第24部
彼女が死んだ後、私は酷く後悔した。私がその日に彼女の事を誘って寄り道でもしようなど言わなければ彼女は死ななかったかもしれないのに。それなのに、私が彼女を元気付けようとしたばっかりに取り返しのつかない事になってしまった。
その事故から暫くの間、私は何も手が付かない状態になった。何をしても上手く行かず、何をする気分にもなれない。この時、私は思い知った。私の中での彼女の存在がどれ程大きな物だったのか、を。そして、同時に私は心の中で強く祈った。『もう一度だけでも良い。もう一度だけ、彼女の笑顔を見たい』と。
そこで私はありとあらゆる手段を模索した。どうにかして彼女ともう一度だけ会えないか。その方法は何か無いのか。ただひたすらにそれだけを目的として、残りの高校生活とその後の数年間を費やした。しかし、結果は失敗。いや、それ以前に死者を蘇らせたり、死者にもう一度会うなんて事出来る訳がなかったのだ。
私は挫折し掛けていた。せめて、もう一度だけ彼女に会ってその笑顔を見て、そして、一言だけ謝りたかったのに、それすらも叶いそうにない。何もかもがどうでも良くなって行くのが、自分自身でよく分かった。
その時だった。ふと私の脳裏に一つの考えが浮かんだ。『死者を蘇らせる技術が無く死者と会う事が出来る技術が無いのなら、時を遡れば良いのではないか』と。
これまでにもありとあらゆる可能性を実行して来た私にとって、その案は駄目元でも縋りたい一つの新たな可能性だった。私の知りうる限り、この世界においてその方法はまだ誰も成功させていない。だったら、私がするしかない。そう考え至った私はすぐにそれを行動に移した。
大学在学中からその為の勉強と研究を続けた。周囲の人間に相手にされなくとも、私はそれを成功させる為の手段を模索した。そして、行動開始から八年後、私はようやくそれを成功させる事が出来るかもしれない理論を組み上げる事に成功した。
これまでの科学技術の常識に捕らわれない新たな可能性を模索し、簡単な思考実験とある程度の簡易的な実験を幾度も繰り返し、ようやく成功させたのだ。
だが、私はそこで重要な事を思い出した。理論を組み上げた所で、それを実際に実行出来なければ意味が無い。時空転移装置を組み上げるにも莫大な費用と労力と時間が必要だと言う事は容易に想像が付いた。とてもではないが、一社会人が一生を掛けても完成は出来ないだろうとすら思える程に、だ。
しかし、私は今度は諦めなかった。これまでのありとあらゆる可能性はことごとく失敗に終わったが、今回ばかりは違う。長い年月を掛けて完成させた理論がすぐ目の前にある。これさえ完成させれば、過去に行って過去を少しだけ改変させ、少なくとも彼女の命だけは救う事が出来るかもしれない。だったら、諦められる訳がない。
私は自分が組み上げた理論をどこかしかるべき研究機関に託して、その完成を手伝って貰う事にした。現在も時空転移について研究している機関に頼めば喜んで引き受けてくれるだろう。私も時空転移装置の開発・実験を手伝って貰えるし、機関側も情報を得る事が出来て、双方の利害が一致するはずだ。そう考えた。
そこで、私は『Time Technology』と言う時間について研究しているらしい、科学結社と言う組織にそれを依頼した。ある程度の説明をして、私が組み上げた理論を読み終わったらしい、当時の統率者は喜んで私の頼みを聞いてくれた……かの様に思えた。実際には、私のその喜びはその場限りの物であり、私は奴等にはめられていたのだと言う事を後々になって知る事になる。
当時の『Time Technology』は『時間を研究している科学結社』と言う事を掲げているだけのただのタイムトラベル信仰者達の集まり程度でしかなかったのだ。彼等は当然ながら、タイムトラベルを信仰するだけの存在で、成功させようだとかもっと調べようと言った考えは持っていなかったらしい程で、他の科学結社からも見下される酷い有様だったらしい。
その時に、私がそんな腐り切った奴等に対して餌を与えてしまった。『この世界において最もタイムトラベルする事が出来る可能性が高い理論が記されている資料』と言う餌を。
当然、彼等は私からその理論が記された資料を奪い、自宅に置いてあったバックアップのデータまで全て奪って行った。理論を組み上げたからと言って、電子データに保存する事に完全に頼っていた私はその理論の全てを脳内に記憶している訳も無く、これからどうすれば良いのか、何も分からなくなった。
今度こそ、何もかも終わりだ。私は信じたくない現実を目の前に、そう確信してしまった。
そんな時だった。当時生活と研究の為だけに教師をしていた私の所で『別の高校へ移って貰いたい』と言う所謂転勤の知らせが届いた。これからの人生、意味を成すものなどある訳が無い。全てに絶望し、虚無感の中、私は転勤先の高校である『英理親和学園』と言う化け物が通う様な天才高校へと移った。
そして、私はそこで照沼湖晴と杉野目施廉、そして、お前上垣外次元と出会う事になる。」
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「さて、ここまでが私の過去になるのだが次に……ん? どうした上垣外。何、難しい顔をしている? ああ、そうか。『この世界のお前』は知らない事だったな。お前はおそらく、私と会うのはここで初めてのはずなのに何故私の過去にお前が出て来るのか、そう聞きたいのだろう?
