第07部
【2023年09月25日12時34分56秒】
「はい。私、須貝輝瑠と言います。『お久し振り』です」
「お、おう。そんな有名人が俺達に何の用だ?」
俺と阿燕がベンチに座って話していると、不意に背後から人気アイドルの須貝から声を掛けられた。今日はテスト1週間前でクラブが停止中なので、このベンチの周辺には俺と阿燕くらいしかいないはずなのだが、何でそんな有名人がこんな所にいるんだ?
それに、ファンの生徒達や先生達も須貝の近くにはいないみたいだし(流石に昼休みまで付き纏われたら嫌だろうが)、何か様子がおかしいな。何と言うべきなのか、『嫌な予感』とでも言えば良いのだろうか。まあ、あくまで俺の信憑性に欠けるどうでも良い勘なのでそれ程重視する必要性は無さそうだが。
俺が須貝に用件を尋ねると、須貝はパアッと顔を輝かせながら嬉しそうに、俺達に話し掛けて来た。
「もしかして、私の事を特別扱いしないで話してくれるんですか!? 」
「え?あ、ああ」
「ありがとうございます!」
「お、おお!?」
あれ?何で俺、初対面の有名人からお礼を言われているんだ?
「私、今までずっと『アイドルだから』って言われながら色んな人達から、割れ物を触る様な扱い方をされて来たんです」
「はぁ」
「だから、こんな風に初対面でも特別扱いせずに、普通に話してくれる人は初めてなんです!」
ああ、何だ。そう言う事か。いわゆる、人気者アイドルならではの悩みと言う奴だろう。
その悩みがどれ程の物なのかは、超一般人である俺には全く想像出来無いが、それでも女の子が目の前で喜んでいる様子を見ていると、何だか嬉しい気持ちになる。取り合えず、話を合わせておこう。
「まあ、俺は平凡・普通・平均に加えて平等すらも理想としているからな。これくらい当たり前だ」
「ありがとうございます!上垣外さん!」
「・・・・・チッ」
その台詞と同時に俺は須貝に手を握られた。触り心地の良い綺麗な手だなー、とか思っていると、俺の隣に座っている阿燕から一瞬舌打ちが聞こえた・・・・・気がした。
須貝が良い奴である事はもう分かったので、そろそろ話を戻そう。こんな所で長話していてもアレだしな。
「それで、俺達に何か用があって声を掛けて来たんだろ?何なんだ?」
「あ。そうでした。テヘ」
須貝は一瞬舌を出して、可愛らしく惚けた後、態度を変えて少し困った様な表情をしながら答えた。
「実は、少し厄介な事が起きてしまって・・・」
「厄介な事?」
「はい。先程、体育倉庫で剣道部の練習道具を調べていたら、何かに引っ掛かって取れなくなってしまった物がありまして・・・・・」
「ああ、そう言う事か」
成る程。確か、須貝は剣道部の部長を務めていたはずだ。基本的にテスト前しか来れない程忙しい身のはずなのに、よく頑張るよな。
だからなのだろう。自身が部長であると言う自覚を持って、テスト前にも関わらず体育倉庫に練習道具を調べに行っていたとは。流石、一流は心構えが一般人とは違う。
その際に、必要な物があったが、取れなくなってしまった。それで、丁度近くにいたのが俺と阿燕の2人だった、と。そう言う事で困っているのなら、助けるしかないな。
「色々と引っ掛かってしまっているので、お手数を掛けすると思うのですが、少しだけお時間宜しいでしょうか?」
「ああ、分かった。阿燕もまだ時間は大丈夫だよな?」
「え、ええ・・・・・須貝・・・さん?だったっけ?1つ良い?」
「はい?何でしょうか?」
何か気になる事でもあったのか、阿燕が須貝に質問した。
「体育倉庫って、どっちの体育倉庫?うちの高校には2つあるでしょ?」
「えーっと、Aの方だったかと」
「そう」
「?」
俺は体育倉庫に種類があるなんて今初めて知ったぞ。と言うか、種類が違うと何か問題でも発生するのだろうか。運動系クラブに所属していない(と言うかクラブにすら入っていない)俺には良く分からない2人の会話だった。
俺と阿燕は須貝に案内されながら、その後に付いて行った。よくよく考えてみれば、ベンチと体育倉庫の位置は結構離れていたのだが、須貝が俺達を頼ったと言う事は、そのルート上に俺達しかいなかったのか。
体育倉庫までおよそ3分の1くらいの地点まで歩いた時、俺の隣を歩く阿燕が話し掛けて来た。
「上垣外」
「どうした?」
「私、あの人の事を何処かで見た事あるのよ」
「ああ、それでか。だからさっき、須貝は『お久し振りです』って言ったのか」
あれは俺に言ったのではなく、阿燕に言った台詞だったのか。俺は須貝の事をテレビくらいでしか見た事がないからな。阿燕が須貝と何らかの古い知り合いなら『お久し振りです』と言う妙な挨拶も納得出来る。当の阿燕はよく覚えていないみたいだったが。
「いや、そうじゃなくて」
「どう言う意味だ?テレビで見た、とかでも無いって事なのか?」
「そう。しかも、つい最近会った訳じゃなくて、もっと、ずっと昔に会った様な気がするのよ」
