第27話
盆開けに再開された練習の為に、松本と共に体育館に向かうと、中のピリピリとした空気が肌を刺す。
「和賀さん!!」
俺の姿を見付けると、玉置と出川が揃って駆け寄って来た。
「珍しいね、姫が練習に参加とは…」
松本の言葉に冷たい一瞥を与え、玉置は俺を見上げて態と大声で尋ねる。
「典子の様子は!?ずっと病院に泊まり込んでたんでしょ!?」
ザワザワとしていた体育館の中が、一瞬にして水を打った様に静まり返った。
「和賀…そうなのか?どうなんだ、宇佐美君の様子は?」
俺達の輪に、寺田さんが近付いて尋ねた。
「…意識は戻りましたよ。ショックで退行起こしたりして、色々大変でしたけど…ようやく、それも治りましたしね」
「じゃあ、面会出来るだろうか?」
「…キャプテン…面会して、典子に何言う積りです?」
「それは…」
「悪いが、面会は出来ねぇと思いますよ……っつぅか、行くなよッ!!」
「和賀…」
「テメェ等、典子を殺す気かッ!?」
「…止めろ、要」
今にも飛び掛かろうとする俺を松本は冷静に止めると、寺田さんに耳打ちをした。
サッと顔色の変わった寺田さんに、玉置が追い打ちを掛ける。
「寺田さん、この間お話したバレー部のスポンサーの件ですけど…一旦白紙にさせて貰えます?」
「えぇっ!?」
「だって…合宿の話聞いたら、流石に考えてしまって…」
「いや、玉置君…まだ、犯人がウチの部の人間だと決まった訳じゃ…」
「違いますよ、寺田さん。何、勘違いしてるんですか?」
「え?」
「聞けば、皆して典子の事を疑って…花村さんの甘言に惑わされて、酷い仕打ちしたっていうじゃありませんか?」
「それは…」
「緊急部会で典子の味方になったのって、ここに居る3人と瀬戸さんだけだったそうですね?」
「…玉置君、君が宇佐美君と仲がいいのはわかるが…この件に、公私混同されるのは困るんだ」
「わかってないのは、寺田さんの方だわっ!!」
「…姫、落ち着いて」
「だってそうじゃないッ!?ちょっと見学に来た余所者に、部の中滅茶苦茶にされて…典子がどんな娘だか、皆わかってる筈なのに…仲間を疑って、傷付けて…挙げ句、部の存続の為に放り出そうとしてるんですよねッ!?」
「…」
「そんな薄っぺらな絆しか築けない部なんて、チームワークが聞いて呆れるわッ!!そんな部に出資するスポンサーがあると、本気でお考えですか!?」
「…玉置君」
「それと、典子が部に残らないなら、当然私も退部させて頂きます!最初から、そういう条件でしたよね!?」
「えぇ~っ!?私ぃ1人なんてぇ、絶対無理ですぅ!!」
「出川君、君迄そんな…」
「だってぇ、ウッサちゃんがぁ一緒にやろうってぇ言ってくれたからぁ、あんな事したぁ私でもぉ、マネージャー出来るかとぉ思ってぇ…」
「その娘達の言う通りね!!」
体育館に響き渡る凛とした声に、俺達は一斉に入口を見詰めた。
「…明菜」
「いっその事、全て公にして…徹底的に犯人探しすればいいのよ!!」
瀬戸さんの言葉に、部員達が硬直する。
「仲間1人守る事の出来ない部なんて、存続させる意味はないわ!!」
そう言い放つと、瀬戸さんは踵を返して去って行った。
「久し振りだね、宇佐美君…元気そうで安心したよ」
「…ご心配を、お掛けしました」
珈琲の香りが漂う、落ち着いたオーク材の本棚で埋め尽くされた部屋の応接セット。
私の正面には、千田監督と遼兄ちゃんが座り、後方には担当医の武蔵先生が座っている。
「君にとっては、思い出したくない事もあるだろうが…あの日、何があったのか…教えて貰えるだろうか?」
「…はい」
「昼過ぎに、食堂で和賀と会ったそうだね?」
「…はい。その後で出川さんがいらっしゃって、私は部屋に戻りました」
「部屋には、誰も居なかったのかな?」
「はい。少し疲れていたので、ベッドに入って寝てた筈なんです…目が覚めた時には…」
「誰も見なかったんだね?」
「はい」
「目覚めた時に、人の気配は?」
「多分…なかったと思います。携帯が2度鳴って…和賀さんが助けに来て下さる迄、扉を開ける音はしませんでしたから…」
「しかし、普通に寝ていた位なら…気付くんじゃないか?」
