失格
部屋に入って来たのは、俺と変わらない年齢に見える少年だった。
ここでデブを撃つべきか迷う。
ただの仕事の用件か何かだとしたなら、少年が出て行ってから女が部屋に現れるのだろう。それなら、何も職業持ちである少年の前で狙撃しなくてもいい。こちらを特定するようなスキルを都合良く所有している可能性は低いが、用心はいくらしても無駄にはならないだろう。
が、異様に整った少年の顔立ちを考えると・・・
(うげっ!?)
ミツカの妙な声は、全員の心の声だった。
デブは少年の正面に屈み込み、少年は諦めたようにそっと瞳を閉じる。
少年は職業持ちであるのに諦めて受け入れるしかなかった。それが、この国の現状なのだろう。
(あー。とりあえず、ニーニャの映像を切断っと)
(ほえっ。何で?)
わかってねえのか・・・
(対物ライフルで人間を狙撃するのを、こんな視界の良い状態で見せるのは初めてでしょう。どんな死体になるかもわからないから、ニーニャちゃんには見せたくないんでしょうね。ヒヤマは、ニーニャちゃんの事になると過保護ですから)
(そっかー、気にしなくっていいのに。でもありがとう、お兄ちゃん)
(お、おう・・・)
「これは見ているだけで辛いな。何とか助けてやれないのか、ヒヤマ?」
無線だとニーニャが聞いているので、ルーデルが声に出して呟く。
俺だって何とかしてやりたいが、あまりにも位置が悪い。
「少し高度を上げて狙撃すれば死にはしねえだろうが、あのガキは確実に両足を失う事になるな。ショック死の可能性が高えし、生き残っても即座に止血して人を呼べるかどうか」
「この位置ではムリか・・・」
「そういう事。さて、どうしたもんかねえ」
ターゲットもその玩具になっている少年も名前の表示は赤だ。
暗殺はニーニャの姉と相棒、それと姫様を連れ出したという稀人しか知らないのでこのまま2人共殺ってもいいが、少年が犯罪者になった理由が命令されて仕方なくだというのなら安易に殺したくはない。
「見ていて気分が悪いが、行為があれで終わるとも思えん。ベッドに移動したら狙撃でいいんじゃないか?」
「それしかねえかなあ。ったく、この世界にゃこういう趣味の人間は少ねえんじゃなかったのかよ」
「今は知らんが、昔は本当に少なかったなあ。気味悪がられて近所の住民に殺されそうになった男を、王族が保護してテレビで仲間を探したりはしたが」
どうやら、当時の為政者は話のわかる人間だったらしい。
圧倒的少数派の同性愛者を保護しても人気取りになるとは思えないのに、よくもまあ仲間探しまでしてやったもんだ。
「そこまですんのか。大した人気取りにもならねえだろうに」
「純粋な好意だったんだろう。側仕えは読心スキルの使用を認められていたから、男の心情もある程度は伝えただろうし」
「そんで、相手は見つかったんか?」
「まあ、見つかった?」
「何で疑問形なんだよ・・・」
「相手が女性だったからなあ。つまり、女性の心を持った男性の相手に立候補したのは、男性の心を持った女性だったんだ」
どこかで聞いたような話だが、本人達が幸せならそれで良かったのだろう。
「俺達のいた世界にも、そんな夫婦がいたなあ」
「ほう。意外とよくある話なのかもな。男は腕の良いエンチャンターで、女は名の知れたガンスミス。ウイちゃんやジュモの持ってる拳銃は、その夫婦の作だぞ」
「・・・意外と縁があったんだな。どっかで墓でも見つけたら、花と酒でも供えるか」
「そうしてやってくれ。まあ、そんな偶然はあり得ないだろうけどな」
銃を拾ったのが沿岸部だから、製作者達は首都には住んでいなかったのだろう。子孫でもいるのなら、是非ともギルドにスカウトしたいもんだ。
