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第5話

私の父は、桜の花が嫌いだ…桜の花を見ると、私が怪我をした時を思い出すらしい。

満開に咲く桜並木の土手を、誰かと遊んでいた…顔も名前も、性別すら覚えていない。

ただ…その子が、発した言葉と行為だけを覚えている。

「…お前なんて、嫌いだ」

そう言って、その子は私の背中を押した。

どうして…今迄一緒に遊んでたのに…!?

土手を転がり落ちる恐怖と続く激痛の中、私は土手の上のその子に助けを求めた。

だが…見下ろされた瞳は冷たく、その子は走り去ってしまった。

それからは、入院と手術、リハビリの日々…痛くて辛くて泣いてばかりの私を、伯母さん達は持て余し、父は不機嫌な顔しか見せない様になった。

優しくしてくれたのは、一緒にリハビリをしていた遼兄ちゃんだけだ。

「一緒に頑張ろうね、典ちゃん」

そう言って優しく励ましてくれた遼兄ちゃんも、いつの間にか病院から居なくなった。

やがて私も退院し、装具を着けて学校に通ったが、歩く度にガシャンガシャンと音がする為、同じ学校に通う子供や近所の児童に好奇の目を向けられ、

「ロボット、ロボット!!」

「ロボットの下は、ミイラ女だ!!」

と揶揄された。

父はその度に学校や相手の家に捩じ込んでいたから、自然私の周りには人が寄り付かなくなった。

大人達は曖昧な笑いを湛えて、不都合な事は無いかと聞く。

子供達はそんな様子を見て、特別扱いされる私に嫉妬と侮蔑の笑みを送った。

中学の頃だったろうか…親戚達が、父が再婚出来無いのは、私という障害を持った子供がいるからだと言っているのを聞いた。

そして、それに対して父は何も言い返さなかったのだ。

私は…父にとって、お荷物でしかないのだろうか…?

