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第65話

俺は、人から強要される事が嫌いだ。

多少なりとも自分が納得すればいいのだが、自分の(あずか)り知らぬ所で強引に物事を運ばれるのは、我慢がならない。

「俺は、プロになる積りはありません」

意思表示をしているにも関わらず、怪我が治り練習を再開したという噂を聞き付けた顧問の大川教授を始め、スカウトや協会の人間迄が俺に付きまとう。

逸早く察知したファン迄、俺がどこのチームに入るのか、世界選手権のメンバーに入るのか等と勝手な事をネットで呟き、春休みの体育館の周囲は連日の人だかりだ。

救いだったのは、監督である井手さんが事情を把握し、俺にプロに入る事を強要しない事だった。

「そりゃあ、勿体ないとは思うけどね」

大学内の井手さんの立場は、男子バレーボール部の監督であると同時に鷹山学園体育大学の専任講師だが、新年度から准教授になるらしい。

俺はキャプテンになってから、井手さんの研究室に訪れる事が増えていた。

「…勘弁して下さいよ!監督だって、わかってるでしょう?」

「まぁね…僕は、典ちゃんの保護者代理だし…。だが君は、それで本当に後悔しないのか?」

「しませんよ!」

「相変わらず、ハッキリしているなぁ」

「以前の俺なら、喜んで飛び付いてたんでしょうけどね」

「典ちゃんの為かい?」

バレーの事になるとストイックで『鬼畜』と迄言われる人が、一旦コートを離れると、途端に優しい兄貴の様な顔を覗かせる。

典子に関する事に対しては特にそんな優しさを見せ、典子も『遼兄ちゃん』と甘えるこの人に対して、一時期対抗心を燃やした事もあったりしたが…。

「拠点が地方になる確立が高いですし…寮生活を余儀なくされます。どちらも、典子には耐えられません」

「まぁ…そうだろうね」

「俺も心配で、練習にだって身が入りませんよ…でも、それだけが理由じゃないんです」

「というと?」

「俺の中での順位が…替わったっていうのが、一番ですかね…」

「…」

「今迄どんな事があっても、恋人が居ても…俺の中ではバレーが一番だって揺るがなかった。それが、典子に出会って…変わって行ったんです」

「…」

「典子を放って置けなくて、構う内に好きになって…事件が起きて、俺自身も怪我をして、相棒だった浩一がバレーを辞めて…まぁ、アイツが腰を痛めた時から覚悟はしてたんですが…、ライバルだった滝川迄があんな事になって…」

「プレーヤーとして、緊張の糸が切れた?それとも、虚しくなったのかな?」

「わかりません…正直、そうなのかも知れません」

「これから先…卒業後はどうする?」

「そりゃ、色々考えてますけど…。教職の資格も取ってますが…新年度から、理学療法士の国家試験を受ける為の講義も取る積りなんです。もしかしたら、そっちの仕事に就くかもしれません」

「やっぱり、典ちゃんの為かい?」

「…アイツの為には、一番いい道ではありますよね?」

「なぁ、和賀…君の気持ちを疑う訳じゃないが…無理は良くない」

「俺は、無理なんか…」

井手さんは立ち上がると、ゆっくりした動作で珈琲を淹れてくれた。

「今の君に、何を言った所で否定するだろうし…将来を決めなきゃいけない時期に差し掛かっている訳だし……況してや、反対する積りで言ってるんじゃないんだ」

「…」

「和賀…先は、長いんだよ。典ちゃんと婚約して、数年後には結婚して…その後も、生活はずっと続いて行くんだ」

「…えぇ、わかってます」

「スカウトや協会の人間が来てるのは、部の人間なら誰もが知ってる。和賀は、プロに行くのだと…皆が思ってる」

「…」

「典ちゃんには、君の考えを話したのか?」

「…いぇ」

「話せない理由は、彼女が気に病むのがわかっているからだろう?」

「…」

「彼女は、和賀がバレーだけに打ち込んで来たのを知っている…気持ちでは、それを応援して支えたいと思っている」

「…だからって」

「君にしてもそうだ…松本の様に、躰が対応仕切れなくなった訳でもなく、プロへの誘いが来る程の身体能力を持って…全くバレーに未練がなくなった訳でもない。バレーを離れ理学療法士になった所で…全く後悔しないと言い切れるかい?」

「…」

「言って置くが…典ちゃんは、そういう事には凄く感の働く娘だからね」

「…そうですね」

だからって、どうしろと言うのだ!?

