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第59話

「ねぇ…本当に着るの?」

「当たり前でしょ!?この期に及んで、何言ってんのよ!!」

ホテルの美容室で、髪を結い上げ化粧を施した典子が、長襦袢姿で困った様な顔を寄越す。

「典子のお父さんが、写真が欲しいって言ったんでしょ?折角の記念なんだから…きちんと着物着て撮った写真を送るって決めたでしょ!?」

「でも…着物なんて着たら、私…歩けないし…」

「大丈夫よ、典子は歩く必要なんてないから!ちゃんと、あの馬鹿が嬉しそうに抱いて運んでくれるだろうからっ!」

「…茜……まだ、怒ってる?」

「当たり前でしょッ!?」

納会の日に、和賀さんが典子を襲った事を…私は一生許せないだろう。

あの時典子は、呼吸も鼓動も完全に止まっていたのだ。

なのに…。

『2人きりにして欲しい』という典子の伝言を聞き、私はジリジリとしながら彼女からの連絡を待ち続けた。

やっと典子からメールが届いたのは、月曜日の午後。

『留学の件は、無事に解決しました。私は今迄通り、日本で生活します。ご心配をお掛けしました』

そう届いた典子からのメールに安堵した途端、隣に居た浩一が歓声を上げた。

「要が、とうとうウサギちゃんを落としたらしいよ!」

「何ですって!?」

奪い取った浩一の携帯には、和賀さんが小躍りしている様な文面が綴られていた。

『遂に念願が叶った!!俺の誕生日に、典子と婚約する!!ヒャッホー!!』

喜びから一気に醒めた私は、不機嫌に携帯を突き返した。

どうしてなの、典子…その男は、貴女を殺そうとしたのに!?

元々デリカシーのない、無愛想で直ぐに怒鳴り、自分の思い通りに強引に事を運ぶあの男とは気が合わない。

それでも、典子が彼を好ましく思っているのがわかったから…彼も典子を愛しているとわかったから…目を瞑って来たのに…。

私の手にそっと触れる指に、現実に戻される。

「…茜…」

「そんな顔をするんじゃないの!貴女が、今日の主役なのよ!?」

「…でも、茜が…」

「本当にいいの、典子?後悔しない?」

「えぇ」

「あんな事されたのに?」

「誤解からだわ…それに、とても優しいのは、茜だって知ってるでしょう?」

「馬鹿だわよ、あの男…きっと、一生治らない」

「それでもね…不安で揺れる私を、丸ごと愛してくれるのは…きっと、あの人しか居ないから…」

私の望みは、この小さく儚げな親友が幸せに暮らす事なのだ…。

「…ほら、皆が待ってるわよ」

そう言って、着付けをする美容室の人間に目配せをして、私は典子に振袖を着せた。

もっと選ぶ時間が欲しかった…ホテルも、料理も、着物だって…。

誕生日に指輪を渡すと和賀さんから直接聞いた時、私は和賀さんのお父さんに頭を下げた。

「2人の結納…取り仕切らせて頂けませんか?」

驚いた顔をしていた和賀さんのお父さんは、請求書をきちんと渡すならという条件で了承してくれた。

会場は、会社の系列ホテルを抑え、料理は和賀さんのお父さんと相談しながら、今回は和食に決めた。

着物は…本当は反物から染めに出したかったのに…。

背の低い華奢な典子が似合う振袖…然も袖が引き摺らない様に中振袖限定!

自分の着物やホテルの貸衣装、レンタルの貸衣装も探したが、どうも気に入らない。

祖母に相談すると、新宿の懇意にしている老舗呉服店を紹介してくれた。

そこで見付けた友禅の中振袖…聞けば、その店の娘の十三参りに作ったが、袖を通して貰えなかった品らしい。

事情を話すと、日の目を見る事の叶わなかった品なのでと、写真を撮って見せる事を条件に、帯から草履迄一式を快く貸して頂いた。

「良く似合うわ、典子…苦しくない?」

「えぇ」

淡い光彩色に舞い踊る、大小様々な蝶を描いた友禅に、鮮やかな薬玉を織り込んだ西陣の帯。

十三参りに着るには大人っぽい意匠だが、今の典子にはピッタリだ。

美容室の外で待つ浩一と和賀さんを招き入れると、途端に脂下がった和賀さんの顔を見て、私は頭を抱えた。

「どうしたの、姫…頭痛?」

「あの顔を見てたら、頭痛にもなるわ!!」

クスクスと笑う浩一を睨み付けて溜め息を吐く。

「何より頭が痛いのは、典子の中で…あの馬鹿と私のイメージがダブってる事よ!!」



婚約すると典子が承知して直ぐにイタリアに電話を掛け、典子の父親に了承を得た。

「写真を送って貰いたい…出来れば、先日君の父上から頂いた様な、写真館で撮った物を…」

「は?…もしかして、2人で撮した…」

「あぁ…君がワンピースを着た典子を膝に抱いて撮った写真だ」

いつの間に渡してたんだ、親父は…?