全日本チームのアスレチックトレーナーをしている父の元には、時折バレー関係者が訪ねて来たり、電話が掛かって来たりする。

そんな時の父はとても饒舌で、よく怒り、そしてとてもよく笑う。

私と一緒に居る、不機嫌な父とは別人だ。

私は…父からも、距離を置く生活をする様になった。

茜との出会いは、高校2年の時。

学校の図書室で勉強していた私の隣に座り、突然話し掛けて来た。

玉置興産の1人娘で、我儘な女王様…そんな噂を私も耳にしていたから、彼女がどれだけ話し掛けて来ようと、私は無視し続けた。

何の反応も示さない私に、大概の人間は諦めて去って行くからだ。

だが茜は、私がどれだけ無視しようと、隣で喋り続けた。

学校の先生やクラスメイトの悪口、家族の愚痴、跡取り娘としての葛藤、ファッションの話、芸能人の噂話、新作のスイーツの話…。

私が本を読んでいても、勉強をしていても、隣で情感たっぷりに喋り続けた。

美しい彼女の口から紡がれるそれは、やがて私にとって音楽の様に心地好い物になり、いつの間にか私は茜と言葉を交わす様になった。

鷹山学園体育大学を選んだのは、養護教諭の資格が取れると聞いたからだ。

そして、この躰で独り生きて行く為の知識を身に付けなければならなかったから…。

しかし、まさか父が講師として同じ大学で教鞭を取る事になるとは思わなかった。

そして何故か、私の様な女が…男性から追い掛けられる事になろうとは…。

和賀さんは、大家である『キッチン和賀』の息子で、遼兄ちゃんの後輩の弟さんだ。

体育館横で研究室から落とした眼鏡を探している時、和賀さんは私の事を知らない様だった。

いきなり掴み上げられ、怒鳴られて眼鏡を壊され…最悪な思いをしたけれど、翌日謝りに来てくれた。

激しやすい、粗暴な人…そんな印象を持ったが、隣のお婆さんとの会話の後で、途端に優しく語り掛けて来た。

この人は、思ったままを直ぐに口にする、少し子供っぽい人だと…それだけに、嘘の無い人だと思った。

背が高く、いつも不機嫌そうで無愛想だけど、御近所の人達からはすこぶる評判がいい。

「本当は、とても優しくて気遣いの出来る子だよ」

そう、隣のお婆さんも言っていた。

和賀家の人達は、一見怖そうに見えるが、皆優しい人達だ…取って付けた偽りの優しさではなく、本音で物を言い合う家族だった。

学校で男の人に追われて体育館に逃げ込んだ時も、和賀さんはぶっきら棒だけど、とても優しかった。

茜がマネージャーになる為の交換条件の様に出した私の御守り役も、遼兄ちゃんが依頼したマッサージの補助も、文句を言いながらもキチンとこなしてくれる。

いつも不機嫌で笑わないから、お願いしたと…笑い掛けられるのが苦手なんだと言った私に、

『…変わってんな、お前』

と言い、少し考えると

『あ…いぃ。何か気ィ楽だし…』

『口悪いし、ぶっきら棒だし、直ぐに怒鳴るけど…いいんだな?』

と念押しして引き受けてくれた。

翌日からは登校も昼休みも、勿論部活の帰りも、常に隣に住む松本さんと2人で付き添ってくれている。

時間が無くて遅れそうな時には、私を抱えたり背負ったりして校内を走るから、学校の中でも直ぐに噂が広まった。

「正直、ここまで面倒見がいいとは思わなかったわ」

茜が、そう言って笑う。

「でも、(およ)そ女心とは無縁の人種だわね」

「…」

「でも、典子は和賀さんがいいのよね?」

「え?」

「好きなんでしょ?あの、唐変木の事?」

「そんなんじゃないわ…」

「そう?案外イケメンだし、典子の事もまんざらでもない様子だし」

「…いつも叱られてるわ…泣くなって…お前は、泣き虫だって…」

「わかってないわね、あの男も……でも、毎日マッサージしてくれてるんでしょ?」

「…皆に言われて、仕方なく面倒見てくれているだけよ」

「あの手合いはね、典子…どんなに頼まれたからって、気に入らない人間の面倒なんて見ないわよ?現に、私には一言だって声を掛けて来ないもの!!」

「それは…茜が、マネージャーの仕事しないから…」

「あら、だってそういう条件だったんだもの…気が向いた時に来てくれるだけでいいって言ったのよ?」

「そういうの…マネージャーって言わないわ」

「私はね、典子…客寄せパンダなのよ。向こうもその積りで、私を利用してるんだからいいのっ!!典子も、折角マッサージして貰って調子いいんだから、無理しちゃ駄目よ!?」

「…茜、もしかして……私の為に…」

「…今日この後の予定は?練習行くの?」

「…和賀さん達と、ここで待ち合わせなの」

「そう…私、合コンの約束が有るから、彼等が来る前に消えるわ。又明日ね!!」

そう言って、茜は手を振りながら階段を駆け降りて帰って行った。

皆は誤解している…茜は我儘な振舞いをしているが、それは殆どに於いて彼女の演技だ。

本当の彼女は、優しく思い遣りのある女性だが、その容姿と高飛車な物言いで誤解される事が多い。

彼女自身も心得ていて、大学卒業迄は自由に出来るからと、気儘に振る舞っている。

朝から降っていた雨が上がり、吹き抜けラウンジの2階席には、少し蒸し暑くなる程の光が射していた。

ラウンジの1階に入って来る和賀さんと松本さんを確認して立ち上がると、向こうも私の姿を見付けて軽く手を上げて合図を送ってくれる。

傘を杖がわりに階段に近付くと、時報代わりのチャイムが鳴り響いた。

他のクラブも活動を始める時間なのだろう…2階席の学生が一斉に立ち上がり、階段に押し寄せた。

私は邪魔にならない様に端に寄り、傘と手摺をしっかりと掴んで慎重に階段を降り始めた…いや、その積りだった。

突然誰かに背中を押され、手摺と傘を持つ手に力を入れる。

するとあろう事か、杖代わりに縋っていた傘を、誰かが蹴り上げたのだ!

ここで、落ちる訳にはいかない!!

この大学の学生は、殆どが体育科で…プロの選手を目指している学生が多い。

そんな学生達にとって、怪我は致命傷になり得るのだ!

目の前に飛んで行く私の傘と、中味が飛び散る鞄を見詰めながら、宙ぶらりんの状態で手摺だけを掴み、ぶら下がる様にもがいている私の周囲で叫び声が起こる。

「宇佐美ッ!?」

逞しい腕にしっかりと抱き留められ、耳元で溜め息混じりの暖かい声が囁く。

「…もう、手摺離していいぞ……よく堪えたな…」

何度も頷きながら強張った指を開いて手摺を離し、直ぐに和賀さんのTシャツを掴んでその胸に顔を埋めると、気遣う様にそっと抱き締められた。

「馬鹿野郎!気を付けろよっ!!」

誰かが私に吐いた言葉に、それまで優しかった和賀さんが一変して吼えた。

「何だとっ!?もう一度言ってみろっ!!」

「危ないだろ!?怪我人が出たらどうするんだ!!」

「馬鹿野郎っ!!宇佐美の傘を蹴った奴のせいだろうがっ!?それに、コイツが必死に手摺にしがみ付いたから、お前等怪我せずに済んだんだぞっ!?感謝しやがれっ!!」

階段から落ちそうになった恐怖と助けられた安堵、生まれて初めて男性に抱き締められた恥ずかしさと嬉しさ、私の行動を誉めて庇ってくれた和賀さんへの感情が、ぐちゃぐちゃになって溢れそうになるのを必死に堪えた。

