第14部
【2023年09月26日17時28分19秒】
煙幕の小瓶を地面に投げ付けて俺と湖晴の周囲数メートルにいた不審者から逃げ始めてからおよそ3分。今来ていた道を振り返ってみても、俺達の背後には荒廃した街並みが広がっているだけで、特に不審な人物はいなかった。おそらく、逃げ切れたのだろう。
俺は逃げる際に咄嗟に掴んだ湖晴の手を握り締めたまま、あの例の研究施設の前に立っていた。以前、と言う言い方は正しいのかは分からないが、ともかく、ここに来たのは俺の体感上では少なくともこれで2度目だ。
荒廃した他の建物とは大きく異なり、この研究施設だけは何年も前から使われていない様に見える。つまり、建物の荒廃の仕方が他の建物とは若干違うのだ。それに、やはり誰も出入りしていないからなのか、雑草等の植物が周囲に少しだけ生い茂っている。以前ここに来た時にはこんなに細かくは注目していなかったが、改めて見ると随分廃れている様に感じた。
「急ぎましょう、次元さん。先程ここに来た私達はあと数分でここに来るはずです。なので、それまでに有藍さんに話し合いを持ち掛けるか、その過去に関する何かを見付ける必要があります」
「そうだな。まだ何も分かっていない訳だし」
ついさっきの俺とのアレコレは一体何だったのか。俺の自分自身の欲求を満たす為の単なる妄想だったのか、それとも湖晴の方はそれ程大事だとは意識していないだけなのか。そんな風に思えてしまう程、今の湖晴はいつも通りの冷静な湖晴だった。
だが、ふと湖晴の顔を見てみると、その頬が薄っすらと赤く染まっている事が分かった。それに、そのまま暫く見つめていると、それに気が付いたらしく目を逸らされてしまった。と言う事はつまり、ついさっきの俺とのアレコレについて湖晴はある程度は意識してくれたかもしれないが、今は過去改変をする事だけに意識を集中していると言う事なのだろうか。
いや、逆にそうじゃなかったら俺が傷付く。なので、そう考える事にしよう。
俺はそんな風な適当な推測をした後、電気が通っていないのか自動ドアとしての役割を果たしていないガラス製のドアを手で抉じ開け、中へと入った。以前来た時同様に、やはり暗い。真っ暗とまでは行かないが、少なくとも外よりは暗い。
俺は湖晴が付いて来ている事を確認した後、以前来た時に飴山がいた部屋の方向を見た。しかし、以前は意識を集中させれば僅かながらも明かりを確認出来たのだが、今はそこにはただただ真っ暗な廊下があるだけだった。その暗さは奥へ行く程深まり、廊下の端が何処にあるのかなんて事は全く分からなかった。
ただでさえ暗いこの研究施設の中、明かりもろくに無く、飴山がいた部屋の目印も無い。俺は少し急がなければならないと頭では理解していたものの、取り合えず、湖晴と2人で1つ1つの部屋を順に回って行く事にした。
適当に探してい行くよりも、近い所から順に調べて行った方が遥かに早いだろうしな。それに、さっきみたいな事の後では、単独行動はかなり危険だと言えるだろう。常に2人で歩いた方が危険も少なくなるし、何よりも、安心出来るからな。
俺が1つ目の部屋のドアを開ける為に、そのドアノブを回そうとした時、不意に湖晴が話し掛けて来た。
「次元さん。結局、先程のあの人達は何だったのだと思いますか?」
「さあ、どうだろうな。こんな荒廃した街にいるんだから、何か特別な目的があったと言う事は分かるが」
俺はよく考えてみれば俺達も結構怪しいよな、とか思いつつ右手に持ったドアノブを回した。そして、開いたドアの隙間から警戒しながら室内を覗いた。しかし、中には誰もいないらしく、明かりも点いていない為に真っ暗だった。
もしかしたら、飴山の過去に関する何かが分かる可能性もあるので、俺は室内の出入り口にあったボタンを押して明かりを点けた。この研究施設にあった入り口の役割を果たしていなかった自動ドアには電気は流れていなかったが、ここには流れているらしい。つまり、飴山かその他の何者かが自動ドアの電気のみを切っていたのだろうか。
まあ、確かにそう考えれば以前来た時に飴山がいた部屋のみの明かりが点いていた事にも納得出来る。それに、普通は街1つを壊滅させようとしている時に誰かが来ては計画が上手く行かない可能性もあるだろう。だから、中には誰もいないと言う事を来訪者に示す為に入り口の自動ドアの電気を切り、研究施設内の明かりも極力点けていなかったのだろう。
