第50話
よく考えてみたら、典子と大学や商店街、病院以外に出掛けるのは…初めてかもしれない。
って事は…俺達は、まともなデートというのをした事がなかったって事で…それってかなりマズくないか?
大手眼鏡チェーン店に典子を連れて行き、視力測定をする彼女を眺めながら、俺は1人で溜め息を吐いた。
大学に行く時の様な黒いリクルートスーツを着ようとする典子を押し留め、普段着でいいからと説得した結果…彼女が着たのはジーンズに白いポロシャツ、制服の下に着る様な濃紺のVネックのセーターに、グレーのフリース…髪がお下げで無かったら、男子中学生の様な格好だ。
いや…今時の中学生は、男でももっと洒落っ気があると思うぞ?
その上、典子が眼鏡屋の店員に言った言葉に、俺は再び溜め息を吐いた。
「それでは、レンズの種類も確定致しましたので、お好みのフレームをお選び頂けますか?」
「…あの…この店で、一番丈夫なフレームに決めたいんですが…」
「…は?丈夫な…ですか?」
中学生の様な容姿の女から、年寄りが言う様な堅実な言葉が飛び出す。
「えぇ…少々の事では、壊れないフレームを…」
堪らずに、背後から典子の口を塞ぎ、店員に愛想笑いを送った。
「…フレームを決めたら、知らせますんで…」
そう言うと、カウンターから典子を抱え上げて店の奥に移動した。
「お前…いつも、あんな風に眼鏡選んでんのか?」
キョトンとして俺を見上げる典子は、コクンと頷くと小首を傾げた。
「だけど…俺が踏んで壊しちまったフレーム、華奢で女っぽい物だったじゃねぇか」
「あぁ…アレは、高校の先生が…見兼ねて買って下さったんです」
「…」
「高校では、しょっちゅう眼鏡壊されてて…テープで貼ったり、瞬間接着剤で接いだりしてましたから。受験の前に、それじゃあんまりだからって…」
「…花村逹に…やられてたのか?」
何も言わずに、店内の太い紳士用フレームに手を出そうとする典子の手を引いて、婦人用のフレーム売場の横のベンチに座らせた。
「…俺が選ぶ」
「は?」
「ノンの顔を見てる時間が一番長いのは俺だからな…俺が選ぶ!」
「…」
「お前、そんなに鏡覗く女じゃねぇし…」
「…はぁ」
「いいな!?」
そう言うと、俺は陳列されたフレームを物色した。
俺達のやり取りを聞いていた店員が、トレーを抱えてイソイソとアドバイスをしにやって来て、複数選んだフレームを次々と典子の顔に掛けて見る。
「こちらが、一番お似合いかもしれませんね?」
「そうだな…お前はどうだ、ノン?」
「…和賀さんが…良いと思われるのであれば…」
「最近は、互いの眼鏡を選び合うカップルも多いんですよ」
にこやかに笑う店員に、そのフレームで眼鏡を作って貰う様に依頼して、出来上がる迄の時間を俺達は昼食を摂りながら待った。
「昨日、浩一と何食ったんだ?」
「ハンバーガーです」
初めて入ったというラーメン屋のカウンターで、赤い顔をして半ラーメンの麺を啜りながら典子は答えた。
「今朝は?」
「…スーパーで、お餅買って来たんです。松本さんに教えて頂いて、チョコレートも一緒に買って来ました」
「朝から、チョコレート餅?」
「いぇ…お醤油付けて海苔で巻いて…」
「……姉貴が、寂しがってたぞ?」
「…」
「いや…核兄ぃが悪ぃ。浩一にも、お前にも、嫌な思いさせちまったな」
「…いぇ…皆さんお優しいので、ついズルズルと甘えてしまいましたが……いつまでも、そのままという訳にも行きませんし…」
「甘えていいんだ、ノン!あのまま、ずっと一緒に食事してぇって…親父や姉貴逹も思ってる!」
「…」
食べ終えた鉢に手を合わせた典子を、背の高いスツールから下ろしてやると、俺を見上げて照れ臭そうに笑った。
クソッ…こんな何でもねぇ場所で、こんな服しか着てねぇのに…何でこんなに可愛いかな、コイツ…。
大晦日の街は、正月の買い物客で賑わっていた。
眼鏡が無い事で足元を不安がる典子を抱き上げ様としたが、街の中では流石に恥ずかしいらしく、思い切り拒まれる。
仕方なく、迷子にならない様に手を繋ぎ、人混みを避けて近くの公園に入った。
