第01部
【2023年09月25日16時34分30秒】
~????視点~
「はぁ・・・・・」
学校からの帰り道。心地の良い風が吹く中、グラヴィティ公園内で私はそんな溜め息をついた。今私の周囲数メートルの範囲内には、私と同様に下校中の原子大学付属高等学校の生徒が数人と、その他一般の人達が数人いる。いつも通りの平和で平凡な光景だ。
いつも通りの日々、いつも通りの感覚、いつも通りの光景。だけど、そんないつも通りのありふれた平凡な日々の中、私はつい数分前に自分がしてしまった事を心の中で少しばかり後悔しながら公園をやや早めのスピードで歩き進んでいた。そんな私の姿は端から見たら『あの人怒っている』とか言う風に思われていたのかもしれない。
「何であの事を話しちゃったんだろう・・・・・」
今私が後悔しているのは、数分前に会った帰り道のはずのここの公園を何故か逆走していた上垣外先輩に、言わなくても良いはずの余計な事を話してしまった事についてだ。しかも、それなりに詳しく話してしまった。
上垣外先輩は、私が所属している軽音部の先輩である野依先輩から幼馴染みだと聞いている。部活中の休憩時間や部活終わりに、よく野依先輩は上垣外先輩の事を私を含めた軽音部員(大抵は後輩)に話して来る。
野依先輩は上級生として私を含めた後輩にしっかりと指導してくれると同時に、とても親しみ易い人だ。『敬語を使わなくても良い』とも言われた事があるけど、そこはやはり一応先輩なので敬語を使っている。あと、会う度に何かとちょっかいを出して来る。正直な所、弄られるのはあまり好きではないので止めて欲しい。
それはともかく、そんな野依先輩の幼馴染みとは言え、本質的には私とはそこまで深い関係の無い上垣外先輩に何であんな事を話してしまったんだろうか。今になって思えば、こう言う事はつい数日前にもあった様な気もする。
話してしまった内容は主に『最近私が何者かにストーカー行為をされている』と言う事と『私が1人暮らしをしている』と言う事。更に、それだけに留まらず、今まで私が会って来たほとんどの人に話した事も無い『私の一定期間の記憶が無い』と言う事まで話してしまった。
今まで私はそう言う生き方をして来たからかもしれないけど、男の人とはあまり話した事が無かったからこそ、上垣外先輩に頼ってみたくなったのだろうか。野依先輩の幼馴染みだから、信用出来ると思ったのだろうか。それとも、ただ純粋に見た感じだけでは悪い人ではなさそうだったからなのだろうか。
私自身、その答えは分からない。考えても答えは出そうにないので、ここら辺でこの話題に関しては考えるのを諦める事にする。
気分転換の代わりに、ここで私の過去について少し語ってみようと思う。自分の心の中で自分の知る過去を一人で勝手に語る事によって、改めて今私が置かれた状況と、これからどうすれば良いのかがその内分かる事だろう。
とは言っても、私の記憶は二年前からしかないので、大した時間は掛からないだろう。その理由を含め、これから語ろうと思う。
目が覚めた時、私は何処かの古びたアパートの一室にいた。この部屋が、今現在もずっと私が住んでいる借家である。
そこで私は自分が誰なのか、何でこんな所にいるのか、お父さんやお母さん等の家族は何処にいるのか、いや、そもそも存在するのか、等の多くの事を数時間に渡って必死に思い出そうとした。しかし、私自身の名前を思い出す事は出来ても、他の、本来大切であるはずの事を何一つとして思い出す事が出来なかった。
あったはずの事を思い出せないあの感覚は二度と味わいたくない物だけど、今でも時折そんな事がある。何と言うか、眩暈がする様な、頭痛がする様な、吐き気がする様な。そんな、中々表現し難い、とても不愉快な気分になってしまうのだ。
気分悪くなるそんな話さておき、自分の名前以外の本来大切であるはずの事を何一つとして思い出す事が出来なかった私は、取り合えず、その時に身の回りにあった物から1つずつ調べる事によって失ってしまったらしい自分の記憶を取り戻そうとした。
まず、部屋の外から出て誰でも良いからこの状況を説明して貰おうと考えた。もし、私の事をこんな状況に追いやった人物がまだ近くにいるのなら、せめて状況説明だけはして貰おうと考えたからだ。
