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第48話

和賀家の食卓に並ぶ本格フレンチのディナーに、俺達3人は舌鼓を打った。

オードブルにスープ、サラダ、メインの魚料理…。

「本当は、一品ずつサービスして上げたいんだけど、申し訳ないね」

台所に立つ祐三さんが、フランベして炎を上げるフライパンを操りながら笑った。

「いえ、本当に最高に美味しいですよ、祐三さん」

「ありがとう、松本君」

サラダとスープ以外が大皿でシェアするスタイルなのは、ウサギちゃんの食の細さを慮っての事だろう。

「昨日、あれからどうしたんだ?」

「…禎子とは新宿で別れて…俺達は、そのままデートに突入して…姫の理想のクリスマスってのを、満喫して来たよ」

「理想のクリスマス?」

「…ウサギちゃん、姫から聞いてたかい?」

「……えぇ…まぁ…」

「正直、驚いた…姫、俺と付き合い初めて直ぐに、もうホテル予約してたんだ」

「…どこの?」

「聞いて驚け…なんと、パークハイアット東京!!」

「ゲッ!?…お前、あそこ幾らすんだよ!?」

「知る訳ないだろ?俺達には、手も足も出ないラグジュアリーホテルだ」

「…って事は……玉置払いか?」

「…違いますよ」

要の言葉に、ウサギちゃんが静かに答えた。

「茜のお婆様から、優待券を頂いたそうです」

「…成る程」

「いい経験させて貰ったよ…」

「そんな凄かったのか?」

「あぁ…姫はやっぱりセレブなお嬢様で…俺は、そんな彼女を捕まえる為に孤軍奮闘しなきゃいけないんだと…思いを新たにした訳だ」

隣から、ウサギちゃんが俺を覗き込む。

「何だい?」

「…いぇ」

「…大丈夫だよ。何れは、自腹で姫を連れて行くから」

「……そう思って頂けたのなら、茜も喜びます」

「もしかして…姫は、気にしてたのかな?」

「…えぇ…まぁ…」

成る程…アレは、姫なりのエールだった訳だ。

あそこで怖じ気付く様な男では、玉置興産の跡取り娘の相手には相応しくないという事なのだろう。

「んで…デコは?大丈夫だったのか?」

「今日、姫と一緒に姉の家に行って、事情を話して来たよ。禎子は、そのまま姫と一緒に帰って行った。今夜は玉置興産のパーティーだからね」

「お前…行かなくて良かったのか?」

「何で?」

「いや…デコが出席するなら、お前も…」

「今、俺が行っても…姫をエスコート出来る訳じゃないからな」

「…」

「俺が玉置興産のパーティーに出席するのは、姫をエスコート出来る男になってからだよ」

「…浩一」

「その為にも、受験頑張らないといけないんだけど…。そうだ、ウサギちゃんも今年のセンター試験受けたんだって?どこを狙ってたんだい?」

「…どこという事は、無かったんですが…父から受験を反対されていたので…一般しか受けれなくて…」

「端から、ウチの大学狙いじゃなかったのか、ノン?」

「えぇ…養護教諭の資格が取れる所に行きたくて。…でも、自分の躰の為に、理学療法士の国家試験を受験する資格も欲しくて…」

「あぁ…両方だと、ありそうでないか…」

「取敢えずセンター試験受けたんですが…理Ⅲの点数ギリギリでしたので…」

「えっ?」

「東京と神奈川と千葉位しか調べなかったんです…余り遠くに行くのも、何と無く不安で…でも、下宿出来る位実家から離れた場所じゃないと…」

「ねぇ、ウサギちゃんって……もしかして、医学部狙いだった?」

「理学療法士の国家試験を受ける資格って…医学部以外にあるの知らなかったんです…だから…」

「で…理科Ⅲ類?」

「…点数ギリギリでしたから…結局は、見送りました。2次は受けない約束でしたし、確実に合格出来る所じゃないといけなかったので…」

理科Ⅲ類って言ったら、東大の医学部狙いだったって事だろ……確か、センターランク95%!?