「典子の写真は、あの折りに…あの娘が全て裂いて捨ててしまってね…一枚もなかったんだ」

「…そうでしたか。わかりました。必ず送ります」

「それから、結納等は一切必要ない…君はまだ学生だし、父上にもそう伝えて欲しい」

「お気遣い、ありがとうございます」

そうは言われても、指輪だけはどうしても贈りたくて、典子を連れてジュエリーショップに行った。

所が金額を見て怯えた典子は、泣きながら店を飛び出してしまったのだ。

「お前なぁ…」

「だって…あんな高価な物…」

「一生の記念だろうが…」

「だって…和賀さん、まだ学生だし…」

仕方無く、中学時代の友人の家に連れて行った。

彼の家は、オリジナルジュエリーを通販している工房で、本人も職人として働いている。

「谷川、1週間で指輪作ってくれ」

「はぁ!?何言ってんだ、和賀!?」

「婚約指輪だ」

「…」

「俺の誕生日に、婚約する」

「…マジで?」

「俺が、そんな冗談言うと思うか?」

「…デザイン、既製の物でいいのか?」

「いゃ…完全オリジナル…デザインは、後で説明するから」

「マジかよ?」

「大真面目だ!」

「あの…和賀さん…」

心配そうに見上げる典子を見て、俺は笑って言った。

「大丈夫だ、心配するなノン。コイツは、こう見えて腕はいいらしいから…それに俺は、コイツに大きな貸しがあるしな」

「…でも…」

「そうだ、ノン!お前からも、俺に記念の品、贈って貰っていいか!?」

「え?…構いませんけど…お誕生日ですし…」

「デザインも、任せてくれるか?ペアのデザインにしてぇし…俺は指輪にする訳にいかねぇし…」

「…わかりました」

頷いた典子を見下ろし、俺の顔と見比べると、谷川は信じられないといった風に呟いた。

「ペアってか?」

「あぁ」

「…彼女と、婚約するのか?」

「そうだ」

「…マジか…」

そう言いながら、谷川は典子の指輪のサイズを測った。

デザイン画を起こさせ、素材を決め、昨夜ようやく注文の品が出来上がって来て、俺のポケットの中に入っている。

振袖を着た典子は、本当に…愛らしく…少し目を潤ませ俺を見上げた。

「…綺麗だ、ノン」

「…和賀さん…」

「どうした?」

「…上手く…歩けないんです」

涙ぐむ典子を抱き上げ、松本達と共に会場となった部屋に入ると、皆が一斉に拍手で迎えてくれた。

親父と姉貴夫婦、兄貴と松本と玉置、それに典子の親代わりとして井手さんと、カメラマンには典子の先輩の高松が引き受けてくれた。

「手、出せ…ノン」

オズオズと手を差し出す典子の左手の薬指に、俺はビロードの小箱から取り出した指輪を嵌めた。

ピンクゴールドで作らせた指輪には、顔の両側に翼を広げ、口を大きく開けた獅子の顔がデザインされ…その口には鮮やかなピンクの石が嵌められていた。

「可愛いわね…ネコ?」

「ライオンだ、姉貴…ネコって言うな!」

「でも、何か可愛い顔してるから…」

「典子が身に着けるんだぞ?…厳つくならない様に、谷川とデザイン考えたんだ!」

「谷川って…あの、谷川君?ウチに談判に来た?」

「そう、その谷川」

笑い出した姉貴は、俺と谷川の経緯を、会場に居る面々に説明した。

中学で同級だった谷川の片思いをしていた相手が、俺の事を好きだと聞いたアイツが、ある日ウチに談判にやって来た。

『お前は彼女を好きなのか?彼女に好意を持っていないなら、彼女を傷付けないでやってくれ!』と、涙ながらに訴えた。

「正直その時には、どの女の事を言ってるのか、良くわからなかったんだがな…谷川が毎日店に来て騒ぐもんだから、女を連れて来させてその気がない事を告げた…っていうか、仲を取り持ったんだ」

