休日姉妹
私の名前は豊岡阿燕。とは言っても、実は私の本名はそうではない。私の本名は豊岡那鞠と言う、別の名前だ。何故、私に二つも名前があるのかと言うと、それは私のお姉ちゃんである須貝輝瑠と関係がある。
ある日突然、お姉ちゃんがアイドルになった。どうやら、道端で芸能関係の人にスカウトされたらしい。お父さんとお母さんはあまり乗り気ではなかったけど、昔からお父さんとお母さんの事があまり好きではないお姉ちゃんはそれに反抗してアイドルになったと言う訳だ。私はお姉ちゃんの意見を尊重してあげたいと思ったから、お姉ちゃんがそうしたいならそうすれば良いと思った。
昔から何でも出来たお姉ちゃんと、お姉ちゃんの真似をして来た私。今回もまた、そんな私達の間に大きな溝が出来てしまった。そう思っていた。でも、実際には違った。アイドルになって、有名になったお姉ちゃんは、平凡な妹の私に助けを求めて来たのだ。
アイドルになる時、お姉ちゃんはその本名を明かす事無く、自身を須貝輝瑠として振舞って来た。そもそも、私達姉妹は、世界にまでシェアを広げている豊岡財閥の娘だ。だからこそなのかもしれないけど、お姉ちゃんが本名を明かしていないにも関わらず、私達の知らない人達は私達の素性を調べ始めた。
そこで、お姉ちゃんが私に頼んで来たのだ。“私を演じて欲しい”と。つまり、本来豊岡阿燕であるお姉ちゃんが須貝輝瑠として振舞っている。そこに、豊岡那鞠である私が入り込む。だから、結果的には豊岡那鞠の行方は分からなくなり、表では須貝輝瑠と豊岡阿燕が存在すると言う事になる。
これをすれば、あくまで想像上の話だけど、私達の知らない人達が私達の素性を調べる事が困難になる、もしくは混乱するはずだ。そもそのはず。須貝輝瑠=豊岡阿燕と思い込んでいる周囲の人達が私達を見れば、何かがおかしいと思うからだ。
私は嬉しかった。昔から体が弱かった私はずっとお姉ちゃんに守られてばかりだった。何時でも何処でも何が起きても。将来的には、二人で一緒に暮らそうとまで言われているくらいだ。
そんな私思いの優しいお姉ちゃんにせめてもの恩返しが出来るのならばと思い、私はお姉ちゃんの頼みを受け入れた。お父さんとお母さんにこの事を話しても何かと面倒な事になりそうだったけど、そこはどうやらお姉ちゃんが説得してくれたらしく、私が関与するまでもなく全てが上手く進んだ。
それからと言うもの、お姉ちゃんは須貝輝瑠と言う仮の名でアイドル活動を頑張り、一方私は、豊岡阿燕と言う名で一学年上の世界へと入った。だから、今私は高校二年生だけど、実際には高校一年生なのだ。
そして、今日。
「なっちゃーん! 待ったー?」
眩しい太陽の下、家の外でお姉ちゃんが来るのを待っていた私に、そんな声が聞こえて来た。ふと見てみると、玄関ドアを勢い良く開け放ってこちらへと向かって来るお姉ちゃんの姿があった。私は私の事を待たせたかと思って慌てているお姉ちゃんに、そっと静かに言った。
「ううん。大丈夫だよ」
「じゃあ、行こっか」
「うん」
今日は私が高校で入っているソフトボール部の練習も無く、お姉ちゃんのお仕事も無い日だ。二人とも、特にお姉ちゃんの方は毎日毎日忙しくて予定が合わなかったけど、今日みたいな日が数ヶ月に一回ある。
だから、そんな日は日頃の事を忘れて何処かへとお出掛けする事にしているのだ。行き先は特に決めていない。大抵いつもは、お姉ちゃんの気紛れで行く場所が変わるから。
でも、今日もそんないつも通りの流れの前に、お姉ちゃんは元気そうに私に行きたい場所を聞いて来る。私もいつも通りの言葉で返答した。
「それじゃあ、なっちゃん。今日は何処に行きたい? お姉ちゃんに言ってくれれば、何処にでも連れて行ってあげよう!」
