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第40話

病院のロビーを抜けエントランスに出ると、硝子の壁に凭れたウサギちゃんが口を尖らせて携帯を弄っていた。

「ウサギちゃん」

そう呼び掛けると、フィッと顔を上げた彼女は、俺の姿を見て表情を曇らせ、キョロキョロと周囲を見回した。

「…お兄ちゃんは?」

「病室で待ってるよ。行こう、ウサギちゃん」

「…嫌」

そう言って彼女は踵を返し、ピョンピョンと走り出した。

「ちょっと待って…どういう事だい?」

直ぐに追い付いて腕を掴むと、思い切り振り払われる。

「嫌ッ!!」

「ウサギちゃん、どうしたんだい?」

「嫌、嫌ッ!!」

退行を起こしてからも、和賀家の食卓で毎日の様に顔を合わせていたのだから、俺の事は認識出来る筈だ。

そういえば、何となく避けられている様子だったが…子供じみた我儘という訳ではないのか…。

むずかるウサギちゃんを宥め様としていると、いきなり声を掛けられた。

「何やってるんだ、松本?」

「滝川!?」

「珍しいな、お前が女の子に無理強いなんて…然も相手はバニーちゃんだ」

「違う、これは…」

俺が滝川と会話を始めた隙に、ウサギちゃんは再びピョンピョンと俺の傍から逃げ出した。

「丁度いい…ちょっと付き合って貰おうかな」

「何!?」

「直ぐ近くだ…ドライブと洒落込もうじゃないか」

「誰が、お前なんかと…」

「これでもか?」

クイッと滝川が顎をしゃくった先には、花村栄子がウサギちゃんを後ろ手に捕まえ、首筋にナイフを当てていた。

「…わかった。言う通りにするから…彼女を離せ!」

「勘違いしてもらっちゃ困るな、松本…ドライブに招待したいのは、お前じゃなくて彼女だ」

「なら、俺も連れて行け!!」

「……まぁ、いいだろう。ようやく役者が揃った様だし…お前だって見たいんだろ?」

「え?」

「この話の結末…それが気になって、調べてたんじゃないのか?」

「…」

駐車場に停められた車の後部ドアを開けると、滝川は俺に再び顎をしゃくった。

仕方なく指示に従うと、背後でウサギちゃんが激しく抵抗する。

「嫌ッ!!花村さんなんて嫌いなんだからっ!!離してっ!!」

「煩いわね!本当に切られたいの!?」

そう言うと、花村栄子はウサギちゃんの頬にナイフの刃を立てた。

「止めろ!花村さん!!ウサギちゃん…要がいない間は、俺が君を守るから…大人しく言う事を聞いてくれないか?」

いつも伏し目がちにしか俺を見ないウサギちゃんが、真っ直ぐに俺の顔を見詰めて頷き、俺の隣に乗り込んだ。

続いて花村栄子が乗り込み、再びウサギちゃんの首筋にナイフを翳す。

「下手な行動を起こさない事だ。栄子は君に追い詰められて、自暴自棄になってるからね」

運転席に乗り込んだ滝川は、笑ってハンドルを握った。

「…ねぇ」

隣に座ったウサギちゃんが、俺の足に手を付くと伸び上がる様にして俺の顔を覗き込む。

「松本さんは…ノンちゃんの事、嫌いなんじゃないの?」

「え?」

「だって、ノンちゃんの事…泣かせたよ?嫌いなんじゃないの?」

何の事だ…泣かせた?

合宿での話だろうか?

