第02部
【2023年09月13日07時07分54秒】
「起っきろー!」
俺はそんな大声と共に目が覚めた。今日は九月十三日水曜日。『あの事件』を解決してから既に二日が経った。
この俺、上垣外次元は九月十一日月曜日に突如現れた血塗れで白衣の女の子・照沼湖晴を助けた後、湖晴がタイム・トラベラーである事を知った。そして、その湖晴の持つ時空転移装置タイム・イーターの力を借り、俺のたった一人の幼馴染みの野依音穏の過去を変える事に成功した。
その事件を解決した後も俺の平凡な生活に特に悪い影響は出なかった。音穏も俺の幼馴染みのままで、研究所を爆破する事もない普通な女の子になった。
そう。俺はやり遂げたのだ。あの晩の出来事がただの夢物語では無い保障はないが、それでも大切な人の人生を救う事は出来たのだから。
俺がそんな感じで過去の事を考えていた時、再びさっきの大声と同じ声がした。
「おっにぃちゃーん! 朝だぞー! 起きろー!」
その声の主は俺の妹の上垣外珠洲だった。珠洲は俺の二歳下の中学三年生で、品行方正・文武両道・才色兼備と言う、俺とは間逆のステータスを持つ天才少女だ。
俺達の両親は海外出張が多い為、俺と珠洲は基本的に二人で暮らしている。だから、今現在の状況の様に珠洲が毎朝起こしに来てくれている。俺としては別に目覚まし時計のアラームをセットしているので、起こしてもらわなくても構わない訳だが、
『おにぃちゃんは起きてもまたすぐに寝ちゃうでしょ?だからこんなに可愛い妹が毎日起こしに行ってあげてるんじゃん』
と可愛らしい笑顔で言われてしまっているのだ。実際の所返す言葉も無い。勿論俺がすぐに寝直してしまう、と言う事についてのみだ。俺は平凡主義者である以前に過度なロングスリーパーなのだ。これは生まれ付きの特性の様な物で、学校でも常にこの様な状態の為、俺はまともな友達が出来た記憶がない。しかし、友達はいないが一応妹と幼馴染みなら1人ずついる。
その時、俺の部屋のドアが勢いよく開け放たれた。
「おにぃちゃーん! 遅刻するぞー! そろそろ起……き……ろ?」
「珠洲おはよう……どうした?」
ついさっきまでの怒号と今ドアを開け放ったのはやはり珠洲だったらしい。予想通りだ。それにしても、まだ全然遅刻する様な時間帯ではないのだが。
だが、少し待って貰いたい。何か珠洲の様子がおかしい。いつもは元気で明るい珠洲だが、今は普段はしないギャグ漫画の様な驚き方をして固まっている。そして、心配になった俺は声をかけた。
「珠洲……? もう起きて着替えるから、リビングに戻っててくれるか?」
「……ハッ! うん。それは良いんだけど……おにぃちゃん? ちょっとここで待っててくれる?」
「……? 別に構わないが……って、珠洲どうした!? 何をそんなに急いでる!?」
珠洲は俺の返事を聞く前に何処かに去って行ってしまった。一体どうしたと言うのか。俺、何かしたっけ? さっきも言った通り、時間帯的にはまだ遅刻しないはずだしなぁ。
取り合えず、何故珠洲の様子がおかしくなったのかについては後で考える事にする。本人に聞いた方が早いし、俺もさっさと制服に着替えておいた方が良いかもしれないしな。
「……ん?」
俺はベッドから体を起こした状態で固まっていた。床に何かが置かれているのを発見したからだ。それは、何処かで見覚えのある純白色の布の様な物だった。しかも、綺麗に折り畳まれている。
「これは……?」
俺はベッドから出る事無く、手を伸ばしてその謎の物体を手に取る。
「白衣?」
それは文字通り正真正銘の白衣だった。俺は衣類マニアとかではない健全な男子高校生なので、白衣なんて持ってないはずなのだが何故こんな所に白衣があるんだ。ポケットらしき袋から何かがガチャガチャと音を立てていたが、怖かったので見ないでおいた。
その直後俺の後ろから、『スー、スー、スー』と言った感じの可愛らしい寝息が聞こえてくる……ん? 『可愛らしい寝息』? 俺は後ろを振り返った。そこにはその寝息の主がいた。
「……湖晴!?」
そこにいたのは湖晴だった。しかも全裸。まさに生まれたままの状態だった。布団に隠れて上手い具合に見えてはいけない所は見えなかったので、少し惜しい気もしつつ安心する事が出来た。さっき俺が見つけた白衣は湖晴のだったのか、納得納得。
「ってか、何で湖晴がこんな所にいるんだよ!」
「むにゃ~。む……あ、次元さんおはようございま……」
「ちょっと待て! 動くな! 動くと非常に不味い! 布団が取れてしまったら不味いから! ちょっと待てええええええええ!!!!」
俺の声に反応したのか湖晴が起きた。湖晴は体を起こそうとしていたが、体を起こされると布団がはだけてしまい、俺が社会的に抹殺されてしまうので急いで押さえつけた。その後、俺は一人だけで布団から出て、湖晴にベッドを占領させてやった。
「で、何で湖晴がここにいるんだよ。いや、その前に何で服を着てないんだ。先に服を着てくれ」
「私、いつも寝る時は裸ですし……」
「それは分かったから、服を着ながら話すか着てから話すかでお願いします」
「では、着ながら。話の続きですが……」
「何で、布団から出て着替えるかなぁ! せめて布団の中で着替えろよ! 俺がここにいるんだから!」
現在進行形で意味不明な事が起きているのに、湖晴は追撃とばかりに俺の理性を破壊しようとしてくる。やはり、先に着替えさせてからの方が湖晴の為であり俺の為かもしれないな。と言うか何で寝る時に服を脱ぐんだよ湖晴は。何か変な性癖とか持ってないよな?