だけど、結果的にはその必要は無かった。玄関に置いてあった(おそらく私の物である)靴を履いて玄関のドアを開けようとした時、郵便受けに何かが入っている事に気が付いたのだ。
それは手紙の入った封筒だった。記憶が無いのでそれが誰からなのかは全く検討が付かなかったし、少し不気味な気もしたけど、記憶を取り戻す為には身近な所から調べるのが有効だと言う考えを全うする為に、私はその封筒を開けた。
差出人の名前は特に表記されておらず、切手も貼られていなかったので、これを書いた人物が直にこの部屋の郵便受けにこれを置いて行ったのだと分かった。数枚に渡って書き綴られていたその手紙の一枚目を見てみると、一行目に私の名前が記入されており、これが私の知らない誰かからの私へのメッセージなのだと言う事が分かった。
手紙の量は枚数的にはそれ程多くはなかったものの、一枚あたりの文字数が非常に多かったので、思いのほか読み切るのに時間が掛かってしまった。また、書かれていた文字はどれも人間味の無い、機械的な印刷したのだと思われる文字だった。
その手紙の内容は主に『今何故私ここにいるのか』と『これからの生活をどうするのか』について書かれていた。何だか人生の説明書みたいだな、と私は率直に思った。自分の名前以外何も思い出せない今の私が最も欲している情報を、この手紙は全て説明してくれたからだ。
前者の内容を要約して説明すると、どうやら私は過去に何か取り返しの付かない事をしてしまい、その罰として記憶の一部を消されてここに飛ばされたらしい。その『取り返しの付かない事』については特に明記されていなかったけど。
今の私はその事を何一つとして思い出す事が出来ない。勿論、記憶が無いからそれをしてしまった自覚も罪の意識も無い。だけど、この手紙の内容を真実とするならば、私がこうして古びたアパートの一室に居させられている事は当然の事なのかもしれない。
つまり、これは罪滅ぼしであり現在進行形で刑執行中なのだ。だから、私はその手紙からそれ以上の真実を求める事を止めた。と言うよりは、その真実を知ったとしても私の記憶に無い、私がしてしまったその取り返しの付かない罪が償われる事は無い事くらいは、その時の私にも分かっていたから。
さて、次に手紙の後者の内容を要約して説明しよう。ようは『これからの生活』即ち、これから私は刑執行中の最中にどの様に暮らすべきか、と言う事だ。
その手紙に書いてあった通りに、部屋の奥の方にあった押入れの中を見てみると表記されている通り幾つかの段ボール箱が置いてある事が分かった。それを開けて見てみると、中には私服から制服から寝巻きまでの様々な衣類や、銀行の通帳、その他生活に必要な最低限度の物が入っていた。
それにより『これを使って適当に生きて行け』と言うその手紙の差出人の意図を感じる事が出来た。その中には、何処か懐かしい雰囲気漂う物もあったけど、今の私にはそれが何の用途だったのかなんて知る由もなかった。
でも、その中に私に何か強い思いを訴えて来る様な物があった。それは、何の円哲もない、ただの髪留めだった。だけど、それは他の懐かしい雰囲気漂う物達よりも何処か赴き深く、私の興味を引いた。そのまま箱に入れて押し入れに仕舞って置くのも勿体無いので、私はそれを自分の髪に付けて髪をツインテール状に結わえた。
一先ず、その手紙によって私は、今の自分の置かれた状況とこれからどうすれば良いのかを大体把握した。やはりこれまでの記憶が丸々削げ落ちているのは少し気分の悪くなりそうな物だけど、でも、これからは一人で頑張って行こう。そう考える事が出来た。
幸いな事にも『記憶が無い』と言ってもそれは脳内年齢が〇歳児に戻った訳ではなく、普通に日本語くらいなら話せるし読めるし考えられる。また、必要最低限の生活は出来る様になっていたので、そこ等辺は私の記憶を消した人達も配慮してくれたのだと思う事が出来た。
手紙の最後の行には『貴女は自分を責める必要は無い。私達は大丈夫だから、これからは今までとは違う、楽しい、自分だけの為の人生を送りなさい』と書いてあった。この文だけは印刷してある機械的な文体ではなく、差出人の手書きである事が分かった。
