騎士語り・白き覇道1
雪は己が地に落ちる音までをも、その儚さで包んでしまう。
零下28度。
この真っ白な世界で、もう1度始まるんだ。
そう思うと、心が震えた。
この1年で思い知った北国の厳しい寒さにではなく、溢れ出る熱い思いに、心が震えた。
「始めようか、姫様」
「ごめんなさいね、フェイレイ。こんな事に、あなたを巻き込んでしまって・・・」
「それは言わない約束でしょ。イグニス、ロケット砲とのリンクを急いで」
「やってますよ。11秒後にリンク完了。こんな乱暴な作戦、よく実行しますよね」
それが、生まれ故郷のやり方だった。
有り余る兵器。限られた水と食料。主義主張さえ忘れ去られた、終わらない戦いの日々。
そこで生まれて死んだアタシに、他のやり方なんてあるはずもない。
「神よ、罪深いわたくしをお許し下さい・・・」
かわいい姫様の、悲痛な祈りがコックピットに響いた。
あのクズ共を灰にしたら、たっぷりと楽しませてあげよう。
戦う女に必要なのは、愛や優しさなんかではなく、朝まで眠れるだけの酒と、クソッタレな今日を忘れさせてくれる快楽だ。
「リンク、完了」
「パーティーの始まりだ。全弾発射!」
雪に埋もれた村に、遠隔操作のロケット弾が降り注いでいく。
闇を照らす爆炎に心を踊らせながら、1年前のあの日の事を思い出した。
「ここは・・・」
「おはようございます、マスター。まずは落ち着いて、ヘルプをお読み下さい」
「あたしは、西軍に襲われて、嬲られかかって、手榴弾のピンを抜いて、レバーを・・・」
「そのように聞いております。ここは安全ですから、まずは落ち着いて下さい」
身を起こす。
どうやら、ずいぶんと上等なベッドに寝かされていたようだ。
赤い髪。浅黒い肌。見慣れた大きな乳房。子供のように薄い恥毛。そこかしこに残る、引き攣った醜い傷痕。
「アタシの体だ」
「もちろんですよ。マスターは死ぬ前に、この世界に招かれたのです」
「誰にさ?」
「神様です」
「アハハハハ。面白い事を言うじゃないか。神様がいる世界だって? さぞや美しくて、穢れのない世界なんだろうねえ」
「その逆ですよ。詳細は、ヘルプをお読みになって下さい」
視界に、透明の板がかかっている。
そこには、半透明のバルディグル語が並んでいた。
東軍上層部の子弟のように教育を受けてはいないが、読み書きは何とか出来る。
読み進めるうちに、アタシが置かれた状況を理解した。
ただ、こんな寝物語のような話を信じていいものだろうか。
これを信じるくらいなら、西軍にとっ捕まって薬物漬けにされて、犯されながら夢を観ていると言われた方が、まだ真実味があって納得できる。
「信じられないでしょうが、これは真実なのです」
「アンタは誰なんだい? 姿は見えないが、いい女だって予感はしてるよ」
「・・・そういえば、生産性のない性癖をお持ちでしたね」
「抱きたいと思った女は多いが、抱かれたいと思った男がいない。それだけの事。それで、答えは?」
「ヘルプを読んだなら、答えは出ているでしょうに。UIですよ、あなたの・・・」
「そう。アタシの、な。待ってな。かわいい姿で召喚できる、いい職業を選んでやるからさ」
「さっきまで疑っていた人とは思えない、瞳の輝きですね」
網膜ディスプレイとやらの使い方は、軍用ウェアラブルデバイスと同じだ。
UI人型召喚で検索。
4245ヒット。
さらに絞り込み。ワード追加、火力特化。
876ヒット。
まだだ。ワード追加、生存率高。
3ヒット。たったの3ヒットだ。期待できるじゃないのさ。
鋼鉄の乙女。
半サイボーグ。
「その時点で却下。次は?」
巨砲主義の申し子。
平均より口径の大きな銃器、平均より大きな兵器の攻撃力上昇。
「悪くはないけど、次の方が気になるね」
閃光の騎士。
乗員が3名以下の車両、航空機、船舶を乗機設定すると、レベルに応じて乗機の性能上昇、武装の威力上昇。UIを運転手も砲手もこなせる人型で召喚できる。火力特化への道も比較的容易であり、生存率も高い。
「これだね。待ってな、かわいいUIちゃん」
「お待ち下さい。閃光の騎士は初期装備が貧弱で、乗機を発見するまでに死亡する可能性もあります。よろしいのですか?」
「拳銃とナイフがあれば、大抵はなんとでもなるもんさ」
「さすが、あんな世界から来たマスターですね。ステータス、閃光の騎士に最適化、完了。残ポイント、ありません。ステータスやスキル、アイテムボックスの説明が必要ですか?」
「ヘルプを読んだからいらないよ。レベルの概念やその上げ方も理解してる。へえ、軍用ウェアラブルデバイス、いや、網膜ディスプレイの文字が、こっちの世界の言語になったね」
「読めますよね?」
「問題ないよ。【UI人型召喚】」
ベッドの前に、小柄な少女が現れた。
穢れのない、さっき使った言葉は、この少女にこそ相応しい。
「綺麗だね。1度だけ口で溶かした事のある、氷みたいに綺麗だ」
あれは、母が戦死した日だったはずだ。
初めて訪れた司令部で、氷の浮いた飲み物を出された。
グラスを持つと鳴る音を聞きながら恐る恐る口に運び、その冷たさに飛び上がるほど驚いた。最後には口いっぱいに氷を頬張り、溶けるまで目を閉じていた。あの日の涙は、誰のために流した涙だったのだろう。
「あ、あの、服を着てもいいですか?」
