第68話
『KING』を出た俺達は、沙羅さんに言われたリストに添って商店街の店を回った。
「おゃ、要ちゃん!?久し振りだねぇ!!又、大きくなったかい?」
威勢のいい果物屋のおばちゃんが、俺を見上げて声を掛けた。
「いゃ、流石にこれ以上デカくならねぇよ」
「そういゃ、聞いたよ!結婚したんだって?」
ホラ、おいでなすった…然も結婚した事になってやがる…。
「いや、違うし…俺、まだ学生だから、婚約しただけだって」
「おや、そうなのかい?真子ちゃんとW妊娠なのかって、噂してたんだよ!」
豪快に笑うおばちゃんに圧倒され、俺でさえ引き気味になる。
況してや典子は…話を聞いて、蒼白になっていた。
「店でバイトしてる娘だって?」
「…厨房でだけどな」
「厨房で、メイド服着るのかい!?アンタん家の店は、やっぱり洒落てるねぇ!」
「おばちゃん、違うって…」
「何か、裏に住んでる足の悪い学生さんって噂もあったんだけどねぇ?愛想の悪い…でも、違ったみたいで、皆安心してたんだよ!」
「おばちゃんっ!!」
逃げ出そうとしていた典子の腕を掴み、俺は果物屋のおばちゃんの前に典子を立たせた。
「…俺の婚約者…コイツだから」
「え?」
驚いた顔をするおばちゃんに、典子は頭を下げた。
「…済みません」
「えっ…だって…」
「…申し訳…ありません」
「馬鹿、お前…何謝ってんだ!」
小さな典子が、腰を折り…地面に平伏す勢いで謝るのを、果物屋のおばちゃんは瞠目して見詰めた。
「ごめんな、おばちゃん…ビックリさせて」
「…要ちゃん…どういう事?」
「何か、変な風に噂流れてるみてぇで…コイツも、気にしててさ…」
「あらぁ…じゃあ、裏の学生さんが…この娘!?じゃあ、店でバイトしてるのは?」
「コイツと一緒に大学でバレー部のマネージャーしてる奴で、ウチの部長の彼女なんだ」
「あら、あら、あら…」
「コイツも厨房でバイトしてるんだが、店の中からは見えねぇからな…皆、誤解してるみてぇで…」
「あらぁ…ちょっと待ってよ!お父さん、お父さん!!ちょっと!!」
「…何だよ?」
店の奥から出て来たおじちゃんは、胃の辺りを擦りつつ表に出て来た。
「あーっ、要ちゃん!!俺この間、親父さんに、ヒデェ目に合わされてさ…」
「何かあった?」
「昼飯食いに行ったら、いきなりチャレンジメニュー出されて…30分以内で食えないと1万円って、鬼だぜ…アンタの親父さん!」
「……済みません」
小さな声で、又典子が謝った。
「お父さん、そんな事どうでもいいのよ!ホラ…こちら、要ちゃんの婚約者のお嬢さんだって!!」
「え?だって、要ちゃんの相手って、メイドの姉ちゃんなんじゃ…」
「違うんだって!!裏の学生さんだったんだってよっ!?」
「え〜ッ!?」
「……申し訳……ありません…」
頭を下げ続ける典子は、とうとう肩を震わせて泣き出した。
「あら、あら…嫌だよぉ…どうしようねぇ?酷い事ばっかり言っちまって…」
「いや、知らなかったんだし…しょうがねぇんだけど…」
頭を下げる典子の肩を抱いて苦笑を漏らす俺に、果物屋の夫婦は頭を下げた。
「…宇佐美…典子です。宜しくお願い致します」
涙を拭い挨拶する典子に、まだ信じられないといった表情のおじちゃんが尋ねる。
「嬢ちゃん、幾つだい?まさか、中学生なんて事…」
「馬鹿だよ、この人はっ!?裏の学生さんなんだから、中学生な訳ないだろっ!?」
「典子は、俺の1コ下。これでも大学生だ」
「可愛いねぇ…」
「だろ!?」
そう言って後ろから抱き込むと、典子の項が真っ赤になった。
「あらぁ…メロメロだねぇ、要ちゃん?結婚は?いつするんだい?」
「まだまだ先…卒業して、俺が一人前になってからじゃねぇとな」
「じゃあ、アレかい?可愛い彼女を、他に取られない様に、先に唾付けたって…」
「アンタッ!?何て事言うのッ!!…ごめんねぇ、典子ちゃん」
「…いぇ」
