第26部
【2023年09月26日16時59分22秒】
俺の近くには人はいない・・・・・はずだ。周りを見渡しても人の姿を見掛ける事は無く、ただただ静かな空間がそこには広がっていた。それはまるで、世界に俺1人だけが取り残されたみたいな感覚に陥ってしまいそうになる程に。
とは言っても、現状ここはそんな大それた場所では無く、原子市内のただの路上だ。勿論、近くにはマンションやビル等の建物もあるし、道路もある。
だが、先程言った通り、俺の見渡す範囲内には誰もいない。俺の見渡す範囲内には誰もいないからこそ、俺はここに来た。1人の女の子を助ける為に・・・・・いや、2人の姉妹の複雑に絡まった過去を清算する為に。
夕方、下校中突然に阿燕から俺へ電話が掛かって来た。用件は簡単には『須貝に追われてるから助けて』と言う内容だ。電話を掛けて来た阿燕の様子や、その背後から聞こえて来る非日常的な音から、俺は阿燕を探し出して助ける事を決意した。
須貝に追われていると思われる阿燕を探しだそうとしていた俺はその最中に湖晴に会い、阿燕の行方を捜しながら、湖晴から阿燕と須貝の過去についての推測を聞いた。湖晴のその話はどれもただの会話として聞く分には、信憑性に欠ける物だったが、これまでの起きた不可解な出来事等を知っていた俺はそれらをすぐに納得する事が出来た。
そして、俺は湖晴に『実は、実の姉妹である阿燕と須貝を仲直りさせる為のアレ』を取りに帰って貰い、数10分前と同様に1人で阿燕探しに没頭していた訳だ。
だから、俺は人通りが少なくて周囲の目が少ないここへ来た。つい先程、阿燕には電話で『人通りの多い所に行け』と言っておいたが、おそらくそれは実行されていないと思うからな。
もし、それが実行されていたのなら、阿燕は須貝等追っ手から人混みに紛れて隠れる事が出来、時間に余裕が出来る。時間に僅かな余裕さえ出来れば、阿燕は俺に自分の居場所を伝えるはずだ。
だが、先程の電話から数分間経った今現在、阿燕からの着信は無い。だから、阿燕は今だに余裕を作る事が出来ず、人通りの少ない、今俺の目の前にある様な路地裏で逃げ回っているのだろう。
暗くて人通りが少なく目印なんて在る訳無い、そんな路地裏で走り回っていたのなら、自分が今何処を走っているのかを把握出来なくても不思議ではない。即ち、つい先程の電話で阿燕が俺に自身の居場所を伝える事は不可能だったのだ。
俺は決意を固め、特に変わった装備もせず、その路地裏へ入って行った。原子市の路地裏が変なのか、他の街の路地裏が普通なのかは知らないが、今俺が入って行った路地裏は簡単な迷路みたいな構造になっているのを俺は知っている。
平凡な男子高校生はこんな事知る余地も無いのだが、残念ながら俺はそれを知っていた。以前、ここに来た事があるからな。そう、阿燕の過去改変前の時だ。
あの時は、阿燕にこれ以上取り返しの付かない事をさせない為に必死だったので意識に残り難いと思っていたが、意外な事にも俺の脳内に根強く路地裏の構造がインプットされていた。まあ、阿燕の過去改変後に1度だけ、湖晴と何か異常が起きていないかを調査しに来たからかもしれないがな。
俺は徐々に暗くなって行く視界の下、人の気配が無いのを確認しつつ、歩いた。
今までの過去改変の結果から考えると、過去改変前の出来事・場所は過去改変後の出来事・事象と少なからず関係するはずだ。だから、阿燕と実は密接な関係にあった須貝の過去改変前のキーはここの路地裏だと思ったのだが・・・・・俺の思い違いだったのだろうか。
幾ら前に進んでも、まるで人の気配が無い。それどころか、物音1つ聞こえない。表通りの雑音が聞こえて来てもおかしくはないはずなのだが、俺はもうそんなに奥に来てしまったのか。
俺は薄暗くて狭い路地裏に放置されているゴミ箱や重たい物でも入っているらしい段ボーみたいな箱を足で退けつつ、自分の勘を信じて進んだ。阿燕が無事なら俺に電話して来るはず。だが、それが無いと言う事はまだ阿燕は須貝等追っ手から逃げていると言う事だ。
だから、この路地裏にいる可能性も少なからず・・・・・ん?
