表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/74

第31話

「ごめんなさいねぇ、和賀さんじゃなくて…」

そう言うと、茜はクスクスと笑った。

10月末の私の退院に、茜はわざわざハイヤーで迎えに来てくれたのだ。

「何言ってるの?感謝してるわ…とても…」

「あら、でも待ってたんでしょ?部屋に入った時、明らかに残念そうだったわよ?」

「…そんな事…ないわ」

確かに…和賀さんが迎えに来てくれるとばかり思っていた。

「今日から3日間、和賀家は忙しいのよ」

「何かあるの?」

「お祭りなんだってよ?学校の裏にある神社の祭礼で、商店街も参加してるらしくって…店も出店も大忙し!」

「出店?」

「神社の境内で、商店街主宰のテントがあるらしくてね。和賀さんは、そっちを任されてるみたいよ?」

「…そぅ」

「後で行かない?冷やかしがてら…」

「…私が行っても、お邪魔になるもの…」

「あら、そんな事ないわ!楽しいわよ、きっと…部の仲間が手伝ってるそうだし!」

そう言うと、茜は私の荷物を運転手に運ばせてしまった。

受付で支払いや薬を受け取っていると、向こうから武蔵先生が手をヒラヒラさせながらやって来る。

「あれ、和賀君は?」

「今日は、忙しいそうで…いらしてないんです」

「そうかぁ」

「あの…何か…」

「いや…イタリアに行く話、その後進展したのかな?」

「まだ父と相談していないので、何とも…」

「そう…取敢ず、来月待ってるから。余り無理はしない事、何かあったらいつでも連絡する事…いいね?」

「わかりました。お世話になりました」

「お大事に…」

病院を出て車に乗り込むと、隣から茜がズイッと身を寄せた。

「本当に行くの、イタリア?」

「え?」

「和賀さんも承知したって、本当?」

「……そうみたい…父と話したって…。私の体調が戻ったらって事になったらしくて…」

「それって、近々って事!?卒業後じゃなくて!?」

「……そうね」

「駄目よ!行っちゃ駄目、典子!!」

「…」

「貴女、わかってるの!?和賀さんと少し離れただけで、体調崩しちゃうのよ!?今はまだ近くに居るから、おかしくなったら和賀さんが駆け付ける事が出来るけど…イタリアなんて遠い所に行っちゃったら、流石に行けないじゃない!?」

「…」

「それに…恋人同士が離れるリスクを、考えてないでしょ!?」

「…」

「遠距離恋愛なんてねぇ…言う程簡単な物じゃないのよ!?わかってる!?」

「……でも…和賀さんは承知したのよ」

「典子…」

「あれだけ『離さない』って言ってた人が…この間なんて『一緒に死んでやる』みたいな事を言う人が…決めた事なの」

「…」

「私の目の前で相談してたそうだけど、私全然覚えてなくて…私自身が了解した訳じゃないのに決められてて…何勝手に決めてるのって思ったの。でも、面会に来た父の顔を見たら…そんな気も失せてしまったわ」

「何故?」

「…とても、穏やかな顔してた。私に謝ってくれたの…今迄悪かったって。色んな事話した…それまで、絶対に話したがらなかった、母との恋愛の事も…」

「確か、少し…」

「自閉症だったって…他の人には関心も持たない母が、父にだけは関心を示して…ずっと母の視線を感じる様になったらしいの…」

そう話しながら、私は病院での父との会話を思い出していた。

「連日、余りにも見詰められて…眺めるとか、目で追うとか…そんなレベルじゃなく…凝視されていた。何か怒らせてしまったのかと、最初は気を揉んだんだが…かといって、会話はおろか接点もなかったからな…」

「…」

「無視しようと努力したが…私も気が短い。ある日、面と向かって『私が、何か貴女を怒らす様な事をしましたか?』と尋ねた。返って来た彼女の答えに…私は面食らった」

「何と言ったんです?」

「『好き』だと…視線を反らす事なく、告白された」

「…」

「それからは、ストーカーの様に私にまとわり付いて『好き』と連呼する。まぁ、彼女はそれ迄1人で外出する事はなかったから、体育館の中だけだったが…上司の娘でもあるし、邪険には出来なかった」