「私は、お姉ちゃんの行きたい所に行きたい」
「もー、なっちゃんはもっと欲を出さないとー」
「あはは。私は休みの日が多いけど、お姉ちゃんはほとんどお休みが無いでしょ? だから、今日みたいな休日くらい、お姉ちゃんの行きたい場所に行かないと」
「ふふっ。なっちゃんってばー、うりうり~」
自分で言うのもなんだけど、私達姉妹は仲が良い方だと思う。何時か何処かで擦れ違ってしまった様な気もするけど、取り合えず今は最高の姉妹のはずだ。お互いがお互いの事を想い、助け合っている。とは言っても、どちらかと言うと私の方が助けられる場合が多いけどね。
すると、暫く真っ青な空を見上げながら考えていたお姉ちゃんが何かを思い付いたらしく、無邪気な笑いと共に、私に声を掛けて来た。
「じゃあ、駅前の喫茶店行かない? この間、撮影で近くを通った時に今度なっちゃんと行きたいなーって思った場所の一つなの。良い?」
「うん、良いよ。そう言えば、まだお姉ちゃんは言った事無かったもんね」
「そうそう。なっちゃんはお友達と行ったの?」
「まあね」
以前私は、私が高校に入学して早々に出来た野依音穏と言う女の子の友達と一緒にその喫茶店に行った事がある。音穏は正真正銘の高校二年生だから、実は私よりも一歳年上だけど、仲の良い友達としてよく遊びに誘われる。クラスも部活も違う友達で、こんなにも長続きしたのはもしかすると初めてかもしれない。
「さあー、喫茶店にレッツゴー!」
「あ、待ってよー」
思い至れば即行動なお姉ちゃんが先を歩き、私もそれに続く形で駅前の喫茶店へと向かった。久し振りの二人の休日。今日も楽しい日になると良いな。
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幸いな事に喫茶店に行く途中、私達は誰にも会う事は無かった。それに、喫茶店の店内には私達以外には数名しか別の客はおらず、がらんとしていた。休日なのに珍しいと思ったけど、それ以上に私はお姉ちゃんに気付いてしまうかもしれない人が少ない事にホッとしていた。
折角の休日だ。誰かに見付かって『あ! 須貝輝瑠さんだ!』みたいな事を言われるともう大変。前にも何回かそんな事があって、そこからはお姉ちゃんのサービス精神溢れる交流会が始まったり、街中を逃げ回ったりと、私としても充分大変な事になってしまうのだ。
そんな事もふまえて、私は今時の女子高生らしいラフな格好だけど、対するお姉ちゃんは普段はポニーテールの髪型を下ろし、帽子やサングラスを掛けて上手い具合に変装している。この人がお姉ちゃんであると知っている私からしてみればばればれだけど、こんな所に須貝輝瑠が来るとは思ってもいない街の人達はおそらく分からない事だろう。
私はアイスティー、お姉ちゃんはコーヒーを買ってそれぞれ向かい合う様に喫茶店の中で一番奥のテーブルに座った。ここなら、万が一の事があっても大丈夫だろう。
私がトレイの上に乗せられているアイスティーを飲もうとしている時、不意にお姉ちゃんが話し掛けて来た。私は『ん?』と返事をしつつ、そのままアイスティーを口に含んだ。
「ところで、なっちゃんはじっくんの事をどう想ってるのかな?」
「ブーッ!」
いきなり何の前触れも無く、脈絡の無い事を聞かれた私は思わず口に含んでいたアイスティーの全てを噴出してしまった。それをテーブルに置いてあったティッシュで拭いていると、店内にいた店員や客から痛い視線が集まっているのと、自分の顔が段々熱くなって行く事が分かった。
「な、何!? 何でいきなり上垣外の事!?」
「いやいや、じっくんてなっちゃんの命の恩人でしょ~? それで、一年以上経った今でもまだ、クラスも部活も違うのに普通に話せている。だから、そこら辺はどうなのかな~って」
