まさかの・・・
空母に着いたのは、夕陽がその姿を隠そうとする時間だった。
クラクションで先を譲られたので、数回ハンドルを切り返して昇降機にトラちゃんを載せる。
窓から親指を上げた手を突き出すと同時に、ゆっくりと昇降機が動き出した。
「おかえりなさい、ヒヤマ」
昇降機を空けるために艦橋の横にトラちゃんを停めて降りると、ウイが笑顔で手を振っていた。
運び屋、ルーデル、婆さんとダヅさんもいる。
「ただいま。婆さん、ニーニャは兵員輸送車だ。怪我はねえよ」
「わかってるさ。ヒヤマが落ち着いてるうちは、誰もが無傷さね」
「情報屋から話は聞いた。ギルドも忙しくなりそうだなあ」
「陸は運び屋の受け持ちだからな。大変だとは思うが、いつでも空から救助に行けるぞ」
「即応部隊としてルーデルがいてくれりゃ、まあなんとかなるさ。死神、トラックはもちろんイジるんだろ?」
「ああ。ニーニャに頼んである。銃座と荷台に客席だな。トイレも付けるらしい」
タバコに火を点けながら言うと、運び屋は満足そうに頷いた。
兵員輸送車がトラちゃんの隣に停められ、ミツカ達が降りてくる。
「よし、続きは食堂で聞こうか。お手柄だったぜ、レニー嬢ちゃん」
運び屋が缶ビールをレニーに放る。
それをキャッチしたレニーは、いい笑顔を見せながらその場でビールを呷った。
「ヒヤマ、驚かないで下さいね?」
「何にだ?」
「見てのお楽しみです」
嬉しそうなウイに続いて食堂に入ると、懐かしい香りに包まれる。
夕暮れの帰路、小学生の頃はこの匂いがすると、家までの小道を全力で走ったものだ。
「ウソだろ・・・」
「本当ですよ」
「カレー、だよな・・・」
「はい。しかもレトルトでも缶詰でもなく、ルーを溶かした本物のカレーです」
「うっはあー!」
思わず叫んでいた。
白米の缶詰はあったがカレーはなかったので、この世界にはカレーはないと思っていた。もう二度と、食えないと覚悟していたのだ。叫び声くらいは出る。
「ひやま、かれー! かれーのにおい!」
「おう、カレーだよカレー!」
「あらあら、そんなに喜んで。買って正解だったみたいね」
「タリエが買ってきたのか。どこでだ!?」
「こないだ、シティーに来た行商人が店に持ち込んだのよ。どこかの家にずっと眠ってたらしいの。数もこれ1つしかないのよ」
「ルーがあるってわかればそれでいい。次からの探索が楽しみだぜ」
忘れていた雑誌を出してミツカに渡す。
「これは・・・」
「オベェマ。それも2巻だ。今日はありがとな」
「おおっ、おーっ!」
ミツカがクルクル踊り出す。
カレーにホコリが入るとウイに怒られて回転するのはやめたが、コミックを抱きしめて満面の笑みを浮かべている。
「やっぱ懐かしいよなあ。ウイ嬢ちゃんも顔が緩みっぱなしだしよ」
「これでテンション上がんなきゃ、日本人じゃねえって」
「国民食、か。空母の街にもなんか欲しいな」
「ヨハンとニーニャに、缶詰工場の機械類を見てもらう。缶詰の一番人気が、そのまま空母の名物になるさ」
全員の前にカレーの皿が置かれると、姐さんやその手伝いをしていたミイネも席に着いた。
「もう我慢できねえ、いただきますっ!」
スプーンで白飯とルーを掬い、すぐさま口に運ぶ。
かなり甘口のようだが、たしかにカレーだ。
「うんまあっ!」
「おいしい」
「ああ、この味です。もう食べられないと思っていました。ありがとうございます、タリエさん」
俺、ヒナ、ウイはもう表情が蕩けている。
久しぶりのカレーは、それほどに美味かった。
「ごちそうさん。こんなに複雑な味の食いもん、生まれて初めて食ったぜ」
「美味かっただろ、レニー。意地でも見つけてくっから、また皆で食おうぜ」
「パッケージを見る限りでは、北大陸からの輸入品みたいだったわ。セミー達なら持ってるかもしれないから、聞いておくわね」
「北大陸にはいずれ行く。今から探索が楽しみだな」
「セミー姉ちゃんとチッタお姉ちゃん、元気なのかなあ・・・」
「元気よ。ニーニャちゃんに早く会いたいって、この間も言ってたわ。セミーも、チックもね」
「チッタってのは、アダ名なのか?」
俺が言うと、ニーニャは頬を赤くしてしまった。
それを見るタリエは苦笑している。
「えっとね、ニーニャはまだ小さかったから、チックをチッタって間違えて読んで覚えて、2人もそんな細かい事は気にしないから、チッタお姉ちゃんって言い慣れちゃったの・・・」
「なるほどな。間違えて覚えると、それで固定されちまう。俺もヤマザキとヤマサキ、とか苦手だったなあ・・・」
カレーは好評だったようで、それほどかからずに全員の皿が下げられた。
そこからテーブルに酒が出され、飲みながらの話し合いが始まる。
「さて、婆さん。俺が考えてる事はもうわかるよな?」
「タリエに聞いたよ。で、どのくらいの料金で行商人を運ぶんだい?」
「いきなり金額か、ちょっと待ってくれ。ギルドの職員に説明して、計算してみてからだ」
職員は全員が揃っている。
姿が見えないのは、市場の護衛に出て今頃は商人の片付けが終わるのを待っているはずの、剣聖とタンゴくらいだ。
