フェイレイ
2つに増えた死体を放置して、フェイレイが階段を覗き込む。
ここまでの索敵に不自然なところはないので、やはり暗視スキルは取得済みなのだろう。
「スラッチャーはいないね」
「そんじゃ行くか。屋外戦闘はHTAがあるからいいが、探索となると危険な目にも遭うよなあ。イー達じゃドアを開けられねえし、探索用ロボットとか開発できねえかな」
「たーくんがいるじゃないか」
「バッカ、弟に探索行かせて外で待ってる兄がいてたまっかよ」
苦笑いしながらフェイレイが階段を下りる。
一歩。また一歩。
フェイレイを突き飛ばしたり引っ張り上げたり出来るように、片手は空けておく。
マグナムの銃口でスラッチャーを探しながら、そう長くはない階段を下りきった。
「階段での待ち伏せはなしか」
「最低でも後1匹はいるんだよな、ヒヤマ?」
「そうなる。そこのドアの先が脱衣場のはずだ。開けるぞ」
「頼む」
引き戸。
無線を使っていないし、声も少し潜めているだけだ。
スラッチャーが隠密状態でドアの向こうにいるのなら、あちらもタイミングを図っているのだろう。
一気にドアを開けた。
フェイレイはハンドガンを水平に上げ、ナイフで喉を守る構えのまま微動だにしない。
「クリア」
「風呂場のドアから湯気が漏れてる。やっぱ源泉掛け流しか。でもドアも床も、壁だって傷んでねえ。どんな材質の建物だってんだかな」
「普通は痛むのか、建物?」
「特に温泉を引いてるとな。風呂場も覗いて、それから2階か。まだ早朝だから、大きな宿以外は今日でカタを付けられるかな」
温泉が浴槽から溢れる音が聞こえる。
ホールや食堂の気温はマイナスだったし、電源は生きているのに灯っている蛍光灯などは見当たらない。スラッチャーは、ここに泊まっていた客や従業員が姿を変えた存在ではないのか。
「風呂場にもスラッチャーはいない」
「わかんのかよ?」
「ドア1枚向こうなら。壁だとわからないね」
「なるほど。一応、開けてみるか」
数百年も掃除していない温泉なら、浴槽の中は温泉の成分が固まって人が入る隙間すらないだろう。
「なんだこりゃ・・・」
「きれいな風呂じゃないか。入ってくか、ヒヤマ?」
「全裸でスラッチャーに襲われたいなら好きにしろ。粗末だがナニはあったぞ」
「うえっ。考えたくもないね。やめとくよ、掃除が先だ。こりゃ早く終わらせねえと。行くぞ」
「張り切ってんなあ」
フェイレイに着いて歩くのだが、距離感が難しい。特にこんな階段は近すぎれば銃の取り回しが悪くなるし、離れ過ぎれば踊り場の先にスラッチャーがいても援護が出来ない。
「難しいな、2番手」
「うちもイグニスに任せっきりだから、アタシも先頭以外は苦手だ。やっぱりヒヤマもそうかい?」
「その通り」
「先頭で撃ちまくるのが楽だもんなあ。1階の死体に釣られたのはいない。2階に上がるよ?」
「おう、頼む」
右後方でマグナムを構えながら階段を上がる。
これもいい経験なのだろう。
民家に押し入って女子供まで殺し尽くすような戦争なんてする気はないが、銃で武装した軍隊ならクリーチャーの住処である遺跡に立て籠もったりする事もあるだろう。
「階段はここだけだよな?」
「外に非常階段があるはずだ。その廊下の突き当りのドア」
「なるほど。部屋を見てくるから、ここを任せていいかい?」
「了解。大人しく階段を見張ってるよ」
「いいね。素直な子には、後でご褒美をやろうか」
「飴玉ぐれえじゃ喜べねえけどな。用心して行って来い」
「わかったよ」
階段と最初の客室のドアを開けるフェイレイ。どちらも視界に入れながら、左手でサブマシンガンも抜く。
部屋に入ったフェイレイは、1分ほどで廊下に戻った。
そのまま、次の客室に入っていく。
3つ目の客室まで調べたフェイレイは、非常階段に続くと思われるドアノブに手をかけて回した。ドアは開かなかったので、施錠されているのだろう。
「待たせた」
「何もなしか?」
「人間の骨すらないね」
「どうなってやがんだか・・・」
「考えたってわかんねえよ。行こうぜ。上には、スラッチャーがいるはずだ」
「あいよ」
階段は何事もなく通過した。
最上階なので俺がドアを開け、フェイレイが跳びかかって来るであろうスラッチャーを撃つ。そう思っていると、フェイレイは手前の客室のドアを一瞥しただけで待ち伏せを見破ったらしい。
ドアの上の方を指差して、そのドアを足で蹴る仕草を見せた。
部屋に入ってすぐの天井に、スラッチャーは張り付いているらしい。
自分を指差して蹴る仕草。フェイレイを指差してマグナムを天井に向ける。
フェイレイはすぐに頷いた。
ノブに手をかけて準備する。無言でだ。
無線で話せよと思わないでもないが、突入する特殊部隊みたいでカッコイイのでついつい乗っかってしまった。指でカウント。
0でノブを回してからドアを蹴って、すぐに跳び退いた。
バァン!
