冬の夜
フェイレイは穏やかな寝息を立ててピクリとも動かない。
意外にも寝相がいいのか。
鼻血はとうに止まっているが、あちこち痛む体を起こしてバスルームに向かう。
ドアを静かに開け閉めして、まずはシャワーで体を流した。
手を突っ込んでみたが、浴槽は朝に入った時と同じく温かなままだ。内風呂も滅菌ドームを外せば、源泉掛け流しでいつでも温かい湯に浸かれるらしい。
浴槽に入り体を伸ばすと、あちこちからバキバキと妙な音がする。
レベル100オーバーとのガチンコ勝負は、まさに死闘だった。骨が折れてないだけマシだろう。
(ウイ)
お湯で顔を洗って返事を待つ。
ウイならすぐに察して、【衛星無線】で呼びかけてくれるはずだ。
(お待たせしました)
(謀ったな?)
(ヒヤマの勝ちですか。我が軍最強の刺客が敗れるとは・・・)
(突っ込まねえぞ)
(飽きるほど突っ込んだ後でしょうからね)
(他の連中が聞いてねえとドギツイ下ネタも言うのか。で、なぜお膳立てに協力した?)
(取引ですね)
俺の体に価値などあるのだろうか。
(・・・どういう意味だ?)
(相手はイグニスちゃんに手を出す事も躊躇わないガチ百合ですよ。ニーニャちゃんやリディーちゃんの身を守るためです)
(なら、せめて事前に)
(それでは面白くないと、全員の意見が一致しまして)
(まさか、ずっと見てたんじゃねえだろうな?)
(お風呂の前に映像を切ったのはヒヤマでしょう。凄かったですねえ、お風呂の前のキス)
(頭突きな)
あれをキスだと認めてしまったら、俺の生涯で最も印象に残るキスになってしまう。それは避けたい。
(今日はそこに泊まりですよね?)
(まさか。フェイレイが起きたら帰るさ)
(1人でノリノリのヒヤマを相手にしていたのです。そう簡単には目覚めないでしょう。朝までぐっすりかもしれませんよ)
(なら、泊まりになるな。明日、筋肉痛になりそうで怖えよ)
(どうして、・・・ああ。フェイレイさんの筋力が高いからですか)
(レベル差ってのはどうしようもねえからな。【熱き血の拳】を使うわけにもいかんし)
(どうせ変に焦らしたりしたんでしょう。自業自得ですよ。晩ご飯は、アイテムボックスにありますね?)
(ああ。今は温泉に浸かっててな。上がったら飲みながらフェイレイが起きるのを待って、ダメそうなら寝て朝に帰る。掃除ロボットがペンション中を磨き上げてるから、明日にはウイ達も温泉に入れるぜ)
(楽しみです。では、また朝に)
(あいよ、おやすみ)
本当はウイも部屋に来いと言いたいが、相手が百合のフェイレイでも初めての夜にそれは失礼すぎるだろう。
バスルームを出てソファーに戻り、全裸でまた飲み始めても、フェイレイはベッドで大きな胸を規則正しく上下させていた。
明かりを消してくれなんてかわいらしい事は言われなかったので、天井のシャンデリア型の電灯は点いたままだ。アイテムボックスに入れっぱなしの雑誌を読みながら、蒸留酒のボトルを開ける。
(ヒヤマ、ウイちゃんに聞いたんだが今は話せるんだよな?)
(おう、大丈夫だ)
今度はルーデルの【衛星無線】か。
フェイレイはまだ起きそうにないので、話しながら飲めるのはありがたい。
(ブリッジから見えているカナバルな、ダウィンズの街ほどではないが兵と住民はそれなりに上手くやっているようだ)
(一応は善政を敷いてるって訳か)
(そのようだ)
(となると、シドごと爆撃ってのはナシだな)
(考える事は同じか。シド少年がカナバルに来るのが確実なら、街の外で捕捉して爆撃で終わらせたいんだ。いいか?)
