第34話
「嬉しかったみたいよ…携帯のカメラで、プレゼントされたデジカメ撮り捲ってるわ」
「カメラでカメラ撮ってるのかい?変わってるね…何にしろ、喜んで貰えたのは良かった。要も頑張った甲斐があったな」
「コッチは、明日の準備で大わらわよ…ちゃんと連れて来てくれるんでしょうね!?」
「要次第だな…最悪、担いで連れて来るらしいから…」
「それって、余りに強引過ぎない?」
「しょうがないだろ?アリスは主役だからね」
明日に迫った学園祭の準備を終えた姫が、俺の部屋に泊まると言って上がり込んで、彼此1時間になる。
「…で、何かあった?」
「何が?」
「急に泊まるなんて言うからさ」
「…別に」
「姫…ちゃんと話して」
「…色々煩い事言うから、ストライキよ!」
「何か言われた?俺との事…」
「…浩一が云々の話じゃないわ」
「…」
「ウチの大学ってのが、気に入らないのよ!」
「…学校だけの話?学部もだろ?」
「…」
姫の両親にしてみれば、体育大学の学生に現を抜かしている娘が心配でならないのだろう。
後継者である娘の相手は、それなりの大学の…会社経営に役立つ学部の出身者が望ましいという事だ。
「所で、あの携帯の件…何かわかった?」
「まぁ…合宿以降に機種変更した人物は、何人か判明したけど…今時携帯2台持ってる奴なんて、ざらに居るからね…」
「他社の携帯に切り替えた人は!?」
「居るよ…ねぇ、姫…この件、俺に預けてくれないかな?」
「嫌よ!!」
「何も、有耶無耶にする積りはない…真犯人を見付けたら、ちゃんと姫にも教えるから」
そう言って、俺はある人物との会話を思い出していた。
「…何か隠してませんか?」
「…何が言いたい?」
「どうしても、納得出来ない事がありまして…」
「…和賀は…」
「要は、何も知りませんよ。まだ、ね」
「…」
「でも、アイツの耳に入ったら…要は、貴方を許さないでしょうね?」
「…だろうな」
「どこまで関与してるんです?」
「…」
「どうせ、脅されたんでしょ?貴方の相棒の件で…又、女絡みですか?」
「…」
「相手の女性は…花村栄子ですね?」
「松本、お前…」
瞠目する相手は…溜め息を吐いて言った。
「アイツに確認したら、同意の上だと言うんだ…だが、彼女は強姦されたと俺に言った。こんな話が表に出たら、アイツも俺も…内定が出ているプロへの話もパァだ!花村さんは…交換条件を出して来た」
「貴方がやったんですか!?全て!?」
「違う!!俺は……俺は、宇佐美君を体育館の倉庫に運んだだけだっ!!」
「…やっぱりね」
「え?」
「幾らウサギちゃんが小柄とはいえ、女性の力で宿舎から体育館迄、眠らされた人間を運ぶのは難しいですからね…実行犯が居るとは思ってました」
「…」
「花村さんは、一緒だったんですか?」
「いゃ…運び終わってから、彼女に連絡を入れた。宇佐美君を閉じ込めて、驚かすだけだと言われたんだ!!勿論、俺は彼女の洋服に手も掛けちゃいない…なのに…あんな事に!!」
「…貴方の一番の間違いは…女房役として、相棒を甘やかし過ぎて叱責出来なかった事だ」
「…お前は出来るのか?」
「当たり前でしょう!?要は馬鹿で俺様で単細胞だが、根は優しくて真面目な男ですからね…それに、間違っている事を叱ってやるのは、女房役としての務めだ!」
「お前達は、いいな…互いに同列か…お前の方が上だから、その関係が続けられる。だが俺達は違うんだ…佐々木が王様で、俺は従者だ…」
「…」
「何故わかったんだ?」
「色々…花村さん達の入部の経緯も、要に出川さんを薦めるのも…後、合宿での彼女達への気遣いやら…入院後のウサギちゃんへの対応やらね…」
「…参ったな…明菜にも疑われてね…」
「別れたそうですね?」
「…薄々、感付いていたのかもしれない…」
「最後に1つ…花村さんの彼氏って、ご存知ですか?」
「いゃ…そんな相手が居たのか!?」
「じゃあ、彼女と佐々木さんが出会ったのは?」
「新宿の『MUGEN』っていうグラブだ」
「そこって…ウチのバレー部の奴等も行き付けの店ですか?」