「そうだ!これ持って行きな!!山形産の、いいのが入ったんだよ!」
そう言っておばちゃんが手にしたのは、箱に綺麗に並べられたサクランボだった。
「ぇ…でも…」
「いいんだよ、持って行きなって!まぁ…お詫び方々…ね?」
そう言って箱を押し付けられた典子は、困った様に俺を仰ぎ見る。
「いいから、貰っとけ」
そう言ってやると、典子はコクンと頷いて丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。皆で頂きます」
「…可愛いねぇ、要ちゃん」
「ありがとな、おばちゃん」
「アンタ達の姿見てたら、昔の真規子さん達を思い出したよ…丁度、歳も同じ頃だしねぇ…。2人してこの街にやって来て、あそこに店構えて…最初は、賃貸でねぇ。お客が付く迄は大変で…直に真子ちゃんが生まれて、真規子さんがずっと背負って切り盛りしてさぁ…」
「核ちゃんが生まれた頃、ようやく常連客が付いて…あの土地と店を買ったのって、要ちゃん生まれる頃だったんじゃねぇか?」
「真規子さん、お嬢さん育ちで…ホンワカした人で…少し似てるねぇ、典子ちゃんと…」
「…そうかな?俺、あんま覚えてねぇし…」
「要ちゃん、お父さんと一番良く似てるから…お嫁さんも、似た娘を選んだのかねぇ?」
「…真規子さん、生きてたら…喜んだろぅにな…」
「なのに、アンタが変な風に聞いて来るから!?本当にごめんねぇ、典子ちゃん」
「いぇ…こちらこそ、宜しくお願い致します」
「何かあったら、いつでも声掛けて頂戴よ!?」
俺達は、礼を言ってその場を退散した。
その後も数ヶ所で同じ様なやり取りをし、帰った時には両手で持ち切れない程の貢ぎ物を持って帰った。
沙羅さんの言った様に、その後数日で典子の噂は浸透し、店に態々会いに来る連中や、家に届け物を持って来る連中が後を絶たない。
商店街を歩いていても、呼び止められ真っ直ぐ歩けない程だと典子は笑う。
「…受け入れて頂けた様で…嬉しいです」
「そうだな」
「きっと…親戚って、こんな感じなのかな…と…」
「…アレ以来、お前の伯母さん達には、連絡取ってねぇのか?」
「……私が、不義理をしてるんです。でも、まだ…連絡を取る気になれなくて…」
「…」
「もう少し自分が大人になってから、お付き合いをしようと思ってます」
「…そうか」
何もかも急に上手く行く訳ではない…それでも、典子が笑顔で生活して行けるなら…それだけでいいと思った。
「上手く行ったみたいで、良かったわね?」
「本当に助かった…感謝するよ、沙羅さん!」
商店街の噂が下火になったある日、俺は1人で果物屋で買ったサクランボを下げて『KING』に来ていた。
「要が、典子ちゃんにベタ惚れしてるって、尾ひれが付いてるけどね?」
「……間違っちゃいねぇからな…」
クスクスと笑っていた沙羅さんが、少し真顔で俺を覗き込む。
「ねぇ…典子ちゃんって、以前強姦未遂にあったって本当?」
「ッ!?誰から聞いた!?」
「…時田のお婆ちゃん」
「……婆ちゃん、言い触らしてんのか?」
「違うわよ!今度の事で、私がアンタ達の相談に乗ったって聞いたみたいでね……心配して、知らせに来てくれたのよ」
「何を?」
「…何かね…その、強姦魔をねぇ…見たって言うのよ…」
「えっ!?」
「でも、ハッキリわからないらしいんだけどね…何か似た奴を見掛けたって…」
「どこでッ!?」
「商店街で…典子ちゃんの事、窺う様な素振りだったらしくて…気になったって。アンタに言ったら、人違いだろうが殴り掛かりそうだし…」
「…」
じゃあ、あれは…滝川の仕業じゃなかったって事か!?
「心当たり、あるの?」
「…1人居たけど…でもそいつは…もう…」
ちょっと待て!
そもそも、滝川は…本当にアメリカに行ったのか!?
あんなに長い間、典子に執着して…あんな事件を起こして…性懲りもなくこの店で典子を口説いてた奴だぞ!?
