第51話
私の親友は、生真面目で規則正しい生活をしている…それは、例え元旦の朝でも変わらないだろう…そう確信して、携帯を掛ける。
「…もしもし、起きてた?」
「えぇ」
「じゃあ、お邪魔していいかしら?」
「構わないわよ…今、どこ?」
「貴女の家のドアの前よ」
直ぐにドアが解錠され、顔を出した親友の顔が驚きと共にフワッと笑顔になるのを見て満足する。
「明けましておめでとう、典子」
「おめでとうございます…どうぞ、入って」
誘われて部屋に入ると、私の姿を見て典子はホゥと溜め息を漏らす。
「綺麗だわ、茜」
「そう?ありがとう。貴女こそ、その眼鏡どうしたの!?」
「…ちょっとね。昨日、和賀さんと買いに行ったの。写真…撮っていい?」
そう言って、典子は棚に置いてあるカメラを手に取った。
明るい渡り廊下でポーズを取っていると、背後から聞き覚えのない声が響く。
「朝っぱらから騒がしいな?」
カメラを構えていた典子がビクッと怯え、それでも丁寧に挨拶を交わす。
「明けまして、おめでとうございます」
「あぁ…で、そちらの美女は?」
スラリとした長身に不遜な態度…和賀さんと良く似た面差しに、細い銀縁の眼鏡。
確か、和賀家にはもう1人社会人になるお兄さんが居る筈だ…この人が……それにしても、何でこう不遜な態度の奴ばかりなんだろう…折角イケメンなのに…。
廊下の中央にわざと正座して、深々と頭を下げる。
「お初にお目に掛かります。私、こちらの要さんの後輩で、鷹山学園体育大学男子バレー部のマネージャーを務めさせて頂いております、玉置茜と申します」
頭を上げて笑ってやると、イケメン兄貴はニヤニヤと笑って顎を擦りながら私を見下ろす。
流石に女慣れしてるわ…イケメンの女タラシな訳ね…。
「ここん家の長男の、和賀核だ。チビ助の所に来たのか?」
「ハッ?」
何て言った、この男!?
そう思った途端、背後から典子のか細い声が聞こえた。
「お騒がせして…申し訳ありません。それから…眼鏡、ありがとうございました」
「…とんだ出費だ」
「……申し訳…ありません」
「お前が謝る必要ねぇぞ、ノン!」
いつもの典子を庇う声が響き…大きな野獣が渡り廊下に座っている振袖姿の私に目を剥いた。
「来てたのか、玉置?」
「あけおめ!」
「あぁ…ことよろ」
「他に言う事は?」
「……馬子にも衣装?」
「誰が馬子よっ!?相変わらず、デリカシーの欠片もないわね!?」
和賀さんの隣でクスクス笑うイケメン兄貴は、私達のやり取りを聞いて尋ねた。
「コッチがお前の本命か?それとも、第2夫人?」
「冗談止めてくれ、核兄ぃ!?玉置は、浩一の彼女だ!」
「へぇ…松本君の…」
「玉置、浩一まだ寝てるぞ?昨日も、かなり遅く迄やってたみてぇだ」
「わかってるわ。だから、典子の所に来たのよ!」
そう言って立ち上がると、私は典子の部屋に入った。
「何よ、アレ!?」
「…失礼よ、茜」
「失礼なのは、あっちだわ!?眼鏡…あの人に壊されたの!?」
「…ちょっとした誤解があっただけよ。そんな、大した事じゃないわ」
「…」
「それに、この眼鏡…和賀さんが選んでくれたし…」
薄桃色の艶を消した細いメタルフレームが、楕円形のレンズの下部分だけを支える様な華奢で優しいデザイン。
「まぁ…貴女に良く似合ってるから、良しとするわ」
口角だけを上げて、典子は私に携帯を向け、又写真を撮る。
その携帯にぶら下がるストラップ…典子が、ストラップ!?