賢いとは聞いてたが…これは又、桁違いな…。

「…医学部なら、千葉大もあるよね?ランク的にも、確実だったんじゃない?」

「……行ってみたんですけど…」

「合わなかった?」

「って言うか…千葉大の医学部周辺って、交通量が多くて…道幅も狭くて…歩道もない様な道で…」

「そこッ!?」

「…凄く…怖かったので…。鷹山学園体育大学で、今年から新しく健康福祉学部が出来て、両方の資格を取得出来ると知ったのは、本当に偶然だったんです」

「……要、知ってたのか?」

「いぃや、知らねぇ…けど核兄ぃが、典子の事を成績トップで合格したって言ってたからな……医学部行けんなら、医者になる積りなかったのか、ノン?」

「とんでもないです!!そんな…不特定多数の方と常に接する仕事なんて……私には無理です…」

「…まぁ、ノンには無理そうだな。でも、本当に賢かったんだな、お前?」

そう明るく笑う要にとって、どちらが賢いか等は、てんで問題にならないと言う事か…羨ましい。

っていうか…この2人…共にどこかズレて無いか?

「ウサギちゃん、得意な科目は?」

「…特には…」

「オールマイティーって事か…悪いんだけど、受験勉強少し付き合って貰えるかな?」

「…私で…お役に立てますか?」

「俺は、どちらかというと文系は得意なんだけど…理数系が少し苦手でね。高校時代の勉強も、忘れてる箇所が幾つもあって…でも、調べる時間も勿体なくてね。助けて欲しいんだ…頼むよ」