「……まさか」
「…私も経験あるからさぁ…スター選手と付き合ってると、周りから色々ね…」
「核兄ぃと付き合ってた時?」
「そぅ…結構、酷い事言われたし…過激なファンに嫌がらせ受けて大変だったんだから!」
「…核兄ぃ…守ってくれなかったのか?」
「相手も、核の前なんかでやる訳ないしね…私も、まだまだ可愛い頃で…核に言えなくて…」
「…」
「アンタは、典子ちゃんの事…ちゃんと守って上げなさいよ!?」
沙羅さんの言葉に曖昧に頷きながら、典子の身辺の警護と、犯人を確定しなければと考えていた。
「それにしても、僕には理解出来ませんね」
そう言って私に視線を寄越しながら、細田さんは鼻を鳴らす。
「何故先輩の様な人が、キャプテンとお付き合いされて…然も、婚約迄されているのか…」
「…」
「何故です?」
「…私では、キャプテンに相応しくありませんか?」
「違いますよ!」
「…」
「逆です」
「…」
新歓コンパの時に、私に『興味がある』と言った細田さんは、先日私と和賀さんが婚約していると誰かに聞いた様で、最近手が空いている時に度々こうやって絡んで来る。
「確かに、キャプテンは長身で男前ですけどね…」
「…」
「先輩が、そんな事で靡くとは思えない」
「…」
「自分に無い物を求めるのは、理解出来ます。彼の運動能力も身体能力も、素晴らしい」
「…たゆまぬ努力の結果です」
「それは、僕も認めますがね…言っちゃ悪いが、キャプテンは直情の激情型でしょう?先輩とは、真逆のタイプですよ?」
「…逆だから、惹かれ合う…とは、思いませんか?」
「やっぱり、僕には理解出来ない」
「細田さんに取って、キャプテンは頼れる先輩ではありませんか?」
「それは…まぁ、そうなんですが……正直、疲れませんか、あの人…」
その言い方が可笑しくて、目が合った細田さんを見てクスリと笑った時、部屋のドアがノックされた。
「お待たせしました、ウサギ先輩!ほな、行きましょか?」
大汗を掻いた巨体が部屋の入口に姿を現した。
「遅いぞ、大木!」
「ゴメンなぁ…ちょっと用事頼まれてしもて…すんません、ウサギ先輩」
気のいい大木さんの笑顔に頭を振って立ち上がり、彼等と一緒に部屋を出た。
『絶対に1人で行動するな!』
『大学の構内でも、絶対にだ!!』
数日前に突然和賀さんから厳命され、幾つもの防犯ブザーを持たされた。
大木さんは、和賀さんが居ない時のボディーガードを厳命されたらしい。
「済みません、いつも…」
「何言うてますのん、水臭い…同じ店子やないですか?それに、俺…喜んでますよ?」
「え?」
「キャプテンには、鼾が煩いて寮追ん出された俺をアパートに入れて貰ろて、ウサギ先輩には、ダイエットの料理なんかを色々教えて貰ろて…又、痩せたん、わかります?」
「わかる訳ないだろ!毎日、毎日…」
細田さんが苛付いて、大木さんに当たる。
「それにしても、何故ボディーガードなんか!?」
「それだけ、キャプテンがウサギ先輩の事、大事に思てるって事やろ?」
「だがな…」
「大体お前、何も頼まれてもないのに、何で居るねん?」
「…お前だけだと、頼りないからだ!」
「正直に、ウサギ先輩と一緒に居りたい言いぃな!」
カラカラと陽気な声が辺りに響き、釣られて私もクスリと笑った。
体育館の周囲には、相変わらずファンの女性が群がり、最近はその女性達目当ての男性が取り巻く様になっていた。
「これだけ人が多いと、不審者が入り込んでもわからへんしな…」
「全く…退いて下さい!通ります!退いて下さい!!」
体育館に続く階段を、細田さんが先頭に立って人を掻き分けて行く。
「何よッ!?」
「キャアッ!?」
「邪魔です!!警備に連絡を入れられたいんですか!?退いて下さい!!」
目の前でファンと揉める細田さんは、直ぐに女性達に取り囲まれ、私達は階段で立ち往生してしまった。
私と細田さんの間に、何人もの女性が入り込み、押し合いになって…危ない…そう思った時、直ぐ近くから小さいがハッキリした声が聞こえた。
「…邪魔」
次の瞬間、誰かが私の躰を押した……が、直ぐに背中の温かいクッションが私を支える。
「大丈夫ですか、先輩!?」
頷きながら背後を見上げると、安心した様に細い目が下がる。
「ちょっと待ってて下さいよ…今、応援呼びますからね?」
大木さんはそう言って、ポケットの中から取り出した小さなキーホルダーを見せると、先に付いていたカプセルをチェーンから引き抜いた。
耳を覆う様な警報音に、騒いでいた人達がピタリと止まり…体育館から何人もの男性が飛び出して来る。
「ノンッ!?」
和賀さんの声に、大木さんが手を上げて応える。
一瞬安堵した表情を見せた和賀さんが、細田さんに吼えた。
「細田!警備に連絡だ!!」
「はい!」
「男子バレー部は、今後部外者の見学を一切禁止する!!」
『エェ~ッ!?』というブーイングの嵐を物ともせず、和賀さんは人混みを掻き分けると、私を抱き上げズンズンと体育館に連れて行った。