「嫌いじゃないよ。君は…要の彼女だからね」

「でも、嫌いなんでしょ?」

…本当に鋭いな…だが今は、何とか宥めて置かないと…。

「嫌いじゃない。君は要の彼女で、俺の隣人で、姫の親友だろ?君がそう思ったのは、俺が君に時々焼きもちを妬いたからかな?」

「そうなの?」

「そうだよ…だからね、要がいない今は…要の代わりに俺が君を守るから。いいね?」

「…わかった」

ニッコリと笑うウサギちゃんの頬に、先程当てらてたナイフの傷から血が滲んでいた。

「怖い思いしたね…痛くないかい?」

「痛くも、怖くもないよ!」

「強いんだね」

「違うよ…痛いのも、怖いのも、『もう1人のノンちゃん』が持って行ってくれるの。だから、ノンちゃんは大丈夫なんだよ!」

「何言ってるの、この娘…」

ウサギちゃんの隣で、花村栄子が薄気味悪い物を見る様に彼女を覗き込む。

「君達が追い詰めた結果だよ、花村さん。彼女は…人格障害になった上に、精神分裂を起こしている」

「…」

「これ以上、どうする積りなんだ…花村さん?いつ迄続ける積りだい?」

「煩いわよっ!」

「君は…もう気付いてる筈だ。滝川に利用されているだけだって…」

「黙って!この娘の事、本当に刺すわよっ!?」

花村栄子は真っ赤になって、ウサギちゃんの首にナイフを押し当てる。

「止めろ、栄子…僕の車を汚すなよ?」

運転席の滝川に声を掛けられると、彼女は幾分落ち着きを取り戻した様だった。

しばらくして停車した駐車場で、滝川は振り向いて手を差し出す。

「松本、携帯寄越せよ」

「え?」

「和賀に連絡する」

「…来客中だ」

「わかってるさ。宇佐美先生とコーチ、来てるんだろ?」

「お前…見張ってたのか?」

「偶然だよ。まぁ、予想はしてたけどな」

俺が携帯を渡すと、滝川は車の外に出て要に電話をしている様だった。

しかし、この隙に逃げ出そうにも、花村栄子がウサギちゃんの首筋にナイフを当てたままでは、身動きが取れない。

「出ろよ」

後部ドアが開けられ俺達が外に出ると、駐車場に隣接する木立にウサギちゃんの顔色が変わった。

「……ここ…嫌い…」

「我儘言ってんじゃないわよっ!唯でさえノロマなんだから、サッサと歩きなさいよ!!」

「嫌だぁッ!!ノンちゃん、ここ嫌いなのっ!!」

バシンと花村栄子の平手打ちが飛び、ウサギちゃんの躰が倒れる。

「煩いわねッ!!サッサと…」

「止めろ!!大丈夫か、ウサギちゃん!?」

「…ノンちゃん、ここ嫌いなの!!行きたくない!!」

抱き起こした俺の腕を掴むと、ウサギちゃんは必死に訴えて来る。

「大丈夫、大丈夫だよ、ウサギちゃん」

「…でもっ…でもっ…」

「バニーちゃん、怖がらないで…ホラ、手を繋いで上げるから」

滝川がそう言ってウサギちゃんの手を繋いだ途端、むずかっていた彼女は急に大人しくなり、手を引こうとする滝川に呼び掛けた。

「……トモ君?」

背を向けていた滝川がビクリと痙攣し、ゆっくりと振り返る。

そして、泣き出しそうな悲しい笑みを浮かべ、今迄になく優しい声で答えた。

「…そうだよ、ノンちゃん。やっと思い出してくれた?」



「智輝君…旧姓は、岸部智輝君と言ってね……私達は、昔…家族になる筈だった」

「えっ!?」

砧公園に向かう車の中で、典子の父親は沈痛な表情で語り出した。

「まだ典子が保育園に行っていた頃、仕事の関係で家を空ける事も多かった私は、その度に典子を義母や義理の姉達に預けていた。しかし、いつ迄もそんな生活は、あの子の為に良くない…典子が小学校に上がる前に私は再婚を考え…見合いを繰り返していた」

「じゃあ、あの時結婚を決めたお相手が…滝川の…」

ハンドルを握る井手さんの言葉に、典子の父親は頷いた。

「岸部里子さんと言って、病弱だったご主人を亡くし、看護婦をしながら智輝君を育てていた。大人しいが優しい気遣いの出来る、しっかりとした女性で…互いに子持ちだった事もあり、私達が会う時は常に4人で会っていた。最初は戸惑っていた子供達も回数を重ねる毎に慣れ、本当の兄妹の様に仲良くなったのを見て、私達は再婚を決めた」