俺が立ち上がってトラックの改造と街を巡回する移動販売部の説明をすると、エルビンさんが紙を出してそれにペンを走らせた。
「まず、護衛に必要な冒険者の数を教えて下さい」
「アサルトライフルがある冒険者なら、3でいいか?」
「だな。だが、剣や槍なら5、6人は欲しいぞ」
「というか、職業持ちがいなきゃ無線がないから、スクランブルで助けになんか行けないな。どうするんだ、ヒヤマ?」
「職業持ちはトラックに使わねえつもりだったんだが、それじゃ危険か・・・」
「ムリとは言わねえが、客を乗せるんならお目付け役は必要だろうよ。警備ロボットは1体だけでも客室に配置した方がいいな」
「となると、客室と冒険者の待機室に分けるのか」
ニーニャを見ると、なんでもないように頷いた。
どうやら、それは簡単な事らしい。
「ヒヤマ兄ちゃん!」
「お、どしたグリン?」
「そのトラックの運転手、俺にやらせてくれっ!」
叫ぶように言いながら、グリンは腰を折って深く頭を下げた。
隣に座っているグースも驚いている。
「理由は?」
「冒険者の犠牲を減らすのもギルドの目的だけど、人が足りないからトラックは職業持ちじゃない人間に任せようって話なんだろ。だったら、今の職員の中で空母の外に出るべきなのは俺だと思うんだ」
「どうしてそう思う?」
「俺は男だ。そしていつか、冒険者になると思う。父さんは責任者だから空母を離れらんないし、空母であまり役に立たない俺なら適任だよ」
「グリンが役に立たないなんて、思った事はねえな」
それは本当だ。
日本で言うなら中学3年か高1のグリンは言動こそガキっぽいが、意外と物事をよく考えている。本人に言った事はないが、10年もすれば冒険者を束ねる立場になっていてもおかしくないと思っていた。
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、冒険者を相手にする以上はギルドの職員にも戦える人間がいなくちゃダメだと思うんだ。そうじゃないとギルドの職員は冒険者の気持ちがわからないし、冒険者は戦わない人間が偉そうにしやがってって思うはずだよ」
「実戦に出るってのか、グリン?」
グリンが頷く。
その瞳は真剣だ。何かを覚悟した目の光。
死ぬ覚悟と殺す覚悟があるなら、俺が止めるべきではないのかもしれない。
だが、グリンを弟のように思ってしまっている俺に、グリンを戦場へ送り出す覚悟があるのか。
「まったく、兄貴に相談もしねえとか。ヒヤマ兄ちゃん、グリンなら移動販売部ってのにちょうどいいと思うよ。俺とは違って計算も早いし、こう見えて人当たりもいいんだ。俺はバカだから、戦ってグリンを守るよ」
「グースまで行くってのかよ?」
「双子だからね。この世界に双子が多いのは、お互いを補い合うためなんだってさ。俺は筋力もそれなりにあるからトラックの要求筋力もなんとかなるだろうし、俺を運転手にしてグリンを移動販売部で使ってくれよ」
「成人してたんかよ、2人共」
「ついこないだね」
どうしたもんかとエルビンさんを見る。
「ステータスのマイナスがないからもう大人だと言われて、家族で成人を祝ったんだ。その席で、もう2人の判断に口は出さないと言ったからね。ヒヤマくんに任せるよ」
「そう言われても・・・」
助けろ、そう念じながら運び屋を見る。
缶ビールで隠れている口元が、間違いなくニヤついていた。
「くっくっくっ。死神が一番、覚悟が足りねえな」
「だってよ、2人を危険な仕事に送り出すとか・・・」
「そういやひとりっ子だったか。お兄ちゃんは過保護だなあ」
「うっせえよ。いいから知恵を貸してくれ、頼むからよ」
言いながら、缶ビールを運び屋の前に叩きつけるようにして置く。
「こんな攻撃的な頼み方があるかよ。まああれだ、要は安心できりゃいいんだろ?」
「そりゃ、まあ・・・」
「トラックの改造が終わったら、俺が2人に道を教えながらクリーチャーを狩りに行く。俺は手を出さずに、見守る形でな。それである程度のレベルになったら、試験をすればいいさ」
「あ、道路の残骸とか動かすから俺も・・・」
「そんくれえは無改造の強化外骨格パワードスーツで、俺が出来るだろうが。どこまで過保護なんだよ」
「くそう・・・」
そこまで言われては、反論のしようがない。
運び屋と一緒ならどんな敵が来ても怖くはないだろうし、実際に客を運ぶ時は網膜ディスプレイにグリンの視界を表示させていればいいだろう。
「・・・わかった。どうか2人を頼むよ」
「運び屋さん、私達からもお願い致します」
「任せとけ。グース、グリン、俺のやり方がキツイのは知ってるよな?」
「うん。でも絶対にやってみせる。ここで役に立てなきゃ、俺はずっと役立たずのままだと思うんだ」
「俺も、頑張るよ」
「よし、そんじゃ話は決まったな。ここからは成人祝いだ。2人も飲め!」
まだ話は終わってない、そう口に出そうとすると、珍しく婆さんから無線が来た。
(話は明日でもいいさね。祝いなんだから、水を指すんじゃないよ)
(悪いな、婆さん)
(なあに、気にしなさんな。なんなら2人同時に、筆下ろしもしてやろうか?)
(土下座でもなんでもするから、それだけはやめてくれ!)