第23部
杉野目が何かを開始して、それを察知した俺と湖晴が二人で玉虫先生を探し始めてから、およそ三十分が経過した。正確な経過時間は分からないが、おそらくそのくらいで合っているだろう。そんな時、俺と湖晴は一つのドアのすぐ手前に立っていた。そのドアのすぐ隣には『玉虫哲』と書かれており、つまり、このドアの先の部屋には玉虫先生がいるのであろう事が分かった。
どうやら、杉野目はまだこの部屋にまでは辿り着いてはいないらしく、研究所内のこことは別の場所から度々爆発音が聞こえて来ていた。あの爆発音はやはり物騒であり、今が非常に危険な状態にある事を示す証なのだが、それと同時にそれは俺達の近くに杉野目がいない事も指し示しており、この付近のみは一応安全である事も教えてくれていた。
俺と湖晴が立ち竦んでいたその部屋に来るまでに俺達二人は数え切れない程の部屋を確認して来た。そして、それらの部屋には俺がこれまでに見た事もない様な物ばかりが置いてあった。玉虫先生が時空転移装置であるタイム・イーターを開発したと言う事は湖晴から聞かされていたが、それでもやはり、その研究にはこれ程までに様々な物が必要になると言う事を思い知らされる程だった。
まあ、あれこれ考えていても仕方が無い。一刻も早く玉虫先生に『杉野目が命を狙っているかもしれない』と言う事を伝えなければ。確証は無いが、その可能性がある以上、伝えないよりは最悪の事態を回避出来る事だろう。
そして、俺は湖晴の方を向いて一瞬だけ目を合わせた後、湖晴の手を握っていた左手ではなく、空いていた右手でドアを開く為のスイッチ(?)の様な四角いボタンを一度だけ軽く押した。すると、目の前にあったそのドアは俺達から見て左側へと引っ込んで行き、それと同時に部屋の内部の様子が露になった。
「……!」
その部屋の内部は決して広い空間ではなかった。奥行きがかなりある訳でもなく、横幅が大きい訳でもなく、天井が高い訳でもない。一般的な学校の教室一つ分……いや、流石にそれよりはもう少し大きめか。
しかし、その決して広いとは言えない一つの部屋中には大量のコードが太い物から細い物まで多種多様な物が多く存在し、大型の電子機器類もひしめき合っていた。そして、そんなごちゃごちゃとした印象を受ける電子機器類にそれぞれ取り付けられているモニター等以外の明かりが点いていない薄暗い部屋の一番奥、正確にはこの部屋の一番奥にある『何か』の手前に一人の男性が立っていた。
部屋の内部から既に何かヤバイ雰囲気を感じ取っていた俺だったが、そんな事を口に出すよりも前に俺は別の事を確信した。その『何か』の手前に立っている人物は、湖晴の命の恩人であり、杉野目がその命を狙っているであろう『玉虫先生』だ、と。
何故なのか、次に何を話せば良いのかが分からなくなった俺はその場に立ち竦み、同様にして、湖晴も俺の手を握りながら俺の隣で立ち竦んでいた。すると、その数十秒後、不意にその男性が俺達の方を振り向く事無く声を発した。
「湖晴。そして、上垣外次元。よくここまで来てくれた。感謝する。」
「え、えっと……」
『何故俺の名前を知っているのか』とか『何に感謝しているのか』等の質問をするべきなのか、それとも早速本題に入るべきなのか、いや、それともやはりこの男性が年上なのは間違いないのだから挨拶からするべきなのか。俺の脳内で考えが纏まらないままに、その男性は続けて話し掛けて来る。
「上垣外。私の名前はわざわざ言うまでもないかもしれない。おそらく、湖晴から聞いている事だろう。私が、玉虫だ。」
やはり、その男性は湖晴から何度か聞かされていたあの玉虫先生だった。だが、湖晴から話を聞いていた俺のイメージとは幾つか異なる点がある。研究衣を着ている事や別に悪そうな人ではない事は何と無く分かるが、もう少し若いかと思っていた。いや、声を聞く限りでは三十代から四十代くらいだと思うが、そう言う意味ではない。
話し方がやけに落ち着いており、こちらの考えを全て見通している様な、そんな印象すら受けた。そして、玉虫先生の髪を見ても分かる通り、日頃の疲れが滲み出ている様だった。元が何色だったのかは分からないが、その髪は今では薄い灰色となっていたのだ。
「湖晴。」
「は、はい!」
「これから少し、上垣外と話したい事がある。だから、湖晴は暫くの間、部屋の外で待っていてはくれないか? 何やら、余計な来訪者もいる様だしな。」
「……分かりました」