視界に映るデブの動きが激しくなっている。少年は、キツく瞳を閉じたままピクリとも動かない。
「こっちの人間にああいう性癖が少ないのは、宗教上の理由でもあるんか?」
「ないだろう。宗教はあるにはあったが、とうの昔に形骸化していたし」
「ふーん。宗教が幅を利かせてねえ世界か。想像も出来ねえや」
「こちらの住人は全員が職業持ちだったので、それが関係してるのかもしれませんね」
「アイテムボックスや職業をくれてやるって事で神様がはっきり人間に干渉してんのに、その神様を崇める人間がいねえってのも凄えなー」
「神への感謝と信仰は別だろう?」
当たり前のように訊かれたって、こちとら食ってる米の1粒にまで神様が宿ると教えられて育った日本人だ。正直、一神教の感謝と信仰なんて想像も出来ない。
「俺はバカだから考えてもわかんねえが、いくら都合が良くても新しい国の統治に宗教を利用しちゃイカンってのはわかるな」
「だな。どうも南の宗教国家は、職業を持たずに生まれて来る人間を巧く誘導しているようだし」
「アポカリプス教国か。俺や運び屋の同郷人が建てた国なんだろうが、本人はもう死んじまってんのかねえ」
「おいおい。初耳だぞ、それは」
「言ってなかったっけか。アポカリプスってのは俺達のいた世界の言葉だよ」
「・・・意味は?」
ルーデルの目は真剣だ。
稀人は強力なスキルを得る職業持ちが多いそうだから、そこまで気にするのかもしれない。
「あー、正確な意味ってなんだっけ。母国語じゃねえんだよなあ」
「黙示でいいんじゃないですか、訳すなら」
ウイがサラッと言うが、そんな言葉だったのかと俺が驚いた。
「え。アポカリプスって滅びた世界でなんやかんやしてサバイバルって、モンスターとか悪人と戦ってヒーローって、偶然助けた美人なヒロインとなんやかんやしてアフンアフンウオーって、最後はこの世界にも希望はまだあるぜ! 俺たちの戦いはこれからだ的な映画とかの事じゃねえの?」
「それはたぶん、ポストアポカリプスというジャンルの物語ですよ。予言された世界の終わり。その後の世界で足掻く人々を描いた映画やドラマですね」
「へー。だってよ、ルーデル」
「終わると予言された世界に生きながら、そんな物語を楽しむのか・・・」
言われてみれば、あちらの人類はずいぶんと図太かった。
「神はいる。でもいるのは俺達の信仰する神だけだって連中が多くてな。それぞれの神様のためだっつって、年がら年中戦争してたりした世界だから」
「だがヒヤマは、神がどうとか言わんだろ?」
「ウチの国は特別。神様が寛容だから、他の宗教と対立しねえの」
「何だそれは。じゃあ前に言っていた、ヒヤマの祖父が参戦したという戦争はなぜ起こったんだ?」
「十人十色の答えが出るだろうが、引きこもってたらギャングが家に来た。話もしたくねえけど、殺すとか脅かされたから話をした。用件は何かと思ったら、俺にだけ得させてオマエは損してでも言う事を聞けって事。どうしても付き合うなら対等に付き合おうぜって言い続けてたら、ナマイキだっつって半殺しにされた。って感じ?」
「どんなはしょり方ですか。近代史に一家言ある人が稀人としてこちらに来たら怒りますよ」
「知るか。たぶん、そんな人間とは口も利かねえって。お、前哨戦終了で移動するみてえだ。殺るぞ」
立ち上がって袖で口元を拭ったデブに導かれ、少年がベッドに移動する。
(タリエ、あっちに状況は伝えてるんだよな?)
(ええ。あの男の子が傷付かないようにしたいから、狙撃前に歌でも歌って音を誤魔化して、遺体の発見は明朝以降にするそうよ)
(口径が口径だ。着弾すればかなりの音が出るぞ?)