「…」

「それが、谷川の嫁さん…高校卒業と同時に結婚して、もう直ぐ2人目が産まれる予定だそうだ」

「…そうなんですか」

「気に入ったか?」

「えぇ…とっても…」

そう夢見る様に自分の手を眺め、声を詰まらせると、俺を仰ぎ見てフワリと笑うと同時にポロリと涙を流す。

「……ありがとうございます」

「泣くなよ、ノン」

「…」

「やっぱり嬉しくても泣くんだな、お前」

「…済みません」

「謝ってないで、俺への品、着けてくれるか?」

そう言って、もう1つのビロードの箱を、典子に渡した。

「…やっぱり…『il leone alato』だったんですね?」

「あぁ…」

典子に渡した箱の中には、同じローズゴールドで作られたメダルを嵌め込んだペンダントが入っていた。

ペンダントの表には、中央に小さな兎が横向きに描かれ、兎を囲う様に有翼の獅子が丸くなって寝そべる姿が浮き彫りで彫金されている。

「だから、あの言葉?」

「そうだ…いい加減、教えろよ。何て意味だ?」

典子は真っ赤になって、俺を見上げた。

「調べずに彫り込んだんですか?」

「そんな暇、なかったからな」

メダルの裏面には、今日の日付と『To Kaname From Noriko』と彫り込まれ、その下に先日典子にスペルを聞いた文章が掘られてある。

『Il mio caro Leone.』

「何て意味だ?」

「……ご自分で、調べて下さい」

そう言って典子は俺の首に腕を回し、首の後ろで留め金を留めながら耳元に囁いた。

「…Il mio caro Lion.」

「……食いてぇ」

「お腹空いたんですか?」

「…お前の事」

「え?」

「お前を食いてぇ」

互いの耳元に囁き合うと、俺は典子の項にキスをした。

「いい表情をする様になったね、ウサギちゃん」

先程からずっと、俺達や出席者の様子を写真に収めていた高松が声を掛ける。

「そろそろ、あっちで2人の写真から撮ろうかな?」

小さな宴会場の奥半分は、写真撮影の為の機材が運び込まれ、宛ら撮影スタジオの様になっていた。

「やっぱり膝に抱いて貰った方が、収まりがいいね」

外野が注文を付け(主に玉置だったが)色々なポーズを取らされた後、高松は椅子に座った俺の膝に典子を抱かせてそう言った。

その後、全員で集合写真を撮り、会食をし…楽しい時間は、瞬く間に過ぎて行く。

お開きになって撮影機材を片付けていた高松が、俺と典子に笑顔を向けた。

「写真は大至急仕上げて、和賀君のお宅に送らせて貰うよ」

「ありがとうございます」

「そうそう、ウサギちゃん…君の写真なんだけどね…広告用ディスプレイに使いたいって話が来てるんだけど…どうする?」

「え?」

「君の写真をパソコンに出している時に、撮影に随行して来たあるシューズメーカーの重役さんの目に止まってね、他の作品も見たいって言うから、勝手だったけどポートフォリオを作って見せたんだ」

「…」

「撮影したのは素人の女の子だって言ったら、是非会って話したいって言うんだけど…どうする?」

「……いぇ…私は…」

「会うのは嫌かい?」

「…はぃ」

「写真は?企業に使われるのは、嫌かい?」

「……いぇ…それは、気に入って頂けたのなら…使って頂くのは一向に構いません」

「そう…やっぱり、そう来るか…」

「…済みません」

「いや、予想していたからね。それじゃ、ウチの先生に間に立って貰うよ」

「…ぁ……その…」

もじもじとする典子の様子を見て、俺は2人の会話に口を挟んだ。

「それ、高松さんが間に入って頂く訳には行きませんか?」

「僕かい?でも、僕じゃ…」

「見も知らぬ人間が仲立ちするより、典子も安心でしょうし…お願い出来ませんか?」

俺の言葉に頷く典子を見て、高松が笑った。

「…わかったよ。僕じゃあ、どれだけ力になれるかわからないけど…頑張ってみるよ」

「ありがとうございます」

「話が進展したら、又連絡するね。後、これは…今日の僕からのお祝い」

そう言って渡された大きな写真パネルを見て、典子は涙を流して喜んだ。

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