「それ、プレゼント?」
「…」
「見せて?」
典子は頬を染めて、オズオズと携帯を差し出した。
ピンクの皮バンドの上部には、銀の縁取りがされた赤いハートのスワロフスキーと、同じくスワロフスキーの目が嵌め込まれた兎のチャームが取り付けられ、バンドの端にはNの文字を型どったチャームが付いている。
「可愛いわね…オリジナル?」
「えぇ…選んでくれたの」
「そう。良かったわ…少しは洒落っ気が出て来て」
「…違うの」
「え?」
「和賀さんが…お揃いのが欲しいって…」
「えぇッ!?」
「そんな事言うと思わなくて…前に大学で、ペアルックの人やお揃いの鞄を持ってる人達の事、散々恥ずかしい奴等って言ってたし…」
「まぁ…言いそうだわね…」
「…本当は、女の方から欲しいって言うもんだって…」
「言ったの?馬鹿だわね…どっちだっていいじゃない、そんな事」
「…茜……私…やっぱり、どこかおかしいのかも…」
「何がよ?」
「普通に…話してるだけなの……別に変な風に言ってる積もりなんてないの…なのに…」
「何があったの!?」
「……煽るだとか…焦らすとか……何が何だか…わからなくて…」
あぁ…成る程、そういう事か…目の前でポロポロと涙を流す親友に、私は溜め息を吐いた。
「又、あの馬鹿に強引に迫られた?」
「……私…もう和賀さんと……お喋り出来ない…」
「あのねぇ、典子…」
そう言った時、渡り廊下に面した掃き出し窓から入って来た和賀さんが、泣いている典子を見て目を剥いた。
「どうした、ノンッ!?」
「どうしたもこうしたも…泣かせたのは、和賀さんだわよ!!」
「俺が!?俺は、今入って来たとこだろうが?」
「昨日の事よ…どうせ又、無体な事したんでしょっ!?」
鼻白む野獣を見て、図星かと眉間に手を当てる。
「和賀さん、ちょっと…」
私は、渡り廊下から和賀さんの部屋に上がり込んだ…中に居たイケメン兄貴は、少し眉を寄せて私と和賀さんを見比べる。
「今度は、何したの!?」
「別に…」
「まぁね…大体想像付くけど…下手すりゃ典子に口利いて貰えなくなるかもよ?」
「何だと!?」
「あのねぇ…言ったでしょう?典子は、超が付く程固い箱入り娘だって!幾らあの娘が天然で吐いた言葉に和賀さんが反応しても、典子に取っては何が何だかわかんないのよ!!和賀さんの行動は、典子を怯えさすだけなの!わかる!?」
「…」
「強引なのもいいけど…何でも強引に運んでいいって訳じゃないのよ?」
「わかってる」
「全く…正月早々、泣かせてんじゃないわよ…」
「…悪ぃ」
隣で面白そうにクスクス笑うイケメン兄貴を、私は睨み付けた。
「失礼じゃありませんか?笑い事じゃないんです!」
「これは、失礼」
「で、貴方は典子に何をしたんですか!?」
「俺?…彼女は、何も言わ無かったのか?」
「言いません…ちょっとした誤解があったとしか」
「なら、そうなんだろ?」
「例え貴方が彼女に何をしようが…彼女は、人に言い付けたりする様な娘ではないんです!」
「…とんだ、聖女様だな…チビ助は」
「そうよ…正にその通りだわ!!典子は聖女で天使なの!!」
ピクリと片眉を上げて、イケメン兄貴は眼鏡を擦り上げた。
「自分の事を殺そうとした奴等の安否を心配する様な…超ウルトラ級のお人好しで、優しい娘なんです!!自分の事は…質素で慎ましやかで…『7つの大罪』を犯す事なく生きてる様な娘なのよ!!」
「玉置…何だ、ソレ?」
「知らないのか、要…『傲慢』『嫉妬』『憤怒』『怠惰』『強欲』『暴食』『色欲』…この7つの、人間を罪に導く可能性があるとされている欲望や感情の事を、『7つの大罪』と言うんだ。だが、そんな我慢が出来る人間等、実際には…」
「まんま、典子じゃねぇか…」
「…」
馬鹿な弟の言葉に目を剥くイケメン兄貴を一瞥すると、私は和賀さんに向き直った。
「典子はね…真っ白なのよ、和賀さん。あの娘にあった欲望は、『知識欲』だけだった…それも、他に目を向けない為の抑制だった気がするわ。典子を普通の人間にしたいなら…強引に引き摺り回すだけじゃ駄目よ。怯えて怖がらせない様に…噛んで含めて説明してやらなきゃ」
「…」
テーブルに置いていた見覚えのある携帯を手に取ると、和賀さんが私の手元をじっと目で追った。
「コレ…典子が選んだの?」
「…あぁ」
典子のストラップと同じ形状のストラップ…バンドの色は、燃える様な緋色。
