犬語り・運び屋と1匹、荒野を行く1
酷くタバコの烟る酒場で、運び屋の前だけに灰皿がない。
運び屋がショットグラスを呷ると、カウンターの中に立つ女が琥珀色の酒を注いだ。すぐに離れて、他の客の相手をしに行く。
「アンタが運び屋かい?」
運び屋は返事をしない。僕もスツールの上で丸くなって黙っている。見るからに胡散臭い若い男。安い香水で、鼻が壊れそうだ。
「俺はダニー。裏町のダニーってんだ。アンタを見込んで、儲け話を持ってきた。隣、いいかい?」
「・・・座れ」
ダニーを見もせずに、運び屋は言う。どこを見ているかも分からぬ茫洋とした瞳は、グラスの酒を見つめたままだ。
「タバコ、吸ってもいいかい?」
「好きにしろ」
ダニーがタバコを咥える。黄色い糸切り歯でフィルターを咬み、それを見せ付けるように笑った。
「思ったより若いんだな。10年間、此処らじゃトップの運び屋ってのは」
運び屋はグラスを持ち上げ、少し躊躇ってからそれを下ろす。
「依頼か?」
「ああ。このアタッシュケースを運んで貰いたい。報酬は硬貨5万枚。半分が前金だ。破格的だろう?」
「場所によるな」
「シティーだ。ここから東。バギーなら、そうだなあ。30日もあれば着くさ」
「断る」
「なんだって。こんな旨い話に乗らねえってのか?」
「ああ」
ダニーが信じられない、とでも言うように両手を広げた。気障ったらしいスーツに皺が寄る。
「何故?」
「日数的に」
「意味が分からねえ。分かるように言ってくれ」
「30日も拘束されて、5万じゃな。毎日2000の仕事なら、いつでもあるんだ。他を当たれ」
「なら10万だ。それならいいだろう?」
「ケチな依頼人は信用しねえ。最初から10万なら受けたんだ。消えな、坊っちゃん」
ダニーの顔面が蒼白に染まった。カチカチと歯の鳴る音がする。なんでそんなに怯えるんだろう。
「ち、違うんだ。俺は・・・」
「そんなんだから、小間使いしか出来ないのよ。ブツを置いて出て行きなさい、ダニー」
「俺は・・・」
「そう。出て行かないって事は、死にたいのね。あなたにしては懸命な判断だわ。生きてたって、意味は無いもの」
女がデリンジャーを胸の谷間から抜いた瞬間、蓄音機から激しいドラムが鳴り響いた。
「待ってくれ、出てく。すぐにだ!」
カウンターの女も運び屋も、ダニーを一瞥もしない。靴音を消して、嗄れた歌声が泣いてもいいのよと叫んだ。ウッドベースが、絡みつくように踊る。
「ごめんなさいね。本来の依頼料は硬貨30万枚。あんなのに話をさせたお詫びとして、全額前金。それに武器や食料。そうね、ドッグアーマーも付けるわ。この後、私の部屋でたくさん謝るから、どうか受けて貰えないかしら?」
「ドッグアーマーとは?」
「気になるのはそっちなの? 自信を無くすわね。簡単に言えば、犬用のパワードスーツよ。グレネードの直撃からも犬を守るし、背中に銃も付いてるの」
「現物を見て、うちの相棒が使えたら受けよう」
「ありがとう。すぐに用意させるわ。ただ、2時間はかかるから私の部屋に行きましょう。相棒さんには真水と食事を出すから。ね、いいでしょう?」
運び屋は何も言わない。だが、ボーイに何か言いつけた女がその手を取ると、何も言わぬまま立ち上がった。
出された真水を舐め、缶詰の肉に食らいつく僕。
貧民街の子供がこの光景を見たら、どう思うのだろうか。1杯の水を得るために少女は早くて6歳から体を売り、少年は群れて弱い大人を狙って殺す。土漠の街は、どこもそんなものだ。
老婆の叫びのようなロックが終わる。
食事を終えた僕は口の横をひと舐めすると、昼寝をするために丸まって伏せた。
「起きろ。このパワードスーツを試せ」
(寄るな。香水臭い)
(生臭えより良いだろう)
「賢い相棒ね。自分からパワードスーツに足を通したわ」
「思ったより露出部分が多いな」
「即死しなければ、ドクターXで治るもの。この子が怪我したら、使うでしょ?」
「まあな」
(重さはない。逆に動きやすいくらい。銃は、どう撃つの?)