やはり、体育教師になってバレー部の顧問になる位しか道はないのか…だが、中高生のヌルイ練習の指導なんて、余計にストレスが溜まりそうだ…。

「和賀…1つ、提案があるんだが…」

「……何です?」

「…僕の仕事を手伝う積りはないか?」

「は?」

「僕はね…ウチのバレー部を、根刮ぎ変える積りなんだ」

「…アレですか?千田前監督と揉めてた…IT管理バレーってヤツですか?」

「そう…新入生が入って春季リーグが始まる前に、本格的に始動させる積りだ」

「具体的にどうするんです?」

「戦略やプレーもそうだが…先ずは、個人の身体能力の測定からだね。ウチのバレー部員は、個々の身体能力に差があり過ぎるんだ。大学にはマシンもあってトレーナーも居るのに、バレー部ではトレーニングは個人に任せ切りだった。きちんと管理して、底上げを狙う。プレーに関しても同様に全て測定し…個人にあった最良の形を見出して指導して行く積りだ」

「以前その話が出た時、部員からも雁字搦めになるんじゃないかって意見が出ましたよね?今迄遣って来た事を否定されて、グダグダになる奴が絶対に出て来ますよ?」

「だが、今のままでは…スター選手の登場を待つしかない…そして下手をすれば、使い過ぎて潰してしまう…核や…高柳の様に…」

「それは…」

入学当初から、全日本もプロ入りも確実だと言われていた高柳さんは、1年からウィングアタッカーで活躍していた。

当時、余り成績の良く無かったウチのバレー部は、突如現れた新星に頼らざるを得なかったのだ。

その結果…高柳さんは疲労骨折を繰り返し、それでも無理をして…とうとう、プレーヤーとしてコートに立つ事が出来なくなった。

「それに、成果が上がれば…文句は出ない」

「…俺達は、実験台ですか?」

「君が、プロになる積りがないと言うなら…遣らせて欲しい」

「俺が云々の話じゃねぇでしょ!?試合には、勝って行かなきゃなんねぇんですよ!?」

「その為にも、底上げは必要なんだ!!」

「…」

「犠牲になるのは、君だ…和賀…」

「え?」

「確かに、新しいやり方に調子を崩す選手が必ず出て来る…そして、その選手の穴埋めの為に、君を酷使する事になる。キャプテンとしても、堀田と共に皆をまとめて行って貰わなきゃならない」

「…」

「堀田は、了解してくれた。彼は卒業後実家の繊維問屋を継ぐそうだから、卒業ギリギリ迄協力出来ると…僕に賛同してくれた。但し、君には…プロに行くであろう和賀には、今迄通りのやり方をさせてやって欲しいと言われた」

「…」

「だが、それじゃ部員は納得しない…全員で取り組んで成果を上げてこその計画なんだ!」

「……見込みは?」

「ある!それは、確実だ!!」

「…」

「先ずは、選手として僕のやり方を体験して欲しい。そして、そのやり方に納得したなら…僕と一緒に、大学で指導者としてやって見ないか?」

「……コーチになれって言うんですか!?俺に!?」

「そんなに驚く事かい?」

「…そりゃ…」

「教職取ってるなら、体育教師の道も考えていたんだろう?」

「まぁ…そうですが…だけど…」

「もし、そうなったら…かなり勉強して貰う事になるけどね?」

「…」

「魅力的な誘いだろ?」

「…懐柔は、されませんよ…柄じゃねぇし…」

「君の性格なんて、お見通しだよ…先ずは、その躰で2年間体験して…考えてみて欲しい」

「…わかりました」



調布駅近くに出来た、最新式のスポーツクラブ…兄貴の勤める会社が100%出資して作ったこの施設に俺達が揃って出掛けたのは、関東春季リーグを目前に控えた休日だった。

「どうだ、様子は?」

堀田さんと話をしていた俺に、このスポーツクラブに出向している兄貴が声を掛けて来た。

「可愛い女子マネは、入ったのか?」

「そっちかよ、核兄ぃ!?」

「それが、先輩…」

苦笑を漏らした堀田さんが、兄貴に訴える。

「今年は、入学式から運動してるんですが…ウチの女子マネの質が高過ぎて…新入生の女の子に敬遠されてるんです」

「あぁ…あの2人相手じゃな…」

玉置と出川を見てニヤニヤ笑う兄貴に、俺は剥れて吼えた。

「3人だろ!?」

「然もね、聞いて下さいよ、先輩…頼みのウチのキャプテンと来たら、折角覗いてくれる女の子を睨み付けるは、ラビちゃんをずっと膝に乗せて、受付で仏頂面してるんですよ…」

