護衛と立ちんぼ
夜明け前に起き出し、大きな音を出さないようにして艦橋を出る。
朝靄の中、昇降機の操作盤の椅子に孤島の爺さんが座って、1人でタバコを吸っていた。そばには本来の操作役である、警備ロボットが突っ立っている。
「おはよう。早いな、爺さん」
「年寄りは朝が早い。それに、市場の護衛が出来ないから、これくらいはな」
ウイ達が爺さんに挨拶をして、ハンキーを出して乗り込んでいく。
昨日のテーブルの横に、ハンキーは停めておく予定だ。
トイレや俺が見回りに出ている時は外に出る事になっているが、女達は常に全員で集団行動と決めている。
「じゃあ、行ってくるよ。操作、ありがとう」
「気をつけてな。まだギャングが動くには早いとは思うが、油断は出来ん」
「ああ。戦場に行くつもりで来たから大丈夫さ」
俺とたーくんが屋根に乗ると、ハンキーはすぐに動き出した。
昇降機を降り、まっすぐに市場に向かう。
「ラジオ、流しますか?」
「市場に着いて、夜が明けてから頼む」
「了解」
まだ夜の明けきらぬスラムには、チラホラと黄マーカーが見える。
それは探索帰りの冒険者であったり、大きな荷物を背負った商人だったりするようだ。
市場にはすでにそれなりの商人達がいて、仕込みやら開店準備に追われていた。
「このテーブルだ、たーくん」
「はい。もう、皆さん働いているんですね」
「市場だからな。朝食をここで食う人間も多いんだろ。仕込みがあるから、早起きにもなるさ」
自前の灰皿を出して、缶コーヒーを飲む。
軽食も出すが基本的に喫茶店であるこのテーブルの屋台は、こんなに早くからの仕込み作業はないようだ。
「狙撃手も偵察兵もなし、と。平和でいいねえ」
建物の屋根には、最大限の警戒を怠らないつもりだ。
腕はないが汚い事を平気でやるギャングが俺達にちょっかいをかけてくるとしたら、狙撃は有効な手段だろう。
「ありゃ、ハンキーにペイントがされてるな」
「ああ、昨日ミツカさんのイラストを、ニーニャがペイントしてましたね」
「こんな特技があったのか、ミツカ」
砂漠迷彩のボディーは変更なしだが、砲塔から履帯ギリギリまで黒のペイントがしてある。
描かれているのは、襤褸を纏うガイコツがユラリと立っている姿だ。ぶら下げた両手には、コルトとサブマシンガンを持っている。
「反対側にも描かれてるはずですよ」
「まあ、戦場ならこれもいいのかな。しかし上手いな、おい」
この世界のコミックは地球で言うアメコミっぽいものだが、ミツカの絵は日本の週刊少年マンガにでも連載されていそうな線の細いタッチだ。
「威圧感のある絵ですが、これから降りてくるのはニーニャ達ですからね。市場の人も驚くでしょう」
「夜が明ける。あの建物より上に太陽が出たら、まずは見回りかな」
「了解です、ボス」
すぐに太陽は顔を出し、無線で見回りに出ると告げると、パワードスーツをしっかり着込んだ集団がハンキーを降りた。
「端から見ると、冒険者と同じ世界の兵士とは思えねえな」
「私達も冒険者なんですけどね。気をつけて行ってきて下さい」
「あいよ。ほんじゃあ、行ってくらあ」
空母の見張り台には警備ロボットが24時間いて、狙撃者や市場へ向かうサハギンがいればサイレンを鳴らす事になっている。
それでも、まずは運河方面にクリーチャーがいないか確認した。
「大丈夫だな。次は入り口方面か」
「ですね」
「おはよう、冒険者さん。昨日はごちそうさま!」
「おう、おはよう。たまたまだから、気にしねえでくれ」
人の良さそうな屋台の店主と挨拶を交わし、ハンキーで入って来た広い道に向かう。
人はどんどん増えている。
太陽が登ると同時に動き出し、陽が落ちれば眠る。そんな生活なのかもしれない。
「おはよう、色男」
「はいよ、おはよう。今日も美人だぜ、姉さん」
「やだよう、この子は」
「兄ちゃん、おはよう!」
「おっ、おはよう。またドングリ茶を頼むな?」
「うんっ」
今のところ、怪しい人間は入り込んでいない。
夕べ食堂で教えられた見回りルートの通りに進むと、薄暗い路地への入り口があった。
「なんとも危険そうな道だなあ」
「光が差し込まないんですね。あ、誰か横切ります」
黄マーカーが右から接近している。
路地に出てきたのは、赤い下着の若い女だった。
思わず出た口笛で女が俺達に気づく。
「10分5枚でいいよ。遊んでいきな」
「わりいが仕事中なんでな。また今度にしとくわ」
「そ。たっぷりかわいがってやるから、きっと顔を出しなよ?」
「あいよ。じゃあな」
アンダースローで、封を切っていないタバコを投げる。
今度は、女が口笛を吹いた。
「仕事じゃなきゃ、着いてってみるのになあ」
「冗談抜きで、撃たれますよ?」
「ギャングの偵察しに行ったのにか?」
「どんな言い訳をしても、ウイさんに論破されて終わりかと」
ありそうな事だ。
市場は建物に囲まれた空き地にあるので、見回りはこれで終わりらしい。
たーくんとテーブルに戻ると、ウイ達は打ち合わせ通りすぐにハンキーに戻った。
