■20121113 お婆ちゃんの桃の木
お題:夜と木 制限時間:30分 文字数:1864字
夜に木を眺めると、お婆ちゃんを思い出す。
別に特別な木じゃない、庭に植えられた桃の木一本。
あれはこの木を買って来た日の夜の事だった。
「沙耶ちゃん。お婆ちゃんはね……。戦時中にいろいろ苦労したんだよ。お婆ちゃんの実家は農家で果樹園をしてたんだけど、空襲で焼けちゃってね……」
悲しそうに若木を見るお婆ちゃん。
「だから植えてた桃の木も全部焼けちゃって……。その後も苦労苦労の連続で……転々と引越ししたり、結婚したりとかして……で、広い土地とか無くってね。桃の木なんて植えるなんて発想できなかったんだよ」
そう言っては悲しくほほ笑んだ。
お婆ちゃんが私たちと同居する事になった1週間後くらいの事で、お父さんが庭に一杯空いた場所があるから何か木を植えようと提案して、お婆ちゃんが桃が良いって言った、その理由がこれだった。
「お婆ちゃんも今年で喜寿だ……。いつまで生きられるか分からないけど、せめてこの桃の木が大きくなって、実が成って、みんなで一緒に食べられるまでは生きたいねぇ……」
桃栗三年、柿八年というけど、苦労ばっかりしてきたお婆ちゃんには長生きしてほしいと思って私は横で頷いてたのを覚えている。
お婆ちゃんが体調を崩したのは今年の初めだった。
長年苦労をしてきたせいかは分からないけれど、肺病だそうで、ゴホンゴホン咳をして……とうとう入院してしまった。
お婆ちゃんは、
「申し訳ないねえ、申し訳ないねえ」
って言いながら、お見舞いに訪れる私たちをありがたがっていた。
「お婆ちゃん、こんな病気、すぐに良くなるよ! だから頑張ろう?」
って呼びかけると、
「ああ、そうだねえ。今年で庭の桃も植えて4年だ。そろそろ実を付ける頃合だし、楽しみで死ねないねえ」
と口ぐせのように言う。
私はそんな痛ましいお婆ちゃんに胸を痛めながら「そうだね」って笑顔で返しては話に付き合う。
そんな日々が続いて、とうとう庭の桃の木に実が成って、お婆ちゃんに報告に行った。
その頃にはお婆ちゃんは人工呼吸器に繋がれて……ほとんど身動きが取れない程衰弱していた。
「お婆ちゃん! 桃の木にね! とうとう実がついたよ! 待ちに待った実がついたよ! ねえお婆ちゃん!」
そう呼びかけると、うっすらと目を開いて、
「そうかい、そうかい……もうちょっと……だねえ……」
って弱々しく相槌を打って微笑んだ。
私はそれを見て、せめて実が赤くなるまでは……それまでは死なないでって神様に祈った。
今日、実が赤くなって、食べ頃になった。
お婆ちゃんがあの日見ていたころと同じ時間に、桃の木から実を収穫する。
夜の闇に茂った桃の木は見上げるほどに成長していて……見上げるくらいになっていた。
それが、嬉しくて……そして悲しくて涙が出た……。
4つ収穫して、3つを台所のお母さんに託して、1つをお婆ちゃんの棺の前へ……。
「お婆ちゃん……間に合わなかったね」
って呟いて置く。
「せっかく……食べ頃になったのに……お婆ちゃん眠っちゃダメじゃん……」
それだけを言って私は涙を流した。
今日は……お婆ちゃんが明け方危篤になって……そのまま逝ってしまった。
昼間はお婆ちゃんの今後の事とかお葬式の手配とかで物凄く忙しくって……桃の事を思い出したのはさっきの事だった。
「もうちょっと早く実が成ってくれれば良かったのにね……」
棺の前に置かれた桃は赤いと言っても、スーパーに並んでるものと比べるとまだ青くて、お世辞にも売り物とは言えないようなものだった。
「沙耶ちゃん、みんなで食べましょう?」
後ろからかけられた声に振り向くと、お母さんとお父さんが立ってて、お母さんが切った桃をお盆に載せて持って来てくれていた。
「うん……」
みんなで……お婆ちゃんの棺の前で桃の乗った小皿を手に、桃の木を見ながら食べ始める。
「やっぱりだ……」
私は口にして1つ呟いた。
「ちょっと早く収穫し過ぎて……あんまり甘くないね……。むしろちょっとしょっぱいよ……」
元気なおばあちゃんの姿が無いのと、青い桃という事と、涙のしょっぱさで……桃は全然おいしくなかった……。
美味しくなかったよお婆ちゃん……。
お婆ちゃんの眠る棺に向かってそんな事ばかり、申し訳ない感想しか出てこなかった……。
《END》