(当然。話を聞いてやる必要も、どうしてあんなバケモノになったのかを確かめる必要もねえよ。見たら殺す。それでいい)
殺せるのなら、だが。
あの殺しても生き返るスキルか何かをどうにかしないと終わらない。それはルーデルもわかっているだろう。
(吸血鬼がどんな存在かは、ウイちゃんに聞いた)
(そっか。悪いな、ルーデル。もしかしたら、シドをあんな風にしたのは地球から来た稀人なのかもしんねえ)
(ヒヤマが謝る事じゃないさ。それより明日、ニーニャちゃんが宇宙機から外したスラスターをハルトマン用に改造するそうだ。楽しみだな)
(ルーデルのスツーカにも取り付けるんか?)
(ハルトマンのテストを見てからだ)
(俺達は実験台かよ)
(そうなるな)
(あっさり認めやがって。でも、推進剤は別積みなのか? ニーニャが言ってたのはバッテリーの増設だけだけど)
宇宙機は、実際に宇宙までは行っていないはずだ。でなければ、あれほど機体が原型を留めてはいられない。大気圏への再突入で燃え尽きるか、そうでなくともあんな形状では着陸なんて出来やしないから木っ端微塵だ。
宇宙にまで行っていない宇宙機に、どれほどの推進剤が充填されていたかが問題になる。
この時代には工場など動いてはいないし、動かせるにしても俺達には知識がない。数度の緊急回避で使い物にならなくなる部品を、わざわざニーニャに作らせて良いのだろうか。
(説明されてなかったのか。推進剤を生産するのに、超エネルギーバッテリーが必要なんだよ)
(まさか・・・)
ハルトマンの背中に付けるという部品はバッテリーで推進剤を作り、バッテリーでそれを燃焼させるというのか。
(ただその分、航空機や車両より超エネルギーバッテリーを消費するらしい)
(どんくれえ?)
(搭乗者の体と機体が保たないとは思うが、スラスター噴射して飛行したなら半日もせずにバッテリー切れらしい)
(飛行・・・)
いつも見上げているあの空を飛びたい。
それは人として、酷く当たり前の欲望だと俺は思っている。
(おい、航空機は飛ぶために鳥のような形をしているが、HTAは飛べない人間の形をしてるんだからな。その意味を考えろ。ムリに飛び続けたら、いくらニーニャちゃんが手を入れた機体でも空中分解して死ぬぞ。そうなったら、ニーニャちゃんがどんな気持ちになるか)
(わかってる。ホバーもHTAも、弾数さえもっと多けりゃな。それなら機体を強化するパッシブスキルを、真っ先に揃えるのに)
(航空機もそうさ。銃弾は重さなんか気にせずいくらでもアイテムボックスに入れられるが、機銃の弾以上になるとキッチリ重量計算されるからな。神様が自分の体で戦えとおっしゃっているのかもしれん)
(神様ねえ・・・)
無条件で職業持ちの異性に好かれるとか、それをベッドで喜ばすのが得意だとか、そんなスキルを押し付けられた人間の気持ちなんて神様とやらは考えもしないのだろう。
それを俺に告げた、ウイの気持ちも。
(恨んでいるのか?)
(まさか。ウイの命を救ってもらったし、俺が俺として生きられる世界に招いてくれたんだ。感謝してるさ)
(・・・そうか)
感謝しているのは嘘ではないが、それだけではない複雑な感情を俺は神に抱いている。不遜というなら神罰でも何でも好きにしろと、開き直っている感じだ。
(神様ってのは、シドみてえのを自分で殺せねえのかな)
(その考えさえ俺達にはわからないからな。人に近い思考をしているなら、何か理由があってあの大戦にも介入できなかったんだろう)
(職業持ちではない人間ばかりになった理由も知りてえな。人はもっと苦労するべきだとでも考え直した?・・・ああ、またこのセリフか。考えたって仕方ない)
(そうなるな。お、カナバルの見張りがまた交代の時間だ)
(装備と人数は?)