「お父さんは…お母さんの事…好きじゃなかったんですか?」

「……当時、私には付き合っている女性が居た。余り公には出来ない、水商売の女性で…結構長い付き合いだった」

「…お母さんの片思いだったんですね?」

「当時付き合っていた女性とは違い、法子の…お母さんの素直で直向きな想いも、一所懸命私の為に役に立とうとする姿も、可愛いとは思った。年も離れていたし、周りのお節介や…何より法子の両親の希望もあって…妹の様に接していた」

「…」

「ある日、お母さんは1人で私のアパートに訪ねて来た。そこで、当時付き合っていた女性と鉢合わせてしまったんだ」

「…」

「事情を知らない当時付き合っていた女性に罵倒されてね…パニック症状を起こして…台所のナイフを持ち出して、3人で揉み合った末に、その女性に怪我を負わせてしまった」

「えっ!?」

「命に関わる様な物ではなかった…だが交際は解消され、私は法外な慰謝料を請求された。…それを肩代わりしてくれたのが、法子の両親だ」

「…」

「身寄りも無い貧乏な私に、返済能力はなかった。だが法子の両親は『金はいいから、娘を落ち着かせてやってくれ…優しく接してやって欲しい』と言い、私はそれに応じた。だが…法子は、私の態度を…自分を受け入れたと思ったんだ」

「それって…」

「引き返し様がなかった…いや、正直私には、宇佐美の家というステータスに憧れもあったんだ。だが結婚して、彼女は直に妊娠して…法子親子は悦びに包まれて…私は、自分と彼等との温度差が…だんだんと恐ろしくなった」

「…」

「お前が生まれる時、ずっと側に付いて居てやるという法子との約束を、私は反故にして外出していた。さして大切な用事でもなかったんだが…危篤だと連絡があって、慌てて病院に向かった。典子…お前のお母さんは、『隆義』『好き』『愛してる』この3つの言葉しか、私に話さなかった…そして私には…あの写真の様な、天使の笑顔しか向けなかった。それが…最期の時になって、私の手を握り…『ありがとう』と涙を流して…逝ってしまった」

深い深い溜め息と共に、父は西日の射し込む窓に遠い目を向けた。

「後悔した…逝ってから初めて、彼女を深く愛していた事に気が付いた。きっと、彼女は私の想いに気付いていた…もう二度と…あんな想いをするまいと…お前を慈しみ…育てて…お母さんとお前を重ねてしまった」

「…お父さん」

「……和賀君が好きか、典子?」

「…私は……私には…そんな資格はありません……沢山の愛情を注いで貰っても……どう返したらいいか…怖くて…恐ろしくて……そして又、傷付けてしまう…」

「そんな風に育ててしまったのは、私の罪だ…」

「…」

「…済まない」

私は黙って頭を振った。

「……りこっ!?典子!!大丈夫!?」

「……ぇ?」

「大丈夫なの!?」

気が付けば、茜に肩を揺らされ覗き込まれていた。

「…何?」

「何って…いきなりトリップして、泣き出して…」

「あぁ…平気……ちょっと思い出してただけよ…」

「ならいいけど…アパートに帰る前に、携帯を買いに行くわよ!」

「携帯?」

「合宿の騒ぎの時に…貴女の携帯壊れたって聞かなかった?」

「…そうだったわね」

「連絡取れなくて不便だったのよ!?でも、本人が行かないと更新出来なくて…退院するの、ずっと待ってたんだからね!!」

そう言って、茜はジッパー付きのビニール袋に入った携帯を見せた。

「それは?」

「貴女の壊れた携帯…データとかアドレス帳とか転送出来るだろうからって、和賀さんが保管してくれてたのよ」

がさつに見えて細やかな心遣いの出来る人だ…そう思いながら、袋から携帯を取り出した。

大学入学を機に、新しく買い替えたばかりだったのに…フリップを開けると、画面に大きな亀裂が入り液晶が漏れて画面全体が黒くなっている。

…だが…何故だろう?

キーを触っていても、何となく違和感が…そう言えば、以前……携帯の事で疑問を感じた事があった様な気がしたが…あれは何だったろうか…?

