第20部
最近増加傾向にある中高一貫校であり、その偏差値が日本全国の中学校・高等学校のそれぞれ上位三位には入ると言われており、その中でも唯一飛び級制度が認められている『英理親和学園』。ここには、所謂『天才』だったり『秀才』だったりと呼ばれている、一般人では到底出来ない様な事を難無く簡単にこなしてしまう、人外的な技能を持っている人間しか入学する事が出来ない。
なので、大抵の場合は、生徒本人の能力が高い事は大前提として、中等部から入る場合は小学校の、高等部から入る場合は中学校の教師からのコネが必要だったり、裏では学校側に対する買収工作が行われていたりもする。まあ、この学園に入るだけでそれ以降の生活(就職先)が保障されてしまう程の有名天才名門校だから、入学する為には何でもすると言う人間は後を絶たない訳だ。
大抵の私立校では勉強専門の生徒とスポーツ専門の生徒に分かれる場合が多いけれど、この学園はそうではない。勿論、中にはそう言う生徒も少なからずいるけれど、ほとんどの生徒はその両方に特化している為、根本的にわざわざ二つに分ける必要が無いのである。
中等部・高等部の入学試験の倍率は毎年、それぞれが共に二桁を上回る。どれ程能力が高くても、どれ程裏で買収しようとも、その高過ぎる倍率が生徒達を完璧に選別する。これまでずっと『天才』『秀才』と呼ばれて来た人達すらも簡単に落ちてしまう可能性は低くはない。
難し過ぎると言う一言では言い表せない程の、筆記試験。それをするだけで、その日の体力が無くなってしまいそうになる程辛くて苦しい、実技試験。何が正解で何が間違いなのか分からなくなる、又、『世界のあらゆる事象』と言う広過ぎる試験範囲を持つ、常識診断。入学試験はこの三つを行うが、その辛さから途中で逃げ出したり、何かの原因で死亡したりする者も出る程で、一種の社会問題にも成り掛けた事もあった。
そして、そんな合格困難な試験に受かった何十人に一人の生徒達が、再びこの学園の中で競い合う。毎年、飛び級をする生徒が数名存在するのに対し、落第するものはその十数倍にも及ぶ。つまり、それまでは『天才』『秀才』と呼ばれていても、この学園の中ではそんな称号は無意味と化すと言う訳だ。この学園の中で力のある者は更なる高みへと行き、力の無い者は落ちて行く。ただ、それだけの事。
こんな感じで名門と言われつつもその実態は狂い切っているこの学園の方針だからなのか、それとも、別の原因なのか詳しい事は分からないけれど、当然ながらこの学園に来てから自分の能力の低さに嘆き、他人に劣等感を抱く者は少なくない。当然だ。それまでの環境では自分がトップだったのに、今の環境では下位なんて事になれば、嫌気が差すのも分からなくはない。
しかし、そんな事で全てを投げ出してしまうと、そこで人生が終わってしまう。だから、投げ出せない。逃げ出せない。心に余裕が持てない。自分の心の闇を晴らす時間は無く、安息の地なんて何処にも存在しない。
その結果、この学園では学園内の至る所に設置されている監視カメラや数十人にも及ぶ警備員の見回りと言った様な完全完璧な警備体制を誇っているにも関わらず、その裏で他人に劣等感を抱いた生徒達はその賢い頭脳を悪い意味で生かして警備体制を潜り抜け、気の弱い上位の者に対して心身共に深刻なダメージを与える。しかし、それを何が起ころうとも絶対に誰にも気付かせないと言う陰湿で且つ高度な『いじめ』が多発していた。
当時の私は一応合格範囲内の成績として合格して、この学園に高等部から入学した。それからは更に勉学に励んだ結果、高校一年生初期にして高校三年生のクラスへと飛び級する事になってしまっていた。その結果、入学早々に飛び級をしたせいで周囲にいた元々高校三年生の生徒達の妬みを買い、いじめを受けていた。
元々気が弱く、異性はおろか他人と話す事にすら抵抗と不安があった私は、私にいじめをして来る上級生に対して何も言い返す事が出来なかった。でも、それが幸いしたのか、それともただの結果論なのか、他にいじめを受けていた人達よりは大分マシな状況だったらしい。
それでも、私は心身共にボロボロとなり、誰にも説明出来ない陰湿で考え込まれたいじめにうんざりし、いっその事学校を辞めてしまおうか悩み苦しんでいたそんなある日もまた、いじめを受けていた。最早、いじめと言うよりもリンチに近いそれの最中。それが私と彼の出会いだった。
