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第30話

10月に入り秋季リーグ後半を迎える頃には、典子の様子も大分落ち着き、毎回病院から車椅子でベンチに入り、テーピングの補助等が出来る様になった。

相変わらず言葉数は少ないが、それでも少しは返事を返し、歩行訓練も(こな)している。

ストレスが掛かると腕に爪を立てる癖は治まったが、密かに指の関節を噛む仕草が見受けられる様になっていた。

「酷く為らなければ、無理に止めさせない方がいい。返ってストレスを与えるし、丁度いいサインだからね」

武蔵先生はそう言って笑うが…俺の方は気になって、彼女が口元に手を持って行くと、ついつい目で追う様になった。

「父親がイタリアに行って…安心したんだろうけど、やっぱり寂しいんだよ」

俺が学校に行っている間に典子の父親は店に挨拶に来た様で、彼女に必要な書類や現金、クレジットカード等をウチの親父渡し、娘を宜しく頼むと頭を下げたそうだ。

秋季リーグ最終日、スタメンの松本の腰のテーピングを終えると、典子は溜め息を吐いて車椅子に沈んだ。

「ありがとう、ウサギちゃん。流石だね…凄く楽だよ」

笑い掛けた松本に少し会釈すると、俺を見上げて袖を引く。

「何だ?」

「台に…」

「え?」

「…昨日の試合で…腰、捻りましたよね?」

「…」

「本当か、要!?」

「大丈夫だって、大した事ねぇから…」

「いや…やって貰った方がいい!!甘く見るな!!」

「平気だって!心配すんな…」

俺と松本の会話を聞いている典子が、左手の親指の関節をギリギリと噛んでいた。

諦めて台に横になると、汗を拭き粘着スプレーをしてアンダーラップを巻き、的確にテーピングを施して行く。

「それにしても、よくわかったね?」

「…小さな頃から…見慣れていますから」

「成る程ね…隠し事出来ないな、要?」

「煩ぇよ…」

腰に続いて右膝のテーピングを終えると、典子は満足そうに車椅子に戻った。

「…じゃあ次は、僕のをお願いしようかな?」

背後に居た滝川が治療台に座ると、典子は黙って首を振った。

「何故だい、バニーちゃん?僕のテーピングは、出来ないって言うのかい?」

「…」

「君も見ただろう?昨日の試合で、僕は右足首を捻った…それとも、和賀のプレーしか見てなかった?」

「……動くのに…邪魔になると思います」

「…」

「……どうしてもと…仰るのでしたら…」

「……いいよ、もう」

眉を寄せた滝川が去ると、玉置が不思議そうに典子に尋ねた。

「どうしたの、典子?貴女、そんな贔屓する娘じゃ…」

「違うよ、姫…ウサギちゃんは贔屓したんじゃない。そうだね、ウサギちゃん?」

「…」

「どういう事だ、浩一?」

「単に、テーピングを必要としなかったって事だよ」

「え?」

「昨日の試合で、奴が一平と接触して足首を捻ったって言うのは…フェイクだったって事だ」

「…」

「その後のスパイクが決まらなかったのも、足首のせいじゃない」

「…あの馬鹿野郎がっ!?」

怒りを表した俺を、松本が諌める。

「止めろ、要…試合前だ」

「だが、昨日の一平の落ち込み見ただろう!?アイツ、自分の所為だって、ずっと…」

「それも試練だ。一平だって、気持ちを切り替えて今日の試合に臨んで来てる」

「クソッ!」

「……済みません」

典子が涙を浮かべて、指を噛んでいる…俺は車椅子の前に屈み、典子の頬に手を当てて言った。

「お前は何も悪くない…それより、今日は最終日だ。しっかり見とけよ?」

典子は怯えた目を少し安堵させ、コクンと頷いた。

鷹山学園体育大学の最終成績は、9勝3敗…大会3位という成績だったが、ブロック賞に佐々木さん、セッター賞に寺田さんが輝き、秋季リーグは終了…4年生の先輩達は引退した。



