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第6話

「…ここ…どこ…?」

目覚めた時に見える風景が自分の部屋ではない事に、私の頭は混乱した。

いつもの白い壁や天井ではなく、昔ながらの板張りの天井に、板張りの壁…ベッドの正面にはテレビとDVD、そしてその前に置かれたテーブルの周辺には、飲みかけのスポーツドリンクとスポーツ雑誌や漫画雑誌、脱ぎ散らかされた洋服等が積まれていた。

傾き掛けた陽射しの入る、掃き出し窓に掛かるカーテンに見覚えがある…ここは……和賀さんの部屋!?

「……何で…」

ベッドの上に座り、必死に記憶を巻き戻す。

確か…大学のラウンジで待ち合わせをして…階段から落ちそうになって…和賀さんに抱き締められて…。

「あの後…何があったっていうの?」

躰中が強張った様な感覚に眉をしかめた時、誰かが部屋のドアをノックした。

「…はい」

返事をすると、真子さんがトレーに珈琲を乗せて入って来た。

「起きてた、典子ちゃん?具合は、どう?」

「…あの…私は…」

「あぁ、寝ちゃってたもんねぇ…要が、抱いて帰って来てね…」

「え!?」

「布団敷くって言ったんだけど、典子ちゃんの躰の為には、要のベッドの方がいいって…強引に自分の部屋に運んじゃったのよ」

「…」

「このベッドのマットレス、テンピュールっていって躰にいいらしいの。だからって、女の子をいきなり自分の使ってるベッドに…シーツも換えずに寝かせちゃうのが、まぁ要らしいっていうか、デリカシーが無いっていうのか…」

あぁ…それで…ずっと和賀さんに抱いて貰っている様な感覚だったのだと思った途端、頬があり得ない程紅潮した。

「…やっぱり、嫌だった?臭かったんじゃない?」

「いえ…そんな事ないです。あの…和賀さん……要さんは?」

「あぁ…大学に戻るって言ってたわ。練習でしょ?」

「あ…じゃあ、私は帰ります」

「ちょっと待って!要から伝言があるのよ」

「何でしょう?」

「自分が帰る迄、この部屋で待つ様にって…典子ちゃんのアパートには、1人で戻るなって…何かあったの?」

「…さぁ?」

一体、何だろう…少しドキドキと動悸がした。

「取り敢えず、珈琲でも飲んで待っててくれる?何なら、もう少し横になってた方がいいかな?トイレは部屋を出て左、階段の隣のドアね。私は、店に戻るけど…お腹空いてる?」

相変わらず機関銃の様に話す真子さんのいつもの調子に、私は首を振りながら答えた。

「大丈夫です」

「まぁ、要が帰るのを、ここで待ってて頂戴!」

返事を待たずに、真子さんはバタバタと店に戻って行った。

私の部屋に戻るなって…何があったんだろう?

朝も昼に会った時も、何も言ってなかったが?

それにしても…男の人の部屋なんて、初めてだ…いつも窓越しに顔を出して挨拶する時にチラリと見える部屋…こんな風になってたんだ…と見回し、結構な乱雑さに眉を潜めた。

窓を開け放し、トイレの横にあった洗面所から雑巾を見付けて、少し部屋を片付け雑巾を掛けて…洗濯物を出し、和賀さんの匂いのするベッドを整えた。

辺りが茜色に染まる頃、片付けを終えて窓を閉めようと立ち上がった時、斜向かいに見えるアパートの自分部屋のカーテンがフワリと揺れるのが見えた。

何だろう…和賀さんが部屋に入っているのだろうか?

毎晩のマッサージで、疲れて寝てしまう私を気遣い、

「姉貴からスペアキー貰ってるから…鍵閉めて帰るから、お前このまま寝ちまっていいぞ」

そう言って、鍵を掛けて帰って行くのだ。

私は、掃き出し窓の外に置いてある大きなスリッパを履いて裏庭に出た。

そして、自分の部屋のリビングの掃き出し窓の外から呼び掛けた。

「……和賀さん?」

レースのカーテン越しに見える影がユラリと揺れ、部屋の中から窓の鍵が開けられ……突然飛び出してきた黒い影に、私は地面に押し倒された。

「!?」

恐怖で声も出ない私は、それでも力の限り暴れて、隣の家の物干し台を何度も蹴った。

黒いジャージを着て帽子を目深に被り、ネックストールを鼻迄上げた男が、私の頬に何度も平手打ちを与えながら上着を引き裂く!