千田監督の目がスッと細くなるのを見て、私は自分が信用されていないのではないかとブルリと身が震えた。
その時、背後からのんびりした声が掛けられた。
「目覚めた時に、何か違和感はなかったかな?」
「……ぁ…頭痛と目眩…それに、吐き気が…」
「あぁ…盛られちゃったかな?寝てたなら、多分シンナーとか吸引させられたのかもね?」
「シンナー?そんな物を、誰かが持ち込んでいたと言うんですか!?」
「案外、簡単に手に入りますし…女性なら、マニュキアを落とす除光液とか持って来てたかもしれませんしね。利用されてしまったのかもしれない」
「…」
「典ちゃん、誰かにあんな事される心当りあるかい?」
遼兄ちゃんの質問に、私は俯いたまま頭を振った。
「今回の事件について、学校側でも協議を重ねた。宇佐美先生は、君に学校を辞めさせた上で、警察に届けたいと仰るんだ」
眉を寄せた千田監督が、私を覗き込む様にして質問する。
「君は…どうしたい?」
「…」
「学長と宇佐美先生が話し合った結果、君の意見を優先する事にしたんだ」
「…」
「宇佐美君…」
「千田さん、井手さんも…手持ちのカードを、全て出したらどうです?彼女だって、判断に困る」
「…先生」
「彼女はね、貴殿方の真意を測り兼ねているんですよ」
武蔵先生の言葉に、目の前の2人は顔を見合せた。
「典ちゃん…和賀から、何か聞いているかい?」
「…私が…その…体育館で…」
「宇佐美さん、僕から説明するよ。彼女が和賀君から聞かされているのは、強姦されていなかった事実と、部の皆さんにメールで送られた写真は全員削除したという事。それと、そちらの部員との…」
「先生、それは…いいんです。それは、私の勘違い…でしたから…」
「…そうかい?じゃあ、以上2点だけです」
「…わかりました。典ちゃん、実はね…君の事件の事で、男子バレー部は存続の危機に直面しているんだよ」
「どういう事です!?」
「あの日、合宿施設はウチの部しか使用していなかった。その学校の施設で、部員の君にあんな事が起きた…例え犯人がバレー部員から出ないにしても、由々しき問題なんだ。部員には写真を削除させ、箝口令を強いた…それは、宇佐美君の名誉を守ると同時に、部の存続を守る為だ。だが…もしも君が…どうしても警察に届けるというのであれば…我々は、君を止める事は出来ない…」
目の前で話す千田監督の放つ威圧感が、テーブル越しにジワジワと迫って来る。
千田監督は……大学は…私に、この件について不問に付して欲しいのだ。
「我男子バレー部は、創部以来様々な全日本やプロの選手を輩出して来た。ここに居る井手君もウチの部の出身だし、今現在も…Vリーグに就職が決まっている選手が居る。数年後には、和賀だって…」
ビクッと心臓が跳ね、脈がどんどんと早くなる…同時に、左手に巻いた包帯の傷がムズムズと痒くなる…。
「…典ちゃん?」
「……父は…私の判断に任すと…言ったんですか?」
「…もしもの時は、学長が説得してくれる」
…手が…痒い…。
「…警察へ届けるのを止めるだけで……事態は収拾出来るんですか?」
「……被害に遭った君が、ウチの部員だった事も…要因の1つではある」
「…」
「…済まない、宇佐美君。秋季リーグも迫っている…出来れば、早急に決断して貰いたいんだ」
「……警察には届け無い、私が…マネージャーを辞める…そういう決断ですね?」
「…」
「それは…部の……部員の方々の、総意ですか?」
「違うよ、典ちゃん」
「…」
「少なくとも、和賀は…そんな事は思ってない」
「……わかってます」
「…」
「…部を……辞めるだけで……いいんですか?」
「え?」
「……大学も……辞めた方が…」
「そんな必要はない」
「そうだよ、典ちゃん……君は…被害者なんだから」
「……でも」
包帯の継ぎ目から指を入れて掻き毟っていた指先に、ヌルリとした感触が広がる。
「典ちゃん!?血が…」
遼兄ちゃんの言葉に、後ろに居た武蔵先生が私の所に来て、そっと手を押さえた。
「今日は、この辺りでお引き取り頂けますか?」
武蔵先生の言葉に、千田監督が焦りの色を滲ませた。
「しかし、先生!?」
武蔵先生は、黙って私の車椅子を押してくれる。
「宇佐美君!?さっきも話した様に、本当に時間がないんだ!!」
