はじめての雨
まず感じたのは、首筋の痛みだ。
針で刺されているような、どこか懐かしい痛み。
そして、唇を撫でる舌の感触。十蔵。いや、シェパードか?
そう思って目を開けると、天使の顔が目の前にあった。
「あ・・・」
そうとだけ言った天使が、顔をクシャクシャにして泣き出してしまう。
涙は後から後から、俺の顔に降ってくる。
「どうした、天使。迎えに来てくれたんだろ?」
「えぐっ・・・」
「泣くなっての。覚悟は出来てんだ。早く連れてってくれ。こんな美人な天使がいるなら、死後の世界も悪くねえ」
「・・・僕、美人?」
「ああ。美人な上に、いいケツしてやがる。パワードスーツ着てなきゃ、撫で回してんぜ」
「さわって、いいよ?」
おおっ。なにこの天使、マジ天使。
「選べ。関係者全員に土下座して謝るか、ここで死ぬかだ」
「え。運び屋も天使なのか?」
「バカを言ってんじゃねえよ。死ぬ前に、『ドクターX』が間に合ったんだよ。てめえは、まだ生きてるんだ。うちの娘に手を触れたら、その場で死ぬけどな?」
「・・・なんか、いろいろ考えが追いつかねえ」
銀髪美少女の名前は、たしかに見慣れたシェパードのものだ。
しかし、いいカラダしてんなあ。
「テメエ。今、なにを考えた?」
「べ、別に・・・」
「オマエもいい加減なんか着ろ。パワードスーツも2つ持ってるだろうが。日光は、体によくねえんだ!」
「ここ、地球違う。アルビノ、関係ない」
「ああ、そういえばそうだったなあ。じゃなくて、いいから服を着ろ!」
「ん・・・」
少女は瞬く間にシェパードに姿を変え、背中に銃を背負うパワードスーツ姿になった。
ああ、もったいねえ。
「なんで犬になった方が、流暢に話せてんだよっ!」
ワンワン吠えてるようにしか聞こえないのに、運び屋はその声を認識しているらしい。
「とりあえず、似てねえって叫んでいいか?」
「テメエは・・・」
砕けたパワードスーツの胸を踏まれ、銃口が眉間に突きつけられる。
「あれだけ心配させてそれか、いい度胸だよなあ。ホントに死んでみっか?」
「あ、いや。せっかくなんで生きるわ」
「なら、まず無線で謝れ。後は知らん」
怖いけど、謝るしかねえか。心配させただろうし。
(あー。心配かけてすまん。何とか生きてる)
空を見上げたまま数秒待ったが、誰からも返事はない。
「なんか、返事ねえんだけど」
「知るか。呆れ果てて、言葉もねえんじゃねえか?」
「そりゃ、俺が悪かったけどよ。お、ヘルメット探してくれたのか、ありがとな」
体を起こしてヘルメットを受け取り、いつものようにシェパードを撫でようとすると、色白で銀髪の裸の美少女が瞼に浮かんだ。
伸ばした手を止めた俺を、つぶらな瞳が見上げている。
どうしていいかわからず、頭だけ撫でてまた礼を言った。
(ルーデル、敵は?)
(強化外骨格パワードスーツもヘリも、パイロットだけ始末した。それより、ちゃんと謝るんだぞ? 俺は、見えている空母をどうするか運び屋と相談する)
(いや、返事ねえしよ)
(ヒヤマ?)
ウイの声は、いつもと変わりのないトーンだ。なのに、逆らってはいけないと本能的に理解した。
(お、おう)
(もうすぐ、ハンキーと兵員輸送車が到着します。迎えに来ますよね?)
(もちろんだ。すぐに向かう。その、悪かったな?)
返事はない。
思わず項垂れた俺をシェパードが気遣って手を舐め、運び屋は呆れたように顎をしゃくった。
立ち上がって見ると、車の向こうにハンキーと兵員輸送車が見える。
仕方なく歩き出すが、着いて来てくれようとしたシェパードは、運び屋に止められてしまう。
死ぬ覚悟をしても離さなかった対物ライフルと、目の部分が欠けてしまったヘルメットをアイテムボックスに入れ、痛む体を引きずって歩く。
『ドクターX』はあるが、正直それどころではない。
「よう。悪かったな、心配かけた。強化外骨格パワードスーツを、不可視化するスキル持ちがいたんだ」
出てきた全員の顔には、怒ってますと書いてあるようだ。
謝っても、誰も何も言わない。
「・・・涼しそうですね」
「これか、すっかり風通しが良くなった。ニーニャに直してもらわねえとな」
愛想笑いをしながら、パワードスーツに開いた穴を指差すが、ウイは何も言わない。
どうしろってんだ、これ。
(だから、土下座でもしとけって)
(嫌だっつーの。男の土下座は、そんなに安くはねえんだよ!)
(じゃあ、酒でも飲んで全員抱いてろ)
(敵はどうすんだよ!?)
(ルーデルがスクリューを破壊に行ってる。その後で、俺とルーデルがヘリでカチコミかける)
それを黙って見てるくらいなら、冒険者なんかしてるかっての!