ガシャンガシャンという音と共に物干し竿が落ち、音に気付いた隣家のお婆さんが顔を出し大声で叫ぶ。

怯んで逃げる犯人とは反対側…私は、和賀さんの部屋の中に逃げ込んだ。

「典ちゃん!?典ちゃん!!アンタ、大丈夫なのかい!?」

窓から隣家のお婆さんが覗き込み声を掛けてくれたが、私は泥だらけのまま和賀さんの部屋のベッドの前に座り込み、彼の枕を抱き締めて泣き伏した。



「パニック起こしてねぇ…可哀想に…」

「……犯れちまったのか!?」

「うぅん…それは、大丈夫みたい。時田のお婆ちゃんも本人も、否定してたから…」

「警察は!?」

「嫌がってね…取り敢えず駐在には連絡したけど、アレって申告罪でしょう?不法侵入の方も、暴行の方も、一切届ける気は無いって…」

「今、どうしてる!?」

「アンタの部屋で、枕抱えて泣いてるのよ…時田のお婆ちゃんが付いてくれてるけどね…」

店で姉貴から話を聞いた俺と松本は、裏口から家に入り俺の部屋に向かった。

「…要ちゃん、おかえり」

部屋に入ると、宇佐美に寄り添う様にして座る時田の婆さんが俺を見上げ、眉を寄せ首を振った。

「婆ちゃん、ありがとな…後は、俺達が付き添うから」

時田の婆さんは、そっと宇佐美の頭を撫でて部屋を出て行った。

「大丈夫かい、ウサギちゃん?大変だったね…」

松本が声を掛けても、宇佐美は部屋の隅にしゃがみ込み、俺の枕を抱き締めて顔を埋めたままだった。

「そのままでいいから、聞いてくれるかな?」

俺達は部屋に座り、彼女を囲む様にして話を始めた。

「今日のラウンジでの事故…もしかしたら、故意かもしれなかったんだ」

俯く彼女の肩がヒクリと痙攣し、枕を抱く手に力が入る。

「ウサギちゃんの傘を、誰かが故意に蹴飛ばした…その後、俺が荷物を拾い集めた時、どうしても君の部屋の鍵が見付からなくてね。要と相談して、アパートの鍵を交換する迄、しばらく要の部屋に避難させた積もりだったんだけど…まさか、こんなに早く敵が動くとは、想定外だった」

「…」

「誰かに…こんな事される心当り、あるかい?」

松本の問いに、宇佐美は枕に顔を押し付けたまま頭を振った。

「明らかに君を狙った犯行なんだ…大学にも相談して、警察に届けた方が…」

「……嫌です」

くぐもってはいるが、ハッキリとした拒否の言葉が吐かれる。

「でもね…」

「…嫌です」

「…ウサギちゃん」

「イヤッ!!」

俺が松本に向かって首を振ると、彼はフゥと溜め息を吐いた。

「わかった。今回は、君の意思を尊重しよう。だけど、次は無いよ?次に襲われた時には、俺が警察に届ける…いいね?」

枕に顔を埋めたまま頷く彼女を確認すると、松本は自分の鞄を持って立ち上がった。

「後は、任せたぞ…要」

「オイッ!?」

「ここから先は、お前の役目だ…俺が居ると、ウサギちゃん顔を上げてくれそうにないからな」

「…だからって」

「しばらく預かるんだ…優しくしてやれよ?」

そう言うと、松本はニヤニヤ笑って出て行った。

優しくしろって…どうしろっていうんだか…全く…。

「…宇佐美」

「…」

「…手ぇ出せ」

「…」

「マッサージするから…」

枕を抱いたまま、差し出された宇佐美の腕は…手首から手の甲に掛けて、犯人に引っ掛かれた様な傷が生々しく…俺は、思わずその腕をグイッと引いて、彼女の躰を引き寄せた。

「…んくっ…わっ…」

「いいから…今日の事全部吐き出して、泣いちまえ!」

「…わっ……和賀さぁん!!」

宇佐美はそう言って、昼間の時よりも激しく俺の胸に縋って泣き出した。

…何だかな…俺の胸は、すっかりコイツの泣き場所になっちまった…。

全く…俺は、泣かれるのが大の苦手だっていうのに…。

俺の胸からズルズルと腹の辺り迄ずり落ちながら泣いていた宇佐美が、俺のTシャツに顔を擦り付けて涙を拭うのも黙認して、少し息が落ち着いて来た彼女の髪を撫でてやる。

いつもは女子高生みたいに三つ編みにされた髪が、風呂に入ったのか解かれて少し湿っている…こんなに長かったのか…部屋でマッサージする時には、邪魔にならない様に風呂上がりでもキッチリ三つ編みに結い直してたっけ…。