「…監督に…学校に……お任せします」
「…」
「…警察に届ける事も…退部の事も……退学の事も……皆さんの…都合のいい様に…して頂ければ…」
「宇佐美君!?」
千田監督の叫びを背中に、私は武蔵先生と共に部屋を出た。
「疲れたかい?腕も、痒くなったみたいだね…病室に帰ったら、消毒しよう」
「……先生」
「何だい?」
「……眠い…です…」
「駄目だよ、意識的に寝ようとしちゃ」
部屋に戻った私をベッドに寝かせると、武蔵先生は自ら私の掻き毟った左腕を消毒しながら言った。
「良かったのかい?アレで…」
「…」
「大学も、バレー部も…辞めたくなかったんじゃないかと思ってたんだけどな?」
「……いいです…もう」
「諦めちゃうのかい?」
「前にも…キャプテンの寺田さんに、マネージャーを辞めるって言ったんです。でも、その時は…」
「その時は?」
「…和賀さんが……許さないって…」
「じゃあ、今回も怒るんじゃないかな?」
「…でも……私の事を…皆辞めて欲しいって思ってます」
「そうかもね」
「それに…部が存続出来ないと、皆の就職だって……和賀さんの夢だって…」
「和賀君の夢?」
「和賀さんは、無理だろうって言ってました。でも…Vリーグも全日本も…行けたらなって……バレー部がなくなってしまったら……問題のある部だったって世間に知られてしまったら…夢は……絶たれてしまいます…」
「和賀君の為に、諦めたのかい?」
「…そういう…積りは…」
「どうして、あんな投げやりな言い方したのかな?」
「……何か…」
「…」
「…いぃです……もぅ…」
「君の夢は?」
「…目標なら…」
「夢の話だよ」
「…」
「お嫁さんになる事だろ?和賀君の…」
「…」
「それも諦められるのかい?」
「……叶いましたから」
「え?」
「和賀さんは…私の幼い頃の夢を…ご存知だったんですね……だから、ずっと『嫁に貰ってやるから』って言って下さって…」
「…」
「『好きだ』って…『愛してる』って…抱いて貰って、『俺の女だ』って言って貰って…『嫁に貰ってやるから』って……私、嬉しくて…幸せな夢を、沢山見せて頂きました…」
「宇佐美さん、君の夢って…」
「子供返り起こしてた時の事、私…夢の中の出来事だと…思ってました……だって…幼い頃の私と和賀さんが一緒に居るなんて…あり得ない事だから……和賀さんは、やっぱり優しくて…沢山抱き締めて貰って…撫でて貰って……朝から晩迄、ずっとお喋りして……初めてです…和賀さんと…あんなに喋ったの…」
「…」
「あの日、歩行訓練を嫌がる私に…和賀さんが『バージンロードを歩ける様になったら嫁に貰ってやる』って…言って下さって……嬉しくて沢山練習して……疲れた私を…病室のベッドに寝かせてくれた和賀さんが…私にキスをしてくれました……先生、モニターで見てらしたんですから…ご存知ですよね?」
「…宇佐美さん、まさか…」
「あの時…叶ったんです……私の夢……和賀さんに……『大好き』って…告白出来ました…」
「…」
「私の中では…絶対に…言ってはいけない言葉でした……それは…大好きな人に…自分を託してしまう事に…なりかねない……その切っ掛けを…作ってしまう言葉です………だから…和賀さんが…どれだけ『好きだ』…『愛してる』と言って下さっても…今迄それに答える事が出来なかった……でも、幼い私は…素直に伝える事が出来ました……それだけで…もぅ、十分です…」
「宇佐美さん…」
「正直、この先…生きていても……父にも…和賀さんにも…負担を掛けるばかりで……父の為にも、私は居ない方が…」
「何で、そんな事思うのかな?」
「先生…父は『過干渉』で…私達親子は…『共依存』なんですよね?」
「調べたのかい?」
「高校の時に…図書館で…」
「だから、独り暮らしを?」
「母の面影を追う…父の事も…怖くて……でも…大学にも追って来て……きっと和賀さんにも…酷い事……私…このままずっと…眠れたら…いいのに…和賀さんに…依存せずに…済む…」
「駄目だよ、宇佐美さん…意識をちゃんと保ちなさい。じゃないと、和賀君が悲しむ…」
武蔵先生の優しい手が、私の手に重ねられ…私は…あの大きな暖かい手を思い出していた。