俺は明かりに関するそんな推測を済ませた後、そのまま室内へと入って行った。室内は思いのほか広く、分厚い本が大量に並んだ本棚が多くあった。そして、後ろにいるはずの湖晴に離し掛けた。
「湖晴は、何であいつ等があんな所にいたのか分かるか?」
「まあ、一応は。それが真実と言う保障は無いですけど」
「教えてくれ」
「多分、いわゆる盗賊の様な、災害時に出現する窃盗犯でしょう」
「窃盗犯?」
銀行強盗とか、万引きとか、そう言う類の犯罪者の事だろうか。
「はい。現代日本では10数年くらい前と比べてセキュリティはともかく、治安が非常に良くなったのはご存知ですよね?」
「ああ」
「そうなると、これまではずっと、街中のお店から商品を奪って生計を立てていた人達が行動出来なくなりますよね。とは言っても、これは立派な犯罪な訳ですけど、実際にある事だったので」
「まあ、そうなるだろうな」
そう言えば、世界史だったか地理だったかの授業で、地震や津波等の被害が出た街にどんな被害が出るのかについてのビデオを見せられた気がする。ほとんど寝ていたので詳しくは思い出せないが、その中に食料品や生活用品を売っている店舗が略奪の被害に会うと言う事が言われていた気がする。
地震や津波の被害を受けた街や国はそれの対応や人々の避難に手を追われ、治安が悪くなる。更に、食料品や生活用品の供給は著しく少なくなるが、需要は高まる一方。その為、略奪行為をする事によって命を繋ぐ人がいるのだ。
当然の事ながら、これは立派な犯罪だ。だが、人ならばやはり死ぬよりは生きたいと思う事だろう。それが、自分の手を犯罪に染める事だとしても。
「今回の様に『街等の広い範囲全体に緊急避難命令が発令され、住民がいなくなった今、物を略奪する事が容易』である事は分かりますよね?」
「あ、そう言う事か」
「はい。なので、先程私が刺したあの人や次元さんが見掛けたと言う不審な人達は全員、そう言う人達の一部だったのではないかと」
「それで、街がこんなにも荒廃したのか」
原子市や周辺の街に発令された緊急避難命令により、住民は全員指定された場所へと避難したはずだ。そうなれば当然、全ての家や店は完全なる無法地帯となってしまう。危険な地域に指定された今では、警察や救援部隊も来る意味は限りなく無いからな。
つまり、家や店から者を奪おうが、建物を壊そうがそれを咎める者は誰1人としていないと言う事なのだ。そして、1人がそれを達成すれば、連鎖的に周囲の同系統の目的を持つ人達にも影響を与え、被害は拡大して行く。普段は高いセキュリティを維持している現代日本だからこそ有り得てしまった現象であると言えるだろう。
部屋の中にあった本を適当に見回していた俺に、湖晴が静かに一言だけ付け足した。
「ですが、実際には略奪だけで済ましている人は少ないみたいですけどね」
「どう言う意味だ?」
「よく思い出してみて下さい。街中では建物が崩れそうになっていたり、火災が発生している建物もあったんですよ?いくら略奪行為をしているとは言え、そこまでは行かないはずです」
「まあ、確かにな。家や店から物を奪うだけなら、適当に窓とかを破壊して中に侵入すれば良いだけだもんな」
「つまり、略奪目的の窃盗犯以外にも、街を破壊する事が目的の愉快犯も多く存在するのではないかと」
愉快犯の意味が若干違う様な気もするが、街を破壊するだけが目的の奴もいるのか。まあ確かに、グラヴィティ公園の近くのあの丘から見る限りでは、今にも崩れそうな建物や火災が発生している建物も多々あった。
窃盗犯が略奪を目的にしているのならそこまでする必要は無いから、必然的にその様な被害を及ぼしたのは今湖晴が言った様に愉快犯が関係しているのだろう。
だが、ちょっと待てよ?今の原子市には2種類、いや、もしくはもっと多くの種類の犯罪者がいるのだとすれば、俺達が1回目に『現在-数分』に来た時にそう言う類の人物に遭わなかったのは不自然じゃないか?俺はそう考えるとほぼ同時に、湖晴に質問していた。
「今の湖晴の話を聞いていて思ったんだが、そんなに何10人も犯罪者がこの街にいると言っても、俺達はついさっきしか遭わなかったぞ?何でだ?」
