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第8話

誓って言うが、俺は宇佐美を泣かせたかった訳じゃない!

本館前で、手首を持って吊り上げられた状況の彼女を見た時の憤り…慌ててこの手に奪い返したら、相手は宇佐美の親父だったっていう落ちだった。

だが、何なんだあの親父は…っていうか、あの親子は!?

確か生まれた時母親を亡くして、父親と2人だと言っていた筈だが…あれが親子の会話って言えんのか?

正門を飛び出した宇佐美を追うと、どんどん歩調が早くなり、とうとうピョンピョンと走り出した。

後ろから呼び掛けても無視するもんだから捕まえて抱き上げ文句を言うと、又泣き出しそうになって慌てた。

思い付いて、学校裏の神社の石段を駆け上る…ここはこの辺りの一番高台で、子供の頃から俺達近所のガキの格好の遊び場だった。

境内の拝殿の階段に腰を下ろし…自分らしからぬ提案をした。

『お前の泣き場所…お前限定で、俺の胸貸してやる』

言っている自分が信じられなかったが、言った気持ちと言葉は本心だった。

他の誰の前でも泣かない宇佐美が、俺の前だと手放しで泣いたりする…これって、やっぱり…俺に心を開いてる…俺の事を好きだって事か?

「お前、俺の事…好きなのか?」

グズグズと俺の胸で泣いている宇佐美の背中を撫でながらそう尋ねると、ビクリと小さな肩を痙攣させた。

「…」

「…宇佐美」

「………済みませんでした。帰ります」

「…」

俺の膝を降りると深々と腰を折り、彼女は踵を返して石段に向かった。

「待て、宇佐美…危ないから」

「…平気です」

彼女の少し頑なな態度に眉を寄せつつ、石段の手摺を持つ彼女に話し掛ける。

「…前、見てみろ」

「…」

「ここは、この辺りで一番の高台なんだ…ガキの頃は、眺めがいいここから、良く叫んでた」

「…何を?」

「色んな事…喧嘩して悔しかった思いとか、好きな女子の名前とか、将来の夢とか…」

「…」

「お前の将来の夢って何だ?」

「……和賀さんは?やはり、Vリーグとか、全日本ですか?」

「そりゃ、なれりゃな…だが、恐らく無理だ」

「え?」

下を向いていた彼女が、やっと俺の顔を見上げた。

「俺の兄貴も大学迄選手だったって言ったろ?俺より、数段凄かったんだ…だが、プロ入りは果たせなかった」

「…」

「それに、俺は癖が強いから…俺のスパイクは、浩一が絶妙なトスを上げてくれて、初めて生み出される…高さも、威力も、決定率も…浩一とのコンビじゃねぇと、なかなか上手く行かねぇんだ」

