第14部
湖晴の様子がおかしく、それにより音穏の気分も落ち込み、それらを栄長に察せられた俺は何一つ包み隠す事無く栄長に話す事にした。と言うよりはむしろ、栄長燐と言う女の子は人外的に異常な程勘が鋭く、基本的にこちらの思考を先読みしたりする、一般人ではまず不可能であろう事を簡単にこなして来るので、それならば最早、何時話しても同じだろうと考えたが故の俺のそんな行動だった。
しかし、そこで新たな問題が発生した。『今日』は十月二日月曜日で二学期中間テスト初日のはずなのだが、栄長曰く、『今日』は九月二十八日木曜日なのだと言う。そんな訳が無いと栄長の台詞を疑いつつ、俺は黒板に隅の方にある本日の日付や日直が書かれているスペースを見た。
だが、そこには栄長が言った通り、『九月二十八日木曜日』と記されており、俺がそれについて唖然としていると、何時の間にか教師が教卓付近に立ち、誰一人としてそれを不思議に思う事無く一時間目の授業が始まっていた。しかも、その授業科目は以前……と言うのも、俺個人としての以前、即ち、俺個人としての九月二十八日木曜日の一時間目に受けたはずの教科であり、それが余計に俺の頭の中の混乱を招いた。
一体、何が起きたと言うんだ。誰か、誰でも良い。この不可解な現象を説明してくれ。俺は確かに、九月二十八日木曜日から十月二日月曜日の朝までの時間を過ごしたはずだ。湖晴と彼氏彼女の関係になったのも九月二十九日金曜日の晩であり、それから二日間はずっと二人で過ごしていた。
間違う訳が無い。あの、湖晴の温もりが俺の単なる妄想な訳が無い。今朝だって、湖晴とは一緒に登校して来たし、ついさっきも校門付近からこちらを見ていた。それに、そんな湖晴の姿を栄長は目撃したと言っているし、今朝の湖晴の台詞が原因で音穏の気分が落ち込んでいる事はわざわざ考え込むまでもない。
全ての事柄に辻褄があっているはずなのに、何かがおかしい。その『何か』と言うのは言うまでも無く、『今日』の日付が俺の脳内とこの世界全体において、ずれが生じていると言う事だ。俺は『今日』と言う日が十月二日月曜日だと思っていた。ところが、この世界全体では『今日』と言う日は九月二十八日木曜日として進んでいる。
一時間目と二時間目の休み時間、それと昼休み、俺は栄長から『音穏が何故落ち込んでいるのか?』についての事情聴取を受けた。おまけに、湖晴とはどの様な関係にまで発展したのか、その経緯はどの様な物だったのか、までみっちりと詳しく聞かれた。
おそらく、俺はそれらの真実を嘘偽り無く栄長に話したのだと思うが、その時の俺はそれどころではなかった。俺の中の時間とこの世界の時間がずれている、と言った様な経験はこれまでも過去改変の為の時空転移により何度も経験しているが、今回は厳密にはそうではない。つまり、時空転移をしていないにも関わらず、そんなずれが生じているのだ。そんな違和感に対して、俺は酷く寒気と吐き気を覚えていたのだった。
それから、約八時間が経過した。
俺自身は『今日』は中間テスト初日であると思っていた為、そのテスト科目の教科書しか持って来ておらず、しかもあまり気分が良好ではなかったから、七回もあった授業では一回として集中する事が出来なかった。
音穏と栄長には、『湖晴が待っているから』とは言わずに『気分が悪いから』と言って先に帰らせて貰う事にした。実際にはどちらも間違っていないのだが、前者の気持ちの方が大きかったかもしれない。
湖晴と言う、か弱い少女を高校の校門前で八時間も待たせていると言う行為は最早、彼氏失格レベルで失礼極まりない事くらいこんな俺にだって分かっていたからだ。俺の思い込み通り『今日』が中間テスト初日だったのなら、昼頃には湖晴の元へと戻る事が出来たと言うのに、『今日』がそうではなかった為に平常通りの授業があり、予定よりも四時間程度も遅れてしまった。
校門付近に立っているのだから直接言いに行けば良いと思われるかもしれないが、残念ながら休み時間は栄長に事情聴取をされていた為、それは叶わない。それならば、メールをすれば良いと思われるかもしれないが、残念ながら今日俺はスマートフォンを学校に持って来るのを忘れていた為、それも叶わない。
流石の湖晴も俺の為とは言え、約八時間もの長時間、校門に立っている可能性は低いだろう。むしろ、そうである可能性の方が高い。そうなると、もしかすれば、湖晴に嫌われてしまったかもしれない。土下座でも何でもするから、せめて仲直りくらいはしたい。そう思いながら、俺は走って校門に辿り着いた。
そして……、
「……あ、次元さん♡ お帰りなさーい♡」
原子大学付属高等学校正門前、人通りもそれなりに多いそんな場所で、一人の少女がスマートフォンを弄りながら壁にもたれ掛かっていた。見間違える訳も無い。その少女こそ、俺の人生を大きく変えたタイムトラベラーであり、俺にとって初めて出来た彼女である、湖晴だった。
湖晴は俺の事を発見すると手に持っていたスマートフォンをすぐさまポケットに仕舞い、そのまま俺に抱き付いて来た。そんな様子を見ていたであろう他の帰宅中の生徒達は俺と湖晴の事をどう思っただろうか。考えたくもない。
「湖晴……ごめん!」
「……? 何で謝るのですか? 次元さん」