秋の柔らかい光が、部屋に長い影を落とす。

週末毎に外出していた秋季リーグの疲れも癒え、退院に向けてのリハビリに励む私に来客があったのは、その日の夕方だった。

ノックの音と共に病室に入って来たその人を見ても、最初私には信じられなかった。

「久し振りだね、ウサギちゃん…」

「……高松先輩…どう…して…」

「アハハ…そうだよね?僕も驚いたよ…君が入院してるって聞いて…。和賀君と言ったかな、背の高い…彼が僕のバイト先に来たんだ」

「…申し訳ありません」

「いやいや…驚いたけどね。デカイし、怖いし、威圧感あるし…でも一番驚いたのは、君と彼が付き合ってるって事だった」

「……申し訳…ありません…」

「何故謝るのかな?」

「…」

「君が彼と付き合うのは、悪い事じゃないだろう?」

「…済みません」

彼はベッドの横にある椅子に座ると、見舞いだよと言って小さな箱を冷蔵庫に入れた。

「あの……和賀さんは、何故…」

「あぁ…昔のね…あの時の話を聞きに来たんだよ」

「えっ?」

「君が、どうしても話さないからって。他の人に聞いても、真相はわからないからってね。言い辛い事でしょうが、君の為に是非にって頭を下げられた」

「…」

「いい男を、恋人に選んだね?」

「……私には…そんな資格……ありません」

「…」

「ずっと……先輩に謝らなくてはと……思ってました……でも…勇気がなくて…」

「…ウサギちゃん」

私はベッドから降りると、高松さんの足元に平伏した。

「…本当に…申し訳ありませんでした」

「…」

「父の事も…進学の事も……お母様の事も…私の為に…本当に…申し訳…ありません」

私の背中にそっと手が置かれると、優しい声が掛けられる。

「立って、ウサギちゃん…それじゃ、話も出来ない」

頭を上げると、手を差し出される。

「ベッドに戻ろう…君とは、ゆっくり話す必要があるみたいだ」

高松さんは私をベッドに誘うと、再び椅子に座って足を組み、サラサラとした長めの髪を掻き上げた。

「彼の言う通りだな…ウサギちゃん、君は誤解してるんだね?」

「…ぇ?」

「確かにね…君のお父さんが学校に現れて、母が学校に呼び出されて、謂れのない罵声を浴びせられた時は驚いたし…正直、当時は君を恨みもしたけどね」

「……申し訳ありません」

「僕も若かったし、他に怒りの持って行き場がなくて…卒業式の日、偶然会った君に嫌味を言った」

「…あれは…」

「いや…わかっていたんだよ、自分でも…直ぐに返事をしなくていいと言って、君の返事を保留にしたのは僕だ。あの場で君に返事をさせたら…振られる事は目に見えていたからね。僕は見栄っ張りだから…君に意識をさせて、振り向かす積りだった」

「…」

「でも、そんな事すら忘れてたよ…君の彼氏が現れる迄…ね」

「…」

「後の事は、全て君の誤解だよ」

「…でも…」

「まぁ、聞きなって…あの頃ね、ウチは家庭内がゴタ付いていてね。会社の派閥争いに巻き込まれた父が、上司の命令で会社の金に手を付けてたんだ…その穴埋めをする為に、母は連日親戚に借金の申し入れをしに回っていた」

「…」

「あの日も親戚の家に行こうとしてた時に、学校に呼び出されて…驚いてはいたけれど、僕の事を信用してくれていたからね。あの場で、君のお父さんに黙って頭を下げてくれたんだ。借金の為に頭を下げ続けているから平気だ、こんな事で事態が収拾出来るなら何て事はないって、帰り道で笑っていた」

「でも…入院されたと…」

「それも、父の責任なんだ。…会社の金を手に付ける見返りに…女を宛行(あてが)われていたのが、母にバレたんだ。母にしてみれば、堪らなかったんだろうね…。自分の実家の…高松家の財産も処分して、連日親戚に嫌味を言われながら頭を下げている間も、父は大阪で愛人と宜しくやっていた訳だから…」

「…」

「母はショックで倒れて、そのまま入院した…それが、あの日の夜だったんだよ。結局両親は離婚して、父はリストラされた。どこでどう伝わったのか、酷い噂が流れてたみたいだね?」

「…いぇ…そんな…」

「僕の受験の話も、そうだよ?」

「え?」

「確かに君のお父さんから、学校推薦を取消す様に言われたけど…僕の家の事情を知った担任が、校長に掛け合ってくれてね。僕は推薦を貰えたんだ」

「…そうなんですか?」

「うん…でも、両親の離婚や、母の入院や、親戚とのトラブル何かが色々重なってね…僕は実力を出し切れなかった。あの後一般で受けた大学にも、尽く敗退した…母の為に、地方に出る訳には行かなかったし、仕方無いと思った。翌年の敗因は、バイトのやり過ぎだね…その年で大学受験自体を辞めたんだ」