「そうだね。恥ずかしそうに上下を隠す姿は魅力的だけど、神域ってのはもうすぐ消えてしまうんだろう? 外に出る準備をするといい」
「はい。マスターも、アイテムボックスに服と部分鎧がありますから着てください」
アイテムボックスから、服と部分鎧を選択する。
靴下から下着まで、念じれば着た状態で出てくるらしい。
「これは、楽でいいねえ」
「お似合いですよ」
「キミもだよ。凛々しい従者だ。武器は32口径のリボルバーと、ナイフってよりは短剣だね」
「騎士ですからね。ところで、名前をいただけませんか? 自分では決められませんので」
「そうか。じゃあ、イグニス」
「ありがとうございます。意味は?」
「アタシがいた世界の、女神の名前だよ。火の神様でね。アタシは赤毛だから、コールサインがイグニスだったんだ」
「そんな大切な名前を、よろしいのですか?」
「同じ赤毛だし、似合っていると思うよ。もちろん、嫌なら変えるけど」
「いえ。ありがとうございます」
微笑む少女とは、至高の存在だと思う。
この世界もかなりの地獄らしいが、この笑顔だけは守ろう。心から、そう思った。
「神域が薄れるまで待ちましょうか」
「ううん。準備は出来たから、もう行こう。時間がもったいない」
「・・・そう、ですか」
「どうしたの?」
「・・・いいえ。では、開きます。穢れ無き神域の扉よ、開けくぱぁ!」
「ぶはっ!」
悪いと思いながらも、込み上げる笑いを抑え切れない。
イグニスは真っ赤になって、恥ずかしさに身を震わせている。
突然現れた扉の向こうに、信じられないほど大量の木々が見えた。
「こ、これは全部、植物なのかいっ!?」
「はい。森を見るのは、初めてのようですね」
「ああ。荒野育ちなものでね。夢のような場所だ。それに、酷く寒い・・・」
「冬ですからね。でも、まだ暖かい方ですよ。もうじき雪が降りますが、北はもう白銀の世界でしょう」
「雪って?」
「簡単に言えば、凍った雨です。白くてふわふわですよ」
「それはいいな。是非とも見たい。ところで、アタシとイグニスはどこへ向かえばいいんだい?」
「自由ですよ。マスターの行きたい場所へ。イグニスは、ただ着いて行くだけです」
食料や水は、手持ちが心許ない。
雪に興味はあるが、ここは生き残る事を第一に考えるべきだろう。
網膜ディスプレイの地図を開いてみたが、現在地の周囲以外は真っ白だった。
黄マーカー。
考える前に、体が動いていた。
飛び出して、踏みつける。逆手で短剣を抜いていたのに、それだけでHPバーは砕け散っていた。
「雪ウサギ、か。アイテムボックスに入れればいいんだっけ?」
「はい。そうすれば、自動で皮と肉に分かれます」
「便利な世界だね」
「それにしても、見事な身のこなしでしたね。何も出来なかったイグニスは、恥ずかしいです」
「慣れてるだけだよ。水と食料の確保を優先したいけど、地図は真っ白だ。とりあえず、北を目指そうか」
「はい。早くレベルを上げて、新規スキルを習得したいですね」
「便利そうなのが、たくさんあるからね。焦らず頑張ろう。死んでしまったら、なんの意味もないんだから」
大きく視線を動かすと、マーカーが表示される場所に東西南北とある。
真北を目指して、イグニスの歩幅で歩き出した。
「イグニスは、アサルトライフルも持ってるんだね」
「はい。ですがこれは、UI専用装備なのでイグニスにしか使えないです。ごめんなさい」
「いいんだよ。イグニスのそばを離れる気はないけど、それで自分の身を守ってくれればそれでいいさ」
「は、はい。ありがとうございますです」
顔を赤くしたイグニスの頬を撫でて、邪魔な枝葉を短剣で払いながら進む。
1時間も歩くと、正面に巨大な鹿が見えた。
「静かに。後を尾ける」
「はい。でも、なんでですか?」
「水場があるかもしれない」
「わかりました。音を立てないように努力します」
返事代わりに頭を撫でて、そろそろと歩き出す。
方角はもう気にしていない。鹿が歩けば歩き、止まれば息を潜める。
3時間ほどで、北東から水の流れる音が聞こえ出した。音からして、結構大きな川のようだ。
都合良く、鹿は木の芽か何かを食べている。
「ここで待ってて。仕留めてくる」
イグニスが頷くのを見て、風下に回る。
焦りはしない。慌てる兵士は、すぐに死ぬのだ。
風下に回りきり、ゆっくりと距離を詰める。
鹿の背中が、とてつもなく遠く思えた。
10メートル。5メートル。
3。そこで飛び出して、首を狙って薙いだ。
血を吹き出しながらそれでも逃げようとする鹿に、全力で組み付いて足を払う。押さえつけ、心臓に短剣を突き刺す。
痙攣。
命が抜ける慣れた手応えと共に、鹿のHPバーが砕け散った。
パッパラー。
「マスター!」
「やったぞ、イグニス。これでしばらくは、飢えなくて済みそうだ」
「もう、そんなに血だらけになって。川が近いようなので、早く行って体を洗いましょう」
「そうだね。それに、もう夕方らしい。でも、水場で野営は危険だな」
「少し離れてテントを張れば、イグニスのスキルで安全に野営できます。音や匂いどころか、気配まで漏らしません。どんな敵がいたとしても、朝まで安全ですよ」
「それは楽しみだ。なんの遠慮もなく、イグニスをかわいがれるって事だろう?」
「し、知りませんっ!」