ボンヤリ考える暇もなく携帯ショップに連れて行かれ、最新式のカメラ画素数の高い機種を茜に選んで貰うと、2人でカウンターに座った。

「前の携帯を壊してしまって…データを移したいんです」

私の代わりに茜が説明し、店員は畏まりましたと壊れた携帯を受け取りパソコンで作業を進める。

「あの…お客様、この携帯なんですが…」

「ぁ、もしも移せない様なら、構いません…大した物は入ってないので…」

「いえ、そういう事ではなく…これは、お客様の携帯ではない様で…」

「え?」

「申し訳ありませんが、此方に携帯の番号と、暗証番号を書いて頂けますか?」

差し出されたメモ用紙に、自分の携帯電話と暗証番号を書き込み、不審な顔をする店員に渡した。

「…やはり、違う様ですね」

「そんな筈ないわ!だって、その携帯は…」

隣から叫んだ茜が、ハッとした様に店員に詰め寄る。

「じゃあ、その携帯の契約者って誰なの!?」

「申し訳ありませんが、お客様の個人情報になりますので、お答え致しかねます」

グッと言葉を呑み込んだ茜は、店員の前に手を突き出して言った。

「ここで契約するの辞めるわ!その携帯返して!!」

「しかし、お客様…この携帯は…」

「そうよ、私達の物じゃないって言いたいんでしょ!?」

頷く店員に、茜は畳み掛ける。

「でも貴女の物でもないわ!!それとも、私達から取り上げる権利があるとでも言うの!?」

大声で捲し立てる茜に、店の中ばかりか外からも騒ぎを聞き付けて店内を覗く人垣が出来ていた。

「お客様っ、何か粗相がございましたか?」

カウンターの奥から責任者らしい人物が現れると、店員はあからさまに嫌な顔をして壊れた携帯を私に突き返した。

「心配しなくても、ちゃんと届ける場所に持って行くわ…文句ないでしょ!?」

黙って睨み返す店員にニヤリと笑い、茜は思い付いた様に質問する。

「因に、この携帯の持ち主って…新しい携帯に機種変更したのかしら?」

店員はチラリとパソコンの画面を見て、サッサと騒ぎを収める為に答えた。

「いえ…契約解除されていますね」

「そう、ありがとう…行くわよ、典子」

サッと席を立つ茜に驚きながら、私はカウンターに置かれた携帯を掴み、一礼すると彼女の後を追ってハイヤーに乗り込んだ。

「……どういう事…茜?」

「…」

「茜?」

「…典子は気にしなくていいのよ…店員の態度にムカ付いただけ」

「…」

「他の店に行きましょ!あの機種なら、どこでも置いてあるわ!!」

アパートに近い携帯ショップで契約を済ませ、運転手に私の荷物を運ばせると、茜は何気ない様子を装い私に言った。

「典子…さっきの携帯…壊れてる方の」

「…」

「私に、預からせてくれない?」

「…駄目」

「典子…その携帯調べたら、貴女に酷い事した犯人が…」

「駄目よ、茜」

「どうして!?悔しくないの!!」

「……あの件は…穿(ほじく)り返しちゃ駄目なの」

「だって!?」

「バレー部の存続に関わる事よ?皆の将来にも影響するの…松本さんや和賀さんの将来にだって……絶対に駄目…」

「…」

「それに…折角チームが立ち直って…新しいメンバーで、まとまらなきゃいけない時期に…蒸し返したくないわ」

「典子…わかってないのは貴女よ!今のバレー部はね…薄氷の上に立ってる様なものよ!?それに、貴女の犠牲の上に成り立ってるのは、皆だってわかってるわ!!」

「……それも…直に忘れるわ」

「…」

「…私がイタリアに行けば…きっと何もなかった事になる……そうやって、事件も…私の事も……何れ皆、記憶の彼方に葬り去る…」

「…貴女、それでいいの?」

「…えぇ……それに…今更、誰も恨みたくないもの…」

「私はイヤッ!!」

「茜…」

「嫌よッ!!絶対に許さないッ!!何が何でも犯人を見付け出してやるんだからッ!!」

「…」

「警察に突き出せなくてもいいの!!私は犯人を捕まえて…典子の前に引き摺り出して…謝罪させたいのよッ!!」

「…望んでないわ」

「じゃあ、典子の望みって何!?」

「…誰にも知らせたくない」

「え?」

「この壊れた携帯の事…松本さんに話すの?」

「当たり前じゃない!」

「そぅ…茜が松本さんに話すのは仕方ないけど…でも、和賀さんには…和賀さんだけには、絶対秘密にするって約束して!」

「…典子…貴女…」

「…私は…以前の様に、バレーに打ち込む和賀さんに…戻って欲しい……私の事で…迷惑掛けたくないだけなの…」

縋る私に、茜は悲しい顔を見せて溜め息を吐いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