「兄ちゃん、ドングリ茶でいいか?」
「おう。よろしく頼む」
また2枚多く出した硬貨を、子供は嬉しそうに握りしめて屋台へと向かった。
親にはテーブルの使用料としてギルドから金を渡してあるそうなので、子供への駄賃だけでいいだろう。
ラジオ。
今日はロックの日のようなので、すぐにたーくんがボリュームを調整した。
「ここから12時間か。暇そうだなあ」
「狙撃を警戒するとなると、本も読めませんからね」
「運び屋が愚痴る訳だ・・・」
2時間に1度の見回り。
それ以外に、何もする事がない。
メシも1人で食った。
「暇そうね、ヒヤマ」
「タリエ。1人で出歩いて大丈夫なんかよ?」
「まあ、これでも高レベルですもの。絡んできた浮浪者がいたけど、デリンジャーを試すいい機会だったわ」
「王族シリーズか。他の連中のは、まだ試してねえんだよな。で、どうだった?」
「命中箇所が爆発したわ。どんな構造なのよ、これ。弾はカチューシャ商店で買った、ありふれた物なのよ?」
「この世界に、不思議じゃねえ事なんかねえさ。それより、出歩くなら無線をくれ。いつでも迎えに行くからよ」
タリエが微笑む。
元から美しい女だが、その笑顔にはシャロンという名の夜の女には見られない、歳相応のかわいらしさがあった。
「ありがと。でも、しばらくはシティーに行かなくてもいいようにしてきたわ。今日から空母」
「なるほどな、そりゃ安心だ。帰ったら飲もうぜ」
「楽しみね。そういえば、黒猫ちゃんとパイロットさんは?」
「今日はヘリのテストついでに、ホプリテスをぶら下げて軽く探索に行くっつってたぞ。そろそろ離陸するんじゃねえかな」
もう、正午を回って40分は経っている。
あまり遅い時間に出かければ、それだけ実入りは少なくなる。もう少しすれば、タンゴの操縦するヘリが見えるはずだ。
「フロートヴィレッジに、高級ホテルを作る計画がある」
「あれね。女の子は任せてくれていいわ。うちの労働条件は破格だから、いくらでも希望者はいるもの」
「助かる」
タリエが体を売る女の味方なのは、自分も昔はそうだったからなのかもしれない。
それが悪い事だと俺には思えないし、過去に戻って助けてやれるはずもない。ただ、愛していると伝えればタリエは喜んでくれる。それだけで、いいのだ。
「娯楽も考えねえとなあ・・・」
「それなんだけど、酒造に手を出すつもりはない? ヨハンさんがいれば、少しずつでも生産は可能でしょ」
「遺跡品は高くて、庶民には手が出ない。わかっちゃいるが、ヨハンの忙しさを考えるとなあ・・・」
「今すぐじゃないわ。フロートヴィレッジの修理とホテルの建設が終わって、時間が出来たらよ」
「それなら、頼めるかな」
「特産物としてお酒を供給できれば、空母の街は豊かになる。人が人として、暮らせる街にね」
生きてさえいれば人間だ、なんて言えない。そう、タリエは思っているのだろう。
日本で育った俺やウイからすると、それは当然の事だ。
だが、この世界に来てわかった事もある。
消費するために働き、それだけを繰り返す日々は酷くつまらない。あのまま学校に通って、いつか就職して嫁でも貰う。考えただけで憂鬱だ。
もし日本に戻してやると言われても、今の俺はそれを断るだろう。
「タリエは、何かやりたい事はないのか?」
「ヒヤマの手伝い。それ以外に興味はないわね」
利害の一致。
それだけではなさそうな熱が、タリエの言葉には感じられる。
「ここは暑い。そろそろ、ハンキーに乗りな。ミツカに送ってってくれるように頼む」
「そうね。仕事はいくらでもあるだろうし、もう行くわ。頑張ってね」
「ああ。じゃあ、夜にな」
仕事があって羨ましい。
そう思いながら、タリエを見送った。
(ミツカ。悪いがタリエを空母まで送ってくれ。ついでに休暇もな)
(了解。ここのトイレはかなりキツイから、ありがたくそうさせてもらうよ)
男子トイレは、土を掘った穴が並んでいるだけの、個室さえないものだった。
女子トイレもそうなら、うちの女連中には辛いだろう。
ハンキーが動き出すと、市場の人間達が空を指差して歓声を上げた。
「おいおい、なんつー静音性だよ・・・」
「もうヘリじゃなくて、別の秘密兵器ですね」
「闇夜に紛れて爆撃なんかも出来るヘリか。とんでもねえなあ・・・」
それどころか、あのヘリは強化外骨格パワードスーツを4機も積める。
深夜に敵陣の背後でそれを降ろして開戦となれば、敵の規模が倍でも勝つのは容易いだろう。
「アポカリプス教国さえ敵に回らにゃ、なんとかなるかな」
「南の大国ですか。交易でも出来るなら、お互いに益はあるんですよね」
「ああ。そのうち砲台島の長老に、地下鉄がどこまで続いているか確認しなきゃな」
「行く先を決めるのが、ボスの仕事です。大変だとは思いますが、頑張って下さい」
「そんな考えはなかったな」
「さっき、俺には仕事がないのに、って顔をしてましたからね」
「言うようになったなあ。ありがとよ、たーくん」
癖で頭を撫でると、たーくんは純粋そうな子供の声で、くすぐったそうに笑った。