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第33話

退院した典子は、俺の前でだけほんの少し微笑む様になった…だがその微笑みは、常に涙と同居している。

あんな笑顔をさせたい訳じゃない…退行を起こしていた時の様な…輝く笑顔をさせたいのに…。

相変わらず大学にもバレー部の練習にも行かない彼女の部屋に、最近は見知らぬ外国人の男女が良く訪ねて来る様になった。

気になって尋ねると、留学生にイタリア語の家庭教師を頼んでいるといい、時折彼等と商店街や街に出掛けている様だ。

俺は大学に部活、早朝のバイトの他に、部活後にもバイトを入れていた。

顔を合わせるのは、朝食と夜だけ…然も俺が典子の部屋を訪ねなければ、なかなか会えない。

風呂に入り典子の部屋を訪ねると、彼女はベッドホンを付けてテキストを食い入る様に見詰めていた。

そっとベッドホンを外すと、驚いた様に見上げる顔が青白い。

「…お帰りなさい」

「ただいま…顔色悪ぃぞ、お前…何時間やってんだ?」

小首を傾げる典子を膝に抱き上げキスをすると、彼女の小さな肩に顔を埋めた。

「そんな一気に詰め込まなくったっていいから…無理して体調崩したら、どうすんだ」

「……平気です」

小さく答える典子の顔を覗き込むと、儚気に微笑み涙を溜めモジモジと手を動かして腕を掻こうとする。

俺は典子を、力一杯抱き締めた。

最近頓に、存在感が薄くなっている気がして仕方がない…。

「…ノン…お前、消えちまいそうだ…」

抱き上げてベッドに運び、彼女の胸に縋る様に抱き付くと、典子はそっと俺の頭を抱いて髪を撫で梳く。

それは恋人同士の抱擁というよりは、慈愛に近い物なのかもしれないが…やっと少しだけ典子がスキンシップを取る様になったその喜びと心地良さに、俺は陶酔していた。

それでも…俺達は互いに寂しいのだ…恋人を得て抱き合っても、互いの心が本当に満たされる事がない…。

「…ノン」

彼女の顔を見上げてキスを強請ると、儚気な微笑を湛えた唇が俺の額に当てられる…もどかしくグイと顎を上げ、彼女の後頭部を引寄せて唇を奪った。

典子を幸せにしてやりたい俺と、俺の幸せの為に逃げようとする典子と…このベクトルが交じり合うのは、いつになるんだろうか?



