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第3話

他の人間から耳に入る前に、俺は姉に事の顛末(てんまつ)を自己申告し、思い切り殴られた。

そして『眼鏡の代金はバイト料と一緒に包んで置く』と言って、姉は俺の財布から3万抜いて行った。

「知ってたのか、浩一?」

「勿論…お前みたいに、雑に生きてないからな。で、キャプテン何だって?」

「事情を話したら、店子なら引続きコンタクトを取れって、厳命されちまった」

早朝の青果市場で欠伸(あくび)をしながら、俺達は台車を押していた。

「要ちゃん、このじゃが芋と玉葱…後、こっちのキャベツも頼むわ」

「ウィーッス」

八百屋の仕入れの荷運びが、俺と浩一のバイトだ。

商店街という土地柄、バイトには事欠かない…部活の練習が終わった後や早朝でも、こうやって裏方の仕事は山の様にある。

まぁ、ガキの頃から迷惑掛けたり世話になってるから、タダ働きも多いが…俺はこの街の生活が嫌いじゃない。

宇佐美典子(うさみのりこ)…それが、彼女の名前らしい。

気を付けていると、彼女と顔を合わせる機会はちょこちょこあった。

店やアパートの前で、学校で、そして部屋の窓越しに…。

だが椎葉が話していた通り、彼女の笑顔も顔を上げている所すら余り見た事は無い。

『地上140㎝の世界』…身長195㎝に成長した俺には、小学生の頃見ていた世界だ。

「どんなだったかな…」

「何が?」

「地上140㎝の世界…」

「…地面が近い」

「そりゃそうだ」

「俺だって183㎝だからな」

「…何か楽しい事、あるのかな…アイツ…」

「珍しいな、要。お前が、そんなに気に掛けるなんて」

「部活に、家に店…こうも絡まれちゃ、仕方ねぇだろ?」

「まぁな」

顔を合わせても話す事はない…だが、互いに無視する訳にも行かず、彼女は黙って会釈をし、俺は手を上げて挨拶をする。

そんな生活が続いていた5月の末…関東に梅雨入り宣言がされて間もなくの頃…。

梅雨の晴れ間に開け放した体育館の扉から、突然彼女が飛び込んで来た。

「オイッ!?土足厳禁だぞ!!」

そう誰かが叫ぶ声も耳に入らない様子で、彼女は赤い目をして辺りを窺い、駆け込んで来たのだ。

泥だらけの白衣、そして擦りむいた頬…キョロキョロと体育館を見渡し、ボール籠の陰に身を潜めてしゃがみ込む。

「ドア閉めろ、一平!!」

松本が扉近くに居た椎葉に叫ぶ。

「…被っとけ」

俺は、着ていたジャージの上着を脱いで彼女の頭から被せ、ボールを掴んだ。

「ウサギちゃ~ん、どこかなぁ~?」

「追い掛けっこは、そろそろ終わりにしようぜ~?」

(やに)下がった学生が、体育館の扉を覗き込もうとした時、俺は椎葉に叫んだ。

「行くぞ、一平ッ!!」

「ハイッ!!」

高々とボールを上げスパイクを打ち込むと、椎葉は必死にレシーブで返す。

「腰が甘い!!」

「ハイッ!!」

目の前で打ち込まれるボールの勢いに、体育館を覗き込んだ男達が息を呑んだ。

「邪魔だ!!練習中だぞ!!」

寺田さんの怒声に、男達は苦虫を噛み潰す様な顔をして去って行った。

透かさず松本が様子を窺い、俺に向かって頷いた。

「おい…大丈夫か?」

ボール籠に隠れる様にうずくまる、小さな塊に声を掛ける。

「…おい」

被せたジャージを握り締め、彼女はガクガクと震えていた。

「もう大丈夫だ…立てるか?」

彼女の手が、震えながら俺の靴下を掴んだ。

「和賀、ロッカールームに運んで治療してやれ」

「…わかりました」