「……そこら辺って?」
「まあ、ざっくり言うと……これは“恋バナ”だね」
お姉ちゃんはどやっとした、殴りたくなる様な笑顔でそう言った。
“じっくん”こと上垣外次元は私が高校に入学する直前の三月に、銀行強盗犯に人質に取られていた私の事を助けてくれた男の子だ。よくよく思い出してみれば、上垣外は私が人質に取られる直前に忠告をしてくれていた。でも、私がそれを受け入れなかったからこそ、あの出会いがあったのかもしれない。
人質から救出された私はすぐにその事をお姉ちゃんに報告した。お姉ちゃんは“それはきっと、なっちゃんの運命の人だよ!”とか言ってたけど、私が言いたかったのはそうではなく、上垣外の事をそれよりももっと昔に見た気がした事だった。
それは多分、私やお姉ちゃんがまだまだ子供だった頃の話。でも、例えそうならば、上垣外の姿も子供だったはず。でも、私の記憶に微かに残る上垣外らしき人物の姿は普通の大人だった。だから、多分私の記憶違いだろう。
そう考えつつも何でか諦め切れなかった私はあの事件の後、事件現場を何度か訪れたけど結局上垣外に会う事は二度と無かった。そして、4月。念願のソフトボール強豪の高校に入学し、さあ頑張ろうと思った時に彼の姿を見付けた。それからはただの知り合いとして、それなりに仲良くなって行った。また、上垣外の幼馴染みとして、私が彼を見付けた時にその隣にいた音穏とも仲良くなれた。
「ふむふむ」
「それで……って! 何!? もしかして、全部口に出てた!? 何処から!?」
「いやいや~、もっと続けて下さいな~」
「はぁ……」
よりにもよって、こんな話題の時に……。やっぱり、私って運が無いわ。うん。
「終わりかな? それじゃあ。本題に戻ろう」
「戻らなくて良い」
「それで、なっちゃんはどうなの?」
私の最後の抵抗を無視して、お姉ちゃんは淡々と話を進める。
「じっくんの事が好きなの?」
「す、す、す、好き!?」
「違うの?」
「いやいやいやいや! 私は上垣外に助けられた事はあるけど、別に好きとか嫌いとかそう言う事は……」
唐突に始まったお姉ちゃんからの恋愛話に付いて行けなくなりそうな私(この場合は付いて行きたくもないけど)。お姉ちゃんはそう言う系な話が好きなのかもしれないけど、私はそれ程好きではない。
音穏と話す時はともかく、ソフトボール部では基本的に私語は慎む様に言われている。皆練習に熱心で、練習開始から終了までソフトボール以外の事は話題に上がらない。と言うよりは上げられない。練習後は私も含めて皆疲れ果てているから、雑談しながら帰る、なんて事も出来ない。
だから、私は恋愛話は苦手だ。それに、お姉ちゃんは何を勘違いしてか、か、上垣外の事を話題にして来たし……。お姉ちゃんに本気のスイッチが入ってしまう前に、一刻も早くこの話題から別の話題に変えなければ!
私が次なる話題を考えていると、その考えすらも打ち砕く強烈な一言が、お姉ちゃんの口から放たれた。
「でも、その割にはなっちゃん。顔真っ赤だよ?」
「!?」
そう言われた私は自分の顔を両手で触った。確かに、赤くなっているらしく熱かった。バッグから手鏡を取り出し見てみるとやはり真っ赤だった。私自身が言うのもなんだけど、個人的な感想ではそこには私の顔ではなく、林檎やトマトでも映っているのではないかと思ってしまう程だった。
先程アイスティーを溢した時の恥ずかしさによる顔のほてりとはまた別の物が私の中にあり、そうなっていると言う事は誰が見ても明白だった。
どうしよう。何で私こんなに顔が真っ赤なんだ?それに、お姉ちゃんには気付かれてないけど、さっきから心臓の音が外に漏れているのではないかと思ってしまうくらい高鳴っているし。もしかして、上垣外の事が話題に上がったから?