だが、須貝の方は阿燕の事を知っていた(覚えていた)みたいだから、何らかの古い知り合いである事は確定だと思うのだが・・・・・ハッ!もしや、これは・・・・・、
「・・・・・成る程。前世の記憶か」
「え?何?」
「いや、何でもない」
危ない危ない。俺がもう少しで『痛い中二病キャラ』に成り果ててしまう所だった。阿燕がそう言う事に疎くて良かった。今の台詞を栄長に話でもしたら、俺はおそらく即死だっただろう(社会的に)。こう言う台詞は今後、あまり口に出さない方が懸命かもしれないな。
俺は自分で勝手に作り出した恥ずかしさを誤魔化す為に、先程阿燕が須貝にしていた質問の意味を聞いた。
「それはそうと、阿燕」
「何?」
「さっき、須貝に聞いていた『体育倉庫が~』とか言う質問は何だったんだ?AとかBとか関係あるのか?」
「ああ、そっか。上垣外はクラブに入ってなかったわね。体育委員にもなった事無いの?」
「逆に聞くが、あると思うか?」
「その様子だと無さそうね」
確かに、運動系クラブに入っていたり体育委員になっていたりしたら、何度か体育倉庫にもお世話になる事だろうが、生憎俺は帰宅部で委員会は無所属だ。クラスの係もろくな係には当てられていない。
と言うか、何か俺が阿燕に質問した事と阿燕が答えた内容が食い違っている様な気がするのは俺だけなのだろうか。本題に入る前の前置きとして必要なのなら、別に構わないのだが。
「それがさっきの質問にどう関係あるんだ?」
「上垣外は知らないと思うけど、体育倉庫はAとBの2つあるのよ」
「それはもう知ってるぞ」
「それで、体育倉庫Aには『剣道部の練習道具は無かったはずなのよ」
「そうなのか?」
ソフトボール部と言うバリバリの運動系クラブに所属している阿燕が言うのだから間違い無いとは思うのだが、それだと須貝の言っていた事は一体?いや、久し振りに学校に来たからうっかり言い間違えただけかもしれないな。
「あと、一応言っておくけど、言い間違えるなんて事は無いからね?」
また俺の声が外に漏れていたのか、阿燕が先に俺の疑問に答えた。
「何でそう言い切れるんだ?」
「体育倉庫は結構大きめだから、1つはグラウンドの端、もう1つは体育館の横にあるのよ。しかも、出入り口にちゃんと『A』とか『B』とかって書いてあるの」
「だが、やっぱり言い間違えただけじゃないのか?久し振りに学校来たみたいだし」
「そうだと良いんだけどね」
阿燕のやけに意味深な台詞に俺は何の疑問も抱かなかった。その後、俺達は黙って、俺達の前を歩く須貝の後ろに付いて行った。
それにしても、須貝って本当に綺麗だな。湖晴や栄長の様な綺麗さとは違った綺麗さがある様に思える。流石は人気アイドルと言った所だろうか。
鮮やかな色の長髪を栄長とは大分印象が異なるポニーテールに結わえている。そう言えば、今ふと思った事だが、阿燕と須貝の髪の色に何か近い物を感じるな。親戚とか従姉妹とかそう言うのなのだろうか。須貝も阿燕の事を知っているみたいだし。
「ここです。着きました」
「おう」
俺達はようやく、目的地らしいグラウンド隅に設置されている体育倉庫前に着いた。見てみると、俺達3人の目の前にある体育倉庫には大きく『A』と書かれていた。
阿燕の言った通りだ。となると、須貝は何らかの勘違いをしてここまで来たのだろうか。練習道具が『引っ掛かって取れない』と思ったのは本当は『見当たらない』の間違いだったのかもしれない。
俺がそんな須貝に対して、親切心を持って体育倉庫の種類がそもそも違う事を訂正しようとした一瞬前、先に須貝が口を開いた。
「先に倉庫内で待っていて下さい。私は何か役に立ちそうな物を持って来ますから」
「あ、ちょっと・・・・・行ってしまった」
俺が声を掛ける前に須貝は何処かへと走って行ってしまった。テレビ等に出ている時は結構しっかり者の様に見えたが、実は意外とそうでもないのかもしれない。
体育倉庫を間違えた挙句、『何か役に立ちそうな物』とか言う曖昧な表現の物を持って来ると言って何処かへと走り去る・・・・・もしや、実は須貝は『ドジっ子』なのだろうか?よく芸能関係の番組で放送している『アイドルの意外な素顔!』とはこの事なのだろう。
取り合えず、俺と阿燕は須貝に指示された通りに先に体育倉庫Aの中に入って待つ事にした。倉庫の中は窓が幾つか付いていた為それ程暗くは感じなかったが、それでもやはりホコリっぽく、少し息苦しい様に思えた。
「阿燕。やっぱり、少しおかしいと思うか?」
「そうね。体育倉庫Aには剣道部の練習道具は無いはずなのに」
「まあでも、須貝が戻って来てくれない限りは間違いの訂正しようが無いからな。どうしようもないな」
よくよく考えてみれば、俺はまだ昼飯を食べていないし、音穏と栄長を待たせているのだった。2人の為に買ったジュースはポケットの中に閉まっているから無くしはしないと思うが、そろそろ帰らないと温まってしまう。
その時だった。
バンッ!