正直、ここ迄賢いなら見栄を張っても仕方がない。

彼女は偉ぶる様な事をする娘ではないし、ここは素直に力を借りた方が得策だ。

ウサギちゃんは目を丸くして、俺と要を見比べた。

「要、受験迄…ウサギちゃん借りてもいいか?勿論、彼女の学校の授業や後期試験に支障のない様にするし、出来るだけプライベートにも配慮するから」

ニヤニヤと笑う要は、ウサギちゃんの頭に手を置くと、グシグシと頭を撫でて言った。

「頑張って協力して遣れよ、ノン…」



茜に頼まれていた松本さんの家庭教師の件は、彼の方から声を掛けて貰ったので、正直ホッとした。

私で力になれるのかと心配したが、勉強が始まると案外に覚えているものだと胸を撫で下ろした。

だが実際は、私が松本さんに教える様な事は、殆どなかったのだ。

わからないと教えを乞う問題も、少しヒントを与えると直ぐに思い出す様で、難なく解いてしまう。

「浩一は、ウチの高校でもトップクラスだったんだ!」

そう、和賀さんが自慢気に話すと、松本さんは顔を紅くして謙遜する。

「止めてくれ、要!俺は、ウサギちゃんの足下にも及ばないんだぞ!?」

「そうなのか?」

「…そんな事ないです」

恐縮しながら答えると、松本さんの視線が突き刺さる。

彼の競争心を受け入れた方が良いのだろうか…躊躇する私は、自然に無表情で呟いた。

「…私は…他にする事がなかったから…」

そう言って、次々に出される質問に答えて行く。

和賀さんは、トレーニングの為に外出する以外は、私の背後に張り付いて、まるで座椅子の様に私を抱え込む様になった。

夜遅くなると、私の腰に腕を回して船を漕ぐ。

ベッドに誘って寝かせると…夜中に咆哮を上げて、私の名前を呼んで飛び起きる事も度々あった。

年末も差し迫ったある日、夜中2人切りで勉強していた松本さんに珈琲を淹れると、少し怪訝な表情を浮かべた彼が私に尋ねた。

「…ウサギちゃん、要…ちょっと変じゃないか?」

「…退院して来た日から…少し…」

「上手く…行ってるんだよね?」

「…はい」

「何かあった?」

「……婚約しようと…言われました」

「…断ったのかな?」

「いぇ…待って貰えませんかとお願いしたんです。…でも、その…理由というのが…」

「理由?婚約の?」

「えぇ……不安なんだそうです」

「あぁ…ウサギちゃんが…」

「いぇ…和賀さんが…」

「えっ?要が?」

驚いた顔を見せた松本さんは、珈琲カップを上げると少し考える様な眼差しで、渡り廊下の向こうにある私の部屋を見詰めた。

「…私を縛りたいんだと…私が和賀さんの事を考えて、どこかに行ってしまうんじゃないかと…和賀さんに愛想を尽かすんじゃないか不安なんだと、言われました」

「…あぁ…そういう事か」

「…和賀さんに愛想を尽かすなんて…ある筈ないのに…」

「最初の方は、否定しないんだ」

「…」

「ウサギちゃん、要にスキンシップ取らせてやってる?」

「え?」

「最近、大概引っ付いてるし、夜も同じベッドで寝てるけど…」

「…それって」

「……躰を重ねてるかって事なんだけど?」

紅くなって俯く私を見て、全て了解した様に、少し安堵した表情の松本さんは笑った。

「……お聞きしても、いいですか?」

「何?」

「……その…そういった行為というのは……その…」

「…?」

頭と顔から火が吹く思いだったが、意を決して私は松本さんの顔を見上げる。

「……医学的には、副睾丸に蓄積された精子は、空の状態からでも3日間で満たされるそうで……その…一杯になった場合でも、古い精子は分解され体内に吸収されるそうです」

「…は?」

「ですから……副睾丸が一杯になっても常に精子が作られ続けるから、過剰な精子を捨てるために定期的に射精しなければいけないと言うのは……誤りであると…」

「…医学書でも読んだの?」

「…」

「……もしかして、要に何か言われた?」

「……躰が持ちませんって…言ったんです。そしたら、毎日だったらって……自分の事、幾つだと思ってるんだって…男性の生理現象の事も…」

「…それで、医学書?」

「勉強して置きますって約束したんです。でも…どこにも、毎日しなきゃいけない定義も理由も載ってなくて…もしかして、男性ホルモンが脳の方に作用するのかと思って…今、調べてるんですけど…中々わからなくて…」

「…ウサギちゃん…調べ事、そこでストップしていいから…」

そこ迄言うと、松本さんは堪え切れない様に腹を抱えて笑い出し、私が首筋迄真っ赤になって涙ぐむと、『ゴメン、ゴメン』と詫びながら、又笑った。

「週刊誌とか、読まないの?姫とも、そんな話はしない?」

「…週刊誌は読みません。茜とこんな話をしたら…彼女は、絶対和賀さんに怒るから…」

「まぁ、そうだね」

「真子さんに相談しても、同じでしょうし…父に相談するのも、憚られて…」

「で、俺に話してくれたんだ」

「…」

「そっちの話は、この次の休憩の時にゆっくり話すとして…要の不安って…もしかして…」

急に真面目な顔を上げた松本さんに、私は声を潜めた。

「…PTSDかも…しれません」

「……やっぱり」

「確証はありませんが…年明けの診察の時に、武蔵先生に相談してみようかと思ってます」

「そうだね…要に診察を受けさすのが一番だけど…」

「…」

「まぁ…あの雄叫び聞いて、あの姿を見たら、何ともね…」

真夜中に野獣が吼えながら名を呼び、血眼で私を探すのだ…。

そして私を見付けると、目を血走らせて拐いに来る…若しくは、私の身が砕けんばかりに抱き締めて、名を呼び震える…。

確かに、和賀さん自身が受診するのが一番なのだが…彼は承諾するだろうか?

自分自身が怪我をしても尚、私の病気の事だけを心配する人を…一体どうやって説得すれば良いのだろう…?

「……ノンッ!?ノンッ!!」

突然私の部屋の窓が開き、目を爛々と光らせた和賀さんが渡り廊下を突進してくる。

「落ち着け、要!?」

松本さんの言葉も聞こえない様子で私に詰め寄る和賀さんに、私は立て膝をして両腕を広げて差し伸べた。

彼は私の肩に顔を埋める様にして私の躰を抱き締める。

「ノンッ!!」

「どうしました?夢でも見ましたか?」

「……お前が…居ない…」

「大丈夫ですよ、和賀さん…私は、ずっとここに居ます」

「…」

彼の頭を抱いて髪を撫でると、和賀さんは私の首筋に大きな溜め息を吐いた。

「ウサギちゃん、要を連れて寝てくれて構わないよ?」

「いぇ…私も珈琲頂きましたから、寝れませんし……松本さん、済みませんが、そこのマットレスを敷いて頂けますか?」

ソファーベッドになるマットレスを敷いてもらい、押し入れから毛布と布団、枕を出して和賀さんを寝かせた。

マットレスの端に腰掛け、彼の洗い放しの髪が汗で額に張り付いているのを撫で梳くと、和賀さんの息遣いが段々と穏やかになって行く。

「和賀さん…私、もう少し松本さんとお勉強してもいいですか?」

「…ん…」

「私、ずっとここに居ますからね?」

「……ん…」

微かに返事をしながら、和賀さんはスゥと穏やかな寝息を立てた。



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