先程から何度か言っているはずだ。『この世界のお前』は知らない事が幾つかある、と。私と湖晴のそれぞれの過去にお前が登場する理由等についても後々説明する。だから、今は黙って説明を聞いておけば良い。
では、次は湖晴の過去だが……先程も言った通り、湖晴は自身の両親を殺害している。とは言っても、それは湖晴自身の本当の両親ではない。湖晴の引き取り手である義理の両親だ。それらの原因についても教えてやろう。
照沼湖晴と言う少女は、実の両親の顔を知らない。と言うのは、湖晴は生後半年くらいだろうか。それくらいの時期に実の両親によってあるコインロッカーの中に捨てられた。もう随分と前の出来事になるが、昔もそう言う事が流行った時期があってな。ようは、それと似た様な状況だった訳だ。
湖晴は生後半年足らずにして実の両親の顔を記憶するよりも前にコインロッカーの中に捨てられた。本来ならば、この時点でほぼ死亡は確定していると言っても過言ではなかっただろう。しかし、幸運にも湖晴は心優しい一人の女性に捨てられているのを見付けられ、育てて貰える事になった。
こればかりは湖晴の強運が成せた業だとは思う。しかし、これが後々の悲劇を生むなどとは、当時の湖晴も湖晴を拾った女性も思ってはいなかった。
湖晴を拾った女性は湖晴を拾ったその時はまだ独身であったが、赤ん坊を育てる為には資金が必要であると判断し、その僅か一ヵ月後に中規模の会社を経営している男性と結婚した。その相手の男性が湖晴がいる事について納得していたのかどうかまでは分からないが、とにかく、それ以降湖晴は義理の夫婦二人に我が子の様に大切に育てられた。
しかし、そんな幸せが長くは続かないのがこの世界の非情だった。湖晴がその女性に拾われてから三年くらい経った頃、不幸にもその女性は仕事帰りに交通事故で死亡した。つまり、湖晴は唯一自身の事を大切にしてくれていた存在を失った事になる。
それからと言うもの、湖晴は酷い人生を歩む事になる。
その女性が死亡した後、結婚相手である男性は人が変わったかの様にそのストレスを湖晴にぶつけた。詳しくは聞きたくないとは思うが、それは家庭内暴力、即ちDVだったのだ。湖晴はそれまで大切に育てられていた事を何一つとして忘れてしまうくらいに、その男性から酷い仕打ちを受けた。
そして、湖晴を拾った女性が亡くなってから一年後、その結婚相手だった男性が再婚し、湖晴への暴力はより一層酷い物へとなって行った。
何故この時、その男性は湖晴の事を児童擁護施設等に預ける事無く、家庭内暴力をしてまで家の中に置き続けていたのか。その正解は私にも分からないが、おそらく湖晴を拾った女性への未練が残っていたとかその様な理由ではなく、ただ単純に預ける為の理由が整理されていなかった為に受け入れ拒否をされたのではないかと思われる。
小学生になった湖晴への周りからの身体的、精神的な暴力は更に強まる。幼少期から義理の両親からDVを受け続けていた湖晴は他人とのコミュニケーションがほぼ出来ない様な状態にあり、同世代どころか義理の両親を含めた大人のほぼ全員から見放されていた。
更に、湖晴の義理の父親が経営していた中規模の会社には闇社会と関わっているだとか、麻薬等の運び人を匿っている等の良くない噂が流れており、それが湖晴の信頼を周囲から失わせた大きな要因だと思われる。
湖晴に居場所は無かった。家では義理の両親二人から毎日の様に暴力を受け、満足に衣食住も出来ない様にされ、ただひたすらに雑用をさせられる。学校では同世代の大半から過激な虐めを受け、友人なんて一人も出来ず、大人はそれを止めもしない。
一つの悪い噂が別の悪い噂を呼び、それらが更に湖晴の首を絞めて行った。想像するだけで湖晴がどれ程辛い状態にあったのかが分かる。毎日毎日が楽しみも面白みも無く、苦痛と絶望しか待っていない世界。耐える耐えない以前に、当時の湖晴はその状況を打開しようと裏では必死に努力をしていた。
自分の能力が高ければ、周囲の人達は認めてくれる。自分の頭が良くなれば、義理の両親はきっと自分の事を見直してくれる。自分が運動が出来る様になれば、クラスメイトはきっと自分の事を仲間にいれてくれる。そう信じ続けて、湖晴は酷い生活の中、努力を続けた。
しかし、その努力も結果的には逆影響にしかならなかった。いくら頭が良くなっても、いくら運動が出来る様になっても、それはただ単純に周囲からの妬みを買うだけになり、誰もそれを認めなかった。むしろ、そんな湖晴を苦しめようと家庭内暴力と虐めはより一層酷くなって行った。
だが、当時の幼い湖晴はそんな事など分かりもせず、家庭内暴力と虐めが酷くなればなる程、余計に努力を重ねて行き、それが更なる妬みを買って行った。まさに、負の連鎖だった。湖晴はただ周囲に認めて欲しかっただけなのに。それなのに、湖晴は自分で自分の首を絞めているに過ぎなかったのだ。
そして、そんな湖晴が小学六年生になった時、湖晴は一つの学園の事を知る。