「…」

俯く私に、高松さんは明るい笑い声を掛けた。

「何て顔してるんだい、ウサギちゃん?前向きにだよ!」

「…」

「僕のやりたいのは、やっぱり写真だから…大学入試の結果が出て直ぐに、専門学校に行く事に決めたんだよ。今は学校に通いながら、プロのカメラマンの助手をしているんだ」

「…そうなんですか」

「長い間、辛い思いさせて悪かったね…」

「いえ…そんな…高松先輩が悪い訳じゃ…」

「いや…気付いて上げられなかった。あんなに、君の事好きだったのにな…」

「…」

「でも、正直…ちょっとショックだ」

「?」

「ウサギちゃんは、ああいうタイプが好きだったんだね?」

「ぇっ?…ぃぇ…それは…」

「僕とは、全くタイプが違うからね。あれじゃ、どんなに君に時間を与えたとしても玉砕してた!」

俯く私に、高松さんは明るく笑った。

「…写真、撮ってるかい?見てみたいな、今の君の作品」

私は俯いたまま、首を振った。

「撮ってないのかい?携帯は?」

「ずっと撮ってないです。それに、携帯も入院する前に壊れてしまって…」

「それは残念だな…僕は君の作品が好きで、君の事を好きになったんだよ?」

「…でも、そんな大した作品なんて撮ってないです。携帯電話のカメラだし…」

「そうだね、確かに画質は悪かった。でも、君の作品は…語り掛けて来るんだ。ウサギちゃん自身が、余り喋らないからなのかな?君の写真は、とても雄弁なんだよ」

「…」

「人物は撮らないのかい?」

「…えぇ」

「和賀君も?」

「…撮った事…ありません」

「そりゃ残念だな…いいよ、彼…僕の撮った作品、見るかい?」

そう言って、高松さんはクリアファイルに入った写真を見せてくれた。

「風景も好きだけど、今は人物を撮るのが楽しくてね…彼のも、何枚か撮らせて貰った」

ファイルの頭の方は、何気ない日常の風景写真に溢れていた。

だが、中程から色々なポートレートに埋め尽くされ…少しはにかむ様に笑う女性が、何枚も出て来た。

木陰に座る姿、厨房に立つ姿、布団の上に裸で座る姿に私は瞠目した。

「いいでしょ?僕の彼女…パティシエの卵なんだ」

「…素敵な方ですね」

「それだけ?」

「とても柔らかなコントラストですね…人物の感情が前面に出て…優しい気持ちになれます」

写真の感想を聞かれたと思い答えると、高松さんは満足そうに微笑んだ。

「やっぱり君は、面白い…次の作品は?」

ページを捲った途端、不機嫌な和賀さんが現れた。

カメラを構える高松さんに文句を言っているのだろう…睨み付けた写真や、外方を向いた写真…喫茶店で撮影されたのか、珈琲カップを前に色々な表情の彼が続く。

ページを追う毎に柔らかな表情になる和賀さんが、テーブルに肘を付いて何気なく外を眺める写真に釘付けになった。

…何だろう……想いが…溢れる…。

気が付けば、ファイルの上にボタボタと涙を落とし、慌てて袖口で拭った。

「……済みません」

「いや…嬉しいよ」

「え?」

「僕の写真を通して、彼の想いを受け取ってくれたんだからね」

「…」

「ウサギちゃん、君は人一倍感受性が強いんだ…写真、続けるべきだよ」

「…」

「先ずは、1日1枚のお気に入りから…覚えてるかい?」

「…はい」

「メールで送って欲しいな…ぁ、携帯ないんだっけ?なら、メルアド書いて置くよ。本当は、デジカメの写真の方がいいんだけど…まぁ、追々ね」

「あの…」

「あ…和賀君には、僕の方から了承取るよ。僕も彼女持ちだけど、彼氏以外の男にメールするのも、気にされると困るから…」

「ぃぇ…違うんです。お願いがあって…」

「当てて見せようか?」

「ぇ?」

「欲しいんでしょ、この写真?」

躊躇しながら頷くと、高松さんはフフフと笑って、新しいファイルを鞄から取り出し、私の膝に乗せた。

「そう言うと思って、焼き増しして来た」

「…ありがとうございます」

「これも、お見舞いの1つだから。因にさっき冷蔵庫に入れたのは、僕の彼女からだからね」

「宜しくお伝え下さい…でも、もう1つお願いが…」

「何?」

「和賀さんの…飛ぶ写真を撮影して頂きたいんです!」

瞠目する高松さんに、私は自分でも驚く程素直に懇願していた。

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