「…確か練習にも、典ちゃんと一緒に連れて来られてましたよね…あれが滝川だったなんて、ちっとも気付かなかった…。でも、典ちゃんの事故があって…」

「まだ、籍を入れる前だったからな…里子さんは、典子の面倒を見たいと言ってくれたが…私の方から断った」

「…それを…恨んでるって言うんですか、滝川は!?それで、典子に嫌がらせを続けたって!?冗談じゃねぇッ!!」

「落ち着け、和賀!」

俺の怒声を井手さんが叱責する。

「落ち着ける訳ねぇでしょう!?典子を傷付けるなんて、お門違いだ!!」

息巻く俺に、典子の父親は全くだと言って、深い溜め息を吐いた。

砧公園の駐車場に車を入れると、俺達は揃って公園に足を踏み入れた。

「だが、この広大な公園の一体どこに居るっていうんです?」

「…居場所は、わかっている」

「え!?」

「……ここは…典子の……事故があった場所だ」



真冬の夕方の公園とは、こんなにも閑散としているものなのかと改めて思う。

人目があったなら、ナイフを突き付けられ、後ろ手に縛られた男が歩いていたら、確実に通報されているだろう。

砧公園は確か元はゴルフ場だったと聞いた気がする…広大な芝生を有する敷地には、街灯も余り設置されている様子はない。

「お花見したの、覚えてるかい…ノンちゃん?」

「うん!お弁当たべたよ?」

「…滝川…お前達、どういう関係だ!?」

「僕はね…ノンちゃんの兄になる筈だったんだ」

「えっ!?」

「何、それっ!?」

俺と花村栄子は、同時に声を上げた。

「言葉通りさ。僕の母と宇佐美先生が見合いをして…再婚する筈だったんだ」

公園の中を流れる小さなせせらぎ…確か、谷戸川と言ったか…滝川は遊歩道を外れ、そのせせらぎに沿って歩を進めた。

陽が傾き、空が薄い茜色に染まる…木立の中は薄暗く、ナイフを持つ花村栄子は不安な表情を浮かべていた。

「このまま引き返した方がいい、花村さん…今なら、まだ間に合う」

「馬鹿にしないで!」

「そうじゃない…君だって、これ以上ご両親に迷惑掛けたくないだろう?」

「いいのよ…あんな人達……私は、どうせ厄介者なんだから…」

「何だ…やっぱり、唯の我儘お嬢様なのかい?」

「馬鹿言わないで!玉置茜と一緒にしないでよ!!」

「残念ながら、君より彼女の方がずっとしっかりしている」

「何ですって!?」

「玉置茜って娘はね…自分を、ちゃんと正しく理解してるって事さ。彼女の肩には、玉置興産が伸し掛かっているからね」

「…1人娘だもの…しょうがないわよ」

「彼女は自分の立場を自覚してる…自分は経営者になるのだと…そして、その努力も怠らない。…流されて経営者になるのではなく、自分の意志で物事を決めようと、進もうと足掻いてる」

「…」

「本当は、もっと自由に生きたいだろうにね…」

「でも、ウチの会社の株を買ったのだって、金持ちお嬢様の気紛れでしょ!?」

「…」

「私に嫌がらせしたかったからに、決まってるわ!」

「本当にそう思ってるのかい?」

「…」

「気紛れよ…宇佐美さんの事だって…」

「…花村さん、君は…本当に友達と呼べる人間を、何人持っている?」

「え?」

「姫は…玉置さんはね…多分、ウサギちゃんだけなんだ。彼女の周囲には、彼女のバックにある玉置興産を見て近付く人間ばかりだったんだよ。顔色を窺い機嫌を取り、(かしず)く人間ばかりだったんだ。本当の玉置茜という人物を見て、友人関係を結んだのは、ウサギちゃんだけだった。だから彼女は、ウサギちゃんの事を大切に守って来たんだ」

「…」

「君は…本当は、ウサギちゃんと友達になりたかったんじゃないか?」

「そんな事!?」

「彼女は賢いが偉ぶらない。普段は、冷静に物事を判断するし、黙ってこちらの言う事を聞いてくれる…許容範囲が広いからね。自己主張の強い人間にとっては、得難い人材だよね?」

「…」

「君は…彼女への接し方を間違えた。力で彼女を支配しようとした。でも、彼女凄く頑固者なんだ…見掛けによらずね」

「…知ってるわ」

「幾らでも修正出来たんだ…もしかしたら、今からでも間に合うのかもしれない」

「…まさか」

「言ったろ?許容範囲が広いからね、ウサギちゃん」

黙り込んだ花村栄子に代わって、前を歩いていた滝川が振り向いた。

「残念ながら、彼女は栄子に渡せない。勿論、もう和賀にも渡す気はない」

「無理だ、滝川…」

「何故だ?」

「ウサギちゃんに聞けよ…幾らお前の事を思い出しても、ウサギちゃんの心は、要の物だ!」

眉を潜めた滝川は、ウサギちゃんに向き直った。

「…ノンちゃん、昔の約束覚えてる?」

「なぁに?」

「僕が…君を、幸せにして上げるって…言ったよね?」

「うん」

「じゃあ…キスしようか?」

「駄目だよ」

「何故?」

「チューはね…結婚する人とするんだよ。だから、お父さんとトモ君の叔母ちゃん、チューしてたんでしょ?」

「…」

「だからノンちゃんも、お兄ちゃんとしかチューしないんだぁ!」

「和賀の事か!?」

「お兄ちゃん、ノンちゃんの事、お嫁さんにしてくれるって約束したもん!!」

ウサギちゃんはそう言って、滝川に満面の笑みを見せた。

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