「俺に女釣らそうってのが、そもそも間違ってんですよ、部長!!」

「で、全滅だったのか?」

笑いを噛み殺す兄貴に、堀田さんが溜め息を吐いた。

「選手の方は順調に人数も集まったんです。でも、今年はチカちゃんも卒業制作で忙しいし、資金作りにバイトもしたいらしくて…茜姫は、普段当てになりませんしね」

「高柳君も、今年は忙しいだろ?じゃあ、本当にチビ助だけか?」

「いやぁ…流石に無理だって事で、茜姫がサルベージして来たのが…あの2人です」

「…何だ、アレは?あれで、バレー出来るのか?」

「選手では無く、マネージャーとして入部しました」

「だろうな…腹が、だぶついている」

ゲラゲラと笑う兄貴の視線の先には、凡そ運動とは縁のなさそうな2人の青年が、皆と同じ様に上半身裸の短パン姿で立っていた。

「然もこの2人…新歓コンパで、やらかしてくれて…」

「何やったんだ!?」

完全に面白がっている兄貴が、目を輝かす。

「1人が茜姫に、1人がラビちゃんに、大告白タイムしやがって…松本も出席してたもんだから、もぅ…血の雨が降るかと思いましたよ!!」

仏頂面をする俺を見て、兄貴は腹を抱えて笑い出した。

「そういゃ、お前…先輩のゼミに入ったんだってな?」

「…あぁ…自分の躰で確めて体験した事だったら…俺にも何とか、卒論書けるだろ?」

「でも、今回の計画…和賀が承諾するとは思わなかったな」

そう堀田さんが、俺を見て笑う。

「そうですか?皆がやるんなら、当然でしょ?」

「お前のそういう所…本当、凄いと思うぞ?」

鼻白む俺に向かって、高柳さんがヒラヒラと用紙を振ってやって来た。

「結果が出たよ。和賀、流石だな…良く鍛えてる。体脂肪率4%だそうだ!堀田、お前はもう少し絞った方がいいな?」

「凄いな、和賀!?マメにトレーニングしてるのは知ってるけど…それにしても4%!?お前ん家、洋食屋なのに…」

「堀田…幾ら和賀の家が洋食屋だからって、毎日お店の洋食を食べている筈ないだろう?それにそんな事をすれば、それこそ…大木みたいになってしまう。和賀が、ちゃんと気を付けて食事管理をしている結果だよ」

「そうですかね?俺は、普通に食ってますよ?」

「それは、ウチに専任栄養士が居るからな」

俺のデータを取り上げて眺めていた兄貴が、ボソリと吐いた。

「え?」

「何だ…気付いてないのか、要?」

「何が?」

はぁ~と溜め息を吐いた兄貴は、呆れた様に俺に言った。

「馬鹿だろ、お前…ウチの食事は、完璧にアスリートメニューだろう!?」

「そうなのか?でも俺は、普通に肉だって米だって食ってるぞ?」

「だから、お前は馬鹿なんだ!チビ助が、お前の為にメニューを考えて…手間を掛けて、量を食っても平気な様に作ってくれてるんだろう!?」

「…」

「高たんぱく低カロリーの見本みたいな食事だ。実際俺も実家に帰って痩せたし、姉貴も妊娠中毒もないって喜んでいただろう?」

「昨日の夜も、豚の角煮出て来たぞ!?」

「…あれは、俺も驚いたが…」

俺達兄弟の会話を聞き入っていた高柳さんが、振り向いて典子を呼び寄せた。

「和賀家で、食事管理してるのかい、ウサギちゃん?」

「…」

「和賀の結果ね、凄く良かったんだよ」

「…」

男4人に見下ろされ、典子はオドオドと後退ろうとする。

「ノン、昨日の角煮…俺、結構食ったけど、カロリーとか大丈夫なのか?」

「……済みません」

青い顔をした典子に、兄貴が声を掛けた。

「チビ助、アレ…肉じゃないのか?」

「……申し訳…ありません」

「怒っている訳じゃない。何だったんだ、あの角煮?」

「……お麩です」

「え?」

「……車麩…なんです……ごめんなさい…私…勝手な事…」

そう言って典子は床に平伏すと、怯えて震え出した。


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