はぐれ雁語り・楽園を探して1
大切なあの子が消えた。
周りの大人はその消息を尋ねる僕を殴り、僕は彼女の事を誰にも訊かなくなった。
そして、銃を取る。
「夢か・・・」
荒野。
身を隠す遮蔽物すらない。大地に横たわって、気を失ったように眠っていた。
起きてまず確認するのは、左脇に吊ったホルスターの32口径だ。
構造が単純なので、修理スキルのない俺でも使い続けていられる。荒野を渡る風が土埃を巻き上げるので、寝起きの口の中はツバを飲む度にジャリジャリと音がした。
「10日以内に水場を見つけられなきゃ、死ぬかな・・・」
少量の水でうがいをし、それを吐き出さずに飲み込んで立ち上がった。
歩き出す。
最後に立ち寄った集落の門番は、俺を見るなり石を投げつけてきた。
抜き撃ちで仕留めて懐を漁って数枚の硬貨をポケットにねじ込むと、猟銃を携えた増援が現れたので逃げ出した。それが、もう3月も前だ。
東には、海という大きな水場があるらしい。
北に行ってもあるそうだが、俺は迷わずに東へ向かった。
「そろそろ、誕生日かな」
数え間違いをしていなければ、俺は8つになるはずだ。
遠くに、崩れた廃墟が見える。
「マジかよ。ついに、還らずの荒野を越えたのか・・・」
5つで村を出た。
母親は村の男の共有物で、父親は誰かわからない。
女ならまだ使えたのにとよく殴られたが、男で良かったと今は心から思える。
職業持ちなんて存在も知らない村は笑えるほど無力で、ナイフと32口径だけで簡単に全滅させた。
母親の話では、あの子は旅の冒険者に売られたらしい。
その旅人がどこに向かったのかは知らないが、また会える幸運なんて訪れはしないだろう。
4才の子供を買ったのは持ち運びが簡単で、エサが少量で済むからだ。そしていざとなれば、柔らかい子供の肉はいい非常食になる。
「もう少しだけ頑張ってくれよ、俺の足・・・」
空。
鳥が飛んでいる。
俺のはるか上空を旋回しているようだ。
「飛べていいな、オマエは・・・」
立ち止まってはいられない。
歩かなければ、干からびて死ぬだけだ。
歩く。水が飲みたいと思う。
遠く見える廃墟が目指す場所かもしれない。
気配。振り向いて我が目を疑った。
左にナイフ、右に拳銃を抜く。
「なんだってんだよ、なんで足があるのに歩かねえんだよ・・・」
言いがかりだと思いながら、震えそうになる足で踏ん張った。
鉄の魔獣が先頭を走り、それにクリーチャーが続いている。
勝てる相手ではない。
それがどうした。
死ぬまで戦うと決めたんだ。
走る。
「うおおおおっ!」
鉄の魔獣に跨る女が、俺を5人並べたほど長い剣を抜く。ヘンテコな服だ。
真っ二つに割られた俺が見えた気がする。
産まれた意味がわからないと、ずっと思っていた。
それでも生きるだけの残飯は与えられていたので生きていたが、あの子がいなくなったのでどうでも良くなった。
それで、腐っていない残飯を選んであの子に食わせるためだけに生きていたのだと悟った。
あの子はもういない。
なら、死んだっていいじゃないか。
「連れ出してやれなくって、ゴメン・・・」
初めて謝れた。
これで、悔いはない。
鉄の魔獣に跨る女。目が合う。殺してみろ。そうしたら俺は、あの子を探しに行ける。
「【チャージショット】!」
俺が撃てる最高の1撃。
女が、笑った。
剣の一振りで、銃弾が弾かれる。
まだだ。
距離はもう、鉄の魔獣の赤い胸当てが見えるほど近い。
「【貫く牙】!」
ナイフを振り上げて跳ぶ。
鉄の魔獣は砂を巻き上げるほど速い。
届く。
そう思った途端、剣の柄が俺の腹に吸い込まれた。
「こんな幼い子が、レベル29だと・・・」