「何だ!?」
「何の音!?」
何の脈絡も無く、俺と阿燕が須貝に指示された通りに入った倉庫の出入り口である大きめのドアが突然閉まった。それと同時に倉庫内は更に暗さを増した。
俺は視界が悪かった為、音のした方向へと適当に走って行き、そしてドアらしき物を掴んで開けようとした。しかし・・・・・、
「クソッ!鍵が閉まってる!」
「何で!?何でいきなり!?」
「分かんねえよ!だが、誰かが来るまでずっとここにいるなんて、俺は嫌だぞ!」
体育委員とか体育教師が開いていた倉庫のドアを閉めたのか?いや、そうだったら念の為に中に人がいないかを確認するはずだし、そもそも俺と阿燕は出入り口からすぐ見える範囲内にいた。だから、どれ程視界が悪くても、人2人が目に入らない訳ないだろう。
それだったら、誰かの悪戯か?その対象が俺や阿燕に限らず、ただ単純に悪戯好きな人間がこれをしたのか?・・・・・いや、その可能性も低い。俺達3人がここに来た時には周りには他の生徒及び先生はいなかったはずだ。
それに、もしただの悪戯ではなく、俺や阿燕に何らかの恨みを持っている人間がこれをしたと言う可能性も省いて良いだろう。俺は知り合いが少なく人脈が少ないし、阿燕はそんな事をする子ではない。
となると、風か?いやいやいや、風で橋が壊れるのは聞いた事があるが、風で大きくて分厚い体育倉庫のドアが閉まるなんて聞いた事無いぞ。
俺は焦っていた。これから、大変な事が起きる。取り返しの付かない事が起きる。そんな嫌な予感がしていたからだ。
その数10秒後、何の皮肉かは分からないが、俺のその嫌な予感は的中してしまう。
「ゴホッゴホッ!」
「阿燕!?どうした!?」
突然、阿燕が何かに咳き込み始めた。
「・・・何か・・・分からないけど・・・息苦しい・・・・・」
「何!?」
阿燕の顔色は次第に悪くなっていった。この症状がホコリアレルギーとかそう言う類の物ではない事くらいは、俺には分かっていた。しかも、阿燕には適応されて、俺には適応されていない。それはつまり・・・・・、
「畜生!どうにかしてここを出ねえと!急がねえと不味い!」
耳を澄まして聞いてみると、何処からかシューッと言う音が聞こえる。それはまるで、化学の授業で『何らかの気体をボンベから容器内に入れる』時の様な音だった。この場合、その答えは1つしかない。『ガス』だ。それも阿燕の症状から推測するに『毒ガス』。
それなら、謎の症状が阿燕にだけ適応されて、俺には適応されていないと言う事にも納得出来る。俺と阿燕には20㎝程度の身長差があるから、身長が低い阿燕が先に症状を発症したのだろう。
換気をして阿燕を助けてやりたいものだが、今はそれは出来そうにない。倉庫には一応窓が付いているが、鉄格子の様になっていて、隙間から窓を開く事は困難だ。
今は窓が元々の分だけ少し開いている為、俺には症状が現れていないが、こんな事をした犯人が外から窓を閉めてしまったら、俺にまで症状が現れてしまう。そうなると、この倉庫から脱出する方法が完全に無くなってしまう。
これは誰の悪戯なのか、誰の復讐なのか。俺は何の検討も付かせる事が出来なかった。だか、今はただ、ここから脱出する事が先決だ。阿燕を助ける為に。