11月23日…典子の誕生日は、朝から冷たい雨が降っていた。

早朝バイトが休みだった事もありギリギリ迄寝ていた俺は、姉貴の怒声で目を覚まし眠気眼で居間に向かった。

「おはよう、要」

「おぅ…早いな浩一」

「アンタが遅いだけよ、要!!」

姉貴の叫びに祐三さんと松本が笑う。

「典子は?」

いつも姉貴と共に台所に立つ典子の姿が見えない事に不審に思い尋ねると、姉貴はキョトンとした表情を俺に向けた。

「今日は外出するって言ってたけど…聞いてないの?」

「…知らねぇ…飯は?」

「いや、もう出掛けたと思う。俺が部屋を出る時、鍵を閉める音がしてたから…」

松本が、頂きますと手を合わせながら俺に言った。

「…こんな雨の日に…どこ行くって?」

「知らないわよ…でも、もしかしたら遅くなるかもって、昨日言ってたけど?」

「…ふぅん」

茶碗の飯を掻き込みながら、俺は不機嫌に唸った。

「要…今日って、ウサギちゃんの誕生日じゃなかったか?」

「…あぁ」

「えっ?そうなの!?…もぅ、水臭いわねぇ典子ちゃん…何にも言わないんだから…」

「自分で言い触らす事じゃねぇだろ?」

「プレゼントは?用意したの!?」

「練習の帰りに買いに行く…その為にバイトしてたんだからな…」

「何すんの?」

「……カメラ」

「張り込むわねぇ!?どんなヤツ?」

「…一眼レフのデジタルカメラ」

「凄ッ!!幾らよ!?」

金額を言うと、皆の顔がニヤニヤと緩んだ。

「それさぁ…一口、乗せなさいよ!」

「え?」

「典子ちゃん、洋服プレゼントしただけでも引いちゃうのに…いきなりそんな高価な物だと、受け取って貰えないわよ?」

「…」

「家族で出資したって言ったら、受け取って貰えるでしょ…ねぇ、お父さん?」

親父は黙って立ち上がると、部屋の棚に置いてある財布から、剥き出しの金を俺の前に置いた。

「お父さん、太っ腹!!」

そう姉貴が笑うと、祐三さんもポケットの財布から同じ金額を出して俺の前に置いてくれた。

「…わかった。皆からって事にしとく」

「俺は、もう用意してるから…後でお前に渡すよ」

松本もそう言って、俺に笑い掛けた。

典子に一眼レフのデジタルカメラをプレゼントしようと思ったのは、彼女の高校の先輩…典子のトラウマの原因になった人物、高松圭介に会って話を聞いたからだ。

「彼女は、今でも写真を撮ってるのかな?」

話を聞く条件に写真を撮らせて欲しいと言った高松は、待ち合わせたスタジオ近くの喫茶店で俺にレンズを向けながら尋ねた。

「典子がですか?」

「彼女…とてもいい写真を撮るんだよ。専ら携帯でだったけどね」

「いや…携帯は持ってますが…写真を撮ってるのは見た事ありませんね」

「そうか…勿体ないな…彼女に携帯での写真の撮り方を教えたのは僕だけど…僕自身も、彼女の写真のファンなんだよ。だから、彼女の事を好きになった…」

サラリと過去の話をする高松をムッとして睨むと、カシャカシャとシャッターを切られる。

「…どんな物を撮るんです?」

「風景や静物が主だったな…毎日1枚、彼女の好きな物、興味のある物、気になる物を撮影して、メールで送る様に言ったんだ」

「…」

「彼女との付き合いは、半年ちょっとだったけどね…最初は、自分が何を好きなのかもわからない様な娘だった…それが、希薄だった世界から脱却を試みる様に、どんどん世界が色付き始めた所だったんだよ。僕が見ても…作品に如実に現れていた」

「…」

「出来れば、又撮る様に勧めて上げて欲しいな。写真は、彼女自身を表現するいいパフォーマンスなんだと思う」

「作品って…残ってないんですか?」

「多分ね…いゃ…待てよ……もしかしたら、2枚程オリジナルがあるかも…でも昔の携帯だしな…残ってるかな?」

「どこに?」

「多分、あるとすれば実家なんだけど…僕が好きで、待受に使ってた写真があったんだ。今度探して見る。見付かったらメールで送るよ」

高松はそう言って、自分の携帯を差し出した。

互いのデータを交換すると、彼は再びカメラを持ってレンズを向ける。

「彼女の作品は、とても印象的で雄弁なんだ…僕は、彼女に人物を撮って欲しいと思ってる…恋人が出来た今なら、撮れるんじゃないかな?」

「人は撮らなかったって事ですか?」

「僕が知る限り、無機物ばかり…有機物は…植物止まりだった。それだけ、人間を信用してなかったって事なんじゃないかな」

「…」

「携帯じゃなく…カメラで撮って欲しいんだけどね。今は、女性でも扱い安い一眼レフのデジカメもあるし…」

典子が、自分を表現出来る方法…それは取りも直さず、彼女の自信を回復させる起爆剤になるのではないだろうか?

窓の外を眺め考えている俺の正面で、再びカシャカシャとシャッターが切られ、高松にニヤリと笑われた。

それから俺はカメラの情報を彼に教えて貰い、近所の写真屋の親父に交渉し希望のカメラを入手して貰い、夜のアルバイトも入れて資金を稼いだ。

「頑張ったね、要ちゃん!コレが本体…注文通り、底に刻印入れて貰ったよ。コッチがバッテリーパック、標準ズームレンズと望遠ズームレンズ。コッチが記録用のCFカードと…この間話していたバッテリーグリップ。コレが有ると単3形電池が使用可能になるから、使える時間がグッと伸びる」

「重くならねぇの?」

「まぁ、多少はね。でもカメラ自体を固定して構えやすくなるから人気なのさ。それに、本体もペットボトルより軽いからね…大丈夫なんじゃないかな?…で、コッチがオマケのバッグと三脚ね。後…コレは、松本君から頼まれてた物」

「浩一から?」

「そうだよ…あ、もう支払いは済んでるから。ベルトだよ…カメラのね」

「知ってたのか、アイツ…」

「この間、要ちゃんが来てたの見掛けたみたいでね…プレゼントだそうだって言ったら、そのベルト一緒に渡してやってってさ。いい友達持ったねぇ、要ちゃん」

「あぁ…」

「じゃあね、毎度あり」

カメラバッグに全て納めて貰い、鈴蘭灯の灯る道を家路に急いだ。

「お帰り、要…それが、カメラ?」

「あぁ…典子は?」

「まだよ…仕方がないから、夕食食べちゃいなさい」

店の閉店時間を過ぎても帰らない典子を心配しながら、俺は夕食を摂り風呂に入り…10時を過ぎても連絡1本も入れない彼女に苛立ちを覚えていた。

こんな遅い時間迄帰って来なかった事なんて一度もない…何かあったのだろうか?