「じゃあ…一緒に…」

「無理だな…アイツも腰に爆弾抱えてる。浩一が今レシーバーに甘んじてるのは、俺がスーパーエースになった時の為に、腰を労ってくれているからだ」

「…そうなんですか」

俺は石段に腰を掛けると、頬杖をついて言った。

「まぁ、俺も膝に爆弾抱えてるしな」

「…右膝…ですか?」

「よくわかったな?」

「和賀さん…踏み込みが甘いと、右足の力だけで飛び上がるから…無理に打とうとして躰を捻るから、腰にも負担が…」

驚いた…練習に来ても、俯いてボールを磨いているか、ノート付けしかしてなかった筈だ…。

「…済みません、知った風な事…」

「いゃ…良く見てんな…膝は兎も角、腰の事は誰にも言った事なかったのに…」

「…」

「プロは無理でも、バレーに関係ある仕事はしてぇな…今は、漠然とそう思ってる」

「…そうですか」

「お前は?」

「…」

「夢…あるんだろ?」

「…夢とは別に…目標ならあります」

「どう違うんだ?」

「私の夢は……現実には、絶対に叶えられない夢なんです」

「目標は?」

「……独りで生きて行ける様になる事…」

「…」

「大学で資格を取って、卒業して働いて…独りでも生きて行ける事を証明したいんです」

「…お前の親父さん…進学反対だったのか?」

「…」

「いっつも…あんななのか?」

「済みません…不愉快な思いをさせてしまいましたよね?」

「いゃ…俺はいいけど…仲悪いのか?」

宇佐美は、少し遠い目をして目の前に広がる景色を眺めた。

「和賀さんの御家族は、皆さん仲が宜しいですよね?」

「まぁ、家族で商売やってりゃ、あんなもんだろ?」

「…羨ましいです」

「嫌いなのか?親父さんの事…」

「そういうんじゃなくて…見解の相違というか…」

「…」

「感謝してるんです、とても……男手一つで障害のある娘を育てるのがどれだけ大変だったのか、今の私にはわかりますし……父が犠牲にして来た物も、計り知れません」

「親なら、当然だろ?」

「……和賀さんのそういう所…凄く好きです」

「えっ!?」

頬杖を付いていた腕がガクンと外れ、バランスを崩しそうになる。

「…怖いから…止めて下さい…」

ヒッと息を吸い込みながら、青い顔をした宇佐美に怯えた声でそう言われ、俺は立ち上がってジーンズの尻を払った。

「お前さ…」

「…ありがとうございます」

「何が?」

「さっきの…私限定で貸して下さるって…」

「あぁ…」

「…御迷惑にならない様に…使わずに済む様に……頑張ります」

「…」

「…私、帰ります」

そう言いながらも、既に眼鏡の奥の大きな瞳は潤んでいた。

「…ッアァ~ッ!!クソッ!!」

俺は宇佐美を横抱きに抱えると、驚く彼女を元の拝殿の階段迄運んで座らせ、両手で彼女の頬を挟んだ。

「お前っ……俺の事…好きだよなっ!?」

瞠目する彼女は何も答えず、怯えた瞳だけを揺らす。

女に対して自分からアプローチするなんて、初めての経験で…どうすればいいかも良くわからない。

唯、今迄付き合って来た女達と比べ、宇佐美は…小さくて儚げで…手荒に扱うと壊れてしまいそうで…。

怯える彼女の唇をそっと塞ぐと、宇佐美は俺の腕を掴み、少し押し戻す様な素振りを見せた。

昨夜の様に、何度も唇を押し当て…決して怖がらせ無い様に、俺としては細心の注意を払ってキスをして呼び掛ける。

「…怖がんな……歯、食い縛らずに…力抜け…」

「…」

少し怯えて震えながら俺を受け入れ、舌を絡める程にヒクリヒクリと怯えながら反応する初々しさに、己の征服欲がムクムクと沸き上がる。

いつの間にか固く抱き締めて深い口付けを与えると、腕の中の彼女が喘ぎながらポロポロと涙を流した。

唇を解放すると、ズルズルと鼻を啜り、俺を見上げて眉を寄せ、

「…うっ…うえぇ…」

と、しゃくり上げる。

止まらない涙を啜ってやりながら、胸に抱き込んで、

「…典子…」

と呼び掛けると、俺の胸の辺りに手を付いて、躰を離す素振りを見せた。

「どうした?負ぶって帰ってやるから大丈夫だ」

「…でも」

「そんなぐちゃぐちゃの顔で歩くよりましだろ…それに、そんな状態で石段踏み外したら、事だからな」

「…」

宇佐美が落ち着くのを待って、俺は彼女の前に屈んで背中に乗る様に急かした。

彼女は諦めた様に俺の背中に乗り、首に腕を回す。

勢い良く立ち上がると、背中で小さく悲鳴が上がった。

「…怖いか?」

「……高いです」

「そうだな…これが、俺が見ている世界だ」

「…ぇ?」

「地上190㎝の世界……身長195㎝の、俺が見ている世界…」

「…」

「降りるぞ?」

「…はい」

俺は、ゆっくりと…石段を踏み締めて降りた。

「……和賀さん」

「ん?」

「…」

「何だ?」

「……どうして…」

「…阿呆ぅ」

それから家に帰り着く迄、俺達は互いに何も話さなかった。

帰り着いた俺の部屋で、俺は再び宇佐美を抱き締めて唇を重ね、バレーの練習の為に大学に戻った。