和賀さんの名前のKという文字のチャームに、スワロフスキーの目を嵌め込んだ咆哮を上げるライオンの顔と、翼をモチーフにした3つのチャームがあしらわれていた。
「…典子から見た和賀さんのイメージって、こういう感じなのね」
「え?」
「灼熱の炎の緋色に、咆哮を上げるライオン…そういえばライオンって『傲慢』を表す動物だって知ってた?」
「…」
「それじゃなくても、いつも大声で吼えてるしね、和賀さん…翼は、アレでしょ?高く跳ぶから…」
「多分な」
…以前、典子が私に贈ってくれた小さな小銭入れ…典子のお手製で、真紅のビロードに金色の朱雀をビーズで刺繍した物だった。
私をイメージして作ったと、典子は恥ずかしそうに言ったが…和賀さんと私のイメージって被るんだ……そう思うと、何となく目眩がしそうだった。
「姫、その辺りで俺の親友を解放してくれるかな?」
背後から、優しい恋人の声がする。
「…浩一、ごめんなさい…起こした?」
「起きて正解…麗しい姿は眼福に値するからね」
私の恋人は、いつもこうやってサラリと私を幸せな心地にさせる。
「浩一の爪の垢でも飲んで見習いなさい、唐変木!」
私は和賀さんを睨んでそう言うと、隣のイケメン兄貴に釘を刺した。
「典子を泣かせるのは、貴方の弟1人で十分です!」
「…」
「貴方の弟は、愛情故に典子を泣かせるから、仕方なく許してますけど…そうではない理由で典子を泣かせたら…私が承知しないわ!!」
そう啖呵を切ると、私は恋人と共に和賀家を後にした。
「美人だが、凄い激しい女だな!?」
「逆らうなよ、核兄ぃ…本当に殺されっぞ?」
「ハッ…あんな小娘の脅し等…」
「脅しじゃねぇから言ってんだ…あの女、この前…会社1つ潰しやがった…」
「…え?」
「玉置興産の1人娘なんだよ。高校時代から、典子を虐めてる奴の親の会社の株を買い占めて…この間は、典子を刺したその女の家の株、一気に市場に散蒔いて倒産させやがった。主犯の男の家の株も、今着実に手に入れてるって話だ…他にも攻撃仕掛けてるらしいしな…」
「チビ助が頼んだのか?」
「典子は全く知らねぇ…今も、何も知らされてねぇよ。全て玉置本人の独断で、ポケットマネーでやってるんだと。典子に言うなよ、核兄ぃ…アイツが知ったら、自分のせいだって自分自身を責めて…下手すりゃ自殺されちまう」
「…」
「聞いたろ、病気の話?」
「まぁ…俺には関係ないがな」
「核兄ぃが、そう思ってくれるのはありがてぇ…だから、そのまま典子に手ぇ出さねぇでくれ」
「珍しいな、要…お前が、女の事でマジになるなんて」
「浩一にも、そう言われた」
「今迄に付き合って来た女と、毛色が違うからか?」
「典子は、あんな女逹とは違う!」
「モロ、お前の好みだしな…」
「…」
「そういえば、早朝から揉めてただろ?」
「…皆で初詣行こうって言ったら、絶対に行かねぇって拒否しやがる!」
「…俺のせいか?」
「どうかな…核兄ぃが居なくても、多分行かねぇって言うんだ、アイツ」
「何で?」
「人混み嫌いでな…足元危ねぇから人にも迷惑掛けるし、一緒に行った人間にも迷惑掛けるって、行きたがらねぇ」
「…」
「祭りとか旅行とか、集団行事とか…楽しい事から、とことん自分を避けて生きて来たんだ。あの部屋も、典子の親父さんが家具やテレビなんか一揃え買ってやる迄、何もねぇ箱みたいな部屋で生活してたんだ。衣食住全てが質素で…聖女とか天使じゃねぇ…今でも、修道女みてぇな生活してる」
「…」
「幸せにしてやりてぇ…そんな風に思った女は初めてで…手離せなくて、食い尽くして…逃げるなら殺しちまうかもしれねぇって思う程愛しい女も初めてだ」
「それで、2人で結婚決めたのか?」
「いぃゃ…決めたのは、俺1人」
「えっ?」
「典子からは、正式な了解貰ってねぇ…ってか、アイツの口から『好き』っていう言葉引き出したのは、つい数日前だからな…」
「……相変わらず、暴走野郎だな?」
「典子は、ずっと自分は俺に相応しくねぇって…いつかは、俺に捨てられるって思い込んでる。だから、余計に手離せねぇ」
「…」
「典子の親父さんとの約束で、結婚は卒業して就職して…親父さんの認める、典子を幸せに出来る男にならなきゃさせて貰えねぇ。だから、近々婚約する予定だ。尤も、典子が納得してからだがな…」
「…そうか」
「認めてくれんのか!?」
「その為に、話したんだろ?」
チラリと俺を見上げると、そのまま兄貴は雑誌に目を落としたが、その口許が緩んでいるのを俺は見逃さなかった。




