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第72話

典子はチャペルの結婚式の間も、着替えて来てからのホテルの披露宴の間も、ずっと嬉し涙に暮れていた。

満面の笑みで皆の賛辞を受ける玉置とは対象的だ。

披露宴が終わり、記念撮影で一緒に写真に収まった玉置が、赤い鼻をした典子の涙をハンカチで拭うと、俺に真剣な視線を向けた。

「…頼むわよ、和賀さん」

「わかった…任せろ」

「要…ハイヤーを用意したから、乗って帰ってくれ」

「ありがとな、浩一。お前も、頑張れよ」

「あぁ」

ハイヤーの準備が整う迄皆とロビーのソファーで待つ内に、典子は俺の隣に凭れ泣き疲れてうつらうつらと寝てしまった。

「大木、浩一がハイヤー出してくれたが…お前、どうする?仲間と飲みに行くのか?」

「あ…一緒に乗せて貰えます?」

「あぁ、じゃあ引き出物と、典子の杖持ってくれるか?」

「了解しました」

広い車内に乗り込むと、車は音も立てずに静かに発進した。

「疲れはったんですかね?」

「泣き過ぎだろ?ずっと泣いてた」

「嬉しかったんですやろ?ほんまに、ごっつい綺麗かったし…茜姫先輩…」

「黙ってりゃ、最高にな…」

「美人は、あれ位でえぇんですよ!ウサギ先輩は、相変わらず可愛いらしいですけどね?」

確かに、卒業して今は玉置興産の専務を務める玉置は、ちょっと近寄り難い程の美女になり…それがゴージャスなウェディングドレスをまとうと、一国の女王の様な風格があった。

対して、薄い若草色の葉の様な形の生地を重ねたドレスを着た典子は、羽根でも付ければ妖精の様な愛らしさで…。

「…もうすぐ、25になるんだがな…」

腕の中で眠る典子を見下ろす俺をニヤニヤと見ていた大木が、少し真顔になって俺に尋ねた。

「来年、ウサギ先輩のお父さん帰って来はったら、先輩の家の隣で治療院しはるって、ホンマですか?」

「…どこから聞いた?」

「お婆ちゃん達の噂で…大先生も、そう言うてはったし…」

「…まだ、計画の段階だしな…はっきり決まった訳じゃねぇんだ」

「…そうですか〜」

「何だ?」

「いゃ…ウサギ先輩のお父さんが治療院開くんやったら、大先生本格的に引退しはるって言うし…俺も、就職先を探さんとなって…」

「お前には、一番にスタッフになって欲しいとスカウトする筈だが…典子から、何も言われねぇのか?」

「いゃ…何かね…曖昧に、治療院の話自体を誤魔化しはるんです」

「…心配するな。具体的になる迄、話をしないだけの事だろうからな」

「ありがとうございます」

ビル建設の計画が頓挫してしまったとはいえ、帰国した典子の父親がウチの隣で治療院をするのは、ほぼ決定している。

典子なら大木の質問を聞いた時点で、就職の心配をしていると気付く筈だ。

なのに、それを誤魔化すという事は…。

「なぁ、大木…最近、典子の様子…どうだ?」

「…忙しくしてはりますよ?患者さんとも、よぅ話す様にならはったし…唯、ちょっと…」

「何だ?」

「…体力的には、キツイんと違いますかね?実際、あそこを稼働させてるのって、俺とウサギ先輩だけやし…ずっと立ちっ放しですからね。マッサージや干渉波受けて下さいって言うても、遅く迄学生の奴等が押し掛けるし…」

「…」

「その影響なんか、最近ちょっと元気あらへんのですわ…足も…よう縺れはるんです」

「…」

「…痺れが…広がってるんと違いますかね…」

あの事件の後、どんなにリハビリを繰返しても、典子は普段の生活でも杖がなければ動く事が出来なくなってしまった。

手足に無数に突き刺さる釘を見て、警察官や救急隊員が絶句した程の怪我だったのだ。

利かなかった目と耳は、入院中に回復する事が出来たが、言葉を取り戻すには少し時間を要した。

普段通りに話せる様になったのは、姉貴の子供達が言葉を覚え始めた頃だ。

子供が言葉を覚える様に、子供達と一緒に少しずつ、少しずつ取り戻して行ったのだ。

それでも、本当に幸せそうに笑っていたのに…何故今になって離れ様とするのか…。

「俺が…あの時、細田と一緒に帰っとったら…」

「止めろ、大木…お前が責任感じる必要はねぇって、いつも言ってるだろ!?…あれは、俺の責任だ…俺が、もっと周りに注意して…典子に気を配ってやっていたら…防げてた筈の事件だったんだ!!」