「お掃除終了だ」
男前だなあと思いながら、それは口に出さずにお疲れさんとだけ言っておく。
客室にも興味があるので足を踏み入れる。
やはり明かりも暖房もスイッチが入っていない。
大きなベッドが2つ。テレビも冷蔵庫もきれいなものだ。スラッチャーは、動き回ったりしないで獲物を待つ習性があるのかもしれない。
「もしかしたら可動品なのかもな、ここの電化製品すべて」
返事がない。
スラッチャーはすべて倒したはずだが、ここで単独行動はマズイ。
急いで廊下に出ると、奥の客室から機械の駆動音が聞こえた。なにか機械を見つけて、とりあえず動かしてみたって事なのだろう。
無事ならそれでいいかと奥の客室に向かうと、2階では3つあった客室が2つしかないのに気がついた。フェイレイのいる部屋は、家族向けか金持ち用のスイートルームってやつなのか。
「何の音だ、フェイレイ?」
律儀に閉めてあったドアを開けて訊ねる。
「早くドア閉めろ。せっかくの暖房がムダになるじゃねえか」
「暖房を入れたのかよ。そんでこの音は、って掃除ロボット?」
「温泉が使えそうなら、掃除してここに泊まる。女達で話し合った」
「女会議で、そんな事を決めてたんかよ・・・」
フェイレイは相当な筋力なのだろう。俺より背丈は低いが、金属製の掃除ロボットをアイテムボックスに入れて運んでいたとは。
手前の客室とは違い、キングサイズベッド1つに大きなソファーが3つ。テーブルも大きいし、なんと天井は鏡張りだ。
「趣味のわりいスイートルームだなあ、おい」
暖房が入っているなら大丈夫だろうと、ヘルメットだけ装備解除してソファーに座る。灰皿を出してタバコを咥えると、フェイレイは風呂かトイレのドアを開けてその中に消えた。
(ウイ。ここに泊まるなら玄関にタレット置いてタリエのスキル、それとイー達を上空に配置するのを忘れるなよ?)
(・・・ええ。そのつもりですよ)
返事が遅い。手が離せない作業でもしているのだろうか。
(そっちが忙しいなら、すぐに戻るぞ?)
(いえ。今日はカナバルの街を見張るだけで、すべての作業はお休みです。ニーニャちゃんの改造や名称不明の機械類の仕分けは、明日からですよ)
(そうなのか。・・・ちょっと待て。あのバカ、まさか内風呂も温泉だからって、お湯を張ってやがんのか)
ヘルメットを装備解除した俺の耳には、フェイレイが入ったドアの向こうから浴槽に湯を溜めている音がはっきりと聞こえた。
(ヒヤマが安全を確保してそこに泊まるのを認めたから、その建物の生体感知が可能になったわ。スラッチャーも、他のクリーチャーもいない。だから泊まっても平気よ)
(タリエが言うなら、そうなんだろうけどよ)
(フェイレイさんは私達とは違い、初めて自分以外の稀人と出会ったのです。話したい事もたくさんあるでしょう。これからの事だって、話し合う必要があります。ゆっくりしてから戻って下さい)
(なるほど。了解した)
たしかに今後、フェイレイ達が北大陸の覇権を目指すなら、俺達とはいい関係を築いておきたいだろう。なんせ無限アイテムボックスに、空の英雄が率いる空軍があるのだ。成人前の女の子に人殺しをさせるつもりはないが、そもそもルーデルはリディーだけを北大陸に派遣したりはしない。補給や増援、いざという時の脱出が必要な事態ならルーデルが出るはずだ。
「誰がバカだって、ヒヤマ?」
「言葉の綾だ。話し合いをすんのに、風呂は必要ねえだろ。ソファーもテーブルも掃除済みらしい。こっち来いよ。飲もうぜ」
「あまり量は飲めないけど、付き合うか」
「意外だな」
「ほっとけ。酒なんて貴重品で、一兵卒の手に渡るのは体に悪いのしかない世界だったんだよ」
まだ朝だが今から飲み始めて寝れば、夜のカナバルを見張るのにちょうどいい。
「面倒だからここで夜まで寝るかな」
「そ、それがいいな。うん」
「ビールでいいか?」
「おう、乾杯だな」
「あいよ。お疲れさん」
ビールを呷り、缶詰とスナック菓子を出して開ける。
「しかしよくもまあ、アンを連れて1年もゲリラ戦がやれたなあ」
「こんな感じの遺跡を隠れ家にしててね。姫様の疲労が限界になると、そこでしばらく休んでたんだよ。ずっとホバーじゃ、体を壊してただろう」
「人には家が必要か」
「ああ」
当時を思い出しているのだろうか。フェイレイは、整った眉を寄せながら缶ビールを口に運んだ。
部屋はもうだいぶ暖かくなっている。
パワードスーツを普段着に変えて2本目のタバコに火を点けると、掃除機の下半身と人型の上半身を持つ掃除ロボットが部屋から出て行った。
「もうこの部屋の掃除は終わったんか。優秀な子なんだなあ」
「ベッドもホコリすら立たないらしい」
「ふーん。ところでフェイレイは、シドを殺ったらダウィンズ軍に雇われるんだよな。まだ話せねえが、食料なんかを取引できる勢力に心当りが」
「・・・そういうのはいい。行くぞ!」
どこにだよ。
言いかけたが、口を開く前に胸ぐらを掴まれた。
振り払おうとしたが間に合わない。
頭突き。
鼻の奥がツンとして、慣れた血の味が口の中に広がった。
「テメエ・・・」
「だ、大丈夫かヒヤマ!」
「なんでテメエが焦ってんだよ。喧嘩がしてえなら、表に出やがれ! 女は殴れねえが、相手をしてやっからよ!」
「違うんだ、ほら。アタシ、男にキスなんかした事ねえから力加減が!」
キス?
あれが?
「生まれ故郷じゃ、頭突きで愛情表現すんのか?」
「頭突きなんかしてねえじゃねえか」
「したよ! この鼻血を見ろ、あれが頭突きじゃねえなら何なんだってんだ!?」
「・・・キス」
「ねえよ!」