第04部
ついさっきまで俺のテスト勉強の為に自室にいた俺と珠洲は湖晴からの呼び声によって、一階リビングへと下りて来た。呼ばれた直後から思っていた事ではあったのだが、その移動中も廊下や階段では何やら美味しそうな食べ物の匂いが立ち込めていた。
そして今、俺はその匂いの正体を目の当たりにした。
「お、おお……」
「ど、どうでしょうか……?」
一階リビング入り口付近にて、机の上に並べられている料理の乗っている皿を見た俺は予想外の出来栄えの良さに驚いていた。湖晴は俺の家に居候する前は大した家事をして来なかったと聞いていた気がするのだが、俺の目の前にあるこの料理の数々を見る限りでは到底そんな風には思えない程だった。
それに、珠洲が料理を教え始めてまだ二日程度のはずなのに、だ。三人それぞれの座る位置に合わせて置かれている、綺麗な色で整った形のオムライス。先程からしていた、あの良い匂いの正体はこれだったのだ。
これは安心出来る。むしろ、美味しく頂けそうだ。俺はそう確信した。良い匂いがしていて、しかも、見た目もかなり良い。更に、あの湖晴が作った料理だ。これだけ揃っていて不味い道理がない。
「へぇ、凄いじゃないですか。昨日、ワタシが教えた時と比べて大分上達してるみたいだし」
と教え子の湖晴が作った料理を見ながら、やや誇らしげに評価する珠洲。やはり、自分が教えた事がそのまますんなりと上手く行ったのなら、それ以上嬉しい事は無いだろう。まあ、珠洲の教えた方が良かった事も影響しているのだろうが。
それはそうと、今珠洲が言った通りやはり湖晴は凄い。いくら完全記憶能力を持っていたとしても、それまでほとんどした事が無い事をものの数日でここまで完璧にこなしてしまうとは。素の能力が高めなのか、それとも湖晴の努力の結果なのか。どちらにしても、湖晴の料理の上手さは珠洲に近い物になっていると言えるだろう。
「じ、次元さん……?」
しっかりと評価をした珠洲に対して、勝手に自分の中で自己完結して特に表に感情を出さなかった俺に、湖晴は少し心配そうな表情をしながら声を掛けて来た。俺は、特に気遣う事も出来ずに、ただ純粋に湖晴の料理の上達に驚いているばかりだった。
「え? あ、ああ。凄い美味そうだな」
「そ、その……よ、宜しければ、食べてみて下さい……味はその……あまり、自信が無いのですが……」
「お、おう。それじゃあ、早速」
目の前に並べられた美味しそうで豪華な料理に対して少し驚きを覚えつつ、俺は既に椅子に座っていた珠洲の隣の椅子に腰掛けた。湖晴はそんな俺の事を眺めながらすぐ隣に立ったままで、特に椅子に座る事は無かった。そして、スプーンを手に取り、妙な緊張感の中、俺は湖晴が作ったそのオムライスを口に入れた。
「……! これは……」
その瞬間、俺の脳内で何か電流でも走ったかの様な感覚が起きた。そう、湖晴が作り、今俺が食べたこのオムライスは何と表現すれば良いのか分からなくなる程美味かったのだ。そこ等辺の飲食店で出される物や店で市販されている物とはまた違う、優しい美味しさがあった。
口の中で広がる卵とご飯の相性が完璧であり、更に塩と砂糖を間違える様な初心者ありがちなミスもしていないみたいで、それはとにかく美味かった。これまでも珠洲に何度か作って貰った事があったが、あの料理上手な珠洲とほぼ同レベルの完成度だった。
「美味い……!」
俺は自分の脳内で目の前のこの美味し過ぎる食べ物について分析した後、無意識ながらそんな言葉を発していた。これまで、湖晴は料理を始めとした家事が一切出来ない女の子だと思っていたが、実際にはそんな事は無かったのだ。
湖晴だって人間だ。しかも、元が良い湖晴なら努力すれば何でも出来るのだ。しかしながら、それに費やした時間に対する結果があまりにも上出来過ぎている。もう一度言う。やはり、湖晴は凄い。
「ほ、本当ですか!? 良かったぁ……」
俺のその一言を聞いたからなのか、湖晴はそんな安堵の溜め息を漏らした。俺に自分が作った料理を認めて貰えるかどうかが不安だったのだろう。気持ちは分かるが、これを食した俺からすれば、そんな心配は不要だとすら思えた。
「ああ! これはもう、幾らでも行けるな!」
「まだ沢山あるので、おかわりをしたくなったら、何時でも言って下さい!」
親指を立てて『グッド!』と言わんばかりの表情のまま、俺は続けてそのオムライスを口に放り込む。湖晴もそれはそれはたいそう嬉しそうな、満足そうな表情のまま、やや浮かれた調子でキッチンへと戻って行った。
「良かったね、湖晴さん」
「はい!」
あまりの美味しさにそれを運ぶスプーンを止められなくなった俺の隣で、珠洲がそんな言葉を湖晴に掛けていた。その時の二人の笑顔は幸せそうで、忘れる事が出来ないものとなった。
湖晴がいたからこそ平和に保たれたこの世界。こんな時間が何時までも続けば良いのに、と俺は素直に思った。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
結局あの後、二回もオムライスのおかわりをした俺は自分の胃袋の容積が普段と比べて異常な事になっているのを身をもって感じつつも、湖晴の美味しい手料理を食べられた事に満足していた。確かに、俺の胃袋は既に限界値に達しているが、あの滑らかな舌触りと程好い味を思い出す度、もう少しだけ食べたくなってしまう。