俺に抱き付いて来た湖晴を少しだけ引き剥がし、互いの顔が見える立ち位置になった後、俺は湖晴に少し頭を下げて謝った。対する湖晴は俺が何を言っているのか分からないと言った様子で、可愛らしく首をきょとんと傾げているばかりだった。
「いや、だって、八時間も待たせたから……」
「良いんですよ♡確かに待っている間は寂しかったですけど、今はこうして、大好きな次元さんに会えたんですから♡ さあ! 帰りましょう♡ 次元さん♡」
「ああ……そうだ、湖晴。その前に幾つか質問しても良いか?」
「? 良いですけど」
俺とこの世界全体の日付が違う事、そして、それにともなう様々な異常事態。俺がその違和感を感じていると言う事は、この世界ではまだ訪れていない三日間を一緒に過ごした湖晴も、少しだけでもその違和感を感じているはずだ。そう考えた俺は、湖晴にその事を尋ねようとした。
だが、正直な所、俺はその質問をしたくはなかった。もし、あの三日間が単なる俺の妄想で、湖晴とは彼氏でも彼女でもない、それ以前のただのタイムトラベラー仲のままであると言う現実を叩き付けられるかもしれないからだ。だが、真相は一つ一つ、身近な所から調べて行くしかない。
意を決した俺は十数秒間の沈黙の末、湖晴にその質問をした。
「湖晴……俺達って、付き合っているんだよな……?」
「次元さん……?」
その台詞を言い終わった直後、俺は自分の心臓の動きが非常に早くなって行く事が分かった。そして、全身が大雨にうたれたかの様にぐっしょりと汗で濡れ、そのせいか妙な寒気までする。
実際の時間としてはたった数秒程度の間だったとは思うが、そんな緊張のせいか、俺にとってその間は数時間以上にも感じた。そして、ようやく湖晴がその口を開いた。その時の湖晴は満面の笑みを俺に向けており、非常に幸せそうな顔をしていた。
「はい♡ 私と次元さんは……あんな事やそんな事までした、それはそれはラブラブなカップルですよ~♡ 恋人ですよ~♡ えへへ~♡ 改めて自分で言うと、何だか照れますね~♡ ……あ、でも、次元さん。何でいきなりそんな事を?」
「それは何時からだ? 何月何日何曜日の何時頃からだ?」
「えーっと、この間の金曜日の晩でしたから……九月二十九日金曜日の午後十時くらいだったのではないでしょうか?」
「そうか……」
湖晴の台詞を聞き届けた俺はそんな台詞と共に、安堵の溜め息を漏らした。良かった。本当に良かった。湖晴との関係が俺の単なる妄想ではなく、既にこの世界で決定した出来事で。
しかし、それと同時に俺の中には更なる疑問が出来てしまった。湖晴は俺と同様に、あの晩から今の今までの事を覚えている。だが、この世界全体は俺と湖晴が記憶している様には進んでいない。この現象が俺にのみ適用されているのならば、俺が精神異常者であると仮定すればそれで済む話だが、今回はそうではない。湖晴も俺と同様な状態にあるのだ。
とは言っても、当の湖晴はそんな異常なんて感じている風には見えない。念には念を押して、一応聞いておくべきか。そう思い至った俺は、続けて湖晴に質問をする。
「湖晴。『今日』は何月何日何曜日だ?」
「『今日』、ですか? 『今日』は確か……あれ? 何日でしたっけ?」
「俺は『今日』と言う日を十月二日月曜日、二学期中間テスト初日であると思っていた。しかし、実際には『今日』はその日付ではなかった。だったら、何日だったと思う?」
「……もぉ、次元さん♡ そんな事、どうだって良いではないですかぁ♡ お家に帰って、一緒にお風呂に入って、それからまた……しましょ♡」
真剣な表情で真面目な事を話していた俺に対して、湖晴は至って軽い調子でそんな事を言いつつ、いつもの様にその豊満な胸を俺に押し当てながら、俺の左腕に抱き付いて来た。
湖晴は俺と彼氏彼女の関係になったあの日の事を覚えている。そして、それ以上の関係になった事も全て、今の今までの事を記憶している。だが、『今日』が何日なのかまでは把握していない。それが、ただ単純にカレンダー等で『今日』の日付を確認しなかっただけなのか、それとも、何か別の要因なのかは分からない。
今の俺には最早、自分が何時の何処にいるのかさえ分からなくなっていた。湖晴との関係が保たれている事に関して嬉しさを感じると共に生まれた奇妙な違和感を拭う事が出来なかった。その事は幾ら考えたとしても、結論は出なかった。
明らかに俺の話を聞くつもりが無い湖晴は俺の左腕に抱き付きながら、ぐいぐいと俺の事を引っ張って行った。そんな湖晴に抵抗する術も意思も無く、俺はただただ自宅へと引きずられて行くばかりであった。
その日の晩、何故か珠洲は家に帰って来なかった。もしかすると、今朝の湖晴の台詞に俺の想像以上のショックを受けていて、音穏の家に泊まらせて貰う日を延ばして貰ったのかもしれない。もしくは、ショックを受けていたのは珠洲ではなく音穏の方で、珠洲に近くにいて欲しいから、珠洲の滞在期間を伸ばしたのかもしれない。
一方の俺は自宅ではなるべく辛い事は忘れて、湖晴と楽しく過ごそうとしていた。湖晴には絶対に余計な心配は掛けたくないと随分前に誓ったし、それに、俺だって辛い事や悲しい事は嫌いだ。湖晴といちゃいちゃしている方が楽しいに決まっている。
そして、俺は学校の帰り際に湖晴が言っていた通りの行動を取り、そして夜中にまた一歩、湖晴との淫らな関係を深めた。