「さぁ?俺は2回位しか行った事はない」
「…わかりました」
「…松本…俺は…一体どうすれば…」
「それは、ご自分で考えるべきだと思いますよ?」
「…」
「ウサギちゃんは…貴方の立場を知ったら、許してしまうのかも知れません。だが、要は貴方を許さない!」
「…」
「そして、俺も又…相棒である要が涙を流し、心を乱す様な事に荷担した貴方を…許す事が出来ないんですよ…寺田さん」
和賀さんから電話があったのは、彼が大学に行って間もなくの事だった。
「悪ぃ、ノン!!ネクタイ忘れたんだ!届けてくれ!!」
学園祭には行きたくない…そう言ったのに…。
あからさまな方法で、大学に呼び出そうとする和賀さんが恨めしい。
「おーぃ、ノン?聞いてるか!?」
「…校門で…待っていて下さい」
「わかった」
仕方なく、和賀さんの部屋に置かれていた蝶ネクタイを持って、大学に向かった。
通学路の、いつもより多い人の流れ…多分皆、学園祭に向かっているのだ。
人混みは嫌いだ…唯でさえ危うい足元が、他人と接触して怪我をしないか、させてしまわないか…常にヒヤヒヤと気を遣う。
華やかな学園祭も、私には縁のない場所だ…ずっと講義にもバレー部にも、顔を出していないし…。
校門の所で中を覗き込むと、直ぐ近くに一際背の高い和賀さんが立っていた。
いつもラフな格好で、髪も洗い放しの彼が…整髪料で髪を撫で付け、スマートなタキシードの胸元を着崩したモデルの様な姿に、女子学生達が遠巻きに取囲む。
「凄っい、素敵…どこの出し物!?」
「背高ぁい…バスケ部?バレー部?」
「執事喫茶とか!?行きたい!どこでやってるのかしら!?」
目立ち過ぎだ…和賀さん、普段でもハンサムで素敵なのに…あんな格好したら…。
「…ノン!!」
校門の門柱に隠れる様にして覗いていた私を見付け、高々と手を上げて和賀さんが近付いて来る。
「悪ぃ、手間掛けさせて」
フルフルと頭を振り、私は蝶ネクタイを突き出した…一斉に向けられる女性達の視線…一刻も早くこの場を逃げ出したい!!
それなのに…和賀さんは私の前に膝を折り、シャツの襟を留めながら言った。
「着けてくれよ…こういうの苦手なんだ」
「…」
「ホラ、早く…」
仕方なく、震える手でネクタイの紐を首に回し、金具を操る。
「…ノン、どうした?」
「…」
「顔が赤いぞ、お前…」
「……出来ました」
和賀さんの襟を整えながらそう言うと、彼はニッと笑って私を覗き込む。
「…どうだ?」
「…ぇ?」
「惚れ直したか?」
この人はっ!?
頭の中で何かが爆発する音がして、顔から湯気が出る……が、次の瞬間痛い程の視線に、一気に躰の熱は冷めた。
「…帰ります」
「待てよ…ここ迄来たんだ。寄って行け!」
そう言うとガッシリと腕を掴み、グイグイと私を構内へ連れて行こうとする。
突き刺さる視線にヒソヒソと交わされる声…私は部屋着のまま飛び出して来た自分を恥じて身を震わせた。
これじゃ、王子様とヒキガエルだ…。
「…嫌…嫌です、和賀さん…」
「いいから、皆待ってる!!」
「嫌ッ!!」
その場に屈み込む私を抱え上げると、和賀さんは体育館の裏手にある人気の無いベンチに下ろした。
「…ノン」
「…」
「そんなに嫌か?」
私の隣に腰を掛けると、彼は私を覗き込んだ。
「俺は、お前と学園祭を楽しみたいだけだ」
「…」
「こんな馬鹿騒ぎ出来んの、学生の内だけだろ?」
「…」
「何が嫌なんだ、お前?」
「…」
「何怖がってる?」
「…怖がってなんて…いません。唯…」
「何だ?」
「……私が居ても…皆さんの迷惑になるし…」
「…じゃあ、俺も帰る」
「は?」
「俺も帰る!」
「だって、和賀さんは…」
「ノンと一緒に楽しみたいから、参加してるだけだ…じゃねぇと、こんな仮装するかよ!?」
「…」
「…ノン、怖がんな…俺が一緒だ…」
「…でも、こんな格好ですし…」
フワリと抱き上げられて膝に乗せられ、驚いて見上げた所をキスされる。
「…誰かに…見られて…」
「見せ付けてやりゃいいじゃねぇか」
「…そんなっ…」
文句を言わせても貰えないキスの嵐が治まると、和賀さんはニヤリと私に笑い掛けた。