「…柔らかいのな?」

髪に指を絡ませる様に梳き撫でてやると、されるがままになっている。

「…」

「髪…何で三つ編みなんだ?高校じゃねぇんだし…校則もねぇだろ?」

「……三つ編みしか、した事ないんです」

「…下ろせばいいのに」

「…」

「その方が、似合うだろ?」

何気無い言葉に、フィッと頭を上げて見上げた宇佐美の顔が…いつもの黒縁の眼鏡も外し、頬を染めて瞳を潤ませたその顔を見てドキリとした。

…心臓が鷲掴みされたかと思う程…可愛いと…そう思ってしまって…。

「……宇佐美」

紅く染まった頬に手を添えて、顔を近付けた時に気が付けば良かった…彼女が瞠目して固まっていた事に…。

そっと触れた柔らかな唇に何度も押し付ける様にしてキスしても、何の反応も返さない彼女を不思議に思い…そっと顔を覗き込んだ。

「…宇佐美?」

固まったままの彼女と視線を合わせてやると、大きく見開かれた黒目勝ちな瞳から見る見る涙が溢れ、ボロボロと涙を溢した彼女がようやく吐いた一言…。

「…ふえぇぇん」

「えっ!?」

「ふにゃぁぁ…」

「オイッ!?」

…参った……普段、割合に固い物言いしかしない彼女が、手放しで幼子の様にベソを掻き、オンオンと泣き始めたのだ。

「…悪ぃ」

「ひあぁぁん…」

「参ったな…もう泣くな…悪かったって…」

宥める程に大きくなる泣き声に、彼女の頭を自分の胸に抱き込んで、その躰を抱き締めた。

「泣き止めって……悪かった…」

折角泣き止んでたのに、又泣かせちまった…。

っていうか…マズイ……コイツ…。



「馬鹿か、お前……っていうか、大馬鹿野郎だ!」

「…」

「ウサギちゃん……昨日、襲われたばっかなんだぞ!わかってんのか!?」

「……あぁ」

「全く…自覚した途端に襲いやがって…」

「人聞きの悪い事言うな!俺は何も…」

「襲ったのも一緒だろうが!?多分…って言うか、絶対彼女…」

「何だよ?」

「……ファーストキスだろ……絶対」

「…」

翌日のラウンジで、大声になったり声を潜ませたりする松本との会話を遮ったのは、いきなりドスンと目の前に置かれた、鮮やかなオレンジ色のエルメスのケリーバッグだった。

「どういう事!?」

高飛車な物言いにギョッとして見上げると、美しい眉を片方だけ上げた玉置が立っていた。

「典子が襲われたって聞いたから…和賀さんの家に世話になってるって言うから、様子を聞こうと思ったら……貴方が典子を襲った張本人な訳!?」

「何言ってんだ、テメェ!!」

「じゃあ、どういう事よ!?ファーストキスって!?」

噛み付く様に吼える玉置に、松本が苦笑しながら説明する。

「互いの気持ちを理解し合ったって思ってたんだけど…鈍い要よりも、ウサギちゃんの方が輪を掛けて自覚が無かったって事…かな?」

「……和賀さん…無体な事、しなかったでしょうねっ!?」

「してねぇよっ!!ってか、誘ったのは宇佐美の方だかんなっ!?」

「そんな事、ある筈無いじゃない!?典子は、超が付く程固い、箱入り娘なのよっ!!」

「んな事言われても知るかよっ!?その気もねぇのに、抱き付いて来たりする方が悪いだろっ!!」

背後で小さな音がした…俺に噛み付いていた玉置の顔色がサッと変わって引き攣る。

「…典子…」

溜め息を吐いて覚悟を決め、椅子の背もたれに肘を付き彼女を振り返る。

そこには、いつもと違う宇佐美が…フォークロアのワンピースに籠バック、絹糸より細く柔らかな長い髪を下ろしたままの彼女が立っていた。

…少し強張り、見た事の無い様な…心が音を立てて壊れた様な顔を引き攣らせ…大きな瞳を潤ませ紅潮した顔で俺達に一礼すると、踵を返してラウンジの出口を目指し、ピョンピョンと走り出した。

「……追って」

「え?」

「何やってるのよっ!?早く追ってよっ!!」

「…」

玉置のヒステリックな叫び声が、ラウンジ中に響く。

「行け、要……手遅れになる」

「…」

「忘れたか…ウサギちゃん、まだ狙われてるかもしれないんだぞ!?」

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