その言葉を聞きながら俺は、乾いた土ではない何かにぶち当たって意識を手放した。
「あんまり構うんじゃないよ、魚?」
「いやいや、このほっぺたはたまりませんなあ。姫も堪能されるといい」
「幼児趣味はないんだよ」
「舐めたいねえ。魚、人間の子供は舐めちゃダメなのかい?」
「ダメだダメだ。おい、死肉を食わせようとするんじゃないよハゲ」
「ニク、ウマイ」
「腐ってんだからダメだって。笑ってんじゃねえよ、鳥」
賑やかな声。
こんな声を最後に聞いたのは、村を出た日に母親に群がる男達を殺した時以来だ。
母親は狂った様に笑いながら死んでいったので、会話なんてなかった。
ナイフと拳銃は、もう俺の手にないようだ。
なら、指を目に突き入れてやればいい。それだけで、簡単に人が死ぬのは知っている。
飛び起きた。
女。
目に指どころか、しっかりと地面を踏みしめる前に棒で殴られた。
転がる。
立つ。
また殴られた。
「ラス、か。その名はどういう意味なんだい、ガキ?」
砂を握る。
投げつける前に、右手を打たれた。
「があっ!」
「答えなよ?」
誰が言うか。
立ち上がった。
頬。
叫び出しそうなほど痛いのに、口の中は切れていない。
殺さずに嬲るつもりなら、チャンスはある。
「死ねっ!」
「死なないよ」
手、肩、腹、足と打たれる。
意地で大地を踏みしめた。倒れてなんか、やるものか。
「ほう、いい根性だ」
「これこれ、あまりイジメないでくれ」
「ラス、カワイソウ・・・」
「舐めて治してやるで、婆の腹に寄りかかれ、ラス」
なんだってんだ、このクリーチャー達は。
「殺せ・・・」
「嫌だね。ガキを斬る剣は持っちゃいねえんだ」
「なら、俺は行く」
「ダメだね。勝ったのはアタシだ。ラスをどうしようが、アタシの自由なんだよ」
奴隷にでもするつもりか。
誰かに売られるなら、その方が都合がいい。売られる相手が無法者の集団だって、この女から逃げ出すよりは楽だろう。
「・・・売る先は?」
「人身売買なんてする気はないね」
それはマズイ。
この女が俺を使い潰す気なら、俺は死ぬまでこの女の奴隷だろう。
死は俺にとって唯一の自由だ。
それを奪われたら、俺にはなにもない。
何かないか。
今、俺の意志で死ななければ。
「言っとくが、死のうなんて考えるんじゃないよ?」
「・・・生きて、何があるんだ」
「何かあるかもしれないし、ないかもしれない。だが、生まれたからには、生きられるからには死んじゃいけないんだよ」
「ラスよ、婆に凭れて缶詰でも食うが良い。痩せ過ぎて、見ているのが辛いぞえ」
「缶詰って、なんだ?」
「これさ。中に食い物が入ってる。開けてやるから座ってな、ラス」
「・・・なんで、食い物をくれるんだ?」
女が笑う。
「飢えている人間がいたら、食い物を渡すのが当たり前じゃないか」
そんな当たり前、知らない。
思いながら、その場に腰を下ろした。
戦闘前の笑みとはまるで違う女の笑みを見たら、なぜかここは危険な場所ではないのだと思えた。
村の近くに埋まっていた箱より安全な場所を、俺は知らない。まとめた人骨に毛布をかけた枕より、ずっと柔らかい何かが背中に当たった。
「オマエは・・・」
「猫と呼ばれておる。本当は虎なのだが、姫が猫と呼ぶでな」
「ねこ、とら・・・」
「どちらも知らんか。ラス、文字は読めるのかの?」
「文字って、何だ?」
匂い。
初めて嗅ぐ匂いだ。
唾液が止まらない。食い物の、匂いだ。
「やれやれ、文字から教えなきゃならないか。まずは、腹いっぱい食うといい。名前は見えてると思ったんで、自己紹介が遅れたね。アタシは、ローザ。ラスと同じ、職業持ちさ」
皿に乗せられた、何かの塊。
渡されたそれを、我慢できずに貪る。
これは、肉だ!