それにしても、今の私の記憶に無い本来の私はどんな人物だったのだろうか。この手紙を読む限りでは、かなり波乱万丈な生き方をして来たみたいに思えるけど。だけど、本来の私の人物像なんて関係無いか。今の私は、今の私なんだから。
・・・・・・・。
それから時は少しだけ流れ、私は予めあの手紙の差出人に手配されていたらしい近くの中学校に転入扱いで入学する事になった。不安な事しかない、学校生活の始まりである。
最初は友達が出来るだろうか、勉強は上手く行くだろうか、と心配事が多くあったけど実際にはそんな心配は全くもって不要だった。
入学して早々に友達は沢山出来、その人数は日に日に増えて行った。古びたアパートでの一人暮らしとは異なり、学校では毎日大勢の友達と楽しく過ごす事が出来た。
また、この時にその内の1人に誘われて軽音部に入った。軽音部に入ってからの学校生活は更に楽しく、部活内での知り合いも増えた。あと、今の自分になってから出来た初めての趣味だったので、全力でそれに打ち込む事が出来た。
勉強の方面に関しても、特に大きな問題は無かった。と言うか、上手く行き過ぎて、自分でも怖いくらい良く出来た。
今の私は本来の私の事を知らないから正確な事は分からないけど、これだけは言える。本来の私は多分、結構頭が良い方だったのだ。
勉強の仕方が全く分からなくても、元から知っている知識ならある程度は分かる。何だか、少しズルをしている様な気持ちにもなったけど、勉強以外にも何かと忙しかった当時の私はそんな事を特に気にする事も無く、中学2年生秋頃からの中学校生活を満喫した。
高校受験にも無事に合格した私は、仲の良かった友達が行くらしい少し遠くの原子大学付属高等学校と言う高校に通う事になった。1人暮らしである事、また、両親が実質的に行方不明である事が受験とかその他の事に色々と関わって来ると思っていたけど、どうやらその心配も要らなかったらしい。
どうやら、私の記憶を消して古びたアパートに置き去りにし、あの手紙を書いた人物は私の身元保証人として、学校側に連絡をしてくれていたらしい。今になって思えば、通帳のお金が目に見えて日に日に増えて行っていたのも、その人のお陰だったのかもしれない。
その事を担任の先生から聞いた私はすぐに、その人が何処にいるのか、その人と連絡が取れないか、等を必死に尋ねた。当然だ。私の知らない過去を知っているかもしれない人物なのだから。今は今、昔は昔と割り切って考えていても、やはり人間と言う物は真実を知りたいと思ってしまう生き物なのだ。
だけど、案の定と言うか、予想通りと言うか、その答えは『出来ない』だった。学校側も、その人物が身元保証人である事は認めているがその人物の居場所も連絡先も知らなかったのだ。
よくそんな人物を私の身元保証人として認めたな、とか思いながら、私はその場でがっくりと肩を落とした。でも、それと同時に、少なくともこうして私の事を気に掛けてくれている人がこの世界の何処かにいるのだと言う事に関して、私はとても嬉しく感じた。
それから暫くの時が過ぎ、高校生になった。中学生の時に知り合った仲の良い友達と一緒に入学した私は、迷う事無く軽音楽部に入った。そこで、優しく親しみ易い先輩である野依先輩初めて出会った。
高校では、野依先輩に毎日の様に弄られつつも楽しい軽音部員として過ごし、中学の時とは別の新しい友達も沢山増えた。勉強の方も今まで通り順調。野依先輩の幼馴染みらしい上垣外先輩や、その友達らしい栄長先輩とも知り合いになった。
一人暮らしの方は特に贅沢を言わなければ何不自由なく生活が出来る様になっており、最初の頃に比べてご近所の人達共仲良くなれたと思う。自分の記憶の一部が無い事を無理矢理思い出そうとすると、今でも気分が悪くなるけど、それでもそれが気にならなくなるくらいの楽しい日々を覚えた私には何の苦でもなかった。
毎日この瞬間の全てが順調に、楽しく過ごせている。不便な事はほとんどなく、嫌な事もほぼ無い。これからも1人暮らしを続けるのは少し不安だったりもしたけど、時が経つに連れてその気持ちも薄れて行った。
そうして、いつしか私は、あの手紙にあった『本来の私がしてしまった、取り合えしの付かない過ち』を忘れてしまって行った。