「一平、彼女の荷物探し出して持って来てやれ…他の者は、練習再開だ!」

寺田さんの声が、体育館に響いた。



引き付けを起こしそうな程、ガクガクと震える彼女を抱き上げてロッカールーム横にあるマッサージ台に運んでやる。

「…保健室に行くか?」

黙って泣きながら頭を振る彼女を台に座らせ、頬や膝等擦りむいた箇所を消毒してやりながら尋ねた。

「…どうした…襲われたのか?」

フルフルと頭を振ると、眼鏡を外して涙を拭う。

「追い掛けられたのか?」

コクンと頷いた彼女を再び抱き上げて、体勢を変え台に寝かせてやる。

「練習が終わる迄、ここには誰も来ねぇ。しばらく休んどけ」

「……でも」

「いいから…連れて帰ってやるから、待っとけ……寝てて大丈夫だから」

未だ涙が止まらない彼女は、俺の顔を見上げて瞠目し…やがてコクンと頷いた。

俺は自分のロッカーから新しいタオルを出すと、彼女に投げてやりながら言った。

「いいか?ちゃんと待っとけよ!」

彼女はジッと俺を見詰めて、頷いた。



「ウチのマネージャーになって貰えないかな?」

松本と彼女を家に送り届け、宇佐美の部屋のリビンクで松本が笑顔で話を切り出した。

「……それで…」

「え?」

「…それで…助けて下さったんですか?」

「いや…そんな事は…」

「…関係ねぇだろ?」

ボソリと吐いた俺の言葉に、彼女はフィと顔を上げる。

「泣いてる奴を助けるのに…理由なんて関係ねぇだろ!?」

「要ッ!!」

「……悪ぃ…又…」

「…いぇ、済みません…ありがとうございました」

「え?」

「…ちゃんと、お礼言っていませんでした」

彼女はそう言って、頭を下げる。

「茜に聞きました…彼女が、私も一緒じゃないとマネージャーを引き受けないと言ったそうですね?」

「そうなんだ…勿論、それだけじゃ無い。ウチの部もマネージャー不足でね。今の女子マネも4年生で…」

「……無理です」

「…宇佐美さん」

「無理です…私、人のお世話をする余裕なんてありません」

「…」

「それに、茜も…マネージャーの仕事なんてするとは思えません…」

「…一度、見学に来てくれないか?玉置さんも一緒に…」

「…」

「頼むよ、宇佐美さん」

「……わかりました。見学だけなら…それでも、お断りする事になると思いますが…宜しいですか?」

「あぁ、勿論…キャプテンに、そう言ってくれて構わない」

「…わかりました」

松本にでは無く、俺に向かって視線を投げ掛ける宇佐美に、俺は頷いて見せた。

「彼女…お前に少し気を許した様だな?」

彼女の部屋を退室して松本の部屋に寄った俺に向かって、麦茶を差し出しながら松本が笑う。

「そうか?」

「あぁ…何言ってやったんだ?」

「いゃ…別に大した事言ってねぇだろ?…多分」

「そうか?俺は又…『俺が守ってやる!』…とか何とか、格好いい事言ってやったのかと思ったぞ?」

「あり得ねぇだろ!?」

出された麦茶をがぶ飲みして、俺は外方(そっぽ)を向いた。

俺にそんな気の利いた事、言える訳ない……俺はただ…。



数日後、玉置茜と宇佐美典子は、揃って体育館に現れた。

コートの準備を進める部員の目は、知らず内にベンチの彼女達に注がれる。

「『掃き溜めに鶴』って言葉は、こういう時に使うんだな…」

ニヤニヤと笑いながら、松本がベンチを眺めて呟いた。

派手な奴…玉置茜を見た、俺の第一印象だ。

何も派手な格好をしている訳じゃない…自分の魅力と似合う物を知り尽くして、自分がどう振る舞えば、相手にどういう印象を与えるのか…全てわかってるって顔をした女だった。