「おい! お前等! 何やってるんだ!」
制服を着ていても肌が露出される顔面、肘から指先まで、膝から足先まで、以外の部分をひたすらに蹴られ、殴られ、制服で隠れている所は痣だらけになり、内臓の幾つかが破裂したのではないかと思ってしまう程の痛みを感じているその時、私を虐めていた上級生数名とは別の人物の声が聞こえて来た。
全身に走る痛みと全てに嫌気が差す絶望の中、今にも意識が途切れてしまいそうになりながらも、私はその声の主の方向を見上げた。そこには、私同様に高校一年生の年齢(十五・十六歳)ながらも飛び級して、高校三年生のクラスに紛れて所属していた一人の男の子の姿があった。
外見は最近の若者にしては珍しく、あまりぱっとしない。街中で一瞬すれ違っただけならば、その数秒後にはすっかり忘れてしまいそうなくらいに印象が薄い。黒髪で、短髪で、身長は中の上くらい、太っている訳でも細い訳でもない。とにかく、特徴と呼べる特徴が無い男の子だった。
その男の子の明らかに怒っている表情を見た、私を虐めていた上級生数人は地面に横たわる私の方向から体の向きを変え、その男の子の方向へと向けた。
「あ? 何だ、上垣外。お前もこの女みてぇに痣だらけになりてぇのか?」
「俺はどうなっても良い! ……だが、何でその子を虐めるんだ! その子が一体、何をしたって言うんだ!」
「お前は学年二つも上がって来た割には成績は何時でも最下位だったから、絞める対象にはして来なかったが、俺達に反抗するならば、仕方ねえ。ボッコボコにしてやるよ」
次の瞬間。私を虐めていた上級生数人の内の一人が彼の元へと歩いて行き、いきなりその膝が彼の腹部に勢い良く直撃した。端から見ても、それは非常に痛そうであり、その後地面に崩れて行く彼の姿を見ていると、更にそれを実感出来た。
それから約五分間、私はどうする事も出来なかった。彼が地面に横たわり、上級生達に蹴られても殴られても唾を掛けられても、罵声を浴びせられても、声一つ掛ける事が出来なかった。守ってあげる事が出来なかった。何もする事が出来なかった。
外見的には傷一つ無いけど、実際には肋骨の二、三本くらい折れてしまっていそうな重症を負っているはずの彼はぐったりと力無くその場で倒れていた。そんな彼の姿を見た上級生達は気が晴れたのか、彼に適当に唾を吐いた後、何処かへと歩いて行った。
私は痣だらけになった身体を力ずくで動かし、床を這い蹲って、彼の元へと辿り着いた。
「……あの……」
「……」
返事は無い。彼のまぶたは固く閉じられており、もう二度と開かないのではないかと思ってしまう様にその顔には生気が無かった様に思えた。だけど、暫く私が彼の身体を揺すっていると、突然彼の目が開き、起き上がった。
「……ハッ!」
「わっ」
「大丈夫だったか!? あいつ等はもう、何処かへと行ったか!?」
「……え……?」
彼は起き上がるなり、早々にそんな事を私に向けて言った。彼の身体の方が、私よりも深刻なダメージを受けているはずなのに、そんな自分の事なんて一瞬も心配する事無く、彼はそう言った。人と話す事が苦手だった当時の私は、ごもごもとした聞き取り難い口調で返事をした。
「……え、えっと……はい……なんとか……」
「そうか……良かった……って! 痛っ! 腹痛っ!」
私の心配をしていたのが、私のそんな台詞で気が緩んだのか、突然彼は自身の腹部を抑えて苦しみ始めた。まあ、当然と言えば当然かもしれない。それ程までに彼は上級生に暴行を加えられていたのだから。
「……とまあ……俺、体だけは丈夫だからな。そんな演技はさておき」
「……」
どうやら、彼本人は痛みに対して耐性があるのか、あんなに酷い暴行を受けたにも関わらず、さっきの痛がりは演技だったらしい。何だ。心配して損した。その時の私はそう思った。
「酷い奴等だよな。女の子を虐めるなんて」
「え、えっと……その……」
「どうかしたのか? 何処か怪我をしたのなら、保健室まで背負って行ってやるけど」
「えっと……」
人と話す事が苦手だった私は私の事を助けてくれた彼に対して『ありがとう』の一言も言えなかった。さっきの上級生からのいじめの際に喉を潰された可能性もあったけど、多分それは無関係だ。つまり、私は自分の意思でそんな他愛も無いたった五文字の日本語すら言えなかったのだ。
