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第52話

冬休みが明けると直ぐに教務課に呼び出され、私は各教科の担当教授を訪ねる様に指示された。

長い間学校を休んでいたのだ…当然出席日数が足りずに後期試験を受ける資格がないと思っていたが、特例措置で各教科の課題をクリアすれば、後期試験の成績によっては進級を認めるという決定にして頂けたとの事…。

夏休みと12月の事件を心配して下さった学長が、自ら働き掛けて下さったそうだ。

受講していた23教科中、実技試験追加が2教科、レポートの提出が10教科、問題集の提出が2教科…そして、殆どの教科が後期試験で80点以上を取るという条件が付いた。

連日各教科の教授から山の様に渡された資料を運ぶ為に付き合ってくれていた和賀さんと茜は、アパートに到着するなり教授達の不遜な態度を非難し始めた。

「で、大丈夫なのか、ノン?」

「当たり前じゃない!!ねぇ、典子!?その為に各教科のノートを借りて、私がコピーして来たのよ!?」

私はカレンダーに各教科の課題の提出期限を書き込みながら、2人の顔を見て頷いた。

「でも…その課題の量だと、当分バレー部には顔を出せないわね?」

「…」

茜の言葉に、和賀さんが眉を寄せ…私は苦笑を返した。

「私としては、浩一の家庭教師もお願いしてる訳だし…彼の健康管理もお願いしてるし…バレー部の方は、私が何とかするわ!」

「健康管理って…だったら食事は、ウチですりゃいいじゃねぇか!?」

「それを、貴方のお兄さんが拒否したんでしょうよ!あんな事言われて、浩一も典子も…何もなかった様に一緒に食事出来ると思ってるの!?」

「それは…」

「然も、正月だけの帰省じゃなかったんでしょ?年明けから調布のスポーツクラブに移動になって…ずっとコッチで暮らすそうね!?」

「まぁ…近いからな」

「全く…今度、浩一や典子に手を出したら…唯じゃ置かないわっ!!」

「…玉置…この後、浩一ん所に寄って来んだろ?」

「いいえ」

キッパリと答える茜に、和賀さんは不思議そうに尋ねた。

「会って行かねぇのか?」

「会いたい時には、浩一から連絡が来るわ。私からは、会いには行かない…受験が終る迄はね」

「へぇ…一応気ぃ使ってんだ」

「何よ!?当たり前じゃない!!じゃあね、典子…浩一の事、頼むわね!」

茜は、そう言って帰って行った。

「…和賀さん、今日のご予定は?」

「ん?…学校戻って、部活覗いて来ようと思ってる」

「…そう…ですか」

「何か、あんのか?」

「…いぇ」

そう答えた私の顔を覗き込む様にして、和賀さんが尋ねて来る。

「何か、俺にして欲しい事…あるんじゃねぇのか?」

「いぇ…大丈夫です」

「って事は、何かあんだな?」

「…」

「ノン…何かあるなら、遠慮しねぇで言えって!部活に行っても、どうせプレー出来ねぇし…今日のトレーニングも終わってんだ」

「…」

「お前…又、殆ど喋んねぇし…」

「……済みません……買い物に…行きたいので…」

「わかった、荷物持ちだな?」

「いぇ……留守番を…」

「はぁっ!?」

「…」

「…一緒に行くから…ちょっと待ってろ!」

松本さんの受験勉強の邪魔をしない様に、和賀さんは気をつかっている。

核さんが和賀家に帰って来て、和賀さんと部屋を共有する様になると、今迄の様に和賀さんの部屋で勉強する訳にも行かず…私が松本さんの部屋にお邪魔するよりはと、私の部屋のリビングが勉強部屋になった。

最近は、彼と2人で食事を摂る事が多い。

松本さんは食事の世話迄は…と遠慮したが、この時期に体調を崩す訳に行かない事や、茜のたっての希望だと話すと、恐縮しながら承諾してくれた。

私の事で散々お世話になった彼に、少しでも恩返し出来ればと常々思っていた私としては、嬉しい限りだ。

学校から帰ると、和賀家の洗濯物を取り込み、松本さんに声を掛け、午前中の勉強の不明な箇所をチェック…皆の夕食の準備を終えると、松本さんと夕食を挟んで夜中の12時頃迄勉強会は続く。