『人間の顔の美しさは、バランスなのです』

…高校の美術教師の言葉が蘇る。

モナリザをはじめ、名だたる名画の美女達の顔のパーツを1㎜ずらしただけで、それは美女ではなくなってしまうそうだ。

そういう意味で玉置茜は、彼女の持つパーツに(おい)て完璧なバランスに配置されているのだろう。

彼女達に話し掛けていた寺田さんと高柳さんが、俺達をベンチに呼んだ。

「はじめまして、玉置茜です。貴方が、和賀さん?」

俺に手を差しのべて無理矢理握手をすると、彼女は俺を下から値踏みする様に見上げた。

「あぁ…」

『案外格好いいのね』とうそぶくと、今度は松本に手を差しのべた。

「で、貴方が松本さん…典子の隣に住んでる…」

「はじめまして、松本浩一です」

玉置は何も言わずに松本の手を離し、再び俺に向き直った。

「典子を助けてくれたそうね?」

「この間の事か?」

「違うの?」

初対面の下級生の癖に、あくまでも上から目線って…そう思い、眉を潜めながら応対する。

「宇佐美を助けたのは、俺だけじゃねぇ。キャプテンも浩一も、一平も…ここに居る全員が助けたんだ」

「ふぅん」

顎を上げ、片方の口角だけを上げ、偉そうな口振りで玉置は俺に言い放つ。

「取り敢えず、典子への最初の無礼は許して上げるわ!」

「…お前…」

その後に続く『何様の積もりだ!?』という言葉を、俺は周囲に集まった奴等に背後から口を塞がれて言えずにもがいた。

「それで、玉置君。マネージャーの話、考えて貰えただろうか?」

寺田さんが玉置に尋ねると、彼女は宇佐美の隣に座って顔を覗き込む。

「典子は、どうするの?」

「……私は無理」

「じゃあ、私もやらないわ!」

一刀両断のもとに即答する玉置に、高柳さんが口を挟む。

「どうしても駄目かな?」

「典子が一緒に入るなら…この間の条件で入って上げてもいいですけどね…」

「玉置さんは、こう言ってるんだけど…駄目かな、ウサギちゃん?」

「…無理です…皆さんのお世話なんて」

「そんなに、堅苦しく考えなくていいから…」

「私…引き受けるからには、キチンとやりたいんです…でも、絶対出来ない。返って、ご迷惑掛けますから…」

「気負わなくていいんだ。君の出来る事を、やってくれるだけでいいんだよ?」

「…」

俯く宇佐美に、玉置が横から抱き付いた。

「典子ぉ…この間、私が提案した事、お願いしてみれば?」

「っ!?…それ…は…」

透かさず、寺田さんが真っ赤になって俯く宇佐美と、ニヤニヤと笑う玉置を見比べて尋ねた。

「何か、条件があるのか?出来る限り、要望は叶えるが!?」

「あのですね…」

「茜!?…止めて…」

「典子、今とっても困ってるんですよ」

「何をだ?」

「この間も、ここに逃げ込んで来たと思いますけど…典子、しょっちゅう色んな人に追い掛けられてて…。単に面白がって追い掛ける人や、付き合ってくれって強引に迫って来る人が複数いて、困ってるんですよ」

「それで、この間も…」

「私なら走って逃げたり、言い返したりしますけど…典子は出来ないし、足に負担も掛かるし。で、私が提案したんです。誰か、典子を守ってくれるナイトを探せばいいって!」

「ナイト?」

「そう…誰かに…典子の恋人役になって貰って、守って貰えばいいって!!」

「…成る程」

「そうすれば、典子も勉強に集中出来るし、走り回らなくてもいいから体力的にも楽だし…ね?いい案だと思いません!?」

「その分、マネージャー業務に(いそ)しんで貰えるという事か…その条件で、君は引き受けて貰えるのか、宇佐美君?」

「…え?…あの…」

「その程度の事でいいなら、俺達全員がバックアップ出来る。それに恋人役だって、君の好きな人物を宛行(あてが)う事が出来るだろう」

「あ…あの…」

「さぁ、誰がいい?君を守るナイトを選んでくれ!」

宇佐美は赤くなり…縋る様な瞳を俺に向けた。

「…ん?和賀でいいのか!?」

「…」

彼女の視線を追った寺田さんが、ニンマリと笑って皆に羽交い締めにあっている俺に言う。

「うん…そうだな!やはり、和賀が適任かもしれないな!!」

暴れて皆の腕を振りほどき、俺は叫んだ。

「はぁッ!?何でッ!?」

「お前なら大学の中ばかりで無く、通学路や家の方迄フォロー出来る…うん、やはりお前任せよう!」

「キャプテン!?」

「いいな、和賀……部長命令だ!!」

「…」

「宇佐美君は、お前んとこの店子だろ?」

「…はぁ」

「松本、いつもの様にフォローしてくれ」

「承知しました」

松本が、笑いを噛み殺して俺と宇佐美を見比べた。

「それじゃ、いいな…宇佐美君?」

宇佐美は、焦りまくる俺の様子をじっと見て……いつもの様に下を向くと、コクンと頷いた。

「彼女は承知してくれた…君の答えは、玉置君?」

「典子がやるなら…私は構いませんよ?その代わり……この間の条件は、ちゃんと守って貰えるんですよね?」

「…わかった」

寺田さんがそう言った途端、殆ど全員が一斉に歓声を上げた。

「じゃあ、こっちに来てくれ…監督とコーチに紹介するから」

「はぁ〜い」

玉置が甘えた様な声を上げて立ち上がると、スッと宇佐美の手を取り立ち上がらせ、彼女に寄り添って腰に手を添える。

宇佐美はチラリと俺を見上げて、いつもの様に会釈をした。


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