「銃はどう撃つんだ?」
「口部にレバーがあって、それを引いたらセーフティー解除。噛んで発射よ。相当の訓練が必要なはずだから、気長に教えてあげて。気に入ってもらえたようで何よりだわ」
(これか。大丈夫そう。後で試射するよ)
「商談成立だな。シティーって街のジャスティスマンにコイツを届ける。戻って報告が必要か?」
「いいえ。それより、名前も教えてくれないの?」
一線を越えた気安さで、女が運び屋に凭れ掛かった。運び屋のゴツイ手が、それを振り払う。
「名は捨てたよ。さよなら、ジェニー」
運び屋と僕が路地を縫う。やがて辿り着いたのは、シャッターの下りたガレージだった。
鳥かごみたいに鉄パイプが付いた、運び屋の愛車。
「よう、運び屋。これから仕事かい?」
「ああ。帰るかどうか分からん。払ってある分の硬貨が切れたら、解約にしといてくれ」
「大仕事か。俺が老いぼれてなきゃ、手伝ってやるんだがなあ」
「10年前に、ずいぶんと助けられた。硬貨15万枚取り出し。マッケイ爺さん、達者でな」
バギーの座席の下にアタッシュケースを置き、ゴムバンドで固定する運び屋。僕は撫でてくれたマッケイ爺さんの手を舐めて、バギーへ乗り込んだ。
「お、おい、こんな大金・・・」
「運良く老いぼれるまで生き残ったんだ。後は好きに生きな」
座席の後ろで寝転んでいる僕に、運び屋がシートベルトをする。窮屈で嫌なんだけどな。
マッケイ爺さん、元気でね。荒っぽい人だけど、この10年ずいぶんとお世話になった。僕達がいなくなったら若い妾でも作って、のんびりこのガレージをやればいいと思う。
運び屋が乗り込んでシフトレバーを左右に振る。セルスイッチ。アクセルを踏む。ローに叩き込んだ。次の瞬間にはマッケイ爺さんを置き去りに、街を飛び出していた。
「東には、どんな景色があるんだろうな」
(岩と土。瓦礫に錆びた鉄。臭い人間と、もっと臭いクリーチャーだよ)
「夢がねえなあ、若者」
(あっても困るよ)
襲いかかる障害物を避けながら、暢気な世間話。時速100kmを超えるスピードを、運び屋は手の内に収めている。
タイヤが軋む。テールを振った動きを利用して、バギーはサンドワームの幼体を挽き肉に変えた。
「レベルアップの音も忘れたぜ」
(よく言うよ。それにしても、10年もレベルアップを繰り返してまだ足りないの?)
「足りねえなあ」
(僕はこのままでいいよ。やりたい事もない)
「それを探しに行くのさ。東には、あるかもしれん」
(何が?)
「お前のやりたい事が。やりたい男でもいいな」
(僕はアンタとは違う)
「そうかい。種は間違いなく、俺のなのになあ」
(せめて、娘の前で女遊びをしない程度の気遣いをしてから、父親面してくれない?)
「日本の倫理なんて捨てちまえって、いつも言ってるだろ。UI人型召喚は取得してあるんだ。次から人間になって、混ざってもいいんだぜ?」
(近親相姦願望のある変態ダメ人間は、黙って運転してて)
「違うぞ。誤解すんな。お前を俺が抱くんじゃなくて、俺が抱いてる女とお前が楽しめって事だ」
(それ以上喋ったら撃つ!)
しばらく黙っていた運び屋が、バギーを停めて降りた。
(なんか見つけた?)
「ションベンだ。お前もしとけ」
(このままするの?)
「どうかな。ちょっと見てやる」
(わっ。屈辱的なカッコさせないでよ!)
「動くな。背中の銃が壊れたらどうすんだ。それにしてもこの格好が屈辱的とか、心まで犬になっちまったんじゃねえだろうな」
(知らないよ。まだ?)
「これをスライドか。よし。久しぶりだな、赤ん坊の時以来だぜ」
(汚された。トイレの時だけでも、人型になろうかな・・・)
「人聞きの悪い。ほら、そっちでしろ。親父の息子なんて見たくねえだろ」
(当たり前だよ)
トイレを済ませ、また恥ずかしい思いをしてドッグアーマーのフタを閉めてもらう。どうしよう。本当に、人型でトイレをしようかな。
(来たよ)
「ああ。数は3。銃を試すか?」
(もちろん。これがセーフティーか)
首を伸ばしてレバーを引くと、それは上下に開いて口の中に収まった。
咬まずに押し込むと、前の状態に戻るらしい。
またレバーを引いて、じっと待つ。赤マーカーは、ジリジリ接近している。
「サソリだな。やれ」
ディスプレイの赤い点を、サソリに合わせる。銃なんてはじめてだから怖いな。
(ええい、女は度胸!)
キュイーンッ、ボッ! ボッ! ボッ!
「うはあ。300ダメージを連射すんのかよ。だが、1匹しか倒せてねえな」
(はじめてなんだから、仕方ないだろ)
「後で射撃スキルも取りな。ポイントなんて売るほどあるだろ。射撃スキルなら、人型でも使えるからな」
返事をせずに、点でサソリを狙う。1発でいいらしいので、軽く咬む。ボッ!
「上手いじゃねえか。さすがは俺の娘だ」
(残念ながらそうらしいね)
ボッ!
レバーを押してセーフティー状態にして、口のまわりを舐める。ベトベトで、気持ち悪いや。
(問題が1個あるなあ)
「なんだ?」
(口が開きっぱなしだから、戦闘中はヨダレが垂れ流し)
「1人SMプレイなんて、お父さんは許さんぞ!」
(プレイじゃないから。あと、お父さんとか言うな。キモい)
「くっ。行くぞ。まだまだ先は長い」