そんな満足感の中の夕食後、珠洲は自身の受験勉強の為に先に自室へと戻り、湖晴は夕食の後片付けをした後、俺に勉強を教える為に俺の部屋へと来た。
今の湖晴の格好は夕方の時と比べればエプロンが無いくらいしか違いが無く、白衣を着ていない、私服姿だった。真っ黒な色のニーソックスに、丈の短いヒラヒラのスカート。そして、その間に垣間見える絶対領域とも言える綺麗な白さをしている柔らかそうな太股。
九月末の、夏も終わって少しずつ寒くなって来ている季節に合わせた格好。しかし、上半身に着ていた(正式名称は知らない)シャツの胸元はばっくりと開いており、この様子を他人が見れば、湖晴が俺の事を誘惑しているかの様にも思える程だった。
そして、湖晴の首には、以前俺がプレゼントした『◇』みたいな形のネックレスが付けられており、やけに露出させられている湖晴の豊満な胸の谷間にそれが埋もれそうになっていた。『おいネックレス、そこを代われ』と言いたくなってしまいそうになったが、そこは理性でなんとか押さえ付けておいた。
「えっと、ここは……そうそう。この公式を使えば簡単に解けますよ」
テスト勉強真っ最中な俺のすぐ隣約数センチに、そんな容姿の湖晴はいた。相変わらず、湖晴からは何か気分の良くなる様な心地の良い匂いがしていた(食後だから食べ物の匂いがするとかそう言う意味ではない)。
俺に勉強を教えながら、時折湖晴が髪を少しだけかき上げる度、俺はそんな湖晴の事を見てしまっていた。当然ながら俺も健全な男子高校生なので、自分のすぐ隣に美少女(長髪巨乳)がいたのなら何時までも見ていたいと思う。だが、そんな事もあり、それとは別の感情の元、俺は湖晴の可憐な容姿に見とれていた。
「次元さん……?」
「湖晴。少し、話がある」
「お話ですか? 良いですけど……」
湖晴が不思議そうに俺の事を見ながらそう聞いて来る。俺はふと思い出したかの様に、夕方の時から思っていた『俺の中にある一つの不安』について湖晴に聞いてみる事にした。俺は意を決し、高鳴る心拍数の中、『?』と言マークが似合うにキョトンとした表情をしている湖晴に対して声を発した。
「湖晴。これまでに成功した過去改変は俺にとっては六回、湖晴にとっては二十九回だ。そうだろ?」
「はい。そうです」
「以前、湖晴は言った。『三十回の過去改変が終われば、玉虫先生の所へ帰らないとならない』と。そして、『時空転移に必要な物質を補充するだけだから、心配はいらない』とも言った」
「……はい」
真面目な表情で話し続ける俺の真剣さが伝わったのか、ただ単純にあまり話題に上げて欲しくなかった事なのか、湖晴は少し俯いた様子で静かに頷いた。
「それは、本当か?」
「え……?」
「湖晴にとって三十回の過去改変が終わった後、湖晴は玉虫先生の所へ帰る。その後、本当に、湖晴は俺の元へ帰って来てくれるのか?」
「……」
俺が不安だった事はこの一つに限る。俺は湖晴の事を一人で放っておくのが心配だし、湖晴には何度も助けられたから信頼もしている。湖晴といると何かと大事に巻き込まれる事が多いがそれもそれで楽しいし、辛い過去を持った皆の事も救える。湖晴自身も俺や珠洲にせめてもの恩返しをしようと努力しようとしてくれている。そして、俺は……。
だが、この気持ちを持っているのが俺だけだと言う可能性は決して否定出来ない。俺がどれ程楽しく、幸せでも、湖晴はそう感じていないかもしれない。極論だけを述べてしまうと、表情や行動は幾らでも取り繕う事が出来てしまうのだ。
だから、過去改変のノルマを達成した湖晴は俺達の元を去り、そして二度と俺の前に姿を現さないのでは無いだろうか。そんな不安が俺の中にはあったのだ。どうしようもない、もどかしい、そんな不安が。
そう言う訳で、どうすれば良いのか分からなくなった俺はそれをそのまま湖晴に尋ねた。俺が今湖晴に言った台詞は湖晴の受け取り方によって、大きく意味合いが変わり、感じ方も違ってしまう様な言葉なのは分かっている。『俺が湖晴の事を信頼していない』と思われるかもしれない。『俺が湖晴と二度と会いたくないと思っている』と思われるかもしれない。そうだとしても、俺は湖晴にこの事の真相を確かめるしか無かった。
「……ですよ」
「え?」
すると、すっかり表情が見えないくらいに俯いてしまった湖晴が何やら一言だけ呟いた。泣かせてしまっただろうかと心配だった俺だったが、次に湖晴が顔を上げた時にはその心配は無くなっていた。
「大丈夫ですよ。また、きっと会えます。私は……いえ、私には、次元さんだけなのですから」
「湖晴……」
湖晴は笑顔だった。それも、幸せそうな、満面の笑みだった。
確かに表情や行動は幾らでも取り繕えるかもしれない。だが、今の俺には、こんなに可愛くて、こんな幸せそうな表情が出来る子が俺に嘘を吐く訳が無いと確信した。前にも一度だけ考えた事だが、俺はもう二度と湖晴の事を疑うのは止めようと決意した。
そして……、
「湖は……」
俺が言葉を発する直前、俺は湖晴によってそれを中断させられた。見てみると、俺の顔のすぐ目の前には湖晴の顔があった。湖晴は目を瞑り、静かに俺の唇に自身の唇を合わせていたのだ。柔らかい湖晴の唇に触れているその時間は僅かだったかもしれないが、俺達の体感時間では永遠にすら感じられた。
「えへへ……これで、安心出来ましたか? 私は次元さん以外の所になんて行きませんよ」
俺の唇から自身の唇をゆっくりと離した湖晴は、再び満面の笑みでそう言った。