(隠し切れない覚悟はしてるって。それでもこのおデブちゃんは生かしておけないみたいね)
(そうかい。そんじゃ、とっとと歌えって言ってくれ)
(わかったわ)
ズームした視界には、気味の悪い笑顔のデブが映っている。
狙撃は俺の存在意義だ。
風や距離、ライフリングで僅かにズレる分まで、頭ではなく感覚が教えてくれる。
気温と湿度はこの世界に来て初めて経験する値だが、その分の誤差もしっかりと理解できていた。
(相変わらず、視界を共有してても何で命中するのか理解できない狙いだねえ)
(ミツカだって真剣にやれば出来るぞ?)
(ムリムリ。300メートルでも外すのがオチだって)
(なら、290から撃ちゃいいんだ。慣れりゃ300も撃ち抜ける。そんで次は310)
(理屈はわかるけどねえ・・・)
(最初はキツくても慣れたらすんなり。今じゃ三度の飯より好きんなってたりな。心当たりはあんだろ?)
(し、知らないよそんなのっ!)
(ふふっ。短い歌だから、そろそろ終わるらしいわ。拍手と歓声が上がるだろうから、狙撃を合わせて欲しいそうよ)
(あいよ。いつでもいいぜ)
デブは狙撃されるなんて想像もしていないらしい。
これを外すようじゃ、職業を棄てるしかないだろう。もちろん、そんな気はさらさらなかった。
細く長く、息を吐く。
未来が見えなければ、この距離での狙撃など不可能だ。
スキルではない。努力して手に入れた技術でもない。それでも、俺の中にあって不快ではない何か。
職業持ちとは何かと尋ねられたなら、俺はその何かが血のように全身を流れている人間だと答えるかもしれない。
(・・・今よ!)
トリガー。
ウイ達のそれに触れるように優しく引いた。
とんでもない衝撃を逃がしつつ、全身で受け止める。
次弾装填。
飛び出した薬莢がアイテムボックスに収納されると同時に、デブは首から上を失って少年の上に倒れ込んだ。
(ターゲット、即死。さすがですね、ヒヤマ)
(寒冷地でも狙撃に問題はねえ。少しは安心したよ)
デブがちょうど仰け反っているような体勢の時コメカミに着弾したので、少年は無事なはずだ。少なくても、外傷はないだろう。
デブの死体が動く。まるで、下から蹴り上げているような動きだ。
動く度に血が部屋を汚す。
突然、機敏な動きで少年が身を起こした。
(タリエ、あのガキも殺すぞ!?)
(えっ。ちょ、ちょっと待って、確認するから!)
死体を足蹴にする少年は笑顔だ。
それだけでも気分が悪いが、少年は割れた窓、つまり俺の方を見て笑みを深くした。
撃て!
俺の中の何かが叫ぶ。
(まだかっ!?)
(2人が、姫様のお気に入りで人当たりもいいからって言ってるのよっ)
(ちゃんと伝えろ、見てる事を!)
(言ってるけど、犯されてたんなら死体を足蹴にするくらいはするって聞かないの!)
(ざけんなっ! どこの世界に、恨みの果てにでも死体からの吸血行為に及ぶ人間がいるってんだっ!?)
(えっ・・・)
視界を共有しているタリエが気付いていなかった?
どういう事だ。
そう思った時にはもう、少年は死体の首から口を離していた。
(もう身支度してる。部屋を出てく前に殺すぞ)
(クッ、2人共信じてないわ!)
少年が身支度を終え、天井の辺りを睨むような仕草を見せた。
(このタイミングで網膜ディスプレイ表示。まさか、スキル取得だってのか!?)
(ダメ。さっきはわからなかったけど、彼を見てると吐き気がする。2人は説得するから撃って!)
言われなくてもっ!
思いながらトリガーを引くと、少年は優雅に一礼してみせた。
美麗な眦を吊り上げ、口が裂けているかのような笑顔を見せて。
(消えたっ!?)
叫んだのは誰だろう。
だが、全員が思っている事だ。誰だっていい。
(ウイ、経験値は?)
(・・・常人1人分ですね。銃弾は少年の眉間を貫いたように見えましたが、血痕すらありません)
(ごめんなさい。通信がもたついたから)
(いや、俺のミスだ。敵を敵と認識できねえなんて、狙撃手失格じゃねえか・・・)