第9話
バレー部の人達とは、それなりにコミュニケーションが取れる様になった。
和賀さんの様に私の事を名字で呼ぶ人は少なく、皆『ウサギちゃん』や『うさちゃん』、『ピョン吉』『ラビちゃん』等好き勝手に呼んでいるが、流石に『バニーちゃん』と呼ばれた時には驚いた。
私の入部の経緯を皆知っているので、時折物好きな人が交際を申込んで来る事があったが、丁寧にお断りしている。
茜は公言通り、気が向いた時や練習試合の時にしか顔を出さなかったが、皆『茜姫』と呼んで、出て来る時は大喜びされていた。
私も体調が悪い時には和賀さんにアパートに連れ帰られるが、普段は練習に参加し、ベンチやその周辺に腰を下ろして作業している事が多い。
歩き回る仕事は遼兄ちゃんに止められているので、ウロウロと動いて仕事をしようとすると、コートの中から和賀さんの怒声が飛んで来る。
「和賀が怒るから、座って出来る仕事をしようね、ウサギちゃん」
マネージャーの高柳さんが笑って、スコアブックの付け方やスケジュール管理等を教えてくれた。
6月後半に行われた東日本大学選手権…通称『東日本インカレ』で、鷹山学園体育大学男子バレーボール部は準々決勝迄勝ち上がったが、惜しくも昨年の優勝校に敗退を帰した。
プレー中の怪我等を補う為、私もベンチでテーピング等を手伝った。
この時の事が切っ掛けで、時には乞われて膝や足首のテーピング等を手伝う…これは、日常的に自分の足に施している事だから、他の人よりは手馴れているので喜ばれた。
「典ちゃんのテーピング技術は、宇佐美先生直伝だからね…」
「宇佐美先生も、ウチの部に顔出して貰えませんかね、コーチ!?」
「そうですよ…練習やトレーニングを見て、何か助言を与えてくれるだけでも……うさちゃんからも、お父さんに頼んで貰えないか?」
「そうだ、ピョン吉が居るじゃないか!なぁ!?頼んでくれよ、ピョン吉!」
答えられずに俯く私に代わって、遼兄ちゃんが少し声を尖らせる。
「無茶を言うもんじゃない!!宇佐美先生は現役で海外遠征も多く、お忙しい身なんだぞ!」
遼兄ちゃんは…ウチの事情も、父と私の確執も、全て把握している。
だから父の絡む話には、然り気なくフォローを入れてくれた。
そして、もう1人…。
先輩の足首のテーピングが終わった途端、再び父の事で口を開こうとした部員に分け入り、いきなり私の腹を掬い腕を回すと、荷物を運ぶ様に軽々と脇に躰を抱え上げられる。
「和賀っ!?」
「何て事を!大丈夫かい、うさちゃん!?」
「…あっちで、ずっと浩一が待ってんですよ!くっちゃべってたら、いつまで経っても練習出来ないでしょうが!?」
「だからって…女の子に、そんな…」
「大丈夫ですよ…コイツは、俺のこういう扱いにも、もう馴れましたから…行くぞ、宇佐美」
小脇に抱えられたままテープと鋏を持って頷くと、部員の人達の心配顔を無視して、和賀さんは私を体育館の隅に連れて行った。
「…悪いね、ウサギちゃん」
松本さんが苦笑いしながら迎える簡易治療台に、和賀さんは私をそっと下ろして気遣う様に顔を覗き込む。
「…大丈夫か?」
それは、どっちの意味で聞いているのだろう?