「じゃあ、心優しい魔法使いの所に行くか!」
「え?」
「魔法掛けて貰うんだ…シンデレラみてぇにな!」
抱き上げられたまま校舎の5階迄連れて行かれ、和賀さんは『男子バレー部控室』と張り紙のされた部屋をノックした。
「俺だ…シンデレラ、連れて来たぞ!」
中から勢い良くドアが開けられ、茜が眉を上げて答える。
「違うでしょう!?シンデレラじゃなくてアリスよ!!…って、又泣かせたの、和賀さん!?」
捲し立てる茜の姿に、私は目を丸くした。
ピッタリとした黒いサテン地のバニースーツに網タイツ…短いタキシードのジャケットを着て、頭の上には大きな黒い長い耳…。
「…茜、その格好」
「私は、今日と明日の2日間はこの姿なの!浩一の策略でね!?」
「はぁ…」
「貴女なんていい方よ!!ほら、チャッチャと着替える!!」
「えっ?」
部屋に連れ込まれると、胸の大きく開いたメイド姿の出川さんが笑って手を振っている。
「やっとぉ、主役のぉ登場ですぅ!」
「ホラッ、さっさと脱ぐ!!」
訳のわからない内に洋服を脱がされ、白いタイツとペチコートを履かされ、空色のワンピースの上に白いエプロンを着けられた。
「…填まり過ぎだわね!?」
「ピッタリですぅ!!」
「茜…コレって…」
「はぃ、靴とカチューシャ…髪、解きなさい!」
そう言って、茜は姿見の前に私を立たせ、三つ編みをした私の髪を解いた。
「今年の誕生日プレゼントよ」
「…ぇ?」
「生地と靴は、私から。縫製とカチューシャは、出川さんから…」
「キツイ所ぉ、無いですかぁ?」
「えぇ……ありがとう、2人共…」
思い掛けないプレゼントに、又涙が溢れる。
3人揃って部屋を出ると、廊下で待っていた和賀さんが、私の姿を見て眼を細めた。
「絵本から抜け出したみたいでしょ、和賀さん!?」
「あぁ…全くだ」
赤くなって俯く私の前に膝を付くと、王子様はクイッと私の顎を上げる。
「だが…コレは外さねぇとな」
そう言って、私の眼鏡を外して内ポケットに入れてしまった。
「困ります!それがないと、何にも見えなくて…」
「…いいから」
「でも…歩く事も出来ません!」
「大丈夫、歩く必要ねぇから…」
そう言って、和賀さんは片手でヒョイと私を抱き上げた。
「さぁ、会場に行くわよ!」
「稼ぎますよぉ!!」
そう言って笑い合う茜と出川さんの後ろで、私を抱いた和賀さんが小さな声で囁いた。
「…ノン」
「はい?」
「俺が…惚れ直しちまった」
そう言って、彼は私の耳朶にキスをした。
『アリスのTea-Party』と書かれた看板を潜ると、部屋の中からワァッと歓声が上がった。
巨大なピンクと紫の縞模様の着ぐるみが近付いて、私に声を掛ける。
「可愛いよ、ウサギちゃん!最高だ!!」
「…松本さん?」
「あぁ…眼鏡外してるから見えない?俺はチェシャ猫なんだ!ウサギちゃんは、コッチの椅子に座って、お客さんにチケットを渡してくれればいいからね」
そう言って、松本さんは造花で飾られた藤の椅子に私を座らせ、花で隠したCDプレイヤーをONにした。
「何と言っても、君が主役だから…宜しくね!」
それからは、引きも切らずに客が押し寄せ、私はチケットを渡しながら給仕する部員達を見ていた。
会場にはディズニー映画のアリスの曲が流れ、時折『アリス~!!』と客席から声が掛かる。
視界がボンヤリとして、まるで夢の世界に居るようだ。
背の高い黒い影が近付き、私の前に膝を付く。
「…アリス、休憩に行こう!」
「え?」
「楽しい所、見に行くぞ!」
「…ここでも、十分楽しいですよ?」
「何言ってる!?コッチは仕事…遊びは、これから…」
「いいんですか?」
「あぁ…今度は、俺を楽しませてくれ…」
スッと差し出された両手に自然に手を伸ばすと、フワリと抱き上げられ…途端に『キャ~!!』という悲鳴が上がった。
誰かが何か言った様だったが、和賀さんは私を抱いたまま大声で笑い廊下に走り出た。
ボヤけた視界では、人の視線も気にならない…私は、目の前で笑う和賀さんの顔だけを見詰めていた。