「そやけど…」

「あの時、お前が俺達と一緒に居てくれたからこそ、犯人が絞り込めた…それにその後も、俺が離れてる時にはお前が典子をずっと守ってくれたから、俺も典子も安心して居られたんだぞ?」

「そう言うて貰えると嬉しいんですけど…俺は、それだけで先輩達と一緒に()ったんと違いますよ?俺は先輩達の事も、先輩の家族の人達も、あの街の人達も好きやし、何よりあの街の雰囲気が気に入っとぉんです!」

「…そうか」

「そやから、出来たらホンマに一緒に仕事させて貰いたいんで…宜しくお願いします」

「わかった、わかった…典子の親父さんにも言って置く。少し気難しい人だが…あの大先生とも上手く付き合えてるんだ。きっと大丈夫だろ?」

入学した頃の半分の体重になり、精悍な面構えがニッと破顔すると何とも愛嬌のある顔になる。

相変わらず出身地の言葉が抜けない割には、商店街の中に溶け込んで生活をするこの男の事を、俺も典子も気に入っていた。

家に帰って典子をベッドに寝かせると、俺は着替えて『KING』に向かった。

「いらっしゃい…何?珍しいわね?」

カウンターに座った俺に、沙羅さんはグラスを出すとニッコリ笑った。

「何飲む?珈琲?それとも、お酒?」

「…酒…バーボン」

「珍しいわね?ロック?」

「いゃ…ストレートで」

沙羅さんは棚からJIM BEAMのボトルを取り出すと、琥珀色の液体をグラスに注いでくれた。

兄貴と結婚してこの街に戻った沙羅さんは、夜になると『KING』をジャズ・バーにして営業している。

店の隅に置かれていたピアノの役に立つ日がやっと来たと、マスターが嬉しそうに涙ぐんだのが印象的だった。

「今日って、友達の結婚式って言ってなかった?」

「…無事に終わった」

「何かあった?」

「…なぁ…典子って、昼間来たりするんだろ?」

「えぇ、来てるわよ?」

「…何か…言ってた?」

「何を?」

「……何か…相談事とか…してんのか?」

沙羅さんは、もうひとつのグラスにKAHLUAとミルクを入れると、大きな氷を1つ浮かべた。

「…少なくとも、私にはしてないわね」

「…」

「何があったの、要?」

「典子な…又、グダグダ思い悩んでるみてぇで…」

「少し前…先月だったかな…」

カルーアミルクに浮かんだ氷を指先で弄びながら、沙羅さんはチラリと俺を窺った。

「大先生と典子ちゃんが来てたのよ」

「何か言ってたのか?」

「……典子ちゃんに、車椅子奨めてた」

「…」

「典子ちゃん、それじゃ仕事が出来なくなるって言って…でも大先生、何にも言わなくてね」

「…仕事、無理って事か?」

「大先生も、それ以上何も言ってなかったけどね…」

そんなに麻痺が進んでるって事なのか…毎晩のマッサージの時にも、典子は俺に何も話さないが…。

「聞いてなかった?」

「…知らねぇ」

「自分の事は、話さないからね…典子ちゃん」

「…」

「核に聞いてみたら?」

「典子、又核兄ぃに相談してんのか!?」

「私もね、良く知らないけど…この間の休みに泣かしてたから、多分ね…」

沙羅さんはそう言って、携帯で兄貴を呼び出した。

しばらくして店に現れた兄貴は、少し気難しい顔をしながら店のドアプレートを『close』にすると俺の隣に座り、沙羅さんに俺と同じ物を注文してテーブルに置かれた胡桃を俺に渡した。

