うことは不可能だ。それに犯人が銀行を出てから、目撃されたという情報がないんだ。この銀行は国道沿いにあって、周辺も人通りが多い。しかし、聞き込みをしても目撃情報が一切ない。不思議とは思わないか」
「確かに変だ。それだけわからないことがあるのに、なぜ俺を逮捕したんだ?」
「仕方なかったんだ。上層部の連中が逮捕状を出したからな。連中はこの映像を見ただけで君を逮捕することを決定した。まあ、俺も賛成した人間だがな。この映像を見る限りじゃ仕方の無いことさ」
伊勢崎はビデオテープを持ちながらいった。確かにそのテープを見る限りでは仕方の無いことだ。
「さて話は終わりだ」
伊勢崎は灰皿で短くなった煙草を揉み消すと立ち上がった。
「俺はもう帰れるのか」
立ち上がった伊勢崎を見て、俺はいった。
「それはできない。今は君が容疑者になっているんだ。君のアリバイが明白になるまで自由はないだろう。えーっと、麻衣ちゃんといったかな。彼女はちゃんと君のアリバイを証言できるんだろ」
俺は頷いた。
「それなら釈放もすぐだろう」
伊勢崎はにっと、黄ばんだ歯を覗かせた。しかし、次の瞬間、彼の表情は変わった。
「いや……」
といって、伊勢崎は首を傾げた。
「君のアリバイが証明されても釈放はないかもしれんな」
「どうして?」
間髪を容れず俺はいった。
「アリバイが証明されたとしても最大の謎が残っているだろ」
「最大の謎?」
俺は小首を傾げてみせた。伊勢崎は俺を指さしながら
「もう一人の君の存在だよ」
といった。
「それが解けない限り、釈放はないかもしれん」
なるほどと思い、俺はがっくりと肩を落とした。しばらく刑務所に閉じ込められそうだ。まったく無理無法なことだ。冤罪扱いに他ならない。
「あんたはもう俺を疑っていないのか?」
「目を見ればわかる。君の目にウソはなかった。だから、俺は君の証言を信じることにするよ」
髭の生えた顎に手を当て伊勢崎はいった。
「これで君が犯人だと、俺の責任問題になるけどな」
伊勢崎は髪の薄い頭を掻きながら、取調べ室を出て行った。