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第42話

俺の胸に倒れ込んだ典子の腰辺りには、深々と刺さったナイフの柄が突き出ていた。

「ノンッ!!」

「駄目だ、要!!ナイフを抜くなっ!」

花村栄子を羽交い締めにしてズルズルと引き離しながら、松本が俺に向かって叫んだ。

「ノンッ!!ノンッ!!しっかりしろッ!!」

「典子!?」

「しっかりしなさい、典子!!」

典子の父親と玉置が典子の手を取り、必死に呼び掛ける。

「…お父さん…私…このまま逝ったら……誰の迷惑にも…ならずに済む…」

「典子っ!馬鹿な事を…」

皆の顔を見上げ、喘ぐ様な息をする典子の目から、涙が溢れる。

「…和賀さんに……依存しなくて…済むなら…」

「何寝呆けた事抜かしてんだ、馬鹿娘ッ!!絶対に許さねぇぞ!!」

「そうよ、典子!!これから幸せにならなくてどうするのよっ!!」

そう言って、玉置は典子の胸に縋り付いて泣いた。

「いいか、ノンッ!!絶対死ぬんじゃねぇぞ!!心臓も息も、絶対止めるな!!意識を沈める事も、退行する事も許さねぇ!!」

「…」

「いいか、良く聞けよ…お前の心臓が止まったら……俺は、速攻後を追うからなっ!?わかったか、馬鹿娘っ!?」

「……」

「返事はっ!?」

俺の顔を見上げる白い顔をした典子の大きな瞳から、ポロポロと涙が零れ落ちる。

「…返事…しろ、ノン……お前…俺の言葉に…囚われてんだろうが…」

寂しそうに口許を綻ばせると、典子はコクンと頷いた。

「救急車、到着しましたッ!!」

井手さんが救急隊員と共に走り込み、新たな惨劇に息を呑む。

「こっちだ!!彼女を、早くッ!!」

「ぇ…男性なんじゃ…」

「コイツが先に怪我をした!!早くッ!!」

「そっちの男性の救急要請は?」

「既に要請済みです!!」

「わかりました…」

救急隊員が典子の処置を始めると、俺は典子の父親にそっと耳打ちした。

「人道的だとか、何だとか…そんな物、糞くらえですからね…俺は…」

「…何も言わんよ、私は…」

「俺は、このまま典子に付き添います。先生は、病院に連絡を取って下さい」

「じゃあ…お父さんは、私の車で病院にお連れするわ」

玉置の言葉に典子の父親は頷いて、携帯を取り出した。

「コーチ、警察に連絡を…」

「そうだな。松本、君は僕と残って、対応して貰えるか?」

「わかりました」

「コーチ…どこまで話すんです!?」

「取り敢えず、ハッキリしている今の状況を…他の事は、確証がないからね。その先を調べるのは、警察の仕事だ」

コーチの言葉に、全員が頷いた。



硝子張りの真っ白な部屋の中で、典子は眠り続けている。

「又、来てたのかい?」

ICUの面会室のベンチに座る俺に、武蔵先生が声を掛けた。

「今日で1週間か…お姫様は、まだ起きないんだね」

「…先生…検査したんですよね?…典子は…又、意識沈めちまってるんですか?」

「いや…今回は違うよ。寝てるんだ…深くね。傷自体はそんなに酷くなかったそうだけど…出血がね、手術中も何度か心停止起こしたらしい。その後も感染症起こしてたろ?疲れてるんだよ…凄くね」

「…目…覚めますよね?」

「和賀君…暗示掛けたんだろ?」

「言いましたよ…俺に依存するから死んでもいいみたいな事を言うから…」

「なら…大丈夫じゃないかな?」

「…」

「僕の妹の話…した事あったっけ?」

「…いえ」

「義理の妹…弟の嫁さんなんだけどね。子供の頃から色々苦労して来て、親の縁も薄い娘でね。寂しかったんだろうね…心を病んでた。普段は元気な女の子だったけど、『大丈夫』って言葉に囚われて…1人で生きて行かなきゃいけないと思い込んでてね…同時に、死にも取り付かれてた」

「何か…あったんですか?」

「高校で弟と出会って…彼女にとって辛い事が続いてね。他人に傷付けられ、優しいが故に自ら手首を切った。発見するのが遅れて…一命は取り止めたけど、ずっと寝た切りだったんだ」

「…」

「弟は、ずっと待った…高校卒業して、医大を出て…インターンを終えてここの医者をしながら…11年間、彼女が目覚めるのを待ち続けた」

「11年!?」

「そう…それでも、目覚めたのは奇跡的だったんだ。心の病を甘く見ちゃいけないよ、和賀君。正直、完璧に治ったかどうか…他の病の様にはわからないんだ。一生上手に付き合って行くしかない場合だって、多々ある」