その時、『ダダダダッ!!!!』と何かが俺の部屋に向かって走ってくる音が聞こえて来た。しかも、
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……」
と言う珠洲の怨念ともとれる声が聞こえてくる。俺の生存本能が生命の危機を感じ取っていた。『殺される』と。
状況を順に整理しよう。
まず、さっき珠洲が急いで何処かに行った。そして、ここには全裸の湖晴(まだ着てない)。最後に、珠洲が再び俺の部屋に向かっている。これはつまり……、
「湖晴! 何処でもいいから、隠れろ!」
「どうしたんですか? 次元さん。そんな急に……」
俺はそう湖晴に大声で叫んだ。早く何処でも良いから湖晴を隠さなければ、俺の命が危ない。もう手遅れかもしれないが珠洲に見つかると俺の人生は確実に終焉を迎えてしまう。
俺が今さっき導き出した答えは『珠洲は全裸の湖晴と一緒にいる俺を見つけた』だ。珠洲は俺に対して、海外出張でほとんど家にいない両親の分だけ過保護だ。特に一部分だけ。
以前も話したと思うが、うっかり俺と音穏が抱きついてしまった時、珠洲は料理包丁を持って俺達を本気で追って来た。結局幸いな事に怪我は無かったが、これらの事を踏まえて俺が言いたいのは珠洲は『俺が他の女子といる事』が許せないと言う事だ。
おそらく真面目少女の珠洲からしたら不純異性交流とかに見えてしまっているのだろうが、俺からしてみたらそんな気はないし、実際問題それらは全て事故だ。今日の事も勿論事故だ。俺は悪くない。しかし、珠洲は俺の為を思ってくれているのは分かるが、そのベクトルにだけ過保護過ぎるのだ。
直後、『バンッ!』と俺の部屋の扉が押し飛ばされた様な音が聞こえた。
不味い! まだ湖晴は服を着てないし、そもそも隠れられていない。しかも、珠洲は毎度お馴染み料理包丁を右手に持っている。終わった……俺の長かった様で短い十六年間が。
「おにぃちゃん! 覚悟! ……って、あれ?」
「うわああああ!!!! 違う! 珠洲、これは違うぞ! 事故……そう! これは事故なんだ!」
「おにぃちゃん、何を慌ててるのかな? それよりも、さっきここに裸の女の子がいなかったっけ?」
「え……?」
俺はベッドの方を見た。そこにはまだ服を着ていない湖晴がいる……はずだった。布団の中を見てみても、他の所を見てみても何処にもいない。何処か別の所に隠れたのだろうか。しかし、あの短時間で?
「おかしいなー。さっき裸の女とおにぃちゃんがイチャイチャしていた様に見えたんだけど。知らない? おにぃちゃん?」
「い、いや、俺は何も知らないし、何も見てないし、何もしてないからその右手の包丁を仕舞ってくれ」
「うん。分かった。ワタシの目の錯覚なら別に良いよ。おにぃちゃんモテないし、まさかそんな事無いもんね」
「ああ、そうだな……」
俺がモテないのは確かにその通りだが、直接言うのは酷すぎる。あんまりだ。
「じゃあ、リビングで待ってるからなるべく早く来てねー」
「了解~」
珠洲が俺の部屋から完全に出て行ったのを確認した俺は取り合えず、ようやく一息付く事が出来た。朝からこれでは夜まで持たない。
「危なかったですね~」
「!?」
俺の休息時間は早くも終わってしまった。ベッドの側面に座る俺の隣に何時の間にか湖晴がいた。何処から出て来たんだよ。
「次元さんの妹さんって、意外と嫉妬深いんですかね?」
「嫉妬深いかどうかは知らないが、珠洲が起こってたのは主に湖晴のせいだからな? その辺分かってるか?」
「いえ。全然」
相変わらずマイペース過ぎる奴だ。今さっきの出来事は明らかに湖晴の予想外の再登場が引き起こした事なのに、湖晴は全く反省している様に見えない。実は俺はいつも通りに生活している様に見えるが、珠洲の逆鱗に触れない為の術を酷使しながら生きているのだ。
「……まあ、良いか。で、何でこんな所にいるんだ」
「実は一昨日、次元さんと音穏さんの過去を変えましたよね?」
「ああ」
あれは大変だった。良く分からない内に湖晴に巻き込まれて、音穏の過去を変えた。しかし、その展開が例えはかなり悪いが児童絵本並みに早かったと思う。
「その後、次元さん寝てしまっていたじゃないですか」
「そうだったな」
俺はいつも九時くらいには既に完全に夢の中だ。学校でも寝ているが全く足りん。あの晩は普段使われていない、俺の脳をフル活用した上に全力疾走を繰り返していた。俺からしてみれば途中で意識が途切れてしまっていても何ら不思議ではない。
「その時に、メモを置いておいたのですが見てないですか? これからお世話に……」
「見てない」
俺は即答した。本当はちゃんと見たし、一応机の引き出しの中に入れてあるが良く考えてみればあれは『湖晴がもう一回来ると言う意味の文章ではなかったか?』と思い、今は取り合えず見ていないと言う事にした。
「そうですか。まあでも、今言ったから良いですよね?」
「『何を』だよ」
「あれ? 分かりませんでしたか?」
次の湖晴の一言は俺の平凡な日々を破滅させる為には最適な一言だった。想像を絶する様で、実は流れ的に予想出来ていた一言だ。
「これから私このお家に居候させて頂こうと思い、お邪魔させてもらいました」
そんな事をそれはそれは純粋に可愛らしい満面の笑顔で言われましたとさ。
さよなら。俺の平凡生活よ。