玉虫先生がそう言うと湖晴は素直に頷き、俺に耳元で『また後で会いましょう』と一言だけ呟いて俺の頬に一度だけキスをした後、繋いでいた手を離して部屋の外の廊下へと出た。対する俺は突然の事に多少なりとも驚いたものの、湖晴が廊下へと出たのを確認した後、玉虫先生がいる方向へと歩み始めた。
すると、何の前触れも無く、唐突に玉虫先生が俺に話し掛けて来る。
「上垣外。それでは、本題に入ろうか。」
「はい……あ、でも……本題って……」
「まあ、『覚えていないのも無理はない』。安心しろ。これから、私が順に説明して行く。」
「はぁ……」
玉虫先生は俺の考えを見透かしていて、その『本題』が『杉野目から逃げる』と言う事なのか、それとも『これからの湖晴について』と言う事を指していたのかは分からない。だが、次に玉虫先生が俺に対して発したその台詞はそのどちらでもない、全く異なる物だった。
「上垣外。今からお前に一つ、手伝って貰わなくてはならない事がある。私の……いや、一人の人間を救って欲しいのだ。」
「俺に?」
「ああ。だが、先程も言った通り、お前はその事についての記憶が無いはずだ。だから、まずはこれまでの経緯について順に説明して行く。多少話が長くはなるかもしれないが、おそらくお前はそれを説明しない限りは納得してはくれないだろうからな。」
玉虫先生がこれから何を話そうと言うのか。いや、それよりも前に、俺に『一人の人間を救って欲しい』だって? しかも、俺の記憶の一部が無いだとか、話が長くなるだとか、何を言っているのかよく分からない。まあ、それらについてもこれから説明してくれるのだとは思うが。
そして、玉虫先生はようやく俺の方へと顔を向け、説明を開始した。玉虫先生の顔は一般的な三十代から四十代程度の普通の男性の物でありながら、その顔からは明らかに疲れが滲み出ていた。髪色や雰囲気等の様子からも大方予想がついていたが、もしかすると、玉虫先生はその『俺に救って欲しい人』を助ける為に何らかの研究をしているのかもしれない。
とやかく考えていても仕方無い。遠くの方から聞こえて来る爆発音の元、俺は黙って、玉虫先生の次の台詞を待った。
「まずは、私の過去や湖晴の過去について話そうかと思うのだが……やはり、お前はまだ知らない様だな。当然と言えば当然か。それを言ってしまえば、『湖晴は上垣外からの信頼を失う事になる』のだからな。」
「え……?」
玉虫先生のその台詞にいち早く反応したのは俺ではなく、部屋の外の廊下で立って待っていた湖晴だった。湖晴のハッと言う様な声に気が付いた俺は、その湖晴の方向を見た。湖晴の表情は驚きと焦りに満ちており、遠目に見ても、その顔に汗が浮かんでいる事が分かった。
「先生……? 一体、何を……」
「上垣外。よく聞け。照沼湖晴は……、」
「駄目ええええええええ!!!!」
玉虫先生のその台詞を遮るかの様に、俺がこれまでに聞いた事の無いくらい大きい湖晴の叫び声とほぼ同時に、湖晴は俺と玉虫先生がいた部屋の中に入ろうとした。しかし、その直前、先程まで開けっ放しになっていた入り口のドアが勢い良く閉まり、湖晴が部屋の中に入ろうとするのを防いだ。
部屋の外からは湖晴の叫び声とドアを力強く叩く音が聞こえて来る。何があったのか理解出来ないまま、その場に立ち竦む事しか出来なかった俺に対して、玉虫先生はその台詞を続けた。
「照沼湖晴は『自身の両親を殺害した』。」
俺の理解が追い付かないまま、話は進む。ただただ静かに、しかし、確実に。俺と湖晴の幸せだった時間を片っ端からぶち壊して行くかの様に。そして、『上垣外次元』と言うこの俺が何故ここにいるのか、その存在意義を明かす為に。
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「まあ、驚くのも無理はない。わざわざこんな事、言うべきでもなかったのかもしれないが、如何せん、これからする話にも出て来るものでな。
上垣外。それでは、話を始めようか。湖晴の過去の過ちは話の導入として使わせて貰っただけだが、今からする私の話のすぐ後にその続きを話す。だから、真相を知りたい気持ちも分かるが、もう暫く我慢しておいて貰う。
それは、今から二十年前の事だった。この世界においての時間的にも丁度二十年前の九月三十日の今日。私がまだ高校生の頃の話だ。