父の話が出た事か、それとも手荒な方法で運んで来た事か…多分、どちらもなんだろうが…私は、黙って頷いた。
「気遣うなら、もっと優しくしてやればいいのに…ねぇ、ウサギちゃん?」
「煩せぇよ」
拗ねた様な声が、頭の上から響く。
和賀さんは…優しい。
あの時以来、時折私を抱き締めてキスをする。
驚いて泣く事はなくなったが、未だに緊張するし…たまに、大きな獣に頭の先から食い尽くされてしまうのではないかと思う事がある。
「怯えんな…これ以上、何もしねぇから…」
そう言って首筋に顔を埋められる…それが一番ゾクッとして困るのだが、何となく…申し訳ない様な気がして、拒めない自分がいた。
雨が降り頻る肌寒いその夜、マッサージを終えて微睡む私の顔を覗き込んでいた和賀さんが言った。
「宇佐美……頼みがある」
「…?」
「怖がんなよ?」
「…」
「お前を…抱いて寝てみてぇんだ…」
「…」
「腕に抱くだけ…何もしねぇから」
「…」
「誓うから…添い寝だけ……駄目か?」
「……狭いですよ?」
そう答えた途端フワリと抱き上げられ、下ろされた時には和賀さんの腕の中に寝かされていた。
眼鏡が無くてもハッキリと見て取れる程の至近距離に和賀さんの顔があり、私は思わず身を固くして目を逸らした。
「同じ目線にしてやっても、まだ逸らすのか…お前は…」
「……済みません」
「お前…本当に19か?」
「……まだ、18です」
「何月生まれだ?」
「秋です…11月…」
「何日?」
「……23日、勤労感謝の日」
「いいな…国民こぞって祝ってくれてるみてぇで」
「………和賀さんは?」
「…笑うなよ?」
「…」
「…3月3日」
「……お雛様が女の子の節句の様に扱われ出したのは、確か江戸時代以降ですよ?元は『上巳の節句』と言って、流し雛や人形を川に流して穢れを祓う、厄払いの日なんです」
「…」
「流し雛は平安時代より古くて…京の都では貴族の間で、厄災から家族や家を守る為に、人形や屋敷を模した物を飾る様になって、それを庶民が真似る様になって…」
「…お前……何、むきになってる?」
「……だから……元は、女の子のお節句じゃなくて…」
和賀さんは吹き出しながら笑うと、私の頭を抱き寄せた。
「…悪ぃ…怒ったか?」
「…怒ってません」
「嘘付け…ホラ、怒ってる。最初お前の事、表情乏しいと思ってたんだが…良く見てると、案外百面相…」
「…怒って…ません」
「…」
溢れそうになる涙を必死に堪えると、突然両の目尻を吸い上げられ、最後に軽くキスされた。
「…何があった?」
「…」
「笑い掛けられるのが苦手って言ってたよな?」
「…」
「お前の感情表現って、全部泣くんだ…良く見てると、ホッとした時や、怖がった時、怒った時…泣き方が違う……でもな…何で笑わねぇ?」
「…」
「『喜怒哀楽』の『喜』と『楽』が、殆ど抜け落ちちまってる。お前の感情は、殆どが『哀』だろ?」
「…」
「お前の、笑ってる顔…一度も見た事ねぇ」
「……済みません」
「謝る所じゃねぇよ」
「…」
「愛想笑いも出来ねぇ俺が言うのも何だが…お前、俺の上行くだろ?俺だって、可笑しい時や浩一と馬鹿話してる時には、腹抱えて笑うぞ?」
「…」
「玉置と一緒の時にも笑わねぇんだってな?こないだの親父さんの様子じゃ、家に居ても…」
「…済みません」
「だから、謝る所じゃねぇだろ…今…」
「…」
「何があった?」
「……別に」
身を固くして震える私の背中を大きな手が撫で下ろし、大きな溜め息が吐かれる。
「俺には、まだ言えねぇか…」
「…」
「お前がな…俺の胸で思い切り泣いて……その後笑顔になれればいいんだ。だが、違うみてぇだしな…」
「……済みま…せん」
「…」
背中を撫でていた手が腰に回され、肩に回された腕と同時に、私を強く抱き締める。
息苦しくて顔を上げると、和賀さんの鎖骨の上に顎が上がる状態になり、逞しい首に唇が触れてしまった。
「ぁ…ごめんなさ…」
ピクリと痙攣する和賀さんが腕に力を込めると、私の躰がギシリと音を立てた。
「……壊しちまいそうだ」
「…ごめんなさい」
「何でそう謝ってばかりなんだ!?」
「…」
「そんなに、自分に自信がねぇか!?」
「…」
「そんなに…辛かったのか?」
沸き上がる感情が何であるかわからない…ただ、叫び出したい衝動を必死に堪えた。
震えて喘ぎながら息をする私を心配そうに見下ろし、和賀さんは溢れる涙を拭ってくれる。
「大丈夫か?」
「……寒い」
「…ん」
「…寒くて……寂しい…」
「え?」
「……和賀さんは…いつも女の子に……こんな事するんですか?」
「…お前…何言ってる…」
「こんな風にされたら……私…勘違いしてしまいそうで…」
「…」
「……寂しくて……寒くて…心が凍り付きそうで…」
「…」
「………寒いよぅ」
「…大阿呆」
多分、その後又泣いてしまったのだろう…翌朝、ピピッという電子音で目が覚めた。
「起きたか?」
「……ぁ…おはよう…ございます」
「夕べから、余りにも寒いって言うんで、気になってたんだが…やっぱ、熱出てたみてぇだな」
体温計を覗き込んでいた和賀さんが、私を起こして蓋を開けたペットボトルを差し出した。
「…済みません」
少し頭がふらつく…あれは、悪寒だったのだろうか?
