第10部
【2008年02月17日17時46分49秒】
~????視点~
私はその日の出来事の全てを把握している訳ではない。勿論、その出来事の中心人物なのでそこにいたのは言うまでもないけど、この状況説明は後に私の仲間達から聞かされたと言うだけのものだ。だから、実はこれは真実ではなく、嘘の可能性もある。
その日は土砂降りの大雨だった。空一面が真っ黒な分厚い雲に覆われ、青い空はおろか太陽すらも出る事を絶対に許されないくらいの悪天候だ。聞こえて来るのは、一瞬たりとも絶える事無く空から降り続ける雨粒が地面に当たる音程度のもの。人の話し声やそれ以外の物音なんてものは簡単に掻き消されてしまう程のうるささだった。
そんな最悪過ぎる日の夕方に、私は拾われた。
「・・・・・!?お、おい!こんな所に赤ん坊が・・・・・!」
「え!?」
私は田舎の山奥の原子力発電所の近くで段ボール箱に入れられたまま捨てられており、偶然にもそこを通り掛った心優しい人達に見付けられ、その後保護された。そう、原子力や放射能について日々研究をしている、科学結社『Nuclear Technology』に所属しているこの人達に。
「ど、どうするよ・・・・・この子・・・・・」
「一先ず、今日は天候が悪かったから仕事は出来なかった事にして、リーダーに相談してみるのが良いと思う」
「・・・・・そうだな。身寄りの無い俺達に手を差し伸べてくれたあのリーダーだもんな。きっとこの子も助けてくれるはずだ」
その後、私は15年間程度、主にその科学結社の拠点で過ごす事になる。
私が拾われたこの時の状況、そしてその境遇を忘れない為に私は名付けられた。雨の日の山奥のウラン型原子力発電所で捨てられていた事から多少文字変換をした後、そう名付けられた。
『飴山有藍』と。
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私が私の本来の両親に捨てられ、この組織で保護して貰える代わりに、一生この組織で働く事に決まった事を伝えられたのは、私が今よりもずっと幼い頃だった。私の周りにいる、何時でも優しい人達が私と血の繋がった親でもなければ兄弟でもない事は、言葉を覚え始めた事から何度か聞かされていた。
何故私はあんな土砂降りの大雨の日の夕方に、山奥にある原子力発電所で捨てられていたのか。その真相は誰も分からない。一応、多少頭の切れる組織の仲間の見解では『育児が出来なくなった、もしくはしたくなくなった私の本来の両親が誰にも見付からない様に山奥で処分するつもりだったのではないか』と言われている。この説よりも有力な説は無かったので、今の所これが真相であると仮定付けられている。
でも、育児放棄をするくらいならさっさと赤ん坊だった私を殺してしまえば良さそうなものだけど、そこはおそらく、育児放棄をするとは言え人間を、自分達の子供を殺めるのには抵抗があったんだと思う。全く、身勝手な話だ。
そうなるともう1つ疑問が出て来る。誰にも見付からない様にひっそりと私を処分したはずの私の本来の両親だけど、実際には私は今もこうして生きている。それは『Nuclear Technology』と言う科学結社の人達に偶然拾われたからだ。
この『Nuclear Technology』と言う科学結社は、現代の日本ではややタブーな分野である原子力や放射能等を研究する科学結社だ。でも、別に原子力爆弾を作ったりなんて事はしないし、第三次世界大戦を引き起こさせる事によって世界滅亡を企んでいるなんて事もない。そもそも科学結社は悪の組織とは程遠い存在だし。
組織のリーダー曰く『Nuclear Technology』は他の科学結社とは比較的大人しい科学結社だと言う。それもそのはず、この『Nuclear Technology』には原子力や放射能等が原因で身寄りやその他何かを失った人達ばかりが引き取られ、それを再発させないようにと日々研究をしているだけなのだから。
組織のメンバー1人1人が辛い過去を持っており、それを克服する為に、そしてこんな思いを他の人には絶対に味わって欲しくない。そう言う信念を元に、日々危険な作業をしているのだ。
勿論、メンバーの中には何の辛い過去を持っていない人もいる。でも、その人達も独自の正義感に基づいて研究をしているのだ。あと、これは私の勝手な見解だけど、自分の為にとか興味本意で組織に入った人はいなかったと思う。
それで、そんな研究をしながらも、定期的に原子力発電所のメンテナンスの依頼が来るみたいだ。私自身も何度かした事があるし。本来、こう言う仕事は電力会社がしそうなものだけど、科学結社の存在を知っている一部の上層部が大きな事故を起こさせない為に多額の研究費を出す代わりに依頼して来るらしい。