最近は、それ以降も自分の課題に取り組んで、明け方近く迄起きている事が多い。

必然的に和賀さんと過ごす時間がガクンと減り…彼にフラストレーションが溜まっているのは一目瞭然で…。

2人切りで出掛けて、又前の様に外で暴走されるのではないか…私の言葉を変に取り違えられるのではないか…そう思うと、何となくギクシャクとした対応を取ってしまい、和賀さんを苛立たせてしまう。

真子さんから預かっている和賀家の財布と自分の財布を鞄に入れ、私は携帯を握って外に出た。

「何買うんだ?」

「…忙しくなりそうなので…常備菜の材料と…後、今日の夕飯の食材も…」

そう言ってメールをチェックして、核さんからのメールを開いた。

「…すき焼きが、食べたいそうです」

「核兄ぃか?相変わらず、ノンにメールして来てんのか?」

「…はっきり知らせて下さるので、返って楽です」

帰宅の時間や夕飯の必要の有無、食べたい物や買って置いて欲しい物…核さんは、私の携帯にマメにメールして来る様になっていた。

「勝手なだけだって…出来ねぇ事は、ちゃんと断れよ?俺からも言っとくから…」

「…はい」

「…この前も話したろ?核兄ぃも、お前の事認めてくれたんだし…又一緒に飯食わねぇか?勿論、浩一も一緒に…」

「…今は、ちょっと…」

「何で?」

「松本さんも、私も…勉強が一段落しないと食事する気になれませんし…皆さんのサイクルに合わせ辛いというか…」

「…」

「……申し訳…ありません」

核さんの吐いた言葉に過敏に反応した松本さんを心配し、少し後になって聞いてみた事がある。

「悪いけど…俺は、戻る積もりはないよ、ウサギちゃん」

「…松本さん」

「今は俺の方が、和賀家の人達に気を遣う余裕がないんだ…わかるだろ?」

「…はい」

「全て終わってから…考えてもいいかな?」

「…わかりました」

和賀さんの誘いは嬉しいが、松本さんを1人切りにさせるのも気が引ける…。

受験さえ終れば、松本さんも落ち着いてくれるだろう…だが、その頃に彼はこのアパートに住んでいるのだろうか?



