第19部
杉野目とこの世界の異常について話した事により、俺は自分がこれからどうすれば良いのかが何と無く理解出来た気がした。この世界の異常を解決し、皆が幸せに暮らせるかもしれない、そんな世界を目指せるのだ。
杉野目は俺にこの世界の異常についての説明をし終わった後、昼休み終了間近で、『杉野目施廉についての詳しい情報を知りたければ、私を玉虫哲に会わせて欲しい』と言って来た。それが、俺が杉野目から聞きたかった最後の情報であり、杉野目自身が最も欲していた事なのだと言う。
俺は杉野目施廉と言うこれまでに幾つもの不可解な言動をして来た少女について、まだまだ聞かなければならない事が多くある。『何故世界の異常について知っていたのか』や『何故過去改変対象者の子達に接触していたのか』や『これまでの不可解な言動と杉野目の目的は何だったのか』等の事を聞いておく必要があったのだ。
そこで、そんな俺に対して杉野目は『玉虫哲に会わせて欲しい』と言う交換条件を出して来たのだ。湖晴の命の恩人であり、タイム・イーターの製作者である玉虫先生に会って何を話したいのかは知らないが、とにかく、杉野目はどうしても玉虫先生に会わなければならなかったらしい。
まあ、多分、杉野目はある科学結社のトップとして、タイム・イーターを製作した玉虫先生にその情報を聞いたり、その他にも様々な事を教えて貰いたいだけなのだろうが、俺と話していた時の杉野目はそんな事よりももっと大事な何かの為にそれを必死に俺に訴え掛けて来た。
だが、一つ困った事があった。そう、俺は玉虫先生とは話した事が無いし、その外見やその他の情報も何も知らない。湖晴の命を助けて、タイム・イーターを作って、過去改変で世界平和を望む心優しい人なのだと言う事は、湖晴からの話で何と無く分かるが、実際の所それ以外の事は何も知らないのだ。
俺がその事を杉野目に言うと杉野目は『照沼湖晴なら知っているはずでしょう?』とさも当然の様に、むしろ俺がそんな事にすら気が付かなかったのか、と言った表情で言われてしまった。確かに、湖晴があれ程までに慕っていて、玉虫先生の研究所とやらにいた事もあるのなら、知っていてもおかしくはないだろう。
そんな訳で俺は杉野目施廉と言うこれまでに幾つもの不可解な言動をして来た少女について知る為に、湖晴の力を借りて玉虫先生に会う事になったのだった。
まあ、予定通りと言ってしまえば予定通りなのだろう。杉野目とのそんな会話が無かったとしても、俺は湖晴に謝る予定だったし、その流れで一緒に言ってしまおう。俺はそう考えて、放課後、音穏や栄長よりも先に帰宅した。
「湖晴……」
俺は帰宅するなり早々に、制服姿から着替える事無く、適当に学生鞄を自室に投げ、湖晴の部屋の前に立った。そして、ノックをした後、部屋の中にまで聞こえる大きさの声で湖晴の事を呼んだ。しかし、返事は返って来ず、その場に数秒間の沈黙が訪れた。
「……湖晴? 寝てるのか?」
挫ける事無く、もう一度だけ続けて湖晴に声を掛ける。だが、やはり返事は無い。部屋のドアを開けようとしても、朝の時と同じく鍵が閉まっているらしい。まさか、今朝俺と喧嘩してからずっと、一歩も部屋の外に出ていないなんて事無いよな?
「湖晴。返事はしなくて良い。無視しても良いし、寝ていても良い。だが、少しだけ耳を傾けてくれないか?」
俺は今朝湖晴に言ってしまった、湖晴の気持ちを考えない酷い台詞の数々を思い出しながら、そう言った。俺はこの世界の誰よりも湖晴の事を想っている。その思いは、誰が何と言おうと俺の本心だ。だから、せめてこのまま何も言えずに終わるよりは、何か一言だけ言っておきたいのだ。
そして、少しだけ息を吸った後、俺は湖晴に語り掛ける。
「ごめん、湖晴」
「……」
「……今朝の俺はどうかしてた。湖晴に心配を掛けまいと、俺は幾つもの事を湖晴に隠していた。まずはその事を話すべきだったのに、湖晴は何も悪くなかったのに、あんなに湖晴の事を酷く言ってしまった。ごめん」
「……」
「俺は、この世界の誰よりも湖晴の事が大事だし、大切だし、これからも一生守りたいと思えた、ただ一人のかけがえの無い女の子なんだ。湖晴はもう俺の事を嫌いになっていたとしても、それだけは、俺のその想いだけは真実だ」
「……」
「俺はもう少し、いや、もっと湖晴の気持ちを考えるべきだった。湖晴が俺に何をして欲しかったのか、湖晴は俺に何を言って欲しかったのか。まだ出会ってから三週間くらいしか経っていないけど、恋人ならそれくらいは分かっておくべきだった。少なくとも、俺なんかよりもずっと辛い思いをして来た湖晴に対しては」
「……!」
「今朝、湖晴からああ言われた事で、やっと湖晴の思いが分かった気がする。遅過ぎたかもしれないけど、それでも、俺は湖晴が俺に何を言って欲しいのかを理解した」
「……」
「だが、その言葉は今はまだ言えない。わざわざ言うまでもなく、俺のこの湖晴に対する気持ちは湖晴に伝わっていると思うが、まだ言えない。気恥ずかしいとかそう言う気持ちは、今朝の内に捨てておいた。でも、言えない」