翌日、アパートの鍵が取り替えられ、私は部屋に戻った。

茜にその旨を連絡すると、早速山の様にお菓子を持って遊びに来てくれた。

「何、ソレ…相変わらず、無茶苦茶な男だわね!?」

「…」

「でも、良かったじゃない。典子も、彼を好きなんでしょ?」

「…」

「違うの?」

「……違わないけど…でも…」

私は、不安だった…何もかもが、怖くて仕方なかったのだ。

「何が不満なの、典子?」

「…」

「好きな相手に抱き締めて貰って、キスされて…何が不満?」

「……不満じゃなくて…不安…」

ハァと呆れた様に溜め息を吐かれ、茜はポットの紅茶を注いだ。

「どこが?」

「……全部」

「あのねぇ…まぁ、恋には多少の不安は付き物だけど……典子のは、違うわよね?」

「…」

「お父さんの呪縛から解き放たれる為に、1人暮らし始めたんでしょうよ……自分で殻作って、どうするの!?」

「でも…」

「典子ぉ…そんなんじゃ、恋人も出来ないわよ?」

「…」

「まさか、作らないつもり?」

「…」

「結婚は!?」

「そんな……無理よ…」

「ちょっと待ってよ…結婚もしない、恋人も作らない……何が楽しくて生きてるんだか、わかんないわ!!」

「…私は…独りで生きて行けたら…それでいい」

「…馬鹿ね、典子…人間は1人では生きられない。テレビでも長髪の先生が言ってたでしょ?『人』という字は、人と人が支え合って…」

「…迷惑掛けたくないもの……好きな人には、特に…」

「それなら1人で生きるって!?やっぱり、馬鹿ね…大馬鹿!!」

「…」

「典子の運命の人が、和賀さんかどうかなんてわかんない…でも、典子自身が最初から諦めてお婆さんみたいな事言ってたら、幸せなんて手に入らないわよ!?」

「…和賀さんは…きっと衝動的に動いただけよ」

「好きだって……あ、そうか…自分の事を好きだよなって言ったんだ…」

「…そう」

「あの馬鹿!!何で、そんな紛らわしい確認の仕方するんだか!?」

「私も…そう聞かれて、答えられなかったから…一緒よ」

「2人揃って大馬鹿なんだから、お似合いなのよ!!」

呆れ顔で怒りつつ、持って来たケーキを大口開けて頬張る茜が、フッと思い付いた様に私に尋ねた。

「ねぇ…高校の時の先輩の事、まだ気にしてるの?」

「…」

「確かにアレは…お父さんも行き過ぎだったかもしれないけど、先輩もヘタレだっただけよ?先輩が受験失敗したのは、典子が責任感じる事じゃないでしょう?」

「…先輩だけじゃない…今迄だって、色んな人に迷惑掛けてるもの。もう嫌なの…私に関わる人に、嫌な思いをして欲しくないわ…」

「…詰まらないわ」

「…」

「そんな人生、凄く詰まらない…退屈過ぎて…刺激が無くて…」

「茜は?」

「私は、そんな人生嫌なの!政略結婚だろうが、納得した人じゃないとする気はないし、会社の経営も、出産も子育ても、自分のやりたい様にするわ!!」

「…」

「…典子、自分で気付いてないでしょう?」

「何を?」

「大学に入って、和賀さんと関わる様になって…典子変わった…可愛くなって、表情だって豊かになった。貴女、私の前でも殆ど泣けなかったのに、和賀さんの前だと号泣してるそうだし……昨日なんて、ビックリしたわ!」

「…」

「和賀さんの影響なんだと思う…昨日、ラウンジで松本さんもそう言ってたわ」

「…」

「珍しいんだってよ?和賀さんが、女の子の事を気に掛けるのって」

「そんな事…とても気遣いの出来る優しい人だって、お隣のお婆さんも言ってたもの…」

「ご近所じゃなくて…女の子の話!あのルックスでスポーツマンだから、良くモテるらしいけど…性格が禍して続かないらしいの。短気で俺様、バレー馬鹿だから、彼女なんて二の次で…女の子の方が耐えられないんだって。でも本人は平気で…来る者拒まず、去る者追わずらしくて…」

「…優しい人よ」

「…」

「昨日ね…負ぶって貰ったの」

「…前も、キャンパスで負ぶったり担いだり…」

「でも、怖くて恥ずかしくて、目を閉じてばかりだった…昨日は、目を開けてて…『これが俺が見ている世界だ…地上190㎝の世界だ』って…そう言ったの、和賀さん…」

「…」

「…凄かった…少し怖かったけど、私が知ってる世界と全然違ってた。いつもと同じ道なのに、私の見てる世界と和賀さんの見てる世界は、全く違う物だった。こんな世界を見てるから、色んな物事に対して考えるのに、私とは違うんだと思った。私の悩みなんて、彼にとっては直ぐに跨げちゃう程に小さな事なんだって…」

「…典子」

「私の知らない世界を見せてくれる…だから…これ以上は…近付いちゃ駄目なんだと思ったの」

「やっぱり馬鹿よ、典子…気付いてた?貴女、今…笑ってたのよ?」

「!?」

「悔しいわね…貴女を笑顔に出来るのが、あんな唐変木だなんて」

そう言って、茜は私の頬を笑顔で抓った。

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