大晦日の公園で子供を遊ばせる親は居なかったが、俺達の様な酔狂な若者が数組、公園でそれぞれの時を過ごしている。
「…昨日のアレな」
典子をベンチに座らせると、俺は隣に腰を掛けて空を仰いだ。
「浩一やノンが、悪ぃんじゃねぇんだ…」
「どういう事ですか?」
「核兄ぃが気に入らねぇのは…姉貴と祐三さんなんだ」
「…」
「祐三さんは、商店街の中にある不動産屋の三男坊でな…昔からあんな優しい人で、ちっこい頃から同い年でしっかり者の姉貴のケツ、核兄ぃと一緒に追っ掛ける様な人で…姉貴の子分で腰巾着だったんだ」
「もしかして、苛められっ子でした?」
「みてぇだな。姉貴が、いつも庇ってたってよ。俺がまだ生まれる前の話で、姉貴達が話してくれんのを聞いた事しかねぇんだがな…その頃から悩み事や嫌な事があると、姉貴は祐三さん呼び出して悪態吐いてたらしい…祐三さんはあの調子で、いつも話を聞いていたんだと」
「お優しいですからね、祐三さん」
「中学の頃…姉貴にも好きな男が出来たらしくて…手酷く振られたんだ。いつもの様に失恋の愚痴を溢す姉貴に、祐三さんが突然プロポーズしたらしい」
「…」
「まぁ、姉貴にしても寝耳に水で、全くそんな気はなかったらしくて一笑に付したらしいけど…それからは、事ある毎に『大人になったら、結婚しよう!!』って猛アタック掛けて…とうとう姉貴が鬱陶しくなって『自分がOKする迄操を立てたら、考えてやる』って、祐三さんに言ったんだ」
「…まぁ」
「姉貴にしてみれば、体のいい断る口実だったみてぇだがな…祐三さんは、それからもずっと『真子ちゃんは、俺のお嫁さんになるんだ』って、姉貴にも親にも、商店街の連中にも公言してた。それは、姉貴が親に反抗してレディースに入ってバイクぶっ放してた時も、お袋が死んで姉貴が俺達育ててた時も、ずっと変わんなかった。まぁ…結婚出来たのは、祐三さんの粘り勝ちだな。姉貴がOKする迄、20年近く待ったんだ…あの人」
「…凄いですね」
「俺にとっちゃ、しょっちゅう家に出入りして姉貴に顎で使われてる、優しいけど頼りない近所の兄ちゃんで…年が近い分、核兄ぃの方がそういう思いが強かったみてぇでな。大学出てから独り暮らし始めた核兄ぃが知らない内に、姉貴と祐三さんは正式に付き合う様になって…俺が高校卒業するのを待って、結婚する事にしたんだ。姉貴にしてみれば、俺の子育てが終る迄は…って気持ちが強かったみてぇで…祐三さんは高校卒業して調理学校出て…ホテルの厨房に勤めながら、姉貴がOKするのをひたすら待ってた」
「…」
「親父も祐三さんの両親も、結婚決めたって報告を聞いても、『やっとか…』って思いしかなかったみてぇで、3男坊だった祐三さんが婿養子に入る事も、親父と共に店の厨房に立つ事も、ウチに同居する事も…自然に決まって行ったし、周囲も何の疑問も持たなかったんだ」
「…核さんは…反対されたんですか?」
「盆休みで帰って来た核兄ぃは…話を聞いて激怒した。『俺は、そんな話聞いてない!!』って大暴れして…以来、家に帰ると、いつもああやって姉貴逹に絡む様になっちまった」
「…」
「…だから、お前のせいじゃねぇんだ」
俺は典子を抱え上げ自分の膝に乗せると、自分のジャケットの前を開き、冷たくなった典子のフリース毎包み込んだ。
「…変な風に、考えてんじゃねえだろうな?」
ジャケットの前を掻き合わせる様にして典子を抱き、彼女の肩に顎を置いて伸し掛かる。
「…変な風って?」
「…」
「…私達って…どんな風に見られてるんでしょうか?」
「え?」
「さっき、眼鏡屋さんで…ビックリしました」
「何が?」
「店員さんが…私と和賀さんの事を、カップルって言って…」
「そうだったか?」
「…」
「ノン?」
俯いた典子の首筋が真っ赤になるのを見て、俺は顔を覗き込んだ。
「…私でも……和賀さんと…そんな風に見て頂けているんだと思って……嬉しくて…」
真っ赤になった典子の耳殻にキスをしてやる。
「ヒャウッ!?」
「…これ以上…ここで…可愛い事言うなよ?」
「…」
「じゃねぇと…このまま襲っちまうぞ?」
ジャケットの上からグッと抱き締めると、典子は俺を振り仰ぎフルフルと首を振った。