「…お前達は、あんなに長い間同棲している癖に、相変わらず不器用な付き合い方しかしていない様だな」

「…典子、何を相談して来たんだ?」

「…」

「核兄ぃ!?」

握った胡桃が、バキッと音を立てて割れると、兄貴は俺の手から胡桃を奪い取り皮を取り除きながら俺に尋ねた。

「……イタリアから…最近連絡あったか?」

「典子の親父さんからか?典子には、連絡してるみてぇだけど…何で?」

「…お前には、連絡して来てないんだな?」

「あぁ」

「…って事は……向こうも了承したって事か…」

「何の話だ!?」

「要…あの父娘は、揃いも揃って…とんでも無く不器用者なんだな?」

「…」

「お前…チビ助から、捨てられるぞ」

「…玉置に言われた…典子が俺から離れ様としてるって…」

「婚約…解消したいと、相談して来たんだ」

「何で!?」

「……心当たりないのか?」

「俺にはねぇぞ!!」

「何も、お前に…何て言ってないだろう?」

「…典子の躰の事か?」

「わかってたのか?」

「今日…大木から、麻痺が進んでるのかも知れないと言われた。それに…さっき沙羅さんから、典子と大先生の話聞いて…」

「…やっぱり、気付いてなかったのか」

ハァと溜め息を吐いた兄貴は、次の胡桃を俺に渡した。

「隣にビルを建てるって話が出始めた頃から…皆が、俺達の結婚を口にする様になった。典子が『このままでいい』って言うのは、ずっと引越しの事だと思ってたんだ…まさか、結婚の事だとは…思ってなかった…」

「…」

「だけど何で!?具合が悪りぃなら、何で俺に頼らねぇんだ!?もう、あの頃の様な学生じゃねぇぞ!?それに、典子の躰が麻痺してる原因は、俺にあるんじゃねぇか!!」

手の中の胡桃が、メキリと音を立てて割れると、兄貴は又俺の手から奪い取った。

「……お前が、そんな風に思ってるからだ」

「え?」

「お前が、あの事件の事を…チビ助の躰が前以上に悪くなった事を、自分の責任だと思っているからだ!」

「…それは…」

「麻痺が進んでる事を、お前には悟られない様に必死で隠してたんだそうだ…だが、大先生から車椅子を奨められ、仕事をする事も危うくなった今、自分は和賀家にとって、お荷物にしかならないと言っていた」

「…そんな事、誰も」

「高山にある宇佐美家の墓を、移転する計画が出てるそうだな?」

「あぁ…親父さんもこっちに住むし、典子の負担も考えて、極力ここに近い場所へ移転したいとイタリアから言って来たんだ」

「その件で了承を得る為に、親戚に電話した話は聞いてるか?」

「いゃ…知らねぇ」

「第一声で『又具合が悪くなったのか?』と言われたそうだ。『今更頼られても困る』とな」

「…あの、クソ婆ぁ!!」

「血の繋がった親戚にさえそんな反応をされるんだ、車椅子になって、将来寝た切りになってしまったら…優しくしてくれている俺達に疎まれるのが耐えられないんだろう」

「助け合ってこその家族じゃねぇか!?現に、典子だって姉貴の子育てを助けて…」

「子供の事もあるんじゃないか?」

「どういう事だ?」

渋い顔をしてグラスを煽る兄貴は、俺にチラリと視線を寄越す。

「姉貴の子供達の世話をしていて、考えるんじゃないかって事だ」

「だから何を?」

「…自分が、子供産めるのか…」

「…」

「チビ助の躰の事もあるが、精神的な事もあるだろう?実際、彼女の母親も…」

「止めろよッ!?」

「…」

「子供なんて…産まなくたって構わねぇんだ!!俺は…」

「…」

「…典子さえ居てくれたら…それでいい…」

ハァという溜め息を吐いて、兄貴は俺を上目使いに睨む。

「俺に言ってどうする?」

「…」

「チビ助にも言った…俺に話してどうするってな」

「…」

「そういう事は、本人同士で話せと言ったのに…チビ助は、先に決心してしまったんだ」

「え?」

「…長い間、家族同然接してくれた和賀家の人達に…感謝していると」

「…」

「夫婦同然に愛してくれたお前に、今度は自分が愛を与えたいと言っていた」

「…どういう事だ?」

「イタリアの父親にも、自分の気持ちを話すと言っていた…お前に何も言って来ないという事は、婚約解消を了承したという事だろう」

「…だから、何で婚約解消する事が、俺に愛を与える事になるんだ!?」

「だから、本人に聞けと言ってるだろう!!」

「…大体…いつからそんな事…」

「最初からだろ?」

「え?」

「今回、隣にビルを建てると話しが出た時、そろそろ結婚って話が浮上したろ?あの時、お前が躊躇するのを見て、チビ助が怯えて…」

「えっ!?」

「…やっぱり、気付いてなかったのか…馬鹿だ、お前は…」

そう言って、兄貴は杯を空にすると立ち上がった。

「チビ助の性格は、わかってるだろう?優しく臆病な癖に、思い込みが激しく頑固者だ。ちゃんと落ち着いて、話し合え」

「…」

「いいか?失いたくなければ、頭に血を上らせるな。感情的になって彼女の言い分を了承したら…二度と帰って来ないぞ」

そう言ってテーブルに置かれた籠から胡桃を掴むと、俺の手に握らせた。


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