(見えている門は1つ。門の左右に機関銃座。3名ずつが2グループで小まめに交代して、朝まで門を守るらしいな)
(銃座だけでクリーチャーを片付けるのか。弾の備蓄が充分なんだろうな)
(雪男のようなクリーチャーが来れば、近接戦闘の部隊を呼ぶんだろう。銃はボルトアクションだが民間人向けに発売されていたレシーバーまで持ってるから、敵に回すと厄介かもな)
それに戦車まであってそれにも通信手を乗せているのなら、カナバル近辺での戦闘は将棋の駒を動かすように城から部隊を動かせる。
(それでも、シドを仕留めるには物足りねえな)
(実の息子でもあるんだろうしな。手を組まれるかシド少年がカナバルの実権を手に入れたら、面倒な事になる)
(親を相当恨んでんだろ。そんな口ぶりだったぜ)
(幼くして親と離され、騎士団に入れられたからか?)
(わかんね。・・・ありゃ、フェイレイが起きそうだ。さすがレベル100オーバー。回復も早えな)
(それじゃ無線を切るぞ。あまりムリはしないようにな。いつシド少年が姿を表すかわからないんだ)
(あいよ。そんじゃ、また後で)
フェイレイは自分で用意してきたらしい真っ白なシーツの上でモゾモゾと体を動かし、唐突に起き上がって銃に手を伸ばした。
銃を握ると同時に、フェイレイは敵を探す。
その銃口が捉えるのは、もちろん俺だ。
「そこまで。撃つんじゃねえぞ、俺は敵じゃねえ」
「・・・ヒヤマ。アタシはどうしてたんだ、いったい?」
「こんなモンかと煽るんで、ちょいとやり過ぎた。許せ」
「気を失ってたってのかい・・・」
フェイレイが呆れたように俺を見る。
「タオルを敷いといた優しさは評価してくれ」
「これか、って。おい、ヒヤマ・・・」
「なんも言うな。異常だってのは俺が一番わかってる」
「・・・はぁ、こんなんでよく普通に生活してられるなあ。同情するよ。とりあえずアタシは何より先に風呂だ」
「晩メシはアイテムボックスにある物でいいか?」
「もちろん」
「了解。準備しとくよ」
「一緒にどうだい?」
「やめとくよ。また気を失って飛び起きたいってんなら別だけどよ」
「気を失わない程度に相手をしてもらうさ。でも、まずは風呂だな。これは酷い」
フェイレイがバスルームに消えたので、服を着てベッドメイクをしておく。
いつもしているので、慣れた作業だ。ウイのアドバイスなのか、シーツやタオルはかなりの量が運ばれている。汚れたものは、別に分けておいた。
ソファーに戻って酒を舐めながら雑誌を数ページめくると、さっぱりした表情のフェイレイが出て来る。
「早えな。せっかくの温泉なんだから、もっとゆっくり浸かりゃあいいのに。ビールでいいか?」
「ああ、ありがとう。温泉もそうだけど、ヒヤマを独占できる夜なんて貴重だからな。楽しみながら浸かろうぜ」
「・・・フェイレイは、なんで俺なんかと寝ようと思ったんだ。根っからの女好きなんだろ?」
「別に男が嫌いな訳じゃねえんだけどな。まあ、ヒヤマ以外の男とは寝ないとは思う」
「だからなんで俺ならいいんだ?」
「【絶対直感】」
「は?」
「直感系の最上スキルさ」
「それが?」
フェイレイが缶ビールを呷る。
「最高の快楽。ヒヤマの顔を見た瞬間に、そんな言葉が頭に浮かんだよ」
「俺はナニしか取り柄がねえのかよ・・・」
「ま、それだけじゃないけどね。夜はまだまだ長いんだ。メシを食ったら、もう1戦付き合ってもらうよ」
肩にタオルをかけ、ソファーの上で全裸のまま胡座を掻くフェイレイは、そう言って笑みを深くした。