「……?」
顔を俯けてもごもごと独り言を言う私の事を、全身ボロボロになった彼はじっと見つめていた。異性にこんなにじっと見られる事は初めてだったので、そんなに見つめないで欲しかったけど、結果的にはそれが影響したのか。数分後、遂に私は勇気を振り絞って、その一言を言えた。
「……た、助けてくれて……ありがとう……」
「おう……って、まあ、俺も結構蹴られたりしたし、杉野目さんの事も完全には助けられなかったから、『助けた』とは少し違うかもな。俺がもっと早く来ればなんとかなっていたかもしれないけど」
「……そ、そうだね……」
彼はそう言った後、立ち上がって、制服に付着していた埃を手で払った。自分のした事について何も偉そうにしない彼に対して、私は再び勇気を振り絞り、彼に話し掛けた。
「えっと……何か、お礼をさせて下さい!」
「え? お礼?」
「は、はい!」
あのまま上級生からのいじめを受け続けていたら、多分私は自殺をしたか、学校を辞めていただろう。でも、もしかすると、これからは彼がいるから生きて行けるかもしれない。そんな風に思えた。つまり、私にとって、彼は人生の救世主だったのだ。救世主にはやはり、何かお礼をしたい。
ヒーローとかそう言う類の者に対して少なからず憧れを抱いていた当時の私は、何の迷いも無く、そう言った……けど、彼の方はそんな私の台詞が予想外だったのか、迷惑だったのか、一瞬驚いた様な表情をした後、逆に困った様な表情になってしまった。
「お礼……お礼か……そんなつもりでしたんじゃないんだけどなー」
「物がいらないのでしたら、私自身はどうでしょうか!」
何に対して血迷っていたのか、私はそんな事を言ってしまった。その言った対象が彼ではなく、別の男性だったのなら私の女としての価値はその場で終了していた事だろう。まあ、彼でなければそもそも私の事を救ってなんてくれなかったと思うけれど。
「いやいや、流石にそれは不味いだろ。と言うか、俺には……言う必要も無いか」
「?」
彼は何かを言い掛けたが、私には言うべき事ではないと判断したからなのか、その続きを言う事は無かった。私がそんな彼の事をじっと見つめていると、その代わりに、別の言葉が返って来た。
「それじゃあ、もしこれから先、杉野目さんが困った事があったら呼んでくれ。それが俺からのお願いだ」
「え……? でも、それだと……」
「俺の特にならないって? まあ、杉野目さんからするとそうかもしれないけど……あ! じゃあ、これも付け加える」
私が不満そうな表情をして彼に別の意見を出して貰おうとした時。彼は一瞬考えた後に続けてこう言った。その一言がこれから先、私の体感時間ではおよそ数百年にも渡って、私の中の強い信念になるなんて事はこの時はまだ誰も知らなかった。
「『俺が困っていたら、杉野目さんが助けてくれ』」
これがこの私杉野目施廉と、上垣外次元君の、唐突に起きた出会いだった。それからと言うもの、私はずっと彼の事が気になり、彼の事を一つ一つ詳しく調べる様になった。でも、私が助けが必要な時は彼に迷惑を掛けまいと彼の助けを呼ぶ事はせず、一方の彼は特に助けが必要な状況ではないみたいだったので、この一件依頼、私と彼の間に会話は無くなった。
でも、その数ヵ月後、彼は最愛の女性を失い、この世界全てに対して絶望する事になる。私はそんな彼の事を助ける事は出来なかった。彼の為に何かをしてあげようとしても、彼はその最愛の人ともう一度会うべく、玉虫哲と言う担任教師と共同で研究をしていた。その最愛の人が生き返ってしまえば、私のこの想いは絶対に彼に届かない。そう感じた私は幾度にも渡って、その研究を妨害し続けた。
それから一悶着があり、この世界は終焉を向かえ、特定の人物のみ新たな世界へと旅立った。新たな世界では、私は彼の事を守り続けた。何度も何度も何度も何度も。彼のあの一言だけはずっと守り続けたいと思えたから。だから、彼が助けを必要としているその場に現れ、彼の事を救った。
彼の命を何回も蘇生させた。
そして、遂に、ようやく私の目的は達成される。彼をあんな状態にし、辛い境遇に追い込んだ張本人を消す事が出来る。これで、何百年にも渡る私の戦いは終わる。やっと、彼はあいつの呪縛から解き放たれ、全てが元に戻る。そう。私の目的、それは……、
『上垣外次元君を助ける為に、玉虫哲を殺害する事』。