「…覚悟してます」

「宇佐美さんは、愛される事も幸せになる事にも臆病なんだ。目覚めた後も、一連の事件の責任を感じて自分を責めるんだろうけど…キチンとケアして行かなきゃいけない」

「はい」

「彼女の父親は?」

「まだ、国内に居ますよ…典子が目覚めるのを待ちたいみたいで…でも、年明け早々にはイタリアに帰らなきゃいけないそうです」

「…聞いたかい、施設の話…」

「聞きました。ふざけんじゃねぇって、言ってやりましたけどね」

「確かに、そういう施設に入って好転する患者も居るんだけどね。彼女の場合は、薦められない…君と離れると考えただけで、情緒不安定になる位だからね」

「絶対、行かせねぇ…」

「決心は、変わらないかい?」

「先生…俺は、あの時…典子が滝川からの誘いを承諾して、死んじまうかもしれねぇと思って…怖くなって飛び出したんです」

「…」

「だけど、典子は…自分の躰は俺の物だから、粗末に出来ねぇって…滝川と一緒には逝けねぇって…自分の意思で滝川に言ったんです」

「普通の恋愛の様に、途中で投げ出す事は出来無いよ?」

「当たり前だ…何があっても…離しませんよ。例え、典子が嫌がっても、離してやる事は出来ねぇ」

俺の言葉にフッと笑みを漏らし、ポンと肩を叩いて武蔵先生は部屋を出て行った。



病室に戻ると、2人組の男がドアの前に立って俺を待っていた。

「和賀さん…又、お話を窺えますか?」

「…もう、何にも話す事なんてありませんよ、刑事さん」

「宇佐美さんの容態は?」

「変わりません」

「そうですか…あれから、色々な方にお話を窺ったんですがね…」

「花村が、全て話したんじゃないんですか?」

「まぁ…そうなんですが…痴情の縺れって言うんですか?惚れた男を渡したくなかったの一点張りでね」

「じゃあ、そうなんでしょうよ?巻き込まれた俺達には、迷惑な話だ」

「まぁね…」

納得行かない表情の刑事は溜め息を吐き、バリバリと頭を掻いた。

「滝川の容態は?」

「何とか命も取り止めて、意識も戻ってるらしいんですが…弁護士を通してしかお話を窺えない状態でしてね。まぁ…彼も被害者って事ですし、任意の事情聴取にも応じて頂けないんです」