「宇佐美?大丈夫か、お前…?」

決して泣くまいと我慢する余り、口を押さえて呼吸が上手く出来ずに震える私を見下ろし、和賀さんは再び溜め息を吐き、私の頭を自分の胸に抱き寄せた。

「…我慢するな」

「…」

「いいから……泣いちまえ」

その優しさが嬉しくて…私は声を殺して泣いて泣いて…。

いつの間にか逞しい腕に抱き締められ、大きな手が労る様に私を撫で…その心地好さに私の意識は溶けてしまった。



「大丈夫そうか?」

「あぁ…興奮したんだろう…泣き疲れて、寝ちまった」

人の目を避ける様にラウンジの隅のベンチに座り、宇佐美を抱き込んで背中を撫でてやると、俺の胸に縋り付く様にして泣いていた彼女は、やがて穏やかな呼吸を立てて寝てしまった。

「怪我は?」

「多分、平気だと思う…腕は、帰ってからマッサージが必要だろうがな」

「そうか、良かった…そうやってると、本当に兎みたいだな」

何となく宇佐美の頭と背中を撫でていた俺は、鼻白み…それでも撫でる事を止めなかった。

「コイツ見てると、ガキの頃の事を思い出してな…」

「どんな?」

「色々…小学校の兎小屋とか」

「飼育係だったのか、お前?」

「小動物には、好かれんだよ」

「特に、兎に?」

「…まぁ…懐いてたな」

クックッと笑う松本が、近くの椅子を引いて座った。

「他には?」

「お袋が死ぬ前とか…死んだ後も、いつまでも泣いてた俺に姉貴がキレてな」

「あぁ、末っ子だし母親っ子って言ってたな、お前」

「姉貴、レディース辞めて間も無かったし、おっかなくって…『男が、いつまでもグダグダ泣いてんじゃねぇ!!』って、ぶっ飛ばされた」

「幾つの時だ?」

「保育園…5歳ん時…泣かなくなった途端背が伸びた」

「何だ、そりゃ…」

「宇佐美がチッコイのって…ずっと泣いてるからじゃねぇよな?」

「はぁ!?関係ないだろ?」

「…コイツ…ずっと泣いてんだ。笑いもしなけりゃ怒りもしねぇ…泣くばっかでな。つい『泣くな!』っていっつも怒鳴ってたら、さっきも必死に堪えてた」

「…」

「俺、無理させてるのかと思って…」

「…俺、今日で2回目」

「え?」

「だから、ウサギちゃんが泣いてるの見るの…体育館の横で一緒だった時に、お前が泣かしたのと今日で…2回目だけど?」

「嘘だろ!?コイツ、しょっちゅう泣いてんぞ!?」

「お前の前だからだよ…全く…何でこうも鈍いかね…」

「…何だよ」

「まぁいい…お前にゃ、まだ早いって事だ」

「何がだよ!?」

馬鹿にした様な松本の笑いが癪に触ったが、急に真面目な顔で声を潜めるのにドキリとする。

「要、見てみろ…コレ」

宇佐美の荷物と傘を拾い集めて来た松本が、彼女の傘を俺の鼻先に突き付けた。

「妙に高く飛ばされてたからな…気になってたんだが…」

「…故意だって事か?」

「ここ迄綺麗に蹴り上げられるとな…それ以外を考える方が難しい。それと…彼女の家の鍵が見付からないんだ」

「!?」

「ウサギちゃんに振られた奴の逆恨みか…しばらく、気を付けた方がいいな。ともあれ、今日は彼女にも周りにも怪我人が出なくて良かった」

そう吐いた松本の手に握られた宇佐美の傘の心棒は、グニャリとくの字に折れ曲がっていた。

「だが、一歩間違えば…怪我だけじゃ済まない…命に関わる所だったんだ」

松本の言葉に、俺の背筋を冷たい物が走った。


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