「今、段ボールが動いた様な気が・・・・・」
さっき俺が足でどかした段ボールが俺が横切ろうとした時一瞬動いた気がした。中に何か動く事が出来る物が入っているのだろうか。俺は特に気にする事無く、そのまま歩き進もうとした。しかし、その一瞬後、俺はある事に気が付いた。
・・・・・これはかなり不味いかもしれない。
須貝は阿燕の事を狙っており、その弊害に成り得る俺の事を調べ上げていた。もし、須貝が俺がここに来る事を予測していたら?もし、人通りの無いこの路地裏で俺を殺害する予定だったら?
もし、俺が何も気付く事無くこの段ボールを素通りしたが為に、後ろから襲われたら?終わりだ。俺の人生もだが、何よりも阿燕の身を守る事が出来る者、阿燕と須貝の誤解を解ける者が1人減る事になる。だから、俺はまだ生きなければならないのだ。
以前の俺なら、道端に落ちている何かが少し動いた程度でこんなに考える事は無かっただろう。だが、最善には最善を尽くす必要がある。俺は湖晴と出遭ったあの日から2週間、その事や他にも大切な事を学んだ。
俺は石橋を叩いて渡る精神でゆっくりと、慎重に、物音1つ立てない様に気を付けてその段ボールを開けた。
そこには・・・・・、
「・・・・・阿燕?」
「か、上垣外!?」
その段ボールの中には、膝を抱えて小さく丸まっていた阿燕の姿があった。阿燕は今にも泣き出しそうな顔をしながら、その段ボールの中から出た。何処かで引っ掛けたのか、阿燕の腕には切り傷が幾つかあり、薄暗いこの空間でも分かるくらいに制服は汚れていた。
その阿燕の姿を見るだけで、俺が阿燕を見付け出すこの瞬間まで阿燕がいかに苦労して逃げ回っていたかがよく推測出来た。阿燕が自身の体に付着していたホコリ等を手で払っている最中に、時間短縮の為、俺は話し掛けた。
「何で段ボールの中にいたんだ?」
「べ、別に良いでしょ!取り合えず何処か隠れられる所、って考えてる時にたまたまここに来たのよ!」
「そうだったのか。追っ手は何処かに行ったのか?」
「え、ええ。私がここに隠れてたら、そのまま素通りして行ったわ。多分」
阿燕は今さっきまで自身が隠れていた段ボールを指差しながら、そう答えた。取り合えず、阿燕の機転が今回は時間稼ぎに役立ったみたいだが、この方法はそう何回も使えないだろう。それに、一刻も早くここから出た方が良いはずだ。念の為に、追っ手がもう1度見回りに来る可能性もあるからな。
それにしても、こんなに薄暗い所で女子高生がよくこんな薄汚い段ボールに隠れようなんて思えたな。男の俺でも中々そんな発想には至らないぞ。実は、阿燕は意外と野生的なのかもしれないな。
「上垣外。今、何か変な事考えたでしょ」
「そんな訳無い。さあ、ここからも早く出た方が良いだろう。さっさと出よう」
阿燕に俺の余計な思考を察知されたみたいだったが、それくらいなら俺でもスルー出来る。俺は足元と曲がり角の向こう側に気を付けながら、阿燕の手を引いて歩き始めた。
・・・・・あ、そうだ。人通りが少ない場所に出る前に現在は安全地帯であるここで阿燕から、今回の突然の事について聞いておかなければならないんだった。危うく聞くのを忘れて、そのまま聞くタイミングを逃し続ける所だった。
「そう言えば、阿燕」
「?どうしたの?」
「阿燕、さっき電話で『須貝に話しかけたら追い掛けて来た』みたいな事を言ってただろ?一体、何を言ったら追い掛けられたんだ?」