まさか…帰って来る積もりがない何て事は…!?

携帯のフリップを開けると、待受のモノクロ写真が浮かび上がった。

高松のメールに添付されて来た典子の写真は、芸術に疎い俺の目にも、胸を締め付けられる様な感覚を抱かせる。

誰もいない図書館だろうか…大きな窓から差し込む長い影。

その影の中に、窓の外を羽ばたく鳥の影が写り込む…ただそれだけの風景なのに…何とも物悲しい気持ちにさせる写真だった。

典子は…鳥の様に羽ばたきたかったのか…それとも、大空に羽ばたく鳥を羨ましいと思ったのか…家や学校という牢獄から逃げ出したかったのか…。

気を取り直し、典子の携帯に何度目かの電話を入れた。

長いコールの後に、ようやく繋がった電話に、思わず言葉が荒くなる。

「もしもしっ!?」

「…」

「おいッ!!何とか言えッ!!」

途端に、プツリと電話が切られた。

何なんだ、一体…もう一度コールして繋がった電話に再び怒声を浴びせた。

「いい加減にしろよっ、ノンッ!!お前、こんな時間迄何やってるッ!?」

「……和賀さん?」

「何寝呆けた事抜かして…」

「良かった…何か、悪戯電話ばかりで…」

「え?」

「済みません、電車が来たので…気にせず、先に休んで下さい」

「お前、今どこだ!?おいッ!!」

プツリと切られた電話に叫ぶ虚しさ…何だってんだ、全く!?

彼女の部屋に入り込み、リビンクで待つ事1時間半…玄関の鍵がようやくカチャンと解錠され、俺は不機嫌に立ち上がった。

「ノンッ!!お前…」

怒鳴り付けてやろうとした俺は、彼女の姿に目を見張った。

黒いコートの下に黒のワンピース、黒いタイツに黒いバッグ…そして、首から下げられた晒で包まれた小さな箱…。

「…いらしてたんですか?済みません、遅くなって…」

典子は疲れ切った表情で頭を下げ、首から下げた箱を棚の上に置いた。

「…お前…それ…」

「…母です。分骨して貰いました」

そう言って彼女は晒を解き、白木の箱に錦の布を被せると手を合わせた。

「…墓参りだったのか?」

「毎年、父の車で行ってたんですが…電車だと思ったより遠くて…」

「…墓って、どこにあるんだ?」

「岐阜県の…高山です」

「高山?…飛騨高山か!?」

「えぇ…そこから1時間程入った所で…」

「…」

「流石に、片道6時間半は疲れました…ぁ、済みません…お茶でも淹れますね?」

台所に立ち、ヤカンに水を入れる典子の背中に言葉を投げる。

「要らねぇ…ってか、お前…今日何の日だかわかってんのか?」

「勤労感謝の日で…母の命日ですが?」

「お前の誕生日だろうがっ!?」

「……それは…唯の生年月日です」

「…ノン」

「11月23日は…喪に服する日で…」

「ノン!!」

俯いたまま、火に掛けたヤカンを見詰める典子の背中を抱き締める。

「…誕生日…祝って貰った事…ねぇのか?」

「…2年前から、茜が祝ってくれます」

「11月23日、当日は?」

「…」

ガス台の火を消すと、俺は典子の手を引いてリビンクに座らせ、カメラバッグの包みを彼女に押し遣った。

「…誕生日プレゼントだ」

「…え?」

「俺と…親父と、姉貴夫婦と……後、中に入った袋は浩一からだ」

「…ちょっと待って下さい…コレって…こんな高価な物、頂けません!!」

「そう言うと思ったから…皆でプレゼントする事にした」

「…」

「皆の気持ちだ…遠慮なく受け取れ」

カメラバッグを開け、典子は泣いた…そして、初めて自分から俺の首に腕を回して抱き付いた。

「……ありがとうございます」

「あぁ…誕生日おめでとう」

母屋の時計が、12時を知らせる。

良かった…間に合って…心底そう思いながら、典子に深く口付けた。


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