…腕の中に、典子が居ない…微睡みから一気に目覚めると、リビングの方で微かな音が聞こえた。

アイツ…又、寝なかったのか…ガリガリと頭を掻きながらドアを開けると、台所に立つ典子が振り向いた。

「…おはようございます。起こしてしまいましたか?」

「おはよう…何してる、こんな朝っぱらから?」

「…お弁当、作ってました」

「浩一のか?」

センター試験初日…何故か、この日は天候が崩れる事が多い。

窓の外を見ると、どんよりとした雲が垂れ込めていた。

「浩一は?」

「起きていらっしゃると思います。朝食作りましたから、呼んで来て頂けますか?」

典子に言われ、俺は隣の部屋に声を掛けた。

「手間掛けて悪いね、ウサギちゃん」

「何仰ってるんです?今日からが、本番ですよ」

朝食を摂る松本の前に、典子は弁当箱と水筒を置き、紙袋を添えた。

「茜から預かりました…頼まれていた、珈琲キャンディーだそうです」

「あぁ…ありがとう」

「後…今日は雪になって冷えるそうですから…簡易カイロと…下痢止めを…」

「…」

「何で下痢止めなんだ、ノン?」

真っ赤な顔をした典子が俯いて…恥ずかしそうに小さな声で答える。

「…去年…私、大変だったんです…」

「去年?あぁ…そういえば、去年も雪が凄かったね?」

「冷えてしまったのか…緊張のせいなのか…ずっと、お腹痛くて…」

「それで…」

「松本さんは、そんな事ないと思いますが……一応…」

プッと吹き出した松本は、そのままゲラゲラと笑い続け…赤い顔で俯く典子に『ゴメン、ゴメン』と謝りながら尚も笑った。

「ありがとう、ウサギちゃん…緊張、解れたよ」

「…そういう積もりは、なかったんですが…」

「いゃ…会場でもこの薬見たら、緊張解れると思う」

そうクスクス笑う松本に、典子は戸棚から出したスティックシュガーを数本差し出した。

「…試験の前に、口に含んで下さい」

「ありがとう…もしかして、お腹が痛くなったのって…甘い物の摂り過ぎ?」

「…ぇ?……かも…です…」

小首を傾げ考え込む典子に、松本は笑顔で気を付けるよと言い、立ち上がった。

「頑張れよ」

「おぅ」

玄関でそう言って拳を合わせると、松本は典子に見送られて出掛けて行った。

ところが…玄関の外に見送った典子が、中々戻って来ないのだ。

何やってんだ…そう思って玄関を開けると、表札の下に典子がしゃがみ込んで膝に顔を埋めていた。

「ノンッ!?どうした!?」

この寒さの中、しっとりと汗を掻き真っ白な顔をした典子は、俺の声に反応して少しだけ手を振った。

「大丈夫か?貧血なのか?」

ベッドに運び足を高くしてやると、典子は俺の手を探す素振りを見せる。

その手を握って額の汗を拭ってやると、掠れた声が喉から絞り出された。

「……和賀…さ……じゅー…す…」

「え?ジュースって言ったのか?」

典子は微かに頷くと、再び声を絞り出す。

「…れぃ…ぞ…」

「冷蔵庫だな!?待ってろ、直ぐに取って来る!!」

慌てて冷蔵庫を開けると、典子には珍しく幾つかの紙パックのジュースが入っていた。

ベッドに舞い戻り典子の躰を支えてやると、ストローを差したジュースを口元に運ぶ…すると彼女は、200mlのジュースを一気に飲み干した。

「…大丈夫か?」

しばらくして幾分楽そうになった典子の顔を覗き込むと、彼女は微かに笑顔を見せて俺に謝った。

「…済みません…驚かせて…」

「どうしたってんだ、貧血じゃねぇのか?」

「…えぇ」

「往診、来て貰うか?それとも…」

「いぇ…病気ではないので……大丈夫です」

「病気じゃねぇって…」

「もぅ、平気です」

そう言って起き上がろうとする典子の躰を、俺はベッドに押さえ付けた。

「何だってんだ!?ちゃんと言えよっ!!」

「…」

「ノンッ!!」

「……ごめんなさい」

怯える典子の瞳に涙が溜まる……俺は…典子を怯えさす事しか出来ないのか…。

「…今日は…1日、ここで寝て過ごせ!」

「…いぇ」

「なっ!?」

「……今日は…成城に行く日なので…」

「体調悪いんだろうが!?違う日に…」

「平日は学校があるので…わざわざ土曜日に変更して頂いたんです」

「…」

「これ以上、授業を休む訳に行かないので…」

「……俺に…逆らうのか…」

「そんな積もりは…」

典子の手がオズオズと差し出され…俺の服を掴もうとさ迷う。

俺は…その手を……思い切り払い除けた。

その途端典子の見せた表情……あぁ…これは、あの時と同じ顔だ…。

あの蒸し暑い初夏に…ラウンジで見せた…心が音を立てて崩れ去る様な…。

典子の心は脆く傷付き易い…どれだけ頑固で強がっても…その心は薄い硝子で出来ている。

マズイ…何とかしなければ…。

頭から冷水を浴びた様な心地で、俺は焦った。

典子に体重を掛け、伸し掛かる様にして唇を重ねる。

微かに拒む素振りを見せる典子に、何度も何度も強引なキスを繰り返す。

「……拒むな」

「…」

「愛してるんだ…ノン…」

「…」

「お前、信じるって言ったろ!?」

「…」

「…そんな顔して…疑ってんじゃねぇよ」

「…」

「……どんなに苛立ってもな…気持ちだけは変わらねぇ…」

何も言わない典子の手が、ようやく俺の背中に回される。

「ちゃんと病院にも連れて行く…だから、このまま少し休め…」

「……はぃ」

「朝飯…後で持って来るから…」

「…頂きました」

「え?」

「朝食…松本さんと…」

「…」

「さっき一緒に…頂きましたよ?」

さっき…松本は、俺の目の前で…1人で朝食を食べていた。

「…腹、減ってねぇのか?」

「あんなに沢山頂いたんです…お腹一杯」

俺を見上げて、口元を綻ばせる典子にキスをして、彼女の眉間を撫でてやる……すると、典子はいつもの様に幸せそうに微睡むのだ。

又…おかしくなって来てるんだろうか?

昨日の話じゃない…ついさっきの記憶が曖昧な…いや、間違った記憶を信じているって…又、何か心にストレスを抱える影響なのだろうか?

「核兄ぃ、今日…車貸してくれねぇか?」

典子が深い眠りに着いた後、朝食を摂りながら俺は兄貴に言った。

「チビ助とデートか?」

「病院に連れて行く。又、少しおかしくてな…」

「…なら、俺が運転してやる」

典子の作ったひじきの煮物を頬張りながら、兄貴は言った。

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