そんなメンテナンスの日に偶然にも捨てられていた赤ん坊の私は見付けられたと言う訳だ。様々で多くの偶然が折り重なり合った結果、起きた奇跡だった。どれか1つが欠けているだけで、今ここに私は存在してはいなかった事だろう。
心優しい『Nuclear Technology』の人達は暫く相談した後、話し合いが終わった瞬間急いで組織の拠点へと戻った。原子力発電所のメンテナンスの仕事は『雨天中止』として、別の日に行ったらしい。
『Nuclear Technology』の拠点に運び込まれた私はすぐに放射能の検査を受けた。原子力発電所の近くにどれくらいの間放置されていたのかは分からないけど、それでも赤ん坊はそう言う事にはかなり敏感だ。だから、内心何も異常が無い様に、と願いつつも検査をしたらしい。
結果は『特に異常無し』だった。この時、組織の人達とリーダーは思わず安堵の溜め息を漏らしたそうだ。
リーダーはこの赤ん坊(私)の境遇を知り、組織で一生保護する事を決定した。勿論の事ながら、これまで組織に保護される事になった人達の中ではダントツで最年少だった。この時、私の世話係として捨てられていた私の事を見付けたあの2人の男性と女性が選ばれる事になった。
それから数年間が経った。
私は組織によって育てられ、生涯組織の人間として組織の為に働き続ける。そして、組織の後継者を育て、組織の子孫を残す。全ては組織の為に。つまり、私の心と体の全ては組織に捧げる事を義務付けられていたのだ。
でも、私は何の不満も無かった。勿論、私の事を捨てた私の本来の両親を恨んだりする事も無かった。
元々、私はあの土砂降りの雨の日に死んでいるはずだったんだ。あのまま赤ん坊だった私はあの土砂降りの大雨によって次第に体温が冷え、じきに死亡する。そのはずだった。だから、ここで生かして貰えている事自体が大きく感謝に値する事であり、不満を抱くなんて発想はこれっぽっちも無かったのだ。
それに、組織の人達は優しかった。リーダーは勿論、世話係の2人も、その他のメンバーも。そのほとんどが私程ではないにしろ、それなりに辛い過去を持っている。幼い頃に両親を失った人、目の前で兄弟を失った人、生まれ付き自身の体を自由に動かせない人等、その過去は多種多様だった。だから、私の境遇を察して理解してくれる。また、私もそんな人達の理解者となれる様に努力した。
あと、さっきも言ったかと思うけど、私は両親を恨んでなどいない。そもそも、私は組織に人達から私の本来の両親についてや、どんな感じで捨てられていたのか等を聞かされていたけど、そんな事は私にはどうだって良かった。いや、正直に言うと理解出来ていなかっただけなのかもしれないけど。
私は本来の両親を見た記憶が無い。勿論、本名を呼ばれた記憶も無ければ、愛された記憶も無い。そして、今私の周りには私の理解者であり仲間の人達が大勢いる。何時でも何処でも少し歩けばそこにいてくれる。血が繋がっているとか、いないとかは関係無い。
即ち、この組織の人達全員が私の家族であると言っても過言ではないのだ。だから前の、私の本来の家族なんていらない。知らない。私は今の家族とこれからずっと生きて行く。それだけで充分だ。他には何もいらない。
組織でまともに働ける様な年齢(一応特例として10歳からとなっている)になって数年間。私の働きっぷりは言葉通り完璧だった。何から何まで全てが完璧、頼まれた仕事頼まれていない仕事、間違いなんてほとんど無い。私は組織に大きな恩を感じていたから、これくらい当然の事だった。
実の所、私は組織でまともに働ける様な年齢になるまでは英才教育を受けていたりもした。世話係の2人に頼んで『組織の為に働きたい。組織に私を生かしてくれている事についてお礼したい』と言った結果がそれだった。
私は頑張った、努力した。組織でまともに働ける様な年齢になるまでに英才教育を終わらせ、早くリーダーや仲間達の仕事を軽くして楽をして貰う為に、私自身がリーダーの後を継げる様に。
英才教育が始まって依頼、毎日毎日寝る間も惜しんで予習復習を欠かす事無く勉強した私は、結果的に本来の英才教育のカリキュラムを予定していた期間のおよそ3分の1で終わらせてしまった。何とか、組織でまともに働ける様な年齢になるまでには間に合った。
この事に、英才教育の指導の先生は勿論の事、組織全員が驚いた。そして、じきに私は『次期リーダー候補』として組織内のほぼ全員の仲間からも尊敬されてしまう事になる。
だけど、これが全ての間違いだったのかもしれない。私は拾われたからこそ、身寄りが無かったからこそ、もっと謙虚に無欲に生きる必要があったのだ。
リーダーや仲間達に恩を返す事も大事だけど、もっと大事だったのは『私に対してあまり良い感情を持っていない人達の反感を買う様な行動をしない事』だったのだ。
私が『次期リーダー候補』と呼ばれ、やや有頂天になってから暫く経った後、その事件は起きた。私の大切な仲間のほとんどを失う事になり、私自身でさえ失う事になったあの事件が。