「…違います…そんな積もりで言ったんじゃなくて…」
「ん?」
「…核さんの話です」
少し咎める様な視線に、俺は苦笑いを返した。
「…核さんには、心を許せる様な方がいらっしゃるんですか?」
「どうかな…今は、決まった相手が居るとか、聞かねぇなぁ…」
「ご兄弟で、そんな話されないんですか?」
「ん~、しねぇ事もねぇけど…」
典子には言えないが、女の事は兄貴に全て教わった。
だが…典子の言っている事は、そういった類いの話じゃないからな…。
「昔っから、良くモテてはいたけどな…」
「素敵ですものね…核さん…」
「…」
ムッとして典子の腹を擽ってやると、足をバタつかせてむずかり、俺を見上げて頬を膨らます。
「…ああいうのが、タイプなのか?」
「は?」
「そういえば…あの高松って奴も、知的な感じの奴だった」
「…」
「さっき話してた、高校の先生って…噂になったっていう担任なのか?」
「……和賀さん」
「何だ?」
「もしかして…ずっと気にしてらしたんですか?」
「…悪いかよ?」
「……和賀さんって…案外…」
「…」
「眼鏡を買って下さった担任だった先生が離婚されたのは、ご家庭の事情で…お嫁さんが、先生のお宅に馴染めなかったからだそうです」
「…」
「噂が流れた時に、先生が事情を話して下さいました」
「…ふぅん」
「高松先輩には、確かに交際を申込まれましたが…父の事がなかったとしても、結局はお断りしていたと思います」
「…」
「…憧れの先輩でしたが……それは、恋愛的な物ではありませんでしたから」
「…」
「きっとそれは…高松先輩も…ご存知だったのだと思います」
「…そっか」
「核さんは…」
「…もういい」
「和賀さんのお兄さんですから…とても良く似ていらっしゃいます。核さんの方が、少し知的な感じがしますけど…」
「…」
「…好みの…問題だと…」
典子の顎を捉えキスをしようとすると、彼女は慌てて俺の膝から逃げ出した。
「…眼鏡、そろそろ出来たと思います」
再び典子の手を繋ぎ、出来上がった眼鏡を受け取ると、俺は何気なく典子に言った。
「…ノン、クリスマスのな…」
「はい?」
「クリスマスプレゼント…買いに行かねぇか?」
「…」
「あの日、バタバタして…結局買いに行けなかったろ?」
「…別に…」
「俺が欲しい」
「…何か、欲しい物があるんですか?」
「お前と…お揃いの物……って言ったら、お前笑うか?」
「…」
「…嫌か?」
「…いぇ…」
「普通な…こういった事は、女が言い出すもんなんだがな…」
「……済みません」
「お前、何も欲しがらねぇし」
「…」
「ノン?」
「これ以上…欲しいなんて言ったら、バチが当たります」
「お前…そういう事言うから…」
「…」
「これ以上、煽るな…」
「…そんな積もり…ないです」
繋いだ手を強引に引いて路地に連れ込み、ジャケットで彼女を覆い隠して強引に唇を奪った。
「…又、こんな所で…」
「怒んなよ…お前が悪ぃ…」
「…」
「怒んなって…ノンが可愛いのが悪ぃんだって!」
「…小さいからですか?」
「それもあるけど…」
「…」
咎める様に潤んだ瞳で見上げる典子の赤くなった耳を撫でてやると、ブルリと身を震わせて目を細める。
「…堪んねぇ…」
荒い息遣いと放たれる熱情に怯える典子が、俺の腹を押しながら涙ぐむ。
「お前は…煽って、焦らして……そのまま、逃げる気じゃねえだろうな!?」
「……そんなの…知らない…」
「…」
「…私は…唯…お話ししてた…だけだもの…」
「…ノン」
典子の俯いた項が微かに震え、俺はその躰を怖がらせない様に注意してそっと抱き込んだ。
「…悪ぃ」
「…」
「自重するから…」
黙って頷く典子の手を引いて、大通りに戻る。
その後2人でペアの商品を探し…結局、アクセサリーショップで作る、オリジナルのストラップを互いに贈り合う事にした。
俺が典子に選んだストラップのベルトの色は、淡いピンク…チャームには、兎とハート、頭文字のNをチョイスした。
出来上がったストラップを典子の携帯に付けてやり、彼女が嬉しそうにストラップを撫で、頬を染め俺を仰ぎ見る姿を見て…俺はやっと満足した。