「いや、別に・・・・・昨日の事とか気になったから、少し話を聞いてみようと思って・・・・・それに須貝さん、今日調子が悪かったみたいだったから何かあったのか気になったから・・・・・」
「そうか」
阿燕は湖晴が俺に述べた真実を知らない。阿燕と須貝が実は姉妹で、2人の思いが擦れ違っていると言う事を。今、この場面で俺は阿燕にその事を言っても構わないと思う。だが、俺はあえて言わない。言うべき時が来るまでは。
それにしても、阿燕も阿燕だな。思いっ切り須貝の地雷を踏んでいるじゃないか。今朝、確かに俺は阿燕に昨日の出来事を曖昧な表現で返答した。納得出来ないのも当然と言えば当然だ。その現場にいた須貝に詳しく聞こうと思うのも分かる。
しかし、須貝の気持ちを考えると、それは完全に地雷その物なのだ。阿燕に話し掛けられた時、須貝がどんな気持ちになったかは詳しくは分からない。でも、辛かっただろう。今までずっと、1人で頑張って来たのだから。自分の存在を証明する為に頑張って来たのだから。
別に阿燕を攻めている訳ではない。阿燕も須貝も悪くない。そもそも、根本的な原因は豊岡宅に空き巣が入った事なのかすらも疑わしい。湖晴の推測を聞く限りでは、それ以外にも原因がある気がするのだ。だから、2人は悪くない。ただ単純に、少しだけ運が悪かっただけなのだ。
だから、そんな2人は元通り仲の良い、普通の姉妹に戻るべきなのだ。今の2人の気持ちを無駄にする訳ではないが、辛い記憶なんて無い方がマシなのだ。俺は過去改変をするはめになっても、しなくても、この2人を救う。
「上垣外・・・・・?」
「え?」
不意に心配そうな顔で阿燕が俺の事を見上げて来た。その阿燕の姿を見た俺は我に帰り、目の前の厄介な問題を先に片付ける事に意識を集中した。まずは2人の仲直りとか過去改変とかより前に、阿燕の安全の確保だ。
「ああ、悪い。考え事してた」
「そう?なら良いんだけど・・・・・ふふっ」
「どうかしたのか?」
「ううん。何か、今日の上垣外は頼もしいなーって思って」
「そうか?」
阿燕は俺の手を握ったまま、少しばかり頬を赤らめてやや俯きながらそんな事を言って来た。
「どの辺が?」
「こんなよく分かんない状況なのに、全然落ち着いてるじゃん?」
「まあな。もう慣れたからな」
「え?」
「いや、何でもない」
危ない危ない。危うく俺も阿燕に余計な詮索をさせてしまう所だった。と言うか、過去改変の連続で俺の精神力が鍛えられている事を誰も知らないんだったな。俺自身もつい最近気付いた事だが。時空転移をすると過去改変前と過去改変後の世界で俺の認識が僅かに変化するから、その辺が少し難点なんだよな。もう少し何とかならない物だろうか。
「上垣外!」
その時。突然、阿燕が大声を出した。焦りと動揺を顕わにしている阿燕の視線は俺ではなく、俺の背後にいる何かに向けられていた。俺は後ろを振り返り、その人物の存在を認識した。
「見ー付けたっ・・・・・!」
そこには右手にナイフを握り締めている須貝輝瑠の姿があった。阿燕を追い掛けている最中にそうなったのだろうか、阿燕同様に着ている制服がやや汚れており、息も上がっていた。
それにしても、何時の間に俺の後ろに立っていたんだ。いや、俺が進行方向から見て後ろにいた阿燕の方を向いていただけだから、俺がこの路地裏に入って来た時の様に進んで来たのか。つまり、これも須貝の策略だったと言うのか?
俺がごちゃごちゃと考えていると、須貝は右手に握り締めていたそのナイフを振り上げ、そのまま勢い良く俺に向かってそれを振り下ろした。