でも、でも、でも、上垣外は私の事を前に一度だけ助けてくれて、高校でも少し仲の良い男子ってだけだし、別にそれ以上でもそれ以下でも……。
「でもね~、私は一つだけ分かるよ」
「な、何が?」
「じっくんはね、多分“巨乳好き”だよ。いや、大抵の男の子はそうだと思うけど」
お姉ちゃんのその台詞を聞いた私は、自分の脳内で何かがピキーンと切れた気がした。何と無く、その原因がお姉ちゃんのその台詞の何処の部分にあるのかは、予想は付いているけど。
確かに、お姉ちゃんが言う通り、私はそこまで胸は大きくない。でも、別に小さくもない……はず。他の子が正確にどうなのかは知らないけど、そこまで悪くはないはずだ。流石にお姉ちゃんや音穏には、一見するだけで負けていると分かるけどそれはその二人が大き過ぎるだけでそこまで問題ではないはず。
何で私は“はず”ばかりを多用して自信なさげなんだ。しっかりしろ、私。少し苛々して来た私は反論とばかりに、お姉ちゃんに逆に聞き返した。
「それはともかく、お姉ちゃんはどうなの?」
「ん? 何が?」
「上垣外の事、どう想ってるの?」
「あちゃー、それを私に聞いてくるかー」
お姉ちゃんには珍しく、予想外の質問だったらしく、私の質問に少し驚いた後、そんな風な事を言って来た。私ばっかりお姉ちゃんの玩具にされていてはたまらない。だから、今度は私がお姉ちゃんに聞き返す番だ。
すると、思いの外重い雰囲気でお姉ちゃんは静かに語り始めた。
「まあ確かに、じっくんにはなっちゃんを助けて貰ったから、少なくともそこら辺にいる男の子よりは好きかな」
「そう……」
その台詞を聞いた私は何処か悲しげに頷いていた。しかし、その直後、お姉ちゃんも少し悲しそうな笑みのまま、私に切なく話し掛けて来た。
「でもね、私はアイドルだから。なっちゃんのお姉ちゃんであるのは勿論の事だけど、それと同時に皆のアイドルだから。だから、恋愛は出来ないし、しないの。そう思ったからこそ、私はなっちゃんの想いを大切にしてあげたいって思ったんだよ」
「お姉ちゃん……」
お姉ちゃんがそこまで考えているとは思ってもいなかった。私が上垣外の事を好きか嫌いかはさておき、自分が出来ない事を私には遣り遂げて欲しい。そう言う思いがあったからこその、この話題だったのか。お姉ちゃんはもう、私だけのお姉ちゃんじゃない。その事に、お姉ちゃんは前から自覚していたんだ。
私はどうするべきなのだろうか。お姉ちゃんが上垣外の事を心の底からどう想っているのかについてはさておき、私が私自身の気持ちに正直になるべきなのだろうか。お姉ちゃんの助けを借りずに、何時か訪れる一人で生きなければならないその時に向かう為に。
「だけど、その前に……」
「?」
私が俯いて考え事をしていると、そんなお姉ちゃんの声が聞こえて来た。ふと顔を上げると正面にお姉ちゃんの姿は無く、私のすぐ隣に何故か両手を構えているお姉ちゃんの姿が。
「もっと、お胸を大きくしましょうか~」
「ちょ、ちょっと、お姉ちゃん!? や、止め……」
それから“周りのお客さんの迷惑だから”と言う理由で店員さんに止められるまで、私がお姉ちゃんに何をされたのかについては省略。
結局、その後も喫茶店で2時間程度話して過ごした後私達は街を歩いた。この街に住んでいる人にとったら、他愛も無いただの一日だったのかもしれないけど、近い所にいるのにその距離は遠い私とお姉ちゃんにとっては楽しくて嬉しい一日だった。
明日からまたいつものしんどくて疲れる日々が始まる。次にお姉ちゃんとこうして平凡な女子高生として過ごせるのは何時になるのだろう。その日までには、私は自分の気持ちに正直になれれば良いな、って思うのでした。