「……」
「でも何時かその時が来たら、絶対に言う。俺はそれ程までに湖晴の事を想っていて、愛していて、湖晴に惹かれているから。だから、その大切な言葉は一番大事な時に使いたい。湖晴にとったら、俺のこんな思考はおかしい物と思うかもしれない。だけど、俺は湖晴の事を想っているからこそ、その言葉の使いどころを間違えたくないんだ」
「……!」
「湖晴。前に湖晴が言っていたみたいに、反対に、俺はもう湖晴がいないと生きていけないんだ。今朝、湖晴と喧嘩をしてから、今日はずっと気が重かった。何をしても楽しくないし、辛いし、苦しいし、何よりも寂しかった。これから先、折角一時的にとは言え、湖晴と恋人となれたにも関わらず、またその前の生活に戻ってしまうなんて、考えたくもなかった」
「……」
「だから、湖晴。そんな、どうしようもなくて、良い所なんて何も無くて、時には湖晴の事を傷付けてしまうかもしれない俺なんかで良かったら、またこれまで通りに接して欲しい。湖晴が嫌だと言うのなら、俺は諦める。でも、湖晴が俺の事を嫌いになっていても、俺はこれから先もずっと湖晴の事を守り続ける」
俺は数分間にも渡って長々と、部屋にいるはずの湖晴に対してそう語り終えた。俺は湖晴の事がこの世界の誰よりも大事で大切で一生守りたい存在だ。そして、俺は湖晴の事を想っていて、愛していて、湖晴に惹かれている。
だからこそ、物事の見極めをしたかった。俺と湖晴は彼氏彼女の関係になったあの日の晩に、進んではならない所まで進んでしまったのかもしれない。高校生にあるまじき、深い関係になってしまったのかもしれない。
でも、だったら、今からまたやり直せば良い。失った物は取り戻せば良いし、多過ぎた物は少し未来に持って行けば良いだけの事だ。当然、それらの事は容易ではないだろう。でも、俺は湖晴の事を思っているから、絶対にそうしてみせる。
そして、湖晴に対して言うべきその時に、『好きだ』と言う。俺は自分の心の中で強くそう決心した。
俺が語り掛けている最中、少しだけ部屋の中から物音がした気もしたが、湖晴からの返事は無く、俺はただ一人で勝手に喋っていると言った状態だった。そして、湖晴からの返事を待つ為に暫く湖晴の部屋の前で立っていると、数分後ゆっくりとドアが開けられた。
「湖晴!」
「……次元さん」
そこには、泣いていたせいなのか目が真っ赤に腫れ、如何にも疲れ切っている様子が伺える、湖晴の姿があった。しかも、随分と久し振りなのだが、湖晴は私服ではなく白衣姿だった。そして、湖晴は一言だけ俺の名前を呟いた後、続けて言った。
「本当に……?」
「え?」
「本当に、私の事を想ってくれているのですか……?」
「ああ。勿論だ」
「次元さんの言う『その時』が来たら、必ず『好き』って言って下さいますか……?」
「言う。その時が来れば、俺は絶対に湖晴にそう言う。だから、もう少しだけ待っていてくれ」
「……!」
俺のそんな台詞の後、湖晴は再び両目一杯に涙を含ませ、俺に抱き付いて来た。俺の胸に頭を埋め、両手を俺の背中側にまでまわして、しっかりと抱き付いた。そして、湖晴は泣いた。俺の本当の気持ちを知ったから、俺が湖晴に大事なその言葉を言う事を約束したから、湖晴は張り詰めていたその気持ちが緩んだのだった。
それから数分間。湖晴は俺に抱き付いたまま、ずっとずっと泣き続けた。俺の名前を何度か呼んだりしながら、自身のその不安等を払うかの様に泣き続けた。俺はそんな湖晴の頭を優しく身に寄せて、何度か手で撫でた。
数分後。まだ目は赤いままだが、ようやく泣き終わった湖晴は互いの顔が見える位置にまで自身の顔を戻し、俺に話し掛けて来た。
「……次元さん……キス、して下さい……」
「……分かった」
俺は湖晴のその言葉の後、流されるかの様に湖晴と互いの唇を合わせた。俺の体感時間的にも、この世界の時間的にも大した時間は経っていないはずなのに、その時の湖晴の唇は尊い物の様に感じた。そして、俺と湖晴だけの幸せな時間が再び訪れる。
「えへへ……」
キスの後、ようやく不安が拭えたのか、辛くなくなったのか、湖晴は優しい笑顔を俺に見せた。その湖晴の笑顔を見た俺は、この子の笑顔を何時までも守りたい、これからもずっと俺だけの傍にいて欲しいと思った。
俺と湖晴が湖晴の部屋の前で仲直りをし、キスをしたその後の事はよく覚えていない。湖晴に、杉野目から情報を貰う為に玉虫先生に会う必要がある事を話したのか、この世界の異常について説明したのか、全く記憶に無い。
次に俺の気が付いたのは、早朝、カーテンの隙間から微かに光が差し込んで来るだけの薄暗い湖晴の部屋の中央にある布団の中だった。ふと隣を見てみると、すやすやと幸せそうな表情で眠っていた、裸の湖晴の姿があった。
ああ、またしちゃったんだな。と一瞬だけ思った後、突然全身を襲った疲労感により、俺は再び深い眠りに着いた。