当時、私は友人は多くもなく少なくもなく、特別運動が出来る訳でも勉強が出来る訳でもない、比較的平凡な高校生だった。そこの所は上垣外と似た部分があるが、それと同時に幾つか異なる点もある。だが、その話をしていると、予定よりも更に話に時間が掛かってしまうので省かせて貰おう。
そして、そんな私には一人の仲の良い幼馴染みがいた。小学生くらいの頃にあるきっかけで知り合い、それぞれの自宅はそれ程近くはなかったものの、何故か高校生になった当時までずっと仲の良い関係となっていた。少なくとも、私個人の中ではそう思われた。
彼女は体が弱く、度々入院・退院を繰り返しており、学校にはあまり来れてはいなかった。それにより、当然ながらクラブ活動に入る事も出来ず、時々登校して来たかと思ってもあまりクラスメイトと馴染めている雰囲気ではなかった。
私はそんな彼女の事が放っておけなかったからこそ、それで、よく話したり、彼女が入院していた病院にいってお見舞いをしていたのかもしれない。この事も既に、随分と昔の話だからな。今となってはあまりよく思い出せない。
彼女は友人と呼べる人間は私以外にはほとんどいなかったらしく、私が話し掛けると何かの病気に体を蝕まれている事を悟らせないくらい気軽に、いつでも返事をしてくれた。
そんな彼女が約一ヶ月程度の入院生活を終えて、久し振りに高校へと登校して来た。やはり、誰とも馴染めていない様子で、教室内での彼女は浮かない顔をしていた。私はクラスメイトの友人と話しながら、全く楽しそうにしていない彼女の姿を見つつ、一つの事を思い付いた。
何か、彼女に元気を出させる事が出来る事をしよう、と。何でも構わない。次また、入院するよりも前に、それよりも後の退院後の生活が待ち遠しくなる様な楽しい事をしよう。高校生らしい、一人の友人としての何かをしよう。私はその様に考え、それを実行に移した。
その日の放課後、私は当時所属していたクラブの活動を休み、予定通り彼女を誘って『帰り際に寄り道でもしないか』と言った。彼女は私からの申し出を断る事無く、二つ返事で承諾してくれた。
しかし、これがそもそもの間違いだった。
私と彼女はそれぞれが普段通る道とは異なる道を歩いていた。当時の私はまだ行き先は決めていなかったが、それはこれから決めれば良いと思っていた。彼女と二人で歩きながら、他愛も無いどうでも良い様な事を話して、歩き続けた。
そして、当時の私の中で大方の目的地が決まり、そこへ行く為の横断歩道を歩いている時だった。その時の歩行者側の信号は青であり、車道側の信号は赤だった。
突然、彼女が私の体を彼女の出せる精一杯の力を込めて両手で押し飛ばしたのだ。不意を付かれた私は普段ならば押し飛ばされる事なんてないかもしれないが、その時ばかりは勢い良く三メートル程度前方へと飛んだ。それと同時に、私と彼女の周りにいた人達の唖然とした様な表情も見えた。
その表情が何を意味しているのか、私はそれに気付く事が出来ないまま、地面に座り込んでいた。直後、私の後方に何か大質量の物体が勢い良く通り過ぎたのを感じ取った。私の顔面に力強い風が当たり、髪がなびく。周囲に植えてあった幾つかの樹木もその風に逆らう事無く、同様になびいていた。
何だ? 何が起きた? 私は何故彼女が私の体を突き飛ばしたのか、周囲の人達は何に驚いているのか、今の凄い勢いの風は何なのか。それらについて彼女の方を振り向いて確認しようとした時、私と彼女の周りにいた何人かの人達が大きな悲鳴を上げた。
私はその悲鳴を聞き、すぐさま彼女の方を見た。しかし、そこには既に彼女の姿は無く、どこから来たのか分からない大型トラックが一台、大きく横転していた。そして、そのトラックの通ったらしい道筋には大量の赤い液体がグロテスクにばらまかれて綺麗に線を描いていた。
当時の私はその状況についてすぐには理解出来なかった。しかし、この事についての結論だけ述べる。
一台の大型トラックの運転手は夕方にも関わらず飲酒運転をしており、最早運転など出来る様な状態にはなかった。そんな時、そのトラックが通り掛かったのが私と彼女がいた横断歩道。私は彼女との会話に夢中で迫り来るそれに気付く事が出来なかったが、いち早くそれに気付く事が出来た彼女は私を救う為に私の体を弱いその力で突き飛ばした。
その結果、私は間一髪の所でその大型トラックに轢かれずに済んだ。だが、それと同時に、私を突き飛ばした事により逃げ遅れた彼女はその大型トラックの質量とスピードに押し潰された。
つまり、彼女は私の代わりに死んだのだ。