「もし、犯罪者達がグループを結成しているのなら、そのグループで固まって行動している可能性もあります。それで、私達がここへ来た時には既にこの地域の破壊・略奪行為は終了していたのでしょう。ですが、先程私達が遭った人達はグループに入っていなかったか、別のグループだったのでしょう」
「うーん、やっぱりそうなるか」
須貝の過去改変の時の様に、犯罪者達がグループを作っていると言う可能性もあるかもしれないとは思っていたが、やはり湖晴の考えもその結論に至ってしまうのか。
「もう1つ良いか?」
「はい」
「何でそんなに多くの人間がわざわざこんな街に集まったんだ?と言うか、犯罪者ってそんなに多くいるのか?」
「あくまで私の推測ですが、元々この街にいた人と、この街に緊急避難命令が発令された事を聞き付けて来た人がいるのではないかと」
「元々この街にいた、ってそんなに何10人も犯罪者が?」
確かにこの街は研究施設が多く、それを狙う人達も少なくはないはずだ。だが、俺が見る限りではあんなに平和だった原子市の0,数パーセントの人間が犯罪者だったと思うと、寒気がしてしまう。俺は今までそんな中で平凡に生きて来たのか、俺の強運を逆に評価したいと思ってしまう。
すると、湖晴が若干青ざめた表情になった俺に質問に答えた。
「1つ言っておきますと、人間は何時でも犯罪者になれると言う事です」
「え?」
「つまり、普段は何処にでもいる様なサラリーマンの人でもその普段のストレスが溜まり、今回の様な異常事態の際にそのストレスを発散しているかもしれない、と言う事です」
「・・・・・何か、そんな事を言われると人を信じられなくなるな」
「まあ、人と言う生き物はそう言う物ですからね。仕方ありませんよ」
人は何時何処で豹変するかは分からない。それは勿論、他人にもその人をよく知る人でも、自分自身でも。
そう考えていると、俺はふとある事を思い出した。須貝の過去改変の際の、湖晴のあの行動だ。俺が横腹を軽く撃たれた後に、湖晴は我を失って犯行グループ全員をあっさり完封してしまった。人が何時でも豹変すると言う事は、ようはああ言う事なのだろう。
俺の撃たれた横腹の傷は完治した訳ではないが、今はもうほとんど痛くはない。湖晴が犯行グループ全員を完封した後の俺への治療が適切で早かったから、致命傷にならずに済んだのだろう。それに、撃たれたと言っても、掠ったに近かったしな。
俺は室内の大体の探索を済ませたので、そろそろ別の部屋に行こうと思った時、その入り口の下部に何やら重要そうな紙束を見付けた。それを拾って手に取った時、湖晴が俺の背後から質問して来た。
「・・・・・ん?これは・・・・・」
「どうかされましたか?」
「いや、何か妙な資料を見付けたから」
「見せて下さい」
俺は後ろを振り返り、その資料を湖晴に手渡した。湖晴は何か思い当たる事でもあったのか、真剣そうな表情でそれを見た後、表に書いてあった事を口に出した。
「『班長マニュアル』・・・・・?」
「何だと思う?」
「さあ、何かの雑誌の一部なのでしょうか。いえ、そうだとすると、この手書きの様な文字は無いはず」
「裏面にも何か書いてあるな」
俺がそう言うと、湖晴はその資料の中身を見る前に裏面を確認した。裏面はほとんどまっさらな白紙の状態だったが、隅の方に小さくアルファベットが書いてある事が分かった。
「『Nuclear Technology』?」
「どう言う意味だ?」
「直訳すると『原子力 科学技術』ですが、この書き方は・・・・・」
「まさか、科学結社か!?」
『科学技術』と言う単語を聞いた時、俺は思わずそんな事を大声で言っていた。
「私が知る限りそれぞれの科学結社には、その組織が主に研究する分野の単語とその後に『Technology』と言う単語が付いていますから、おそらくそうでしょう」
「湖晴はこの科学結社について知っているか?」
「いえ、私も所見です」
「栄長や蒲生なら知っていると思うか?」
「聞いてみなければ分かりませんが、何か知っているかもしれませんね」
だが、今から栄長に電話を掛ける訳にもいかない。おそらくだが、こう言う異常事態の時は栄長達科学結社に所属している人達は大忙しだろうしな。次に『過去』へ行った時に、違和感を与えない様に栄長に聞いてみるか。
湖晴はその妙な資料を持ったまま、部屋の外へと出た。俺も同様に廊下へと出て、その向かい側にあった別の部屋の前に立ち、ドアを開けた。