ペットボトルの水の冷たさが、躰の中に染み渡る。
「……寝れなかったんじゃありませんか?」
「いゃ…少し寝た。寝れなかったのは、お前だろう?」
そう言って眉を寄せ顔を覗き込まれる。
「ずっと泣いてた」
「…」
「冷蔵庫、勝手に開けたが…何もねぇんだな?」
「…済みません」
「水と栄養補助食品のゼリーだけ…お前、あんなもん食って生活してんのか?」
「…」
「飯、作れないのか?」
「そんな事ないです。一応作れます…家でも家事してましたから…」
「粥でも拵えてやろうかと思って探したが…米すら無かったぞ?」
「……余り…食べたくなくて…」
「前から思ってたんだが…昼も、あんま食ってねぇよな?」
「…」
「夜は?」
「…おにぎり買う事もありますけど…あんまり…」
「…」
「…何食べても……砂を食べてるみたいで……取り敢えず、薬で栄養だけ…」
「宇佐美ッ!!」
「…はい」
「お前……生きてるか!?」
「…」
「クソッ!!端から、こうしとけば良かった!!」
和賀さんは、私の躰をタオルケットで包むと、掃き出し窓から和賀家の母屋に担ぎ込み、そのまま食卓のある居間に座らせた。
「おはよう…って、要…典子ちゃん、どうしたの?」
「姉貴、コイツ…今日からここで飯食わせてやってくれ!!」
「!?」
「いいけど…どうしたの?」
「どうもこうもねぇ!!コイツ、もう少しで死ぬ所だったんだ!!」
驚く和賀家の面々に、私は首を振って否定し逃げ出そうとしたが、和賀さんはそんな私の腕を掴んで離さず、私の食生活を暴露した。
「…典子ちゃん、構わないから…ウチで食事しなさい」
「…でも」
「典子ちゃん1人で心苦しいなら、松本君も呼ぶといい…要、声を掛けて来なさい」
「わかった」
和賀さんが松本さんを呼びに立つと、真子さんの旦那さんである祐三さんが優しく笑い掛けてくれた。
「食事はね、大勢で食べる方が美味しいんだよ?ウチの奥さんの料理は、ワイルドだけど美味しいんだ」
「どういう意味よ!?」
台所で真子さんが振り向いて、笑顔の祐三さんを睨んだ。
「…ぁ…お手伝い…します」
何とか立ち上がって台所に行こうとすると、部屋に戻って来た和賀さんの怒声が響いた。
「宇佐美ッ!!」
「!?」
「お前、熱噴いてんだろうがっ!?大人しく座っとけっ!!」
俯いて涙を堪える私の肩を、松本さんが優しく叩いた。
「座ってよう、ウサギちゃん。体調が戻ったら、存分に手伝ったらいいだろう?」
仕方無く座ると、何だが躰中がポウッと熱っぽく、折角出された食事も殆ど手を付ける事が出来なかった。
「…要…典子ちゃん、熱上がったんじゃないの?」
いつもは暖かいと感じる和賀さんの手が、冷たいと感じる程に私の熱は上がっていた。
小さな小皿に用意された薬を飲むと、和賀さんは有無を言わさず自室のベッドに私を寝かせ様とする。
「…あの」
「いいから、ここで休め!」
「…でも」
「いい加減にしろよ、テメェ!!死にてぇのかっ!?」
胸ぐらを掴まれるとベッドの上に放り投げられ、その余りの手荒さに私は怯えて泣いた。
「いいかっ!?熱が下がる迄、ここで生活しろっ!!」
「…」
「どうしようもねぇだろうがっ!!お前、自分の部屋に帰っても、水だって食い物だって、摂りゃしねぇだろ!?」
「…」
「そんな半端な生活しかしねぇなら、独り暮らしなんてするんじゃねぇ!!大学だって辞めちまえっ!!」
私は泣きながら和賀さんの部屋を飛び出し自分の部屋に戻ると、押し入れの中から段ボールを取り出して組み立て、手当たり次第にその辺りの物を放り込んだ。
「…やっぱりお前…大馬鹿だ」
熱と涙で朦朧とした私を、和賀さんは大きな腕で包み込んだ。