「こんな美味いネズミ、どこにいるんだっ!?」
「ネズミじゃないって。ほら、パンも食いな。水も」
水と聞いて手を伸ばす。
変な色だ。
何色でもないこれが、本当に水なのだろうか。
土の色がないので疑いながら1口だけ飲んだが、驚くほどに美味い。
変な器の、最後の1滴まで飲み干した。
「ぱん・・・」
「麦を練って、焼いた食べ物だよ」
「違う。麦は粒で、大人が煮て食う物だ」
「はいはい。これは、教育のしがいがありそうだね・・・」
ぱん、これは麦じゃない。
こんなに美味いのが麦なら、1粒1粒剥いてあの子の口に運んだのは何だったと言うんだ。
「子供を連れた冒険者、見なかったか、ろ、ローザ・・・」
「見てないねえ。人を探してるのかい?」
「・・・見てないなら、いい」
眠い。
人前で寝るなんて危険な事は出来ない。
思いながら、何かに沈んでいく自分を上から見ていた。
「よくもまあ、こんなに寝られるもんだねえ・・・」
「発熱は治まりましたが、よほど疲れ切っていたのでしょう。まあ、3日も寝たのでそれももう抜けるかと」
「クソみたいな世界にも子供がいる。わかってるつもりだったけど、実際に見ると辛いね」
空を飛ぶ鳥。
鉄の魔獣。
夢のような肉、水。そして、ぱん。
「ぱ、ぱん・・・」
「寝起きにそれかい・・・」
「子供らしくて、良いではないか。魚、パンとスープの缶詰を開けるのじゃ」
「おうっ。待ってろよ、ラス」
楽しそうな声。
誰かの尻を叩いているのだろうか。
大人は尻を叩くのが好きだ。
「起きてるなら水を飲め、ラス」
「水・・・」
匂いが近づく。
土の匂いがしない水。奪うようにして、飲み始める。
「ああもう、誰も取らないっての。目は覚めたかい?」
「ここは・・・」
小さな部屋のようだが、不思議な壁だ。よく見ると、壁が小刻みに動いている。
「テントさ。熱を出して寝込んでたんだよ。魚が水を含ませた脱脂綿で水分補給させて、下の世話までしてたんだから礼を言いな」
「礼は、ありがとう?」
「そうだ」
「ありがとう、魚」
「気にせずとも良い。ほれ、パンとスープだ。よく噛んで食べるのだぞ?」
頷く。
よく噛むと、少しの食い物で腹が膨れる。
「ラスは、どこから来てどこに行く気だったんだ?」
「東。水場があって、人がたくさんいるらしい」
「目的地は同じか。年は?」
「多分8」
「成人まで7年か。ちょいと短いが、何とかなりそうだね」
「何が?」
「アタシが生きるって事を教えてやる。殺していい人間。守るべきルール。文字に計算、職業持ちとして生き残る術もだ」
「なんで・・・」
ローザが笑う。
誰にも似ていない笑顔。
「困ってる人間を助けるのに、理由なんかないさ」
食い物を腹に収めてしばらくして、ローザは立ち上がった。
外に出されると、魚の手でテントとかいう不思議な部屋が畳まれる。
「乗りな」
鉄の魔獣。
こんな生き物か瓦礫かわからないものを、俺は知らない。
32口径や、村の近くに埋まっていた箱に似ているような気もする。
「これは?」
「シムナ。バイクって乗り物で、アタシの相棒さ。強い男の名をもらったんだ。見つけた時は、真っ白だったしね」