「ウイ、捕虜はどうした?」
「えっ。剣聖さんが引き取りに来たので、私達と花園しか来てません」
「なら、ハンキーと兵員輸送車を並べて敵襲に備えろ。ニーニャは俺と来て、ハルトマンを直してくれ」
「まだ戦うというのですかっ!」
「当然だろうよ」
『ドクターX』を取り出して、首筋に突き刺す。それで、俺のHPは全快した。
戸惑うニーニャを抱き上げようとすると、眉根を寄せたウイに阻まれる。
今にも泣き出してしまいそうなウイの頬を、優しく撫でた。
「なぜですか。なぜ死にかけたのに、また戦うんですか。運び屋さんとルーデルさんがいれば、どんな敵にも勝てるじゃないですか。なぜ、ヒヤマが死にかけてまで戦うんですか・・・」
「あの2人みてえに強くなって、守りたい奴等がいるからだ」
「あんなに強くならなくったって、守れるかもしれないじゃないですかっ!」
「無理だな。優しいのは神様だけで、この世界は厳しい」
「だからって、死んでしまうかもしれないのにっ!」
「この中の1人でも失うくらいなら、死んだ方がマシだ。それ以上は言うな。ニーニャを借りるぞ」
ニーニャの手を引いて、ハルトマンが倒れている倉庫跡に向かう。
穴だらけの荒れ地。死にたくないと思いながら、ここを走った。
「お、お兄ちゃん、いいの?」
「ウイならわかってくれるはずだ。たぶんな」
「待ってください」
振り向くと、ウイが走って追いかけてきていた。
「どうした?」
「ニーニャちゃんが使う予定の上級パワードスーツと、ローザを出します」
「悪いな。助かるよ」
「納得した訳じゃありませんから!」
「おう。終わったら、フロートヴィレッジでゆっくり話そう。どうやら俺は、戦う人生を選んだらしい。知らず知らずのうちにな」
パワードスーツを交換すると、すぐにニーニャが色を変えてくれた。
礼を言って、ローザに跨る。
ニーニャを引き上げるようにして乗せ、エンジンをかけた。
「じゃあ、行ってくる」
「忘れないでください。あなたが死んだら、私も死にます」
「肝に銘じてる。だから、俺は誰よりも強くなってみせる。絶対にだ」
バックミラーのウイが遠ざかるのを見ながら、自分はとんでもない大馬鹿野郎なのかもしれないと思った。
「こんな大穴が開いたんだ。直せるか?」
「大丈夫。すぐに直るよ」
最上スキル使用時の光を見ながら、現状を聞くために無線を飛ばす。
(こちらヒヤマ。ハルトマンはすぐに復帰する。空母に乗り込むなら、俺も行くぞ?)
(ヒヤマ、無理はしなくていいんだぞ?)
(大丈夫だ。行きたいんだよ。連れてってくれ。足手まといならそう言ってくれれば、ハルトマンに乗って甲板で待つ)
(正直、来てくれるなら助かる。今はルーデルが空母の足を止めて、離脱を図る船舶や航空機を戦闘機で落としてんだ。ただ、ヘリに乗り換えるタイミングで逃げ出されたら困るんでな。あのデカイスナイパーライフルを持ってきて、ヘリから狙撃してくれるとありがてえ。暗視スキルはあるんだろ?)
(ああ。じゃあ、ハルトマンの修理が終わったら、シティーに戻って取って来る)
(ゆっくりでいいぞ。敵はもう何も出来ねえ、ただのダルマだ)
(了解。修理は終わったらしい。すぐに出発する)
ニーニャを乗せて、ハンキーの元に戻った。
(ウイ、ハルトマンのスナイパーライフルを取りに行きたい)
(・・・わかりました)
ウイをタンデムシートに乗せて、シティーへの道を走る。
本当ならデート気分のツーリングなのだろうが、ウイは会話さえする気がないようだ。
シティーの入り口でローザを収納し、屋根でスナイパーライフルとマガジンも収納した。
寄り道せずにスラムに戻ってまたローザを出したが、ウイは乗ろうとしない。俺を見て、突っ立ったままだ。
「どうした?」
「生きてますよね?」
「生きてるな。俺も、ウイも」
「そう、ですよね。ならいいです」
ウイの手を取って、ローザに乗せる。
「じゃあ、許してくれるか?」
返事を聞かずに発進する。
橋を渡る途中で、俺に抱きつくウイの力が強くなった。
「今回だけは、許してあげます」
「ありがとな。見ろよ、綺麗な夕陽だ」
「日本の夕陽は、こんなに大きくも、美しくもなかった・・・」
「この世界も、悪くねえだろ?」
「あなたが死ななければ、ですね」
「いつかは死ぬが、それは今じゃねえよ」
「ずっと、死なないでください・・・」
無茶を言う。そう思ったが、黙って頷いておく事にした。胴に回されている手を、左手で握りしめながらだ。
ハルトマンのある倉庫の前に、3台の車両が停められている。ハンキー、兵員輸送車、運び屋のバギー。
「待たせた。すぐに起動して、狙撃態勢に移る」
「悪いな。もっとゆっくりさせてやりてえんだが」
「ルーデルとジュモは休憩すらなしだろ。ウイ、埠頭にスナイパーライフルを」
「はい。出しておきます」
ハルトマンのハッチに手をかけてよじ登り、コックピットを見回す。即死させられる前と、何も変わってはいない。起動準備を急ぐ。
最後にヘッドギアを付けて、すまなかったと心の中で言うと、網膜ディスプレイのすべてがグリーンとなってハッチが閉まった。
歩いて外に出て、スナイパーライフルの前に伏せる。
明かりの少ない夜の艦橋に、こちらを見る男がいた。
(待たせて悪かった。狙撃準備完了。艦橋に、職持ちがいるな。離れ小島の船乗り。よぼよぼの爺さんだ)
(打つ手があるなら、とっくに動いてるだろ。鹵獲できる可能性は高いから、狙撃はしなくていいぞ。ルーデルは、降りて休憩してくれ)
(俺達は、休憩なんていらないぞ?)
(いや、花園と嬢ちゃん達も、空母に行きたいって言うからよ。ちょっと話し合いが必要なんだ。とりあえず、降りてくれ)
(了解。降りたいのか降りたくないのか、いつも自分がわからなくなる・・・)