「…」

「何か…隠している気がするんですが…」

「俺に聞かれても困ります。滝川本人に聞いたらいいでしょう?」

「…宇佐美さんの回復を、待つしかありませんかね…」

「させませんよ!!担当医から、聞いてねぇのかよっ!?」

「窺ってますがね…」

「それこそ、命に関わるんだ!典子にこそ、弁護士を付けるべきかもしれねぇ…」

「しかしね…和賀さん」

「無理に事情聴取なんかしたら、それこそ人権侵害で訴えますよ!?その積もりでいて下さい!!」

「…わかりました。今日の所は、帰ります」

刑事達が帰るのと殆ど入れ違いに、松本が病室を訪ねて来た。

「刑事、来てたのか?」

「奴等、典子の目覚めるのを、手薬煉引いて待ってやがる…」

「もう、花村さんが全て話したんじゃないのか?」

「痴情の縺れじゃ納得しねぇんだ…滝川の奴が被害者面して、弁護士通さねぇと話さねぇし、任意の事情聴取も応じねぇんだと!」

「成る程」

「全く…滝川の奴、いつまで俺達を振り回す積もりだ!?」

「…滝川自身の意思なのか?」

「え?」

「あの時、あそこ迄明け透けに自分を曝け出したんだぞ?今更取り繕ってどうする?」

「だが実際、滝川は…」

「家の方の事情じゃないか?」

「あぁ…何だよ……滝川家の体面ってヤツか…。滝川の奴、自暴自棄になってなきゃいいがな…」

「お前は…とことんお人好しだな?」

「そんな事ねぇ…唯、典子の親父さんが心配してんだ」

「…そうか…お前の躰は、大丈夫なのか?あの後、大変だったんだろ?」

「担当医から、大目玉食らったけどな…引っ付き掛かってた鎖骨は離れちまうわ、胸水は溜まりまくるわ…」

「大丈夫なのか?」

「ようやく落ち着いた…典子が、いつ目が覚めるかわかんねぇし…ちゃんと、言う事聞いてる。ICUには、通ってるがな?」

そう話すと、松本はヤレヤレと言う様に苦笑した。

「で?今日はどうした?何かあったのか?」

「ん…ちょっとな…真面目な話…」

松本は、持って来た珈琲のペットボトルを1本俺に渡すと、パイプ椅子を寄せて自分の珈琲を開け、半分程一気に飲み干し言い淀む。

「…要、俺な…」

「……辞めんのか、大学?」

「要!?…お前…」

驚いた様な顔をする親友の顔を見て、俺はとうとうその時が来たかと溜め息を吐いた。

「辞めて、どうすんだ?」

「…もう一度、受験しようと思ってる」

「どこに?」

「まだわからない…センター試験の結果次第だな」

「間に合うのか?申し込みとか……ぁ…去年も受けてたもんな?」

「知ってたのか?」

「まぁな…お前が腰痛めた後だったから、てっきり他の学校受けるのかと思ってたが…お前何も言わずに2年に進級したし…力試しなのかと思ってた」

「…」

「玉置の為か?」

「お前が選手として完全復帰するには、半年掛かる…その半年…俺の腰は持たない。次の人生を考える、潮時だと思った…」

「…そんなに、休む積りねぇけど……素直に、玉置の為って言えよ!」

「普通は、お前の様には言えない物だ」

「何だよ、それ…」

渡されたペットボトルを開けて珈琲を飲む…いつもより苦く感じるのは、気のせいか…。

「まぁ…、それも受験に合格してからの話だ」

「行けるだろ、お前なら…高校でも、トップクラスだったじゃねぇか?」

「気を抜かない様にはしてたがな…予備校行ってる訳じゃなし、高校以来授業受けてない学科が多いから…センター試験は、正直自信がない」

「学部は?」

「一応、法学部狙い」

「やっぱりな」

「何だよ、やっぱりって!?」

初めて松本が笑ったのを見て、俺はホッとして少し笑った。

「合ってると思ってたからな…」

「まぁ…法曹界に進む積りは無いんだけどな」

「玉置の会社に入るなら、経営とか経済とかでもいいんじゃねぇか?」

「そっちは、専門家が沢山居るだろ?姫も、立派な経営者だからな…今更、帝王学に対抗する積りはない。俺にしか出来ない事で、企業に割り込む為に法律を学ぼうと思ってる」

「…そっか」

「お前には…もう、ウサギちゃんが居るからな。安心して、お前を託せるよ」

「何言ってる!?典子とお前じゃ、立ち位置違うだろうが!?」

「まぁ…そうなんだが…」

微妙な笑みを漏らした松本に、俺は口をへの字に曲げた。

「浩一……お前、親友の座迄、返上しようってんじゃねぇだろうな!?」

「お前がそれを許してくれたら…俺は、その座に居座りたいと思ってる」

「どういう事だ!?」

「ウサギちゃんに…バレた」

「典子に?何が?」

「…俺が…ウサギちゃんを、快く思ってなかった事…」

「へっ?」

「俺…やっぱり、お前に惚れてたのかもな…」

突然の告白に、俺はマジマジと親友の顔を見詰めた。

「……恋愛的な意味で?」

「それは違うと思う。けど…何か…もっと深い意味で…」

「…」

「お前のプレーにも、お前って男にも…惚れ込んでるんだと思う……だから、ウサギちゃんに嫉妬したんだ。お前みたいに、人付き合いの下手な、俺様で馬鹿な奴…俺以上に理解してやる奴は居ないって、思い込んでたからな…」

「大した自惚れだな?」

「…全くだ」

「でも、俺も同じ様なもんだ…お前の隣に居るのは、俺以外あり得ねぇと思ってたからな…」

「…」

「今も、実際…玉置に妬いてる自分が居るんだ」

「…要」

「所詮男と女なんてな…立ち位置違うんだから…恋人が出来様が、嫁さん貰おうが、男同士じゃねぇとわかり合えねぇ事が、ごまんとあるだろ?何を典子に遠慮してんだ、お前?」

「…そうだな」

「女同士でも同じじゃねぇか?玉置と典子の間も、同じ様なもんだろ?俺達は、これからもずっと4人で連めるって事だ…お前が、玉置を嫁さんに出来たら…だがな?」

キシシと笑ってやると、松本は少しムキになって言った。

「自分だけが、彼女を手に入れるみたいに言うな!俺だって、姫を手に入れる為に進路変更を決めたんだからなっ!!」

「ほら見ろ…やっぱり玉置の為じゃねぇか!?」

ゲラゲラと笑う俺に釣られて、松本も腹を抱えて笑った。

「やっぱり、お前は凄いよ…色んな物を、軽々と跨いじまう」

「どういう意味だ?」

「言葉通りだ…がさつなお前は、気付かない内に跨いでるのかもな?」

「…誉めてねぇだろ?」

「当たり前だ!」

再び笑い出した松本に、俺は言った。

「受験、頑張れよ」

「あぁ…最善を尽くすさ」

松本はニッと笑うと、一気に珈琲を飲み干した。


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