ハンガー
唇を舐めるようなキスで目を覚ます。
ヒナか。朝っぱらから、元気な事だな。
「おはよう、ヒナ。早いんだな」
「ひやま、する?」
「しねえよ。ニーニャが起きる時間だからな。体は平気か?」
「うん」
「なら、リビングに行こう。ウイ達を起こさないようにな」
「・・・おはようございます」
「ウイ、まだ寝てていいぞ。ニーニャが起きたら、メシを作っとく」
「いえ。起きます。ハンガーを手伝いに行くのでしょう?」
「ああ。ニーニャの作業も、そこでさせてもらえるか聞きてえしな」
「なら起きます。ミツカ、あなたも起きなさい。ニーニャちゃんの護衛は、あなたの仕事でしょう」
毛布を剥ぎ取られたミツカが、シーツに包まろうと体をひねる。
「こら、ミツカ」
「うーん。後8時間だけ・・・」
「ならミツカは、今日から実家で寝てくださいね」
「嫌だっ!」
「起きてるんじゃないですか。さあ、朝ご飯の前に顔を洗いなさい」
「ううっ。ウイがお母さんみたいだ・・・」
ジーンズとTシャツを着て振り向くと、犬になったヒナが俺を見上げていた。
「犬の姿で行くのか?」
眩しい裸体が現れる。
どこも隠そうともしない潔さだ。
「しらないにんげん、まだこわい。だめ?」
「ダメじゃねえさ。ただ、ゆっくり慣れていこうな」
「うん」
ウイとミツカが着替えるのを待って、全員でリビングに向かう。
ニーニャとたーくんはまだのようで、ウイが熱いコーヒーを淹れてくれた。
「今日からハンガーの組み立てだから、鉄の回収はかなり先か」
「はんがー、ひこうきのそうこ?」
「だから、人型になるなら服を着てください。ほら、ワンピースでいいですから」
「大変だなあ、お母さん」
笑いながら言うと、もの凄い目で睨まれた。
「ひやま?」
「ああ。そうだぞ。飛行機の倉庫だ」
「ある」
「なにが?」
「ひこうきのそうこ、ある」
えっと、うちの子は大丈夫だろうか。
なに言ってんだろ。
「もしかして、アイテムボックスに飛行機の倉庫を、丸ごと入れてあるのですか?」
「うん。うい、さすが」
「マジかよ。どうなってんだ、無限アイテムボックスってのは」
「それを使っていいと言うのですか?」
「うん」
そう言われても、値段さえ付けられないどでかい建物を、はいそうですかと貰っていいのだろうか。
「運び屋に聞いてみる。ちょっと待ってくれ」
ウイに下着を着せられるヒナを見ながら、運び屋に無線を繋ぐ。
(朝っぱらからすまねえ、ヒヤマだ。起きてて話せるなら、聞きたい事がある)
(おう。父親に初夜の報告とは、いい度胸じゃねえか)
考えてなかった・・・
(ちげえっての。運び屋の愛娘、名前がないのはかわいそうなんでヒナってアダ名を付けたが、そのヒナがハンガーを持ってるから使えって言われたんだがよ。運び屋に聞かねえと、使えねえだろうが)
(アイテムボックスの中身は、持参金代わりだ。好きに使え)
(ありがてえけど、なんだってハンガーなんか)
(小せえ頃に面白がって、なんでもアイテムボックスに突っ込んでたんだよ。中は自分でも把握してねえだろ。まるでスミソニアンだ。俺は朝の1発をはじめっから切るぞ。ルーデルによろしくな)
一方的に無線が切れる。
娘と同じで、朝から元気なおっさんだ。
俺も誰かを連れて寝室に戻ろうかと思ったが、ニーニャとたーくんが来たのでやめた。
「おはよう。ニーニャ、たーくん」
「すぐに朝ご飯にしますね」
「みんなおはようっ」
「おはようございます」
「ハンガー、使っていいってよ。ウイ、設置が終わったら、俺とローザで回収に行こうぜ」
「はい。ついでに別荘を持ってきて、ハンガーの休憩場に使ったらどうですか?」
「名案だな。回収が終わったら、爺さん達とギルドの打ち合わせをして、ニーニャを手伝って、フロートヴィレッジでバカンス。空母を川に浮かべられるように土木工事して、入居希望者割り振って、ギルド立ち上げ。戦争前より忙しいじゃねえか・・・」
やる事が多すぎる。
過労死すんじゃねえだろうか、俺。
「自分で言い出した事でしょう。私達も手伝いますから、無理しない程度に頑張りましょう」
「助かるよ。1人じゃ無理だもんなあ」
朝食を終えて、ルーデル達の家まで歩く。
犬の姿で行くとヒナは言っていたが、ハンガーを出すのに言葉を話せないと困るので、ウイのワンピース姿になっている。
俺はニーニャとヒナと手を繋いで、散歩気分だ。
「おはよう、みんな。ずいぶん早いんだな」
「おはよう、ルーデル、ジュモ。それがよ、ヒナが、ああ。これがヒナな」
「かわいこちゃんか。いい名前を貰ったな」
「アイテムボックスに、ハンガーがあるんだとさ。土台のコンクリートごと」
「はあっ!?」
クールなルーデルが絶句している。ヘルメット姿なので顔は見えないが、口も開いているのかもしれない。
まあ、そうなるわなあ。
「おーい、大丈夫か?」
「す、すまん。あまりの話に、驚いたんだ」
「それでよ、土台ごと土の上に出したら、段差が出来るだろ。マズイか?」
「腹を擦るほどの段差なら困るな」
「ヒナ、段差はどのくらいになる?」
ヒナが指を2本立てる。
「2メートルか?」
「うん」
「それは無理だな。鉄板を斜めに置いても、腹を擦ると思う」
「なら、ハンガーを使わないか、ハンガーを使うために穴を掘るかだな」
「あるなら是非、使いたいものだがな。花園の工作兵、カリーネだったか。彼女の力を、なんとか借りられればいいんだが・・・」
「カリーネならやれるのか?」
「工作兵の初期スキルには、土木工事に向いたものが多い。たぶん可能だろう」
「なら、ちょっと待ってくれ」
無線のチャンネルを、カリーネだけオンにする。
まだ寝ているかもしれないが、優しいカリーネなら話くらいは聞いてくれるはずだ。
(ヒヤマだ。起きてたらちょっといいか、カリーネ?)
(はい。おはよう、ヒヤマ。朝這いなら大歓迎ですよ)
言葉と同時に、タンクトップと下着だけでソファーに座るレニーの映像が飛んできた。視線が移動して、下着なしでTシャツだけ着たアリシアも映る。
(どっちもいいケツだ、ってそうじゃなくてよ。かなりの面積を、2メートルほど掘りてえんだ。なんとかなんねえか?)
(見えている範囲なら簡単よ。今からでいいのかしら?)
(礼はするから頼みてえ。迎えに行けばいいか?)
(ええ。待ってるわね)
(バイクで迎えに行く。すぐにだ)
(了解。気をつけてね)
「OKだ。迎えに行くから、ローザを出してくれ。すぐに行くから、戦闘機の隣にでもハンガーを出しておいてくれるとありがたい」
ローザに跨って、カリーネを迎えに行く。
ニーニャとヒナが少し寂しそうだが、こればっかりは我慢してもらうしかない。
花園の家の前でタバコを吸っていると、パンツルックのカリーネが玄関から出てきた。
「お待たせ」
「私服が眩しいな。朝っぱらから、申し訳ねえ。レニーとアリシアは?」
「ヒヤマとデートだと言ったら、拗ねてしまったの。近いうちに顔を出してくれたら嬉しいわ」
「今夜にでも行くよ。じゃあ、行こうか」
エスコートして、ローザで走りだす。
街中で、さらにカリーネとタンデム。スピードを出す訳にはいかなかった。
バイクが珍しいのか、はしゃいだ子供達が並走する。
腰に回された右手が外されたので振り向くと、カリーネが子供達に手を振っていた。
「子供、増えたよな」
「ヒヤマのおかげでね。このままなら、ブロックタウンの未来は明るいわ」
「なんもしてねえさ。移民を受け入れたのは町長だし、子供達を護衛してきたのは花園だ」
「それでも、ヒヤマがいなければこうはならなかった。誇っていいのよ?」
「勘弁してくれ。ガラじゃねえさ」
左右に畑が見えてくると、子供達は並走をやめた。貴重な穀物や野菜を育てる場所に、立ち入ってはいけないと躾けられているのかもしれない。
「あれだな。呆れたぜ、本当にハンガーじゃねえか」
「アイテムボックスにあれが入ってたなんて、とても信じられない・・・」
ハンガーの前に立っている皆の前に、ローザを停めて降りる。
「じゃあ、測量しちゃうね。ルーデルさん、この場所でいいの?」
「ああ。申し訳ないが頼む。礼はきちんとするよ」
「いいえ。ヒヤマが今夜来てくれるそうなので、お礼なんていりませんよ」
「えっ、ひやま・・・」
カリーネがしまったという表情をして、俺に手を振ってハンガーに向かった。後は任せた、そんな感じだろう。
「ヒナ、今日くらい我慢してくれ」
「やだ・・・」
「これは仕方のない事なんですよ。ヒヤマはこのカラダを武器に、女達を都合よく使う達人なのです」
「人聞き悪いな、おい!」
「でも・・・」
「この先も、空母を街として使うためには、カリーネさんの協力が不可欠です。それにブロックタウン唯一のお医者さんであるアリシアさんと、カリスマ性のある有名冒険者のレニーさんも、ヒヤマは籠絡済みなのです。たまに貸し出すくらい、我慢しましょう」
「・・・ひやま、かえってくる?」
「当たり前だっての」
「なら、がまんする」
なんとかお許しが出たようなので、2メートルはあるコンクリートの土台によじ登った。
外周を歩くカリーネは見えない。
「ヒヤマ、俺も行くぞ。どこのハンガーか確認したい」
同じく身軽に登ってきたルーデルと、ハンガーに向かう。
「シャッターが下りてるな」
「国軍のアラートハンガーだな。よく無事に残っていたものだ。隣の通用口の鍵が、開いてるといいが。お、通気口に、防塵フィルターがあるな。ペイントは、Eの88。たしか、砂漠地帯の基地だ」
「鍵はかかってねえぞ」
通用口のドアを開けると、机の並ぶ部屋だった。想像していたような、航空機を格納するだだっ広い建物ではないらしい。
机の上には、書きかけの書類やペンが放置されている。
「想像してたのと違うや」
「事務室だな。廊下に出れば、食堂やシャワールームもあるはずだぞ。待機室や仮眠室もな。だが、水がないからトイレは使えないか」
「それなんだけどよ。川沿いに、キャンピングカーがあるんだ。車としては使えねえが、水を補給すれば風呂やトイレは使える。それを持ってきて、格納庫の隅に置くよ」
「それはありがたい。ニーニャちゃんやミツカちゃん、それにヒナちゃんも、ここで強化外骨格パワードスーツを改造するらしいからな」
「いいのか?」
「ああ。賑やかでいい。こっちだ」
ルーデルに先導され、廊下を進んで